ロジャー・イーバートの映画レビュー翻訳 最低映画編

繰栖良

アルマゲドン ★  1998年7月1日

 アルマゲドン ★  ロジャー・イーバート 1998年7月1日


 キャスト

 ブルース・ウィリス(ハリー・S・スタンパー役)

 ビリー・ボブ・ソーントン(ダン・トルーマン役)

 ベン・アフレック(A.J.フロスト役)

 リヴ・タイラー(グレース・スタンパー役)


 監督:マイケル・ベイ

 脚本:ジョナサン・ヘインスレイス/J.J.エイブラムス


 ジャンル:アクション、SF、スリラー

 150分


 結論から書けば、150分の予告編だ。

『アルマゲドン』はどこをとっても名場面である。適当にどこか30秒抜けば、テレビスポットの出来上がりだ。

 この映画は目と耳と脳みそと五感、そして人間の快楽欲に襲いかかる。金を積まれて映画館に押し込められるとしても、逃げたほうがいい。


 話の筋は直近の『ディープ・インパクト』(注:ミミ・レダー監督 1998年)といろんなところが似通っている。

 だが『アルマゲドン』と比較しても、向こうがAFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)の選考候補により近い。

 この映画はそっくりな話を超スピードで語るわけだが、採掘屋のブルース・ウィリスが、衝突すればバクテリアさえ生き残らないという「テキサスサイズ」(注:この上なくでかいという意味を持つ)の小惑星を、われわれが滅ぶ前に800フィートの穴をあけて爆破する、というミッションに抜擢され挑むのだ。


 OK。テキサスサイズの小惑星を爆破することに成功したとしましょう。ダラスのサイズのかけらが残っている場合はどうしますか?それでも地球の生命を滅ぼすに値する大きさではないでしょうか。オースティンサイズのかけらでもよくないでしょうか?

 現実を見よう。駐車場のキャパシティを数えれば、アビリーンの郊外にあるウォルマートの建物のサイズでも地球を滅ぼすのに十分なのだ。


 テキサスは大きな州であるが、ほど大きな重力を生成できる天体のサイズではない。

 しかし宇宙飛行士たちが小惑星に降り立った時、まるで地球と同じ重力であるかのようにそこを歩き回る。無重力の感覚は皆無だが、しかし必要とあらば月面探査車がイーベル・クニーベルみたく、ギザギザの大峡谷を大ジャンプするのだ。


 映画はチャールトン・ヘストンが恐竜を一掃した小惑星について語るところから始まる。直後ワイルドカードたる「6500万年後」のテロップが出、次のシーンでアマチュアの天文学者が小惑星を見つけ、ペンタゴンとホワイトハウスで首脳会議が行われる。そしてヒューストンの管制室のトップであるビリー・ボブ・ソーントンに会う。管制室はスポーツ観戦向けの大きなスクリーンを備えたバーっぽいが、そこに酒はない。そして私たちは、来るべき出来事により人生が永遠に変えられる市井の人々を見る……

 わけだが、どこにでもあるようなストーリーで、本作ならではのオリジナルのアイデアは皆無だ。


『アルマゲドン』は脚本に9人も携わったと聞いているが、そんなに必要だろうか?会話といえば1行のセリフを叫ぶだけだし、あるいは恋愛がらみの駄話ばかり。

「吹っ飛ばせ!」って何回も言うのだが、多分脚本担当各人がこう書いたとき、

 満面の笑みで「今日の仕事が終わったぜ」という気持ちでワープロを後にしたのだと思われる。


 災害映画はいつも市井の民草のワンシーンが入るものだが、アルマゲドンの場合はニューヨークでタクシーに乗った日本人の観光客をぶちこんでくる。通りに隕石が落っこちて辺り一帯を荒れ地に変えてしまった後、女の子(注:松田聖子ちゃん)がこう言うのだ。「I want to go shopping!」

 日本でこの部分を訳すときは、頼むから「こんな時、ガメラがいてくれたら」と変えておいてくれ。

 一方で我々にはサブプロットたるリヴ・タイラーとベン・アフレックの恋話が待ち受ける。リヴはウィリスの娘役で、ベンはウィリスの右腕である(オイオイ……)。

 ブルースは石油採掘リグで、リヴがベンのベッドで寝てるのを目撃して、ベンを撃ったれとショットガンもってリグ中を追っかけまわすのだ。(普通にほかのクルーはマンハッタンの半壊状態に目が釘付けと思われようが、あの災害シーンのあとから一切誰もそこに言及しない)

 ヘリコプターがウィリスを人類救済作戦、およびその他諸々で連れていくために到着する。

 そしてウィリスは彼のなじみの部下たちを用いることを主張する(特に“息子のような”ベン・アフレックを)。

 これは一応、観客の心を引き裂くリヴとベンの別れのシーンが待ち受けているということである。

 撮影監督とリヴ・タイラーに諍いはなかっただろうか?彼女は美しく若い女性だが、あごのまわりにブラジャーがずり上がるとこや、男が何をしているのか(たとえば、アフレックが動物のクラッカーでリヴのおへそをくすぐるところ)を見ようとするとき首に多くのしわが見えたりするところを常にうしろから単調なショットでおさめられる。

 リヴ・タイラーは明らかに子供を職場に連れていく日(注:アメリカのワークスタイルでは4月の第四木曜日に字義どおりの催しがある)の役得を受けていて、彼女はリグにいるだけに飽き足らず、父親と彼氏のトレーニングセッションに顔を出し、管制室でくつろぎ、宇宙服を着た男たちのそばで着陸帯の上を歩く。


 この映画の登場人物が真剣に口にするセリフ。「言いたいことがある。すまない...」「あいつらを見捨てたりしない!」「みんな、時間がない!」「ウソみたいな悪夢になっちまった!」

 スティーブ・ブシェミ演じる空間認知症と診断された乗組員は、小惑星の表面を見て「ここはドクター・スースのひどい悪夢のようだ」と付け加える。ところで彼が考えているスースの本は何なのか?

 あと、いくつかの時限爆弾のデジタル時計のカウントシーンがある。爆弾の設計者は、たまたま爆弾の隣に立っている物見遊山に便宜をはかるためにそんなものつけるか?

 やはり導線を切断しようとしている昔ながらのシーンのリトレッド(焼き直し)もあり、赤い線を切るか青い線を切るかを決めなければならない。

 映画は、これが米軍の爆弾であってことも、米軍がシャトルに同乗している理由が爆弾のスペシャリストであったから、ということも忘れてしまったのだ。プロがまず知っておくべきことは「赤と青の線どっちを切りゃいいか?」だけらしい。

『アルマゲドン』はうるさく醜くちぐはぐで、アクションシークエンスは細かい数百のシーンをすさまじいスピードでつぎはぎしているのだが、起きていることが何だかなぜだかどうしてかを確かめることはできない。(小惑星などの)重要な特殊効果の場面は細かく作りこまれているのに、そこに見とれる前にさっと次のカットに切り替わってしまう。

 数少ない「ドラマチックな」シーンも、淡々と時代遅れのクリシェを朗読するシーンで構成されている。刻一刻と地球の生命が終わりに近づいているにもかかわらず映画はスローダウンし、主人公はイモくてサムい別れの言葉を詠むために惑星を救うのを遅らせる。



 この試練が終わった後、劇場のロビーの静寂の中によろめきつつ、刷りたての大判の本作ポスターを目にしたら、絶賛広告が飛び込んできた。

 伝記作家デビッド・ギリン曰く「あなたの五感を吹き飛ばす!」、ダイアン・カミンスキー曰く「息もできない!」


 もし事実なら、彼らは安楽死したのだろう。


参考文献/引用: Armageddon Movie review

https://www.rogerebert.com/reviews/armageddon-1998

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