episode 7 希望の狼煙
迫り来る四体の機械猟犬。
まだ少し距離はあるが、追い付かれるのは時間の問題だ。
この状況では選択肢はない。
「これはモタモタしてらんねぇな。じゃあ行くぞ! しっかり掴まってろよ!」
「ちょ、ちょっと」
静止も聞かず、灯弥は走り出した。
全身に力を込め、ぐんぐん速度を上げる。
少女とはいえ、一人の人間を抱えて走っているとは思えないほどの速度だ。
「ほ、ほんとに速い。でも……」
お姫様抱っこをされている少女は、灯弥の肩越しに後方を注視する。
機械猟犬との距離は、先ほどよりも縮まっている。
いくら灯弥が速くても、所詮は人間の域を出ない。
走力では機械猟犬に遠く及ばない。
そして、さらに形勢は悪化する。
「あれは……!」
少女は緊張に目を見開く。
前方に機械猟犬、そしてさらにその後方から追い上げるようにドローンが上空を飛行し、こちらに接近していた。
そして、地上を俯瞰していたドローンの銃口が、灯弥の後ろ姿を捉える。
確かな殺気。
抱き抱えられたことで真後ろを落ち着いて確認できる余裕が生まれたからこそ気づいた。
彼女は灯弥の左頬を掠めるように手を突きだし、背後に炎を展開する。
「ガードっ!」
瞬間、薄いガラスの壁が出現した。
直後、何十発もの銃弾が突き刺さる。
機関銃による銃撃の威力にガラス壁にも無数のヒビが刻まれるが、貫通することはない。
「おいおい、またあのドローンかよ!」
「後ろは私が守る! あなたは逃げることだけに集中して!」
「オッケーだ! 背中は任せたぞお姫様!」
「っ!?」
お姫様、というワードに反応しそうになるが、少女はドローンと機械猟犬に意識を集中させる。
とりあえず、現状最も危険なのは遠距離攻撃が可能なドローンだ。
単発のガラス壁ではいずれ破壊される。
たとえ破壊されずとも移動し続けている彼女らに対して、地面に固定されるガラス壁では継続的に身を守ることができない。
その壁が守れる範囲を、自分たちから離れて行っているからだ。
「だったら……」
手、そして灯弥の背後を覆うように蒼炎を展開する。
と、ガラスの壁が出現した。
しかし、今回はそのガラスは地面に接触していない。
代わりに少女の右手に持ち手のようなものが現れる。
言うなれば、巨大かつ透明のバリスティック・シールド。
これなら持ち運びができる。
さらにガラスの体積を増やして厚みを増し、より防弾性を高めている。
ただ、欠点としてこの盾には無視できないほどの重量があった。
案の定、突如現れた盾の重みに、灯弥の重心が真後ろに動かされる。
「んぉおおお?!」
「銃弾を防ぎ続けるにはこれしかないから! ちょっと重くなるかもだけど、頑張って!」
「ハッ! ……なんの、これくらいぃぃいいいいいい!」
灯弥は歯を食い縛って重心を前方に戻す。
多少速度は落ちているが、それでも人並み以上には速い。
後方では、ドローンがベルト給弾を飲みながら連射を続けている。
少女が持つ盾に何十発、何百発の銃弾が五月雨のように猛攻を仕掛ける。
銃弾はガラスのシールドに突き刺さり、表面に蜘蛛の巣のようなヒビを植え付けるが、まだ破壊される気配はない。
だが、彼らは攻撃の手を緩めない。
方々から合流するように、上空でドローンが集まり群れを形成している。
無論、その全てが殺戮ドローンだ。
その事態に、少女は息を呑む。
瞬間、空中を飛行する機械の群れが、一斉掃射を行った。
先ほどまでとは比べ物にならないほどの衝撃がガラスの盾、ついで少女の右手に伝わる。
あまりに異様な銃撃音に、思わず灯弥が叫んだ。
「もしかしてドローンが増えたのか!?」
「十機以上追ってきてて、このままだと盾が砕ける! 急いでどこかに曲がって! 直線的にならないようにして!」
「わ、分かった! あの十字路まで何とか耐えてくれ!」
灯弥は限界を超えて速度を上げる。
とはいえ、道を変えた所でほんの一瞬のその場しのぎにしかならないことは両者とも理解していた。
相手は地上の人間ではなく、上空のドローンだ。
例え道を変えようと、奴らは空中を最短距離で移動してくるだろう。
今はまだ後方から襲ってくるだけだが、側面や正面に回り込まれれば逃げ場はなくなり蜂の巣にされる。
ガラスの盾を穿つ、秒間何十発もの銃弾。
巨大な盾の重量と連射される銃弾の衝撃に、少女の右腕は今にも折れそうなほど軋んでいた。
その苦痛に目を細め、視線を落とす。
無数の銃弾とヒビが刻まれたガラスのフィルター。
それを通して、先ほどよりも大きく見える四匹の猟犬が見える。
「機械猟犬もかなり接近してきてる……!」
二百メートルほど開いていた機械猟犬との距離も、数十メートルまで詰められていた。
ドローン群もどんどん接近しており、それに比例して銃撃の威力も上昇している。
このままだと、恐らくあと一分も保たない。
しかし、少女はある一つの打開策を思いついていた。
もし、ここで自分が残ったら?
彼らの目的は、《ピクシー》と名付けられた少女だ。
であれば、少女がドローンに全身を撃たれ、機械猟犬の毒に侵され、この場で殺されたとしたら。
もしかすると、この青年だけは助かるかもしれない。
「……」
少女は視線を移す。
息をあげながら必死に走っている青年の顔を、生に食らいつくような彼の表情を見上げた。
僅かな
少女は覚悟を決める。
「……降ろして」
「なに?」
「私が足止めをするから、その間にここを離れて。もう本当に体は回復したから」
「あの数のドローンや機械の犬共を一人で相手取るつもりか!?」
「大丈夫。全て破壊することは難しくても、時間を稼ぐことはできる。私の周りに何重にも重ねたガラスの壁を錬成して、そこに籠城すればいい。人間たちの目的はきっと私だから、あなたが襲われる可能性も減らせる」
「でも、そうしたらお前はその場から一歩も動けなくなるぞ! ただのデカい的になるだけだ!」
銃撃の威力が増す。
降り注ぐ弾幕はガラスの盾を着実に砕く。
本格的に少女の腕が悲鳴をあげる。
「――っ! それは分かってる! だから、あなたはここから逃げて、誰か助けを呼んできて!」
「助けって、いったい誰を……」
「誰でもいい! とにかくこの状況を誰かに伝えられれば、何とかしてくれるはずだから!」
「それじゃあお前を置いていけってのか!」
「残念だけど、私たちが助かる道はもうこれしかない。二人で生き延びるために、お願い」
灯弥は返答に詰まる。
少女の策は合理的かもしれない。
少なくとも自分一人の命を優先するなら、少女の提案は理想的とすら思える。
だが、青年の中にある正義感が簡単には納得してくれなかった。
状況は刻一刻を争う。
灯弥が思案しながら、当初の目標地点だった十字路にたどり着き、そこを左へ曲がった。
一時的にドローンの銃撃が止む。
その瞬間、少女はボロボロのガラス盾を投げ捨て、無理やり灯弥の両腕から降りた。
「あまり長話している時間はない! あなたはとにかくここから離れて!」
「ちょ、おい!!」
少女は手に炎を滾らせ、顔だけ後ろを振り返る。
その表情には、覚悟が宿っていた。
「私なら問題ない。あなたがきっと助けを呼んできてくれるはずだから」
「いや、でも……!」
「さあ行って!」
未だ決めあぐねている青年に発破をかける。
もたもたしている時間はない。
ドローンと猟犬の群れは今にも追いつかんとしているのだ。
灯弥は心痛に顔を曇らせつつも、彼女の提案を受け入れた。
「……絶対に戻ってくる。だからそれまで何としても耐えてくれ」
「わかった。待ってる」
そうして、灯弥が踵を返してこの場から離れようとしたその時。
体の奥をゆさぶるような震撼。
それが爆発音であることは容易に理解できた。
「っ!!」
「な、なんだ!?」
二人は視線を爆破の発生源へ向ける。
たった今曲がった、十字路の
灯弥たちの方角とは対角線上に位置する、真正面の八階建てのテナント――その屋上。
そこから、赤黒い爆炎が一本の柱のように真っ直ぐ天へ昇っていた。
「垂直の爆撃!? まさか、また新手が現れたのか!?」
突然の事態に狼狽する灯弥だが、その爆炎はすぐに収まった。
否、かすかに空中を漂う、赤いきらめき。
鱗粉のようなキラキラとした淡い赤色の天の川は、たった
チカッと、テナントの屋上が一瞬光る。
刹那、空中の赤い鱗粉を辿るように、落雷のごとき速度で爆炎が一直線に表通りを焼き払う。
凄まじい衝撃と爆風。
付近の飲食店のガラスが一斉に粉砕し、絶叫をあげる。
「お、おいおい何だよアレ!? あんなの食らったら一撃で爆死するぞ!!」
戦々恐々とする灯弥に対し、少女は顔の前に腕をあてながらその爆炎を眺めていた。
強烈な爆風に耐える一方で、徐々に冷静さを取り戻していく。
「これは、カリナの……」
これ以上ない希望が見えた。
少女が救助を期待していた者の中でも、間違いなく最強格。
先ほどまで心を埋め尽くしていた恐怖や不安が、希望に反転していく。
「ここにいたらいつ俺たちが爆炎に呑まれるか分からねぇ! さっさとここから逃げるぞ!」
「うん。でも、あれは味方の攻撃だから大丈夫。ドローンも機械猟犬も、すぐに全滅するはず」
「そ、そうなのか?」
「直線的に伸びるあの爆炎は何度か見たことがある。それにあんな芸当、
「……スノウホワイト、ね」
灯弥は何か言いたげな様子で含みを持たせる。
しかし少女は気づかず、青年に駆け寄った。
「でも、ここから離れた方がいいのは間違いない。急いで逃げよう」
「あ、ああ。もちろんお前も、だよな?」
「うん。私が時間稼ぎする必要もなくなったから」
そうして、両者は
後ろからくる爆風をもらい風にしながら、今まで以上のスピードで都市を駆ける。
ドローンの銃撃音もかすかに聞こえるが、それを覆い尽くすように爆発音が轟く。
抵抗むなしく、爆炎に散ったのだろうか。
灯弥は走りながら後ろを振り返る。
少女も気になって振り返ってみたが、視界には入道雲のようにもくもくと広がる黒煙が広がっていた。
一部、火災に見舞われている建物もある。
しかし、ドローンや機械猟犬は一切の気配が消失していた。
先ほどの度重なる爆炎に巻き込まれて、全て破壊されてしまったのかもしれない。
少女は視線を戻し、隣で走る青年を見た。
「ねぇ、あなたの住処はこの近くなの?」
「す、住処? 家のことか?」
「うん。もしかしてまだ決まっていないの?」
「あぁ……まあ、そんな感じかもな」
「そう。ならひとまず私の住処に避難する着いてきて」
「えっ、あ、ああ。助かる」
少女は先導するように一歩、体を乗り出す。
この青年には命を救われた恩があるし、どのような方法で瀕死の自分を助けてくれたのか興味がある。
それになぜか、彼との繋がりを絶ちたくない、という思いもあった。
確かな恩義と不思議な想いに突き動かされながら、少女は青年と共に都市の一角に消えていった。
終末世界は電子と白く 空戯K @1532ivol
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