入部の条件

 留奈先輩は部屋に入ってくると、後ろ手に戸を閉めた。

 そして、後ずさった光里を真正面からじっと見つめる。


「…………」

「…………」


 数秒間の謎の沈黙のあと、先に口を開いたのは光里だった。


「……はじめまして。水科くんのクラスメイトの、灰谷光里です」

「知ってる。幼なじみなんでしょ? 昔、結婚の約束をしたっていう」

「…………」


 光里がなにか言いたげな目で俺を見てくる。


「いや、先輩に約束のこと話したのは俺じゃなくて初だからね? 誰にでもペラペラしゃべってるわけじゃないよ?」

「別になにも言ってません。もう今さらですし」


 それだけ言って、光里は視線を戻した。


「私は二年の風見留奈、この部の部長をやってます。初とは中学からの付き合いなの。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします……」

「今でも好きなの、彼のこと」


 藪から棒に、留奈先輩は訊いた。


「昔の話です。水科くんのことは友人として好きですけど、それだけです」

「え、そうなんだ?」

「はい」

「ふぅん、そっか……」


 先輩は興味があるのかないのか、それ以上はなにも言わなかった。特に疑いを抱いている様子もない。

 俺や初なら「そんなバカな」と異議を唱えるところだけど、光里のことをよく知らない留奈先輩なら、そんなものだろうと納得してしまうのも当然だ。


「そうだ先輩。光里、入部希望なんですけど」


 タイミングよく留奈先輩が来てくれたので、俺は光里の希望を伝えた。


「えっ、そうなの?」


 留奈先輩が光里を見る。


「……はい」

「そっかぁ……いやうん、そうだよね。三人、仲良いんだもんね? あ〜、でもそれは予想してなかったなぁ……」

「あの……無理にとは」

「ううん、無理ってわけじゃないんだけど……ごめんね、ちょっと考えさせて」


 先輩は難しい顔で、衝立側のいつもの席に向かった。


「とりあえず、みんなも座って?」


 言って、留奈先輩は椅子に腰かける。その左隣――閉じたノートPCが置いてある席に初が腰かけ、俺は初の正面に座る。最後に、空いている俺の隣に光里が座った。


 依然としてう〜んと唸っている先輩に、俺は訊いた。


「やっぱり先輩としては、これ以上部員を増やすのは抵抗ありますか?」

「そういうわけでも……ないんだけど……」


 こんなに煮えきらない態度の先輩も珍しい。


「どういうことですか」


 光里が小声で訊いてきた。


「先輩、入部希望をぜんぶ断ってるんだよ。元々、初と二人だけの部活にするつもりだったらしいから」

「もう九月だというのに、いまだに入部希望者が跡を絶たなくて困ってる。主に留奈が」


 初が他人事のように言う。


「そうだったんですか。というか今さらですけど、三人しかいないんですか、この部活」

「うん、光里が座ってる席はたまに来る顧問のダークネス用」


 早々に入部を決めた光里だが、俺たち以外の部員の存在にまでは気が回らなかったらしい。


「……あの、風見先輩」


 光里が呼びかけると、考えこむようにうつむいていた留奈先輩が顔をあげた。


「わたし、なるべく先輩の邪魔にならないようにするので――だから、できたら、やっぱり入部したいです」


 目を逸らさず、まっすぐに、そう告げた。


「留奈、わたしからもお願い。ひーちゃんと一緒に部活したい。それだけじゃなくて、留奈にも、ひーちゃんと仲良くなってほしい」

「……えっと、じゃあ俺からもお願いします……?」


 流れでつい、同調してしまう俺。


「なんで疑問形なんですか。水科くん、わたしが入部しないほうがいいんですか」

「いやそんなことないけど……いや、あるかも」

「え…………あ、あるんですかっ……」


 俺の返答にショックを受けたのか、光里の声がうわずった。


「みんなで過ごすのはもちろん楽しいと思うけど、俺はどっちかっていうと、光里とふたりきりになりたいから」


 そもそも出席率が高くない俺だが、一緒にいられる時間が限られているからこそ、より濃密な時間を過ごしたいという気持ちがある。


「っ……!! ……わっ、わたしははーちゃんも一緒のほうがうれしいですからっ! ですよねっ、はーちゃんもそう思いますよねっ」


 なにかを誤魔化すかのように、机に身を乗り出して初に同意を求める光里。


「ひーちゃん、顔真っ赤だよ?」


 初はそんな光里の顔を、両手でそっと挟んだ。


「それに、すっごく熱い」

「ぶぶ、部室が暑いだけですっ」


 ……この、光里の反応。

 これってどう考えても、明らかに……そういうことだよね?


「……うん、わかった。いいよ、入部して」


 それまで黙っていた留奈先輩が口を開いた。


「ただし、ひとつだけ条件があるの」

「……なんですか」

「水科くんのこと、私にちょうだい?」


 なんでもないことのように、留奈先輩は言った。


「はい? なにをわけのわからないことを……」


 俺は思わずつぶやいた。


「どうしてわたしに言うんですか」

「だって、許嫁みたいなものじゃない?」

「もう無効です」

「じゃあ、くれるってこと?」

「いやいやちょっと待て。本人無視して進める話ですかそれ?」

「ちょうだいというのは言葉の綾で、アプローチする権利さえもらえればいいの」

「どれだけアプローチしようと、俺は留奈先輩のものにはなりませんよ。俺は正真正銘、光里のものですから」

「〜〜〜〜っ! もうっ、さっきから変なことばっかり言うのやめてくださいっ! 気分害しましたっ!」


 羞恥心が臨界点を超えたのか、光里は紅潮した顔を隠すみたいに、机に突っ伏した。


「……この子、本当にきみのこと好きじゃないの?」

「どっからどう見ても好きですね」


 これが俺への恋愛感情じゃなくてなんだというのだろう。


「全っっっ然、好きじゃないですっ。水科くん自意識過剰ですっ」

「なら私がもらうね?」

「だからあげませんって。俺は光里の」

「――どうぞ、ご自由に」


 光里はゆっくりと顔をあげた。赤みはまだ全然引いてない。


「光里?」

「仮に、です。仮にですよ」


 光里はそう前置きして、


「もし、将来的にわたしと水科くんが結婚――――仮にですからねっ! 変な勘違いはしないでくださいっ」

「うんうん、わかった。仮にね。それで?」


 先を促す。


「……結婚するとしても、今、お付き合いをしているわけじゃありません。だから、恋愛をするのは自由だと思います」

「……! ってことは私、これからも水科くんにアプローチし続けていいの?」

「はい、いくらでも」


 いや、勘弁してくれ。


「ただし、水科くんを傷つけるようなことはしないでください。水科くんの友人として、それは見過ごせませんから」

「うん、約束する……その、わがまま言ってごめんね?」

「別に謝られる覚えはありません」

「うん……ありがとう」

「お礼を言われる筋合いもありませんけど」

「……光里ちゃんってさ、見かけによらずメンタル強いよね? 肝が据わってるっていうか……」

「伊達に十二回も転校してませんから」

「そんなに!? ……だけど、そんなに人生経験豊富なのに、恋愛経験はないんだね?」

「なっ!」

「ちょっと水科くんに甘い言葉を囁かれただけで、面白いくらいあたふたしちゃって。ふふっ、ちょっと免疫なさすぎじゃない? まだ顔赤いよ?」

「これは部室が暑いだけですっ、それにわたし水科くんのことは別になんともっ」

「はいはい、そういうことにしといてあげるね」

「ほんとですからっ!」


 ……珍しい光景だった。

 先輩にからかわれる光里が――ではなく、楽しげに光里をからかう留奈先輩の姿が。


 先輩は俺と初以外には誰に対しても過剰なほど気を使うから、冗談でも他人のことをからかったりしているところは見たことがなかった。

 先輩なりに、光里のことを身内として受け入れようとしてくれているのかもしれない……そう思った。


「留奈。ひーちゃんの入部、認めてくれる?」


 黙って成り行きを見守っていた初が先輩に訊いた。


「もちろん。歓迎するね、光里ちゃん! ようこそドッカン部へ!」

「…………ドッカン部、ってなんですか」

読鑑ドッカン部。読書・映画鑑賞部の略だよ。使ってるの先輩だけだけど、ダサくない?」

「ダサいですね、果てしなくダサいです。ダサいを通り越して痛ダサいです」

「辛辣すぎる!? ……うう、けっこう気に入ってるのにぃ」


 明らかに仕返しだ、これ。

 ……光里も光里で教室とは違って普通に話せてるし、案外留奈先輩と相性がいいのかもしれない。


「まぁそれはともかくとして――これからよろしくお願いします、留奈先輩」

「……うん、こちらこそ。水科くんと初だけじゃなくて、私とも仲良くしてね?」


 なにはともあれ、これで一件落着……かな?


 その後しばらく四人で雑談したり、トランプで遊んだり、連絡先を交換しあったりした後、俺たちはそれぞれ家路についたのだった。

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学校一の美少女から求愛されている俺、頑なにクラスの地味属性ぼっち少女ばかり構い続ける かごめごめ @gome

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