episode 6 無機質な殺意
それは、ドーベルマンを
狩猟に最適化された合金の皮膚は黒光りし、左右三つずつ並んだ蜘蛛のような眼球が青年と少女を捕捉する。
犬型のロボットが開発されていたことは灯弥も記憶しているが、間違ってもこれほど殺意に満ちた構造ではなかった。
機関銃を搭載したアメンボのようなドローンにしてもそうだ。
これは戦争。
敵の『殺害』を前提に据えたデザイン。
暗黙的に、人類からの明確な負のメッセージを受け取ったような気がした。
しかし、悠長に構えている暇はない。
機械猟犬の機巧が駆動し、こちらの出方を
「行って!」
「いや、でも――」
「いいから早く!!」
少女の動きは速かった。
たじろぎつつも逃げ出す灯弥を横目に、同時に蒼炎を展開。ガラスの壁を形成する。
が、機械猟犬は三メートルほどの直立した防壁にひるむことなく、猫のようにしなやかな動きで壁を飛び越える。
「――!」
機械猟犬はガラスを飛び越えた所で、その口から極太の鞭のような舌を現した。
少女は即座にナイフを生み出し、刃の腹で機械猟犬の舌を受け止める。
鞭の威力に加えて猟犬の重厚な体重が上乗せされている。
重い一撃に、少女は歯を食い縛って睨みつける。
「くっ……機械猟犬は厄介……!」
鞭の舌とナイフの
しかし長くは保たないと悟った少女は、ナイフを傾けて重心をずらし、太い鞭を滑らせて落とした。
勢い余って再び歩道のコンクリを陥没させた機械猟犬の舌。
一瞬の隙。
少女はナイフを逆手に持ちかえ、大きく振りかぶる。
「これで終わり」
少女の渾身の一撃は機械猟犬の右目を破壊し、側頭部を
「……ふぅ、何とか倒せた。早く彼を追いかけないと」
しゅるり、と。
良くしなる極太の舌が鎌首をもたげた。
その舌先が、少女の身体に向けられる。
失念していたのだ。
顔にナイフが刺さったままの機械猟犬には、まだ左目が残っている。
「っ!!」
瞬間、射出されるアイスピックのような針。
寸でのところで気付いた少女は回避に動くが、その針先は彼女の左肩に命中した。
途端に、傷口から焼けるような激しい痛みが駆け上がる。
徐々に全身の筋肉が麻痺するような虚脱感も襲いかかってきた。
(まさか……何かの、毒……?!)
少女の身体が重力に流される。
何とか片膝をついて毒の巡りに耐えるが、強烈な睡魔さながらの脱力感は凄まじい。
気を抜けば簡単に倒れ伏してしまいそうだ。
「これは、まず、ぃ……」
右脳を破壊された機械猟犬が、たどたどしい足取りで少女との距離を詰めてくる。
見るからに瀕死の猟犬だが、しかし垂れ下がる舌はいまだ明確な殺気を宿していた。
再び舌が、最後の力を振り絞って
「ぐっ……もう、少しなの、に……」
二発目の毒針を食らえば今度こそ失神しかねない。
毒を受けること自体はさほど問題ではないが、意識を失ってしまうのは致命的だ。
後から追い付いてきた人間に殺されるか、最悪の場合生け捕りにされて実験材料にされるかもしれない。
少女は網の防壁を張ろうと微弱な炎をまとわせた右手を上げようとするが、上手く力が入らない。
猟犬は頭から漏電しながらゆっくりと舌を持ち上げ、ターゲットに狙いを定める。
死の恐怖がない機械猟犬は、喜んで刺し違えるつもりのようだ。
「こんな、ところで……――ぇ?」
しかし、少女の右手は地面に落ちた。
一瞬の浮遊感。肩、頬、頭に衝撃が走る。
ぐるりと横転した世界に、冷たい地面の感触。
遅れて、自分の身体が横たわっていることに気がついた。
毒が完全に回ったのか。
「ぁ、……ぅう……」
つい十分ほど前にも似たような景色を見ていた。
今とは比べようもないほど死に瀕していたが、どうにかこうにか助かった。
確実に死ぬと思っていた。
自分の残りの
しかし、何故か少女は生きている。
いや、一人の青年に救われたのだ。
まだあの青年には聞きたいことが沢山ある。
だから、こんなところで無駄に命を落とすわけにはいかない。
ガシャン、と機械の脚がくずおれた。
猟犬の右の前脚が力尽きたのだ。
不格好な機械猟犬は、果たして鞭の舌を差し伸ばす。
人間の腕くらいの太さの化学的な舌先が、今にも倒れる少女の身体を捉えんとしている。
食物の代わりに
「ぅ……く、ぁ……」
少女は懸命に手に炎を
燃料切れのライターのようだ。
せめてもの抵抗として、機械猟犬を睨みつける。
機械猟犬のナイフで潰れた瞳、そして終わりを告げるケミカルな舌と目があった。
いやだ。
終わりたくない。
そんな少女の希望を踏みにじるように、機械猟犬はようやく照準の合った舌を、獲物を仕留めるための殺戮器官を突きつける。
そして、二射目の毒針が射出される――――刹那。
「食らえこの駄犬がァアアアアアアアアアア!!」
バゴォン! と、猟犬の舌を殴る鈍い打撃音。
伸びた舌の中腹に衝撃を受けたため、毒針を宿した舌先は大きく上空へ方向転換させられ
少女は驚きに目を見開いた。
「あな、た……な、んで……」
「ハッ! こんな犬マシーンを女子一人に押し付けて俺だけ逃げれるかよ! そこまで見下げた男じゃねぇんだよ俺は!!」
少女は何も言えなかった。
しかし、そんな少女の感動をよそに、機械猟犬が呼気を荒らげながら立ち上がる。
「まだ、倒せて……ない」
「む、しぶといヤツだな。いい加減壊れろ!」
灯弥は、持っていた鉄パイプを思いっきり猟犬の頭に打ち込んだ。
だが、相当に硬い。
一発では足りないと察し、二発、三発と力を込めて鉄パイプを振り下ろす。
「へへっ、さっきのッ、ドローンッ! 派手に破壊してくれたおかげでよォ! ちょっと裏路地戻ってみたらァ! 鉄パイプがごろごろ落ちててェ! 助かったぞオラァッ!!」
灯弥の渾身の打撃により、猟犬の顔はベコベコに凹んでいた。
機械猟犬はふらつきながらも何とか耐えているという状態だ。
薪割りのように頭の装甲を割る灯弥を地面から見上げながら、少女は問いかける。
「どうして、先に逃げなかったの……」
「ん? そんなの決まってるだろ」
灯弥は鉄パイプを槍投げのように持ち変えると、ゆっくりと振りかぶる。
「俺一人逃げ延びたところで何の意味もねぇ。助かるなら一緒に、だ!!」
ナイフが刺さった右眼、その傷口に振り下ろす。
鉄パイプの切っ先がベキベキベキと液晶の眼球を砕き、機械猟犬の頭を貫通。激しく火花が散る。
そこでようやく、猟犬の眼から光が失われた。
ガシャン……、と機械猟犬の亡骸が力なく倒れる。
「助かるなら……一緒に……」
少女は灯弥の言葉を
それは、とても強い
灯弥は少女の傍に駆け寄り、膝をついて様子を伺う。
「とにかくここから逃げるぞ……と言いたいが、大丈夫か!? そのデカい針は……」
「だ、大丈夫。見た目ほど酷くないから。針に塗られてた毒の方が問題だけど……それも和らいできてる。この針も、抜けば良い」
少女は寝たまま震える手で針をつかみ、勢い良く引き抜いた。赤く濡れたアイスピックが地面に落ちる。
その拍子に肩から血が流れるが、すぐにその傷口はすぐに塞がってしまった。
人間とは思えない再生速度だ。
「結構足止めを食らったから、速く逃げないと――ぁ!」
「っと! 大丈夫か?」
無理に起き上がろうとした少女が、ガクンと倒れそうになる。
灯弥がすぐに受け止めたため、再び地面を転がることはなかった。
青年の胸に顔を
「ご、ごめんなさい。すぐどくから」
「まだ本調子じゃないんじゃないか」
「……大丈夫。もう回復したから」
毒の影響でまだクラクラしている。
正直に言うならもう少し解毒のために休息をとりたいが、彼女はそんな事実は告げずに平静を装う。
それを言ってしまえば、この青年は少女が回復するまで寄り添ってくれるはずだ。
彼と知り合ってまだ一時間も経っていないが、少女はそう確信していた。
だが、現状はそう楽観できるものではない。
いつ機関銃ドローンの増援が来るか、機械猟犬の仲間が集まるか、特殊部隊の人間に追いつかれるか分からないのだ。
だから少女は、無理をしてでも立ち上がる必要があった。
無理やり足に力を入れようとしたその瞬間、灯弥が少女の肩をポンと叩いた。
「どうしたの?」
「非常事態だ。ちょっとだけ我慢しろよ!」
「へっ、ひゃあ!?」
少女がポカンとしている隙に、灯弥は右手を彼女の膝下に滑り込ませ、左手で肩を抱え、勢い良く立ち上がる。
それは俗に言う、お姫様抱っこだった。
少女の心臓が跳ねる。
「ち、ちょっと、何してるの! いきなり、こんな――」
「まだ満足に動けない。だが、この場でまったり休憩できるような状況でもない、だろ? それなら簡単だ。全快するまで、俺がこのまま逃げ回ってやる!」
「バ、バカなこと言わないで! 自分一人で逃げるのでも厄介なのに、私をその、ぉお姫様抱っこしながらなんて……」
「まぁ普通はそうかもな。でも、なんでだろう。今の俺なら無性にやれる気がするんだ」
「そんな不確実な理由で――」
――後方から、電気的な狼を思わせる遠吠え。
聞いた者の心をざわつかせ、本能的な恐怖を煽る不快音が大都市に響き渡る。
灯弥と少女は、瞬時に遠吠えの発生源へ視線を移した。
「早速お出ましかよ……!」
一難去ってまた一難。
終わらぬ窮地に苦々しく笑う。
二百メートルほど後ろから四体の機械猟犬が全速力でこちらへ走ってきているのが見えた。
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