サプライズ
「水科くんは、放課後はいつもどうしてるんですか」
帰りのホームルームのあと、帰り支度を終えた光里が声をかけてきた。ちなみに、机はいまだにくっついたままだ。もう諦めたんだろうか。
「そうだなぁ……基本、まっすぐ家に帰って勉強かな。予習はともかく、復習くらいはちゃんとしておきたいし」
「……えっ? あの水科くんが……勉強? 冗談……ですよね」
「そんなに意外!? 俺だって勉強くらいするから!」
「だって……夏休み最終日、真っ白なドリルと泣きながら格闘していた、あの水科くんが」
「いやいや、他人事みたいに言ってるけど、そのとき光里も隣で一緒に泣いてたよね!?」
「……はーちゃんがいてくれて、ほんと助かりましたよね」
「……そうだな、初さまさまだよ」
今となっては懐かしい思い出だ。
「まぁ勉強のことは置いておくとして……それでも意外です。だって水科くん、友達多いじゃないですか。もっと遊びに行ったりしてるのかと思いました」
「たまにはそういう日もあるよ。あとは時々、部活に顔を出したり」
「あの人……風見先輩と同じ部活なんですよね。そういえば、まだ何部なのか聞いてませんでした」
「聞いたらその意外性に驚くよ」
「どんな部活でも、別に驚きませんよ。水科くんって、文化部でも運動部でも、なんというか様になりそうですし。で、何部なんですか」
「読書・映画鑑賞部」
「……なんですか、その、無趣味の人が頑張って埋めた趣味の欄みたいな部活は」
「ね? 意外でしょ?」
「そもそもそんな部活が存在することに驚きです。水科くん、読書と映画鑑賞が好きなんですか?」
「う〜ん、いやまぁ、嫌いではないけど。というか、読書・映画鑑賞部って、実際には読書も映画鑑賞もしてないんだよね。それぞれが好き勝手に過ごすためにある部活、みたいな感じで」
「ますます意味不明です。なんでそんな部に入ろうと思ったんですか」
「最初は強引に勧誘されて……だけど最終的に入部を決めたのには、明確な理由があるんだ。――それで、その理由を光里にも知ってほしいんだけど、今から一緒に部室までついてきてくれない?」
「はぁ……よくわかりませんけど、見学とか体験入部みたいな感じですか」
「いや、ただ来てくれるだけでいいよ。大丈夫、今度は光里も喜んでくれると思う」
「……まぁ、水科くんがそう言うなら」
「ありがとう! さっそく行こう!」
……と、その前に。
俺はスマホを取り出し、念のため、今から会いに行く相手にラインを送った。
『もう部室にいる?』
『今到着した。今日は由宇真も来てくれる? 一緒に遊ぼ?』
✧ ✧ ✧
渡り廊下を通り抜け、主に文化部の部室棟として使われている旧校舎へ。
二階にあがって、左手にまっすぐ進む。突き当たり一歩手前にある一室が、読書・映画鑑賞部の部室だ。
プレートの類はなく、一見してなんの部室なのかはわからない。ずっと前からそんな状態だったらしく、元々どう使われていた教室なのかも定かではない。
俺は軽くノックしてから、戸を開いた。
十畳ほどの部屋に窓はなく、中心には部屋を二つに区切るように簡易的な
建前上、扉側――衝立からこちら側が読書・映画鑑賞部の部室ということになっている。
部室の数には限りがあるから、奥のスペースはほかの少人数部活のために確保されているらしいが、現在のところは使われていない。
手前のスペースには、机が四つ、向かい合わせに置かれている。
そのうちのひとつ、閉じたノートPCが置かれている机の前に、一人の女子生徒が座っていた。
彼女は俺の姿を認めるなり、開口一番に言った。
「由宇真、早く遊ぼ? ね、遊ぼ?」
ショートカットの髪の、やや小柄な彼女の名前は、
一年A組に所属していて、読書・映画鑑賞部の副部長で――そして俺と光里にとって、特別な存在だ。
初の頬は完全に緩んでいた。
声も明らかに弾んでいて、俺の来訪を心から歓迎してくれているのがわかる。
だがそれは、相手が俺だからだ。
教室での初しか知らない人が今の初を見れば、感情豊かなその姿にさぞ驚くだろう。
初は俺や留奈先輩の前以外だと、極度の人見知りを発揮して、表情は硬くなり口数は極端に少なくなる。
そのため、クラスでは無口無表情なミステリアスキャラで通っているらしい。
「ね、ね、由宇真。なにして遊ぶ?」
「遊ぶのはまた今度な。今日はお客さんが来てるんだ」
「お客さん? また留奈が目当ての人?」
「いや」
俺は背後の光里に呼びかけた。
「光里、入って」
「はい」
俺のあとに続いて、光里が部屋に足を踏み入れる。
「え……由宇真、今……」
初は驚いたように俺を見て、それから、入ってきた光里へ顔を向けた。
「えっと……水科くんのクラスメイトの、灰谷光里といいます。はじめまし…………て?」
頭を下げようとした光里が、初の姿を見て固まる。
初もまた、大きく目を見開いて、じっと光里を見つめていた。
俺は二人に向けて言った。
「紹介するよ。光里、こちら俺たちと同じ一年生で、副部長の土佐林初さん。初、こちらは今日うちのクラスに――」
「ひーちゃんっ!」
俺の茶番を遮って、初は勢いよく椅子から立ちあがると、光里に駆け寄り……そのまま、思いきり抱きついた。
「ひーちゃん! ひーちゃんだぁ!」
肩に顔を埋める初を見て、光里が戸惑いがちに口を開く。
「……はーちゃん、なんですか?」
「うん、わたし。初だよ! ひーちゃん!」
顔をあげ、至近距離からまっすぐに光里を見つめる初。
光里は数秒のあいだ呆然としていたが……やがて、ふっと表情を緩めた。
「よかった……また会えて」
――八年前。小学二年生のころ。
俺と光里、そして初は、誰もが認める仲良し三人組だった。
季節外れの転校生がやってきたのが、五月一日のこと。
当時も学級委員長だった俺は、担任の先生から、転校生が困っていたら助けてあげるように、そして仲良くするようにとの指令を受けていた。
だけど、そんなものは必要なかった。
光里は困ったことがあれば誰が相手だろうと遠慮なく訊くし、こっちが仲良くしようなんて気負わなくても、向こうから勝手に距離を詰めてきた。
俺と光里はすぐに意気投合した。きっかけなんて覚えてないし、そのくらい些細なことだったのかもしれない。だけど――あの妙に波長が合う、心と心で通じ合っているような感覚は、今でも鮮明に思い出せる。
そんなある日……光里が「新しい友達ができた」と言って俺に紹介したのが、初だ。
『この子、友達いないんだって! だからわたしを第一号にしてもらったの! いいでしょ! 羨ましい?』
なんて、自慢げに話していた。
初は隣のクラスで、俺は今まで面識がなかった。それは光里も同じはずなのに、それ以前に転校生なのに、ほかのクラスの子とまで友達になっちゃうなんてすごいと思った。
同じ年の子を尊敬したのも、憧れを抱いたのも、光里がはじめてだった。
思えば、灰谷光里という女の子が持つ“光”にはじめて惹きつけられたのは、その瞬間だったのかもしれない。
それからは、自然と三人で一緒にいることが多くなり、いつしか親友と呼べるまでの関係になっていた――。
「本物だ、本物のひーちゃんだ」
初はペタペタと光里の顔に手を這わせながら言う。
「本物ですから、顔触るのやめてくださいっ」
「あ、じゃあ今日D組に転校してきたのって、ひーちゃんだったんだ」
転校生の噂は、A組の初の耳にも届いていたようだ。
「と、いうか……どういうことなんですか水科くん。はーちゃんとは疎遠になったって言ってたじゃないですか。中学も別々だったって」
初の手を強引に引き剥がしながら、光里が俺に説明を求める。
「疎遠になったのは本当だよ。中学も別々だった。だけど高校で再会して、交流が復活したんだ」
なにも嘘は言ってない。
「それならそうと早く言ってくださいっ、悲しんで損しましたっ」
「あはは。でもいいサプライズだったでしょ?」
「うん、最高だった」
答えたのは初だった。
「これからは、またひーちゃんとも一緒にいられる。また三人一緒に遊べる。夢みたい」
「……そうですね。ほんと、夢みたいです」
「ね、ひーちゃん」
「なんですか、はーちゃん」
「しゃべり方、変」
「……八年も経てば、人は変わるものです」
「呼び方も違うし」
「……? 前からはーちゃんって呼んでましたよ」
「ちがう。『水科くん』って。前は『ゆうくん』だった。わたしのことははーちゃんのままなのに」
「そ、それはっ……やっぱり、男の子と女の子じゃ勝手が違うというかっ」
「そうなんだよ、聞いてくれ初っ。光里が俺と結婚したくないとか言うんだよ! おかしくない?」
「え! そんなのおかしい!」
「おかしくないですっ」
「やっぱり、偽物のひーちゃん?」
初はまたペタペタと、両手で光里の頬を撫で回す。
「それやめてくださいっ」
「変なものでも食べた? どんぐりとか」
「食べてませんっ」
むにー、と頬が引っ張られる。
「なら、やっぱり偽物」
「ふぉんものれふっ、そんなことよりっ」
初の手を引き剥がす光里。
「はーちゃんは、この部活にはよく顔を出すんですか」
「うん、毎日来てる。読書・映画鑑賞部とは名ばかりで、由宇真がいるときは、一緒に神経衰弱したりジジ抜きしたり、時にはテキサスホールデムしたりしてる」
「それはもう、トランプ部に改名したほうがいいんじゃないですか」
呆れ混じりの微笑を浮かべると、光里は部屋を見回した。
机とノートPCのほかには壁際に簡素な本棚がひとつあるくらいの、ほとんど物がない部室だ。
「……決めました」
ぽつりとつぶやいて、光里は初から俺へと順に視線を移した。
「わたし、この部に入部します」
……予想外の決断だった。
「ほんと? ひーちゃん、入ってくれるの?」
「はい。元々、水科くんがいる部活なら入ってみたいとは思っていたんです。はーちゃんまでいるなら、もう決まりです。だって、」
光里は満面の笑みを浮かべて言った。
「この三人で一緒に部活なんて、そんなの、絶対に楽しいに決まってますから!」
光里は珍しく興奮している様子で、昔の光里の片鱗が見えた気がした。
「いいですか、水科くん、はーちゃん」
「うん、俺はいいけど……」
「ひーちゃんが入ってくれたら、もっと楽しくなる。とってもうれしい」
「入部届ありますかっ」
「ここにはないけど、顧問の先生に言えばくれるよ」
「なに先生ですか」
「ダークネス」
余談だが、ダークネスは少人数の部活を二十以上、掛け持ちで担当している。
新たに部活を作るには顧問をつけるのが必須条件だが、部活の数に対し教師の数が足りていないため、少人数の部活は本来であれば設立の許可が下りない。
そこへすかさず手を差し伸べるのが、ダークネスという男だ。少人数の部にとって、ダークネスは救いの神なのだ。
「わかりましたっ、さっそく職員室に行ってきますっ」
「あ、でも」
背を向けた光里を、初が呼び止めようとする。
俺もたぶん、初と同じことを思った。
光里が戸を開けようと手を伸ばした瞬間――戸は独りでに開かれた。
「珍しいね、お客さんなんて」
現れたその人物は、読書・映画鑑賞部部長、風見留奈先輩。
「その前に、部長の許可を取らないと……」
俺は言った。
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