episode 3  生命の灯


 先ほどとどろいた爆発が嘘のように、しん、と辺りは静まりかえっていた。

 車道の真ん中には、一人の青年と少女。


 響いたのは、透き通るような一言だった。


「私を、……ころ、し……て…………?」


 風が、少女の銀髪を揺らした。

 流れるように、唖然と固まる灯弥のほほを吹き抜ける。


「は…………?」


 少女の言葉が理解できず、灯弥は彼女の姿を凝視した。


 全体的に白と水色を基調にした衣服を身にまとっている。

 清涼感の感じられる綺麗な服装だが、今はその面影はない。爆発の影響で衣服は焦げ、破れてしまっている。

 さらに少女の肢体には無数の傷や火傷が見受けられた。特に、胸周りの損傷が激しいように見える。

 それらは彼女が受けた攻撃の威力を物語っていた。


 そんな少女は今、何と言ったのだろうか。



 ――――私を、殺して。



 いくばくかの沈黙が続く。

 今の言葉は、何かの聞き間違いか。

 そうであってくれと願いながら、震える声で問う。


「なにを、言ってるんだ……。俺が、殺す…………?」

「ぅ、ん……」


 期待した否定の言葉は返ってこなかった。

 少女は灯弥にというよりも、自らに言い聞かせるように、浅い呼吸で言葉を続ける。


「『凍炉ランプ』が……壊れた私、は……もう、どのみち……生きられない…………」


 少女は僅かに視線を下げる。

 彼女のかたわらには、金属片らしき『何か』が無数に散らばっていた。

 相当な威力で破壊されたのか、もはや原型は留めていないが、それは何らかの容器のように見える。


「ラ、ランプ……? ランプって何だよ!!」


 少女の不可解な返答。

 焦りと緊張から、灯弥の語気も荒くなる。


 が、もはや少女に灯弥の言葉は届いていないのか。

 天を仰ぎ懺悔ざんげする罪人のようなすがりつく瞳で、横にたたずむ灯弥を見つめた。


「……寒い。凍、ぇるように、さむいの…………。だから……お願い。ゎた、しを……ころして……。そうでないと……私、が……あな、たを…………ぉして、まいそうに、なる……から。早く……楽に、させ……」


 一秒ごとに呼吸は浅くなる。

 今にも命の灯火が消えゆこうとしているのを感じる。

 瞳は灯弥の姿を映しているかも怪しいほどに濁り、虚ろになっていく。


 不意に、少女の体からパキパキと奇妙な音が鳴り始めた。

 視線を移すと、謎の氷と霜が急速に彼女の身体と衣服を凍らしていく。


 訳の分からない状況。

 理解の及ばない現象。


 灯弥は意識が戻ってから、思考が停止するような現実ばかりを直視してきた。

 だがもうそんなこと、どうでもいい。

 考えたところで理解などできないのだから。

 ならば、自らの意志に従って。


 死を懇願する少女に対する灯弥の返答は――――



「そんなこと――――出来るワケないだろうがッ!!」



 明確な、拒絶だった。


 泥のようにへばりつく鬱積うっせきした感情を根こそぎ吐き出すように、ぜんばかりの怒号を放つ。


「出会っていきなりふざけた要求してきてんじゃねぇぞ! お前には聞きたいことが山ほどあんだよ!!」


 彼女を死なすわけにはいかない。

 その一心で、灯弥は足元に落ちていたナイフを握る。


「絶対に助けるッ! こんなところで死なせてたまるか!!」


 熱い想いを与えるように、ぐっと少女の手をつかむ。


(なんつー冷たさだよ……!)


 触れた灯弥の手のひらから瞬時に体温が奪い取られるほどに、少女の手は冷たかった。

 それはまるで、氷そのもの。


 脳裏によぎったその考えに賛同するように、少女の肌表面に薄く張り付いていた氷が成長していく。

 

「う、ぅぁ……。さ、むぃ……さ……ぃ」


 少女は声にならない声でうめいた。

 天高く掲げられたつるぎのように鋭く尖る、幻想的な氷の造形。

 その氷塊はみるみる内に少女の胴体を覆い尽くし、侵食を始める。


 それだけでなく、今度は少女の顔から、腕から、足から、新たに同様の氷が生まれ出した。

 その氷は少女の近くにいた灯弥にまで及び、気付けば右足の膝から下が地面と共に氷に呑まれ、動かせなくなっていた。

 死をいざなう氷塊は、少しずつ灯弥の上半身へと伸びていく。


「お、おいおい……マジかよ……ッ!」


 このままでは、いずれ彼もこの神秘的な世界を彩る一つの氷像オブジェへと成り果てるだろう。

 灯弥は奥歯を噛み締めると、少女を貫くように伸びる氷へナイフを振り下ろす。


「この氷さえどうにか出来れば! クソッ、割れろ! 割れろおおおォ!」


 ガギン、と鈍い高音が鼓膜を突いた。

 が、氷が粉砕されるということはなく、表面の一部を僅かに崩すだけにとどまる。

 アイスピックのような物ならどうにかなったかもしれないが、ナイフでは鋭さが足りない。

 

 それでも、灯弥は眼前の氷へナイフを振り下ろす。

 氷は少しずつ削れていくが、生み出される氷の方が圧倒的に量が多い。


 すると突如、銃声が静寂を破壊した。


 今度は最初の爆撃のように一発では終わらず、連射型の発砲音が何発も鳴り響く。

 その中には人の叫び声も混じり、阿鼻叫喚の戦場が想像される。


「近くで何か起こってるのか……? いや、んなこと今はどうでもいい!!」

 

 目の前に伸びる氷に意識を集中させ、灯弥はひたすら削り続ける。

 無為であると分かっていても、いまさら止めることは出来ない。


 もうすでに、灯弥の右太股と左足首は氷が支配している。

 しかし少女はその比ではない。

 今にも体の全てが氷で埋め尽くされようとしているのだ。

 そんな状況を前に、無駄だからといってナイフを放ることなど出来るはずがない。


ァ……!」


 瞬間、鋭い痛みが脳髄を突き刺した。


 一心不乱に氷へナイフをぶつけていたからか、運悪くナイフが氷の表面を滑り、灯弥の左腕に刃先が走ったようだ。

 深く刺さった訳ではないが、血管を切ってしまったらしくドクドクと鮮血が流れる。

 その血は手先からしたたり、蒼白の氷に新たな色彩をもたらした。


「痛ってぇな、ァ……!?」


 反射的に右手で傷口を塞ごうとして――ビキリ、と固まる。

 右足から脇腹を這うように侵食してきた氷は、右手の二の腕付近にまで及び、肩関節が完全に固まっていた。

 肩を動かそうとしても、びくともしない。

 これでは出血を塞ぐどころか、ナイフで氷を破壊することも不可能だ。


「おい、嘘だろ……。クソ! クソォッ!!」


 必死にもがくが、氷に呑まれた箇所は全く動かない。

 そして、その氷は自らの肩から顔へ向けて侵食を始めているのだ。

 目先に広がる美しい氷細工が、灯弥に絶望のささやきを告げる。


 左手は負傷した。

 右手が動かせなければナイフを振るえない。

 例え体が万全であっても氷の破壊は不可能。

 とどめに右半身を氷漬けにされ、今さら逃げることも出来ない。


 これを万策尽きたと言わず、何と言うのか。


「おい……やめろ、嘘だろ! こんな……こんなところで、死――」


 恐怖で震える声。

 眼前には、狂おしいほどに美麗な氷塊。

 血管が切れたことでそう簡単には止まらない血液は、どんどん氷の上を飾っていく。

 それはまるでかき氷にかけるシロップのように広がっていき、造形物としての芸術性を高める。


「誰かッ! おい、誰かいないのか! 頼むッ! 助けてくれええええ!」


 塗られた血はゆっくりと下っていく。

 そして一筋の赤い道が、かすかに開いた少女の口元へと流れる。


「あぁ……や、やめろ……やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 そして――一滴いってきの血が、少女の口の中へ落ちた。


 突如。 

 ドクン、とたぎるような心臓の鼓動が響いた。

 しかし、それは灯弥のものではない。


 死の恐怖に埋め尽くされていた青年は、訳も分からず顔を上げる。


 その瞬間。



 ――――少女が、燃えた。



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