11-4 青春
心地よい風が、草むらの中を吹き抜ける。ここは街外れの堤防。チハルが一番気に入っている場所だった。
「なーんもないね」
アズサがのびやかに言う。目に付くものと言ったら、最近よく見えるようになった太陽が映り込む、さして広くもない川面ぐらいのものだ。
「それがいいんだよ。何か考え事をする時なんかに、邪魔されなくてすむ」
少しかがんで、身の安全を考慮して車いすに乗ったレンと、視線を合わせるチハル。なんとなく、暗い顔をしているように見えたからだ。やはり荒んだ心は、癒えなかったのだろうか。心配になった。
「レン、あの夢って覚えてるかな。なんか水中みたいに動きづらい空間に、僕たちが浮かんでる―」
「夢?なんのことだ」
きょとんとして、こちらを見上げるレン。その時チハルは、自然と胸をなで下ろしていた。もし夢の中にいたなら、そのレンが本物なら、絶望に任せて死ぬつもりなのかもしれないと思ったからだ。
けれど幻想に過ぎなかったのなら、まだ生きようとしている、はず。
最後に、ともう一度尋ねる。
「レンは死なないよね、ずっと生きていくんだよね」
突如とした、愚直すぎる質問。だから、
「どういうことだよ。自殺でもすると思ったのか?」
と、当然なまでに馬鹿にされると、思った。
「うーん……」
ここで言葉を濁す。再度まさかと思い始めた時、レンが腰を浮かせた。そしてアスファルトの道を踏みしめると、眼下に広がる坂を駆け下りていく。
「ちょっと、レン!」
また、倒れてしまうかもしれない。まさかここで、自殺を図る気なのか。今のレンにとって全力疾走は、自殺行為でもある。
チハルは慌てて後を追った。長い草が巻き付いて転びそうになっても、両手を大きく振って前に進む。
待ってレン。あまりに唐突すぎるよ、そんなの馬鹿げてるよ。
草原に降り立ったところで、レンは止まった。同時にふらつき、倒れ込みそうになる。
「危ないっ」
なんとか手を伸ばして、肩をつかむ。そのまま抱えるようにして、体を支えた。
息を整えながら、チハルに身を預けるレン。少し離れたところにいたアズサも、遅れて駆け寄ってきた。
そんな二人を見て、いたずらっぽく上目遣いで言うレン。
「ほらね。俺に何かあった時、チハルもアズサもすぐに駆けつけてくれるんだ。もう一人じゃない。だから、生きていける」
その表情は、楽しげに煌いていた。
あの時のレンは本物じゃない。生きる希望を捨ててなどいない。大丈夫だ。
「てかさぁ」
アズサが、けのびをしながらつぶやく。
「これからどうするんだろうね。レンはその身体じゃあ戦えないし、私は二号機が修復中で乗るヴァロがないし、チハルにいたっては、ヴァロ乗ることすらできないし。てかその前に、三号機は木っ端微塵に砕けてるんだった。破片、全部見つかったのかな」
改めて口にすれば、悲惨な状況だった。
「確かになぁ」
チハルは軽々しく、そういうしかなかった。
僕たちは、ヴァロシャイムを失った。すぐ傍らに必ずあったはずの、戦いを失った。そして何より、信念を失ったのだ。
パイロットとしての役目を終えた今、どうすればいいのか。どうしたいのか。縛るものがなくなった代わりに、従うべき道もない。その中で、どんな生き方ができるだろうか。
「何があっても、生きるしかないだろ」
一人で立ったレンが、あっけからんと言い放つ。
「生きるって、どうすればいいのよ」
「そりゃあ、今みたいに話したり、笑ったりすればいいのさ。自分のしたいように、したいことをするんだ。そのためなら、信念だって変えればいい。むしろそうすべきだと思うよ」
彼は、充実した笑みを浮かべていた。
「生きる、か」
チハルは見知らぬ言葉を、口に中で転がしてみた。今までさんざん語ってきたくせに、生きることの本当の意味を知ったのは、この時が初めてだったように思う。
「生きる、か」
腕を広げ、大気を思いっきり吸い込む。口元を覆うガスマスクが多少の妨げになるが、これもすぐに外れてしまうだろう。なんたって、原液は光子爆弾により除染されて蒸発。瘴気濃度も薄れつつあるのだから。
いざガスマスクが不要になったその時は、すがすがしい顔をして言うんだ。
「レン、アズサ、覚えてる?あの頃の僕たちは、全力で戦っていたんだよ。世界のためじゃない、汚染獣とでもない。自分達のために、自分達と戦っていたんだ。その中で得た記憶を、感情を、今も肌に感じられるほどに覚えてる?」
これから先、何があるのかなど分からない。もし何かが起きれば、経験も感覚も度胸も、きっと何の役にも立たなくなるのだろう。今までも、そうだったからだ。
常に未来は不確定。だから、面白い。
勝手に水切りなどを始めているアズサと、それを止めるべきなのか分からず、チハルとアズサを交互に見るレン。なかなか呆けた顔をしているので、思わず吹き出してしまった。
今は好きな自分になるために生きているけれど、未来は不確定。幾万もの不安と恐怖を抱きながら、生きていかねばならない。
それでも、それでも―
僕らのヴァロシャイム聖戦は、青春だった。
【完】
僕らのヴァロシャイム聖戦 花田 神楽 @hanada-kagura
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