episode 4  【我ら】と【彼ら】


「ちょっ、どうなってんだよ、これ!?」


 灯弥は眼前に広がる蒼炎を狼狽うろたえながら眺めていた。

 否、眺めるしかなかった。


 突如とつじょとして少女の体から出現した炎は即座に燃え広がり、灯弥が奮闘してもなお破壊することの叶わなかった氷塊を見る見るうちに溶かしていく。

 まるで雪解けのように、氷のオブジェは力なく崩れていった。

 灯弥にまとわりついていた氷も少女の元から伸びてきたものであるので、例外ではない。


「お、おいマジかよ! 燃え広がってこっちに――」


 自らの体に炎が走る。

 全身が炎に呑まれる寸前、反射的に目をつぶり、


「熱ッ――――く、ない……?」


 覚悟した、炎に焼かれる痛みは訪れなかった。


 むしろ、まるで柔らかい毛布にくるまれているような心地よい暖かさが体に浸透していく。

 灯弥はほぼ火だるま状態となっているにも関わらず、だ。

 はたから見れば発狂ものだろう。


 身体に燃え広がった炎によって全身の氷が溶かされ、自由が戻った。

 そこで、ふと気づく。


「あれ、傷も治ってる……? ははっ……マジでどういう現象だよ、これ」

 

 右手をぐっ、ぱっ、と動かし、あらゆる角度から確かめてみる。

 間違いない。

 不思議なことに、いつの間にか灯弥の手の傷は完治していた。


 自分の身体を確認し終えた灯弥は、青い火だるまとなっている少女へ目を向ける。


「この子は……まだ燃えてるのか。か、かなり燃えまくってるけど大丈夫、だよな?」


 人型の炎は、ごうごうと燃え上がる。

 その姿は火葬場で焼かれる遺体に等しい。

 彼女の安否を確かめたかったが、炎に手を突っ込むのはやはり躊躇してしまった。


「いや、でも俺に燃え移った炎も全然熱くなかったしな……」


 勇気を出して、右手を蒼炎の少女に伸ばした。

 ゆっくりと炎に触れる。

 指先、第二関節、手のひら、手首、そして炎は右手を捕食していく。


「やっぱり、熱くない! いや、まぁそこそこ熱さは感じるけど……普通に我慢できるくらいか」


 灯弥は炎の中で手を振ってみるが、肉が焦がされる痛みはない。

 想像よりもずっと炎は平和だった。

 ならば次はと、その平和に焼かれている少女に触れて安否を確かめようとし――



「動くなッ!!」



「ッ!?」


 正面からの怒号。

 灯弥は驚きに肩を飛び上がらせる。

 闖入者ちんにゅうしゃに目を向けた刹那、統制された雑踏が一息ひといきに通りすぎたかと思うと、灯弥はすでに包囲されていた。


「な、えっ?」


 これはどういう状況だ?

 粗暴な来客たちは五メートルほどの距離をたもって半円状に灯弥を取り囲み、を突きつけている。

 いくつもの銃口の熱視線に、血の気がすぅーっと引いていく。


「手を上げろ。妙な真似はするな」

「わ、分かりましたから、ちょっと待ってください! あなた達は何なんですか!? お、おお俺は何もしてません!!」


 指示された通り急いで両手を上げる。

 燃えるマネキンと膝立ちでわめく灯弥を尻目に、彼の真正面で銃を構える男は通信を送る。


「こちらデルタ班。地雷設置地点ポイントにて一体の凍雪殻スノウホワイトと……謎の炎の物体を確認。遺体が燃やされているものと推測。目視の限り、発見した凍雪殻スノウホワイトは《ピクシー》ではありません」


 頑丈そうなフルフェイスマスクをしているため、顔は見えない。それどころか、彼らは一切の肌が見えないほど軍事的な装備に全身を包んでいた。

 見た目は、警察よりも機動隊に似ている。

 まるでハリウッドから飛び出してきたような、重大なテロ事件に派遣される特殊部隊の隊員そのものだ。


 現に今、彼は自らを部隊名で呼んだ。

 であれば、いま通信で話している男が隊長格か。


「す、すいません! あなたが隊長さん、ですか? 俺は何もしてないです! そ、その銃を下ろして、話を聞いてください!!」


 しかし、誰も銃を下ろさない。

 殺意は消えぬまま、男が口を開く。


「イクセリアの照合解析が完了。発見した凍雪殻スノウホワイトはデータベースに記録なし。未確認個体です」

「あ、あのッ! お願いですから! 話を聞いてって!!」


 隊長らしき男は灯弥の存在など見えていないように通信を続ける。 


「――了解。〈武装機巧隊ペンチノッカー〉および〈鹵獲機巧隊ピックボックス〉を即時召集。これより、未確認個体を、回収作業に移ります」


 端的に報告を告げ、通信を切った。


「…………は?」


 フルフェイスマスク越しだが、灯弥は隊長と目が合っていると感じた。

 目標ターゲットをしっかりと見つめている。

 銃を握る手に一層ちからが込められた。


「待て! 待ってください! 頼むから一回話を聞いてください!!」

凍雪殻スノウホワイトと何を話すことがある。構えろ」


 ジャキ、と仲間の銃が返事をした。

 死のカウントダウンが始まる。


「な、何だよスノウホワイトって! 意味わかんねぇよ! 俺はそんな訳のわかんねぇモンじゃない! ただの……普通の人間ですよ!!」

「人間、だと?」


 初めて男が反応した。

 分かってもらえたのか。

 希望を見出だした灯弥は、ほっとしながら畳み掛ける。


「そ、そうです! 俺は本当にただの一般市民です! だからどうか銃を下ろして、話を聞い――」

「黙れこの化物バケモノがァッ!!」


 殺気に殴られ、灯弥は息をのんだ。

 場が張りつめる。

 男は積年の恨みがこもった声色で、低く、重く、吐き捨てるように続ける。


「新宿区に救助民が存在しないのは把握済みだ。くだらん嘘が通用すると思うな凍雪殻スノウホワイト。反吐が出る」

「だ、だから俺は人間で」

「散った同胞たちの報いだ」

「ま、待っ――!」


 頂点に達する殺気。


 終わる。

 撃たれる。


 ――――――死ぬ。



「撃てェッ!!」



 鳴り響く発砲音。

 待ち構えていた銃弾の群れが、弾幕となって灯弥を襲う。


 反射的に目をつむる。

 死の間際には走馬灯が見えると言うが、灯弥には何も思い浮かばなかった。

 なぜなら、思い出せるだけの記憶がなかったから。

 青年は、どこまでも空っぽだった。


(結局……何も分からないまま、死ぬのかよ――――)


 灯弥は最期、心の中で毒を吐いた。

 こんなところで死にたくないと、強く願う。

 しかし、灯弥を嘲るように銃撃音はとどまるところを知らない。

 何十発、あるいは何百発もの銃弾が間髪入れず、怒涛の勢いで撃ち放たれている。


 一秒。

 二秒。

 三秒経ったところで、いまだ死は訪れていない。


 ただ不意に、が灯弥の全身を撫でた。


「なにっ!?」

「何だとッ!」

「どういうことだ?!」


 周囲にどよめきが走る。

 灯弥も、恐る恐る目を開けて状況を確かめた。

 だが、彼の瞳には、先ほどの特殊部隊の隊員たちの姿は映らなかった。


 代わりに見えたのは、

 そして、鮮やかな白銀の長髪。

 灯弥を守るように右腕を広げる、の後ろ姿。


「……ごめんなさい。彼を殺させるわけにはいかない」


 優しい声には、明確な意志が宿っていた。

 灯弥は情けなくへたりこみ、眼前の少女を見つめる。


「お、お前は……」


 あらゆる感情がミキサーにかけられた灯弥は、やっとの思いで言葉を絞り出した。

 少女の身体の大部分は、青い炎がまとわりついている。

 きっとまだ完全じゃない。


 それでも凛々しく立つ少女は、軽く振り返って灯弥を見つめると、


「まだお礼、言えてないから。こんなところで死んじゃダメだよ?」


 年相応の可愛らしい微笑ほほえみを向けてくれた。



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