episode 5  殺戮者との逃走戦


 日本の大都会、派手なテナントやショップが建ち並ぶ車道の中央――そこが戦争の舞台だった。

 命が簡単に弾き飛ぶ緊張感、死の恐怖。

 そのような戦場の渦中にはおよそ似つかわしくない、一人の少女。


「それじゃあ、手早く脱出しよう。あんまり長引くと本当に不味まずいから」


 少女は腰が抜けた灯弥に手を差しのべた。

 彼女の身体からは、すでに炎は消失している。

 灯弥は一拍フリーズした後、ややあって伸ばされた手を取り立ち上がった。


「い、意識が戻ったのか」

「うん、おかげさまで。まだ本調子とはいかないかもしれないけど……気分はすごく良くなった」

「そう、なのか。それは良かった。ところで、そのでっかい炎は……」


 灯弥は、少女の背後に燃える巨大な蒼炎を指差した。

 その炎は、まるでスクリーンのように何もない空間にごうごうと燃え盛っている。


「ああ、これ? これはね、そろそろ分かる――こんな感じ!」


 少女の言葉と同時、炎は吹き消されるようにして消失した。

 代わりに出現したのは、透き通るような薄いガラス。

 横五メートル、縦三メートルほどの垂直な透明のオブジェクトが、二人を守る防壁として地面から伸び出ていた。


「これは私が錬成したガラスの盾。とはいえ、普通のガラスじゃないけど。これで銃弾を防いだの」


 そう言って、少女はガラスをコンコンと叩いた。

 すると、透明の盾にめり込んでいた無数の銃弾が一斉にバラバラと地面に落ちていく。


「す、すげぇ……」


 どういう原理なのか想像もつかないが、とにかくこのガラスの盾があったおかげで自分の命が助かったことは確か。

 今はその程度の理解で十分だと自分に言い聞かせる。


「馬鹿な……ッ! 《ピクシー》だと!? 先ほどの炎は人間を燃やしていたんじゃなかったのか!?」


 少し冷静さを取り戻した灯弥とは対照的に、隊長格の男は驚愕に震えながら言葉を漏らす。

 にわかにパニックは広がり、隣で銃を構える男がおののくように叫んだ。


「ぶ、部隊長! あれはまさか『覚醒化』では?!」

「いや、イクセリアの推定では《ピクシー》はまだ覚醒個体になれるだけの令数値ステージにない! それに凍炉ランプ命力エネルギー量も極限まで枯渇していたはずだ! 覚醒などできるはずがない!!」

「しかし、それでは凍雪殻スノウホワイトの身体が発火していた説明が……!」


 予想外の事態を前に言い争っている人間たちから目を離さず、少女は灯弥に一歩近寄った。


「さっきも言ったけど、ここに長居するのは良くない。だから今すぐこの場を離脱する。あなた、どれくらい戦えるの?」

「お、俺か? いや、戦うとかは全然……」

「まぁ、さっきの光景を見る限りそうだよね。護身銃は持ってる?」

「銃? 銃なんか持ってるわけないだろ!」

「……わかった。それじゃあ――――走って!」

「えっ、うぉわぁ!」


 少女は灯弥の手首を掴み、急発進した。

 がくん、と引っ張られた灯弥も遅れて足に力をいれ、全力で逃走を図る。


「ッ! 待て《ピクシー》!」


 獲物が逃げ出したことに気付いた部隊長は、素早く指示を飛ばす。


「周り込んで撃てッ! 絶対に逃がすな!」


 一瞬の動作で隊員たちが盾を回り込み、銃を構える。

 少女は軽く後ろを見て隊員の位置を確認すると、空いている右手を隊員たちの方へ向ける。

 その手には、蒼く燃える炎。


「撃て撃て撃てェッ!!」

「ギリギリ間に合う!」


 部隊の銃撃と同時、少女の手から火炎放射器のような広範囲の炎が後方へ撒かれる。

 隊員の放つ銃弾は青い炎に飲み込まれ、やがてその炎はガラスの防壁となって扇状に空間に固定された。

 盾としては薄すぎるような気がするが、その強度は本物だ。銃弾ごときではびくともしない。

 これで少しだが、時間が稼げる。


「二手に別れて《ピクシー》を追う! 奴の炎に注視しろ! 炎が出現した規模と角度を考慮し、銃弾を浴びせ続けるんだ!」

「「「はっ!」」」


 隊長の指示に従い、部隊が広範囲に分散していく。

 それぞれが走りながら銃を構え、波状攻撃の作戦に打って出たらしい。


 殺意ひしめく部隊の号令を背後に浴びせられた灯弥は、少女に手を引かれながら全力で走る。

 華奢な少女だが、走るのがかなり速い。


「な、なぁ、あいつら何者なんだ!?」

「あれは凍雪殻スノウホワイトを殺しにきた人間。凍雪殻スノウホワイトとの戦闘を叩き込まれた兵士だから油断できない。多分、地雷トラップに引っ掛かった私を始末しに来たんだと思う」

「トラップ、だと? それに、スノウホワイトって、うぉわ――!」


 灯弥のすぐ横を銃弾が通りすぎていく。

 咄嗟に振り返ると、真後ろと斜め後ろからこちらへ照準を合わせた隊員たちが複数名見えた。

 今のはたまたま銃弾が逸れたが、このままでは蜂の巣にされるのも時間の問題だ。


「お、おい! 後ろから、撃たれてるぞ!」


 灯弥に言われなくても分かっていただろうが、少女は後ろを流し見て隊員たちのおおよその位置を把握した。

 そして、眉をひそめながら呟く。


「いつもよりしつこい……。仕方ない」

「え、ちょ、ぐわぁ!」


 その瞬間、少女は体を捻ってその場で急旋回し、銃口を向ける部隊と真っ正面から対峙する。

 だが、その予想外の動きに灯弥はついていけず、慣性の法則に従って前方へ倒れこんだ。


命力エネルギーを消耗するからあまり使いたくないけど……確実にこの場を切り抜けさせてもらう!」


 少女の右手に、蒼白の炎がごうっと燃える。


「奴が止まったぞ! ここで仕留めろ!!」

「撃て撃てェ!」


 連続する銃撃音。

 無数の銃弾が少女と灯弥の元へ発射されたと同時、彼女の右手に灯る炎が目の前の空間に燃え移った。

 その刹那。

 眼前に超巨大なガラスの防壁が形成される。

 それは車道を横に真っ二つに分け隔てるほどの大きさで、高さはゆうに五メートルは超えている。

 大量に放たれた銃弾は、全てこのガラスの盾に防がれた。


「な、なんだよ、コレ……」


 灯弥は目の前に広がる光景に絶句する。

 無から出現した分厚いガラスの防壁。

 とても現実とは思えない。


 半ば呆気にとられていた灯弥だったが、少女が青年の腕を掴んだことで意識が強制的に覚醒される。


「少しは時間は稼げたけどきっとまだ追ってくる! 今の内に早く逃げなきゃ!」

「ま、また急だな――」


 灯弥は引っ張られながら再び走り出す。

 後ろのガラスの防壁には怒涛の勢いで銃弾が撃たれているが、それもパタリと止んでしまう。

 部隊の猛攻をかわした灯弥は一安心とすると同時に、焦りも感じていた。

 銃撃は止んだが、それはイコール部隊の隊員たちが諦めたとはならない。

 きっと別ルートで自分達を殺しに来るはずだ。

 

「……ん?」


 そんなことを考えていた灯弥だったが、少女の走る進路に違和感を覚えた。

 真っ直ぐに走っていた少女はだんだんと右へ進路を傾けていく。

 目の前には一軒のガラス張りの店。

 このまま進めば、真正面から突っ込んでしまう。


「ちょ、おい! 早く曲がらねぇとこのままじゃ」

「大丈夫。これくらいなら――」


 少女がやろうとしている行動に気付き、灯弥は顔をひきつらせる。


「突破できるから!」

「ぅうわぁああああああああ!?」


 少女は身体を丸め、右手で顔をガードしながら、ガラスを蹴り破った。

 バリィン! と甲高いガラスの悲鳴を通りすぎる。

 灯弥も前傾姿勢となり腕でガラスの破片をガードした。

 が、ガラス窓との衝突で少女の手が緩んだのか、灯弥はバランスを崩してゴロゴロと店内を転げ回った。

 ちなみに、少女はきれいに着地している。


「うぅ、痛ってて……」

「大丈夫? 怪我とかしてない?」

「あ、ああ、何とかぁ……」


 ぐるぐると目が回りながら灯弥が応える。

 奇跡的に多少すりむいたくらいで致命的な怪我はなかった。


「それじゃ、早くついてきて! 裏路地を使って人間たちをまくから!」


 灯弥はふらつきながらもテーブルに手をついて立ち上がり、少女の後をついていく。

 どうやらこの店はカフェのようだ。

 彼女は厨房へ繋がる奥へと入っていき、裏口の扉を開けて外へ出た。

 灯弥もそれに続く。


「また、こいつはいかにもな裏路地だな」 


 そこは、表通りよりも少しじめじめとした、狭い一本道だった。

 向こうに目を向けると、道はいくつかに分岐している。


「この入り組んだ裏路地を使って、私たちを見失わせることができれば人間たちも帰っていくはず。だから……」


 ふと、少女が目を見開き、固まる。

 見据えるのは、先ほどの部隊がいるであろう表通りに通じるこの裏路地の入口、そのおよそ十メートル真上。


「――<武装機巧隊ペンチノッカー>! 間に合わなかった……!」

「ぺ、ペン……、何だって?」


 灯弥はいぶかりながら、少女の視線の先を追った。

 細い長方形に切り取られた上空には、一体の生物的な中型ドローンが浮かんでいた。


 上向きに歪曲する四肢。その先に伸びる二対の小型プロペラ。

 それらが支えるのは鉄の胸骨、鋼の背骨、硬質な機関銃のつの。それら機械骨格には、とぐろを巻くようにベルト給弾の尾が巻き付いている。

 全体的な姿は逆さまにぶら下がるアメンボのようで、殺戮さつりく機械はホバリングしつつ灯弥たちを見下ろしていた。


 やがて機関銃の先端が、ググ……と頭をもたげる。

 銃口は、真っ直ぐに灯弥たちを射抜いていた。

 最悪の予測がよぎる。


「……おい、おいおいおい嘘だろッ!?」

「走って!!」


 灯弥がドローンの反対方向に全力でダッシュし、少女が後に続く。


 瞬間、機関銃が火を吹いた。

 ドガガガガガと銃弾の豪雨が一直線に裏路地を破壊していく。

 さらに不幸なことに裏路地はギリギリ中型ドローンが通過できる幅だったようで、プロペラの羽音もどんどん近づいてくる。


「ヤベェぞこれ! このままじゃジリ貧だ!」

「大丈夫! 私がなんとかする!」


 言うと、少女は手のひらに炎を収束させ、武装ドローンの銃撃から守るように射線上の空間を燃やした。

 少し遅れて、狭い裏路地に貼り付くようにガラスの盾が出現する。

 それはまるで少女の頭上に形成された屋根のようだ。

 銃弾の雨粒は次々とそのやねに弾かれる。


「なぁ! これ、どこに向かえばいいんだ!?」

「人間たちから離れられればどこでもいい! できれば直線は避けて曲がりくねったルートで走って!」

「……了解だ!」


 少女の指示を受け、灯弥は右に左に裏路地を駆け抜けていく。

 建物を這う凍りついたパイプを掴んで速度を殺さず道を曲がり、室外機の上を滑ってショートカットを図る。

 その動きはまるでパルクーラーのように鮮やかで、想像以上に機敏な動作が可能なことに自分が一番驚いた。


「なんだこれ、めちゃくちゃ動けるな俺」


 後方では依然としてドローンから機関銃の追撃を受けているが、もしかしたら逃げ切れるかもしれない。

 そんな希望を抱かせるくらいには、灯弥の動作は俊敏だった。

 もちろん、少女が盾で食い止めてくれているということが大前提だが。 


 走る、左の路地へ曲がる、足元に気を配って全速力、ものの数秒で一本道を走りきる、真正面に接近する壁、蹴って右へ曲がる、そのまま道を塞ぐ柵に飛びつき、登り、ジャンプして着地。

 奥に、再び都市の世界が見えてくる。

 

「っ! おい、もう表通りだぞ!」

「分かった! 出たらすぐ左に曲がって!」


 太陽の光が強まってくる。

 ついに、裏路地から抜けた。

 そのまま灯弥は左に曲がって走り続ける。


「一回止まって!」


 一方で、少女は裏路地を抜けた瞬間に左へ曲がり、右手に蒼炎を収束させる。

 そして炎が消えると、その手には一本のナイフが握られていた。


「三……、ニ……、一……、ここ!」


 瞬間、少女は百八〇度回転し、急停止。

 慣性を靴底の摩擦で殺しながら、少女はナイフを斜め上に投げた。

 そのナイフの先には何もない――否、裏路地から追跡してきたドローンが出てきて、右のプロペラを二つ破壊した。

 右翼を失ったドローンは飛行を続けられず、千鳥足で空中をふらついた後、地面に墜落した。


「よし、一体倒せた!」


 ドローンを撃墜した光景は灯弥も見ていたので、走るのをやめて立ち止まる。

 興奮しながら、少女の元へ駆け寄った。


「すごいな! あの銃のドローンを撃ち落としたのか!」

「あ、あのタイプはよく見るから、対処しやすかっただけ。でも、まだ油断はできないから――」


 ふと、灯弥の顔に、薄い影が差していた。 

 不自然な影だ。

 その影は、急速に漆黒さを強めていく。


「危ないっ!」


 少女は灯弥にタックルで飛び付き、無理やりその場から離れさせた。

 その直後、爆雷のような破壊音と衝撃が二人を襲う。

 砕かれたアスファルトの破片が吹き荒れ、ちりの霧が辺りの見通しを悪くした。

 何かが上から落下、いや飛来してきたのだ。


「こ、今度は一体なんだ! お、おい、大丈夫か!?」

「……うん、私は平気」

「そうか。……ありがとう。助かった」

「気にしないで。それよりも」


 少女は背後に注意を向ける。

 灯弥も彼女を立たせ、不躾な闖入者ちんにゅうしゃに向き直った。


 舞い上がったアスファルトの粉塵。

 それが徐々に落ち着きを取り戻していく。

 少しずつ晴れていく視界、その塵埃から丸い紅眼が怪しく光る。

 シュコー……シュコー……と不気味な機械の呼気が鼓膜にまとわりついた。


「チッ……ROUND2かよ!」

 

 至近距離に現れたのは、テクノロジーのはらから産み落とされた機械猟犬。

 左右に三つずつ、計六つの無機質な眼光が二人を捉えた。



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