episode 2  揺れ動く運命


 濃霧のうむのように色濃く漂う白煙を切り裂いて走行する、一台の軍用車両。

 その後続には同じようなタイプの車両が一定の車間距離を保ちながら数台連なり、不自然なまでにいている都市部の巨大な車道を疾駆している。


 それらはみな等しくトラックのような様相をていしているが、肝心の荷台の部分は頑強な黒塗りの金属で覆われ、内部を外界から完全に遮断している。

 また車両表面には暗色の迷彩模様がペイントされており、一目見れば否が応にも戦争を想起させる、ものものしい威圧感を放っていた。

 かすかなエンジン音に混じり、道路上に無数に散乱している砕氷を分厚いタイヤが踏み潰すたびに氷と地面が擦れ、ギャリギャリと独特の走行音を辺りに響かせている。

 

 やがて中途半端な車道の中央で、先頭車両が停車する。

 と、必然それにならうように後続の車両も次々と停車していった。


 続く道路の先に目を向けると、真新しい巨大なクレーターが形成されており、その周囲には通行を妨げるようにして至るところに同じような軍用車両が散見された。

 しかしそのどれもが横転し、もはや使用不可能なほどにぐちゃぐちゃに破壊されている。

 さらに地面に撒き散った、赤黒い血飛沫。

 目を凝らせば、車体にし潰されるように人間の腕や足がはみ出しているが、それらがピクリとも動くことはない。

 思わず目を背けたくなるような凄惨な現場が、この美しい世界では、より一層際立きわだっている気がした。


 先頭車両のドアが開き、中から一人の男が現れた。

 車両と同じデザインのヘルメットと迷彩服を身につけ、さらに黒いゴーグルで顔の上半分を隠している。

 胸元には、奥に燃え盛る炎を守護するように交錯する二双の剣が彫られた、銅製の徽章きしょうがつけられていた。

 重厚な衣服の上からでも、ありありと分かるほどにガタイが良く、正に軍人然とした雰囲気をまとう男だ。


 その男はおもむろに右手の人指し指と中指をゴーグルのフレーム部分に接触させると、厳かに呟く。


「――Xrイクセリアシステム、起動」


 その瞬間、パソコンの起動音のような機械的な音楽が耳朶じだを震わし、暗かったゴーグル越しの視界が薄く緑がかった水色の画面へと切り替わった。


『指紋認証、声紋認証、網膜認証、共に通過クリア赤銅徽章官Career:Copper佐竹義平さたけよしひら様のアカウントよりXrイクセリアシステムにログインします。システムのご利用目的をお伝えください』


 目まぐるしく画面が切り替わり、凡人には到底理解の及ばない膨大なデータのうずが、巻き上がるように光の粒子となって輝きながら消えていく。

 同時に、視界の中央には大きく緻密ちみつなデザインが施された真円が浮かび上がり、その円の中には機械で解析されかたどられた高解像度の立体的な人間の脳が緩やかに回転している。

 しかし一度ひとたびAIが言葉を話すと、その脳を背景とするように円内に声紋の波形が現れ、激しく上下へ揺れた。


 システムが正常に機能したことを認知すると、大柄の男――佐竹は義務的に応える。


「本部への連絡を」

『承知致しました。これより作戦司令室本部への無線パスを繋ぎます』


 佐竹の要望に、Xrイクセリアシステムと呼ばれたAIは、抑揚の無い機械的な女性の声音で応じた。

 かと思った次の瞬間には、すでに無線パスが繋がれており、すぐさま本部の人間が応答する。


『こちら作戦司令室本部。佐竹隊長、状況はどうだね?』

「ただ今現場に到着しました。目視出来る限りでは凍雪殻スノウホワイトの姿は見えません」

『ふむ、しかし油断はするな。間違いなく「ピクシー」は地雷トラップにかかっている。偵察ドローンから送られた映像にもその一部始終が映っているゆえ、間違いのない情報だ』

「はっ! これより『ピクシー』捕獲作戦の実行に移ります」

『くれぐれも留意したまえ。健闘を祈る』


 ブツリ、と鼓膜を刺すようなノイズ音と共に通話が途切れる。

 続けてゴーグルに投影される映像が先程の脳を模したデザインの初期画面へと戻ると、佐竹は再び口を開いた。


「索敵・戦闘モードへ切り替えを」

『承知致しました。索敵・戦闘モードへ移行します』


 変わらず起伏の感じられない人工的な声でAIが告げると同時に画面が消失し、またゴーグルも透明となり明瞭めいりょうに周囲の景色が目に入ってくる。

 そして佐竹が任務遂行に向けて後続の車両に乗る部下達に号令を発しようとして、


 ――――突如、隊員の悲鳴と銃声がとどろいた。


 断続的に機関銃のような発砲音が炸裂し、それをかき消す勢いで至るところから隊員の断末魔の叫びが飛び交う。

 緊急事態と悟った佐竹は状況を確かめるべく反射的に振り返る。

 すると、一人の隊員が半狂乱になりながら佐竹の元まで駆け寄って来た。


「ど、どうした! 一体何事なんだ!!」


 佐竹が半ば恫喝どうかつするような勢いで強く問いただすと、その隊員は目を血走らせ、鬼気迫る勢いで声を荒らげる。


「た、隊長! 早く逃げてください! 別の凍雪殻スノウホワイトが乱にゅ――」


 不意に、隊員の首の周囲を沿うように赤い横線が描かれた。


 定規で引いたように寸分の歪みも見当たらないその謎の線は徐々に太くなっていき、やがて抑えきれずに赤い液体が溢れ出す。

 一度決壊し、流れ出した液体はとどまること無く一瞬の間に隊員の衣服を赤く染め上げ。


 そして。


「な――――ッ!?」


 首筋から真っ赤な鮮血が噴水のように噴き出すと、ぐらりと前のめりに倒れる。

 隊員の首は完全に切断されており、すでに絶命していた。 

 対峙たいじしていた佐竹の体に、激しく飛散した夥しい量の血液がかかる。

 佐竹は信じられないものを見るように目を見開き、呆然と朱のシャワーを浴び続けた。


 たった今まで生きていた隊員の変死。

 その謎の解明に意識が向かう前に、回答は示される。

 それは、呆れるほどに単純なもので。


 息絶えた隊員の真後ろから現れた――一人ひとりの少女。


「ご機嫌麗しゅう? ニンゲンさん」


 彼女がまとう場違いなまでに華美な意匠が凝らされた漆黒のドレスは、外気にさらされている雪のように真っ白な手足と調和し、見事なコントラストを演出していた。

 うつむいているためはっきりと顔は見えないが、それを差し引いても十分に、あるしゅ恐ろしさすら覚えるほどの美を兼ね備える少女だ。

 肩口まで続く黒髪と白髪が無秩序に入り交じる頭が印象的だが、今はそんなことなど些事さじに思えるほどに身体を底冷えさせるような凶器が、少女の右手に握られていた。


 骨切り包丁よりももっと刃の幅が広い、言うなれば中華包丁だろうか。

 しかしそれは普通の中華包丁とは異なり、少なくとも全体的に二回ふたまわりは大きい。

 刃はべったりと赤く濡れており、今も刃先にかけてゆっくりと血が流れ、地面へと滴り落ちている。


 ようやく状況を理解した佐竹は、喉がきしむほどの声量で、まくし立てるように叫んだ。


「ほ、本部へ緊急通達! 現場で新たな凍雪殻スノウホワイトと遭遇! 個体名称は『ヘッドポ――――」


 一方で少女は、狂気的に口元を歪めて。


「さぁ、派手に伐採といきましょう?」


 何の躊躇ためらいも無く、包丁をいだ。




 †  †  †




 冷たいそよ風が、灯弥の頬を撫でた。

 先ほど轟いた爆発が嘘のように辺りは、しん、と静まりかえっている。

 静寂を塗り替えたのは、少女の言葉。


「私を、……ころ、し……て…………?」


 一目見た時から、不思議な少女だとは思った。

 白いドレスと水色のマントが複雑に組み合わさった、奇妙ながらも優美な格好。

 今は身体に刻まれた痛ましい生傷に目がいってしまうが、本来は陶器のように白くなめらかであったであろうことが容易に想像できる瑞々みずみずしい肌。

 そしてその肌と比べて少しくすみ、しかし比べものにならない輝きを放つ、腰元まで伸ばされた鮮麗な白銀の長髪。


 その姿は日本人らしくないという以前に、この世の美を追求した精緻な芸術作品のようで、生物的ないびつさ――言うなれば、『暖かさ』が感じられなかった。

 そんな彼女は今、何と言ったのだろうか。


 ――――私を、殺して。


 数秒の沈黙が続いた後、灯弥はようやく口を開き、先ほどの言葉が聞き間違いであることを願って、問うた。


「何を、言ってるんだ……?」


 しかし灯弥が期待した言葉が紡がれることはなかった。

 少女は灯弥にというよりも、自らに言い聞かせるように、浅い呼吸で言葉を続ける。


「『ランプ』が……壊れた私、は……もう、どのみち……生きられない…………」

「ラ、ランプ……? 一体何を言ってるんだ!」


 身体は動かさず、少女は僅かに視線を下げる。

 彼女のかたわらには、金属製らしき『何か』が転がっていた。

 相当な威力で破壊されたのか、もはや原型は留めていないが、それは何らかの容器のように見える。


 一方で灯弥は、この状況にそぐわない少女の不可解な発言に、苛立たしげに応える。

 が、もはや少女に灯弥の言葉は届いていないのか、天を仰ぎ懺悔ざんげする罪人のようなすがりつく瞳で、横にたたずむ灯弥を見つめた。


「……寒い。凍えるように、寒いの…………。だから……お願い。私を、殺して……。そうでないと……私、が……貴方を…………殺してしまいそうに、なる……から。早く……楽に、させて……」


 一秒ごとに呼吸は浅くなっていき、今にも命の灯火が消えゆこうとしているのを感じる。

 瞳は灯弥の姿を映しているかも怪しいほどに濁り、虚ろになっていく。

 不意に、少女の体からパキパキと奇妙な音が鳴り始めた。

 視線を移すと、一目ひとめで明らかに判るほどに、急速に霜と氷が彼女の肌や衣服を凍らしている。


 訳の分からない状況。

 理解の及ばない現象。


 灯弥は意識が戻ってから、思考が停止するような現実ばかりを直視してきた。

 だがもうそんなことなど、どうでもいい。

 ならば、自らの思うがままに。


 死を懇願する少女に対する灯弥の返答は――――


「そんなこと――――出来るワケないだろうがッ!!」


 明確な、拒絶だった。


 泥のようにへばりつく鬱積うっせきした負の感情を根こそぎ吐き出すように、ぜんばかりの怒号を放つ。

 元来の気質が温厚なのか、灯弥はこれまでの記憶を振り返っても、自身の怒りを人にぶつけたりしたことはなかった。

 それなのに、自分は今、こんなにも怒りを覚えている。

 一体、何故なのだろう。


 きっと、それは――――


「諦めるな! まだ死ぬなよ!!」


 彼女に、死んでほしくなかったから。


 ではそう思う根源には、何が存在するのか。

 目の前で苦しむ少女を見捨てられないという独善的な願望か。

 ようやく見つけた人との繋がりを失いたくないという打算的な欲望か。

 矮小わいしょうな自分が他者の死という重すぎる場面に立ち会いたくないという逃避的な懇望か。


 ――分からない。


 灯弥自身も完全に説明できない謎の衝動に駆られ、気付けば体が動いていた。

 例えどんなに醜悪な理由であったとしても、詰まるところ結論は揺るがないのだ。


 彼女を、助けたい。


「必ず助ける! もう少し踏ん張れ!」


 この鼓動の高まりを与えるように、少女の細い手を強く両手で握る。


(…………っ! つ、冷たい!)


 触れた灯弥の手のひらから瞬時に体温が奪い取られるほどに、少女の手は冷たかった。

 それはまるで、氷そのもの。

 一瞬、脳裏によぎったその考えに賛同するように、少女の肌表面に薄く張り付いていた氷が発達し始め、水晶のように固形化していく。

 

「う、ぅぁ……。さ、むぃ……さ……ぃ」


 少女は声にならない声でうめいた。

 天高く掲げられたつるぎのように鋭く尖る、幻想的な氷の造形。

 その氷塊は瞬く間に少女の胴体の全てを覆い尽くしていく。

 それだけでなく、今度は少女の顔から、腕から、足から、新たに同様の氷が生まれ始める。

 その氷は少女の近くにいた灯弥にまで及び、気付けば右足の膝から下が地面と共に凍結され、動かせなくなっていた。

 それは少しずつ灯弥の胴へと向かって侵食していくのを感じる。


 このままでは、いずれ彼自身もこの神秘的な世界を彩る一つの氷像オブジェへと成り果てるだろう。

 灯弥は砕けんばかりに奥歯を噛み締めると、手元にあった、少女が落としたナイフを掴み、いまだ伸びゆく氷へ振り下ろした。


「割れろ! 割れろよ氷!!」


 ガギン、と鈍い高音が鼓膜を突いた。が、氷が粉砕されるということはなく、表面の一部を僅かに崩すだけにとどまった。

 ナイフから伝わるその感触は、氷などという生半可なものではなく、最高純度のダイヤモンドのような尋常ならざる硬度を誇っていた。


 それでも、灯弥はナイフを放さない。


 何度も何度も、狂ったように眼前の氷へナイフを突き刺す。

 刺す度に氷は少しずつ削れていくが、それだけ。

 生み出される氷の方が、圧倒的に量が多い。


 すると突如、銃声が静寂を破壊した。

 今度は最初の爆撃のように一発では終わらず、連射型の発砲音が何発も鳴り響く。

 その中には人の叫び声も混じり、遠くで聞いているだけでも阿鼻叫喚の戦場が想像される。


 しかしそのような音も、声も、灯弥の意識を逸らすには値しなかった。

 灯弥はただひたすらに氷を削る。

 無為であると分かっていても、止めることは出来なかった。

 もうすでに、灯弥の右太股と左足首にまで氷が支配している。

 しかし少女はその比ではない。

 今にも体の全てが氷で埋め尽くされようとしているのだ。

 そんな状況を前に、無駄だからといってナイフを放ることなど出来る筈がない。


っ……!」


 瞬間、鋭い痛みが脳髄へ響いた。


 一心不乱に氷へナイフをぶつけていたからか、運悪くナイフが氷の表面を滑り、灯弥の左腕に刃先が走った。

 深く刺さった訳ではないが、それなりに太い血管を切ってしまったようで、ドクドクと鮮血が流れる。

 その血は手先からしたたり、蒼白の氷に新たな色彩をもたらした。


 出血を抑えようと反射的に右手で傷口を塞ごうとして、ビキリ、と固まる。

 右足から脇腹を這うように侵食してきた氷は、右手の二の腕付近にまで及び、肩関節が完全に固まっていた。

 肩を動かそうとしても、びくともしない。

 これでは出血を塞ぐどころか、ナイフで氷を破壊することも不可能だ。


「くそ……! クソ! クソッ!!」


 ――――もはや、これまで。


 灯弥の心中を大きく占めていた焦燥が、徐々に諦念ていねんへと移り変わっていく。

 左手は負傷した。

 右手が動かせなければナイフを振るえない。

 例え体が万全であっても現状での完全な氷の破壊は事実上不可能。

 とどめに両足を氷に侵食され、今さら逃げることも出来ない。

 これを万策尽きたと言わず、何と言うのか。


「く、そぉ……っ!!」


 灯弥は悔しさに、歯噛みする。

 眼前には、狂おしいほどに美麗な氷塊。

 血管が切れたことでそう簡単には止まらない血が、どんどん氷の上を飾っていく。

 それはまるでかき氷にかけるシロップのように広がりながら下部にいくにつれ幾重にも分岐していき、その幻想性を高める。

 塗られた血はゆっくりと下っていき、一筋の赤い道がかすかに開いた少女の口元へと流れ、そして――


 一滴の血が、少女の口の中へ落ちた。


 突如。 

 ドクン、とたぎるような心臓の鼓動が響いた。

 しかし、それは灯弥のものではない。

 灯弥はうつむいていた顔を上げる。


 その瞬間。



 ――――少女が、燃えた。



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