第6話

「あ、ちょっと待って」

「あ?」

「もっと美味しく食べる方法が有るんだ」


 鍋に溜まった麦芽糖をお玉ですくう。それを熾火に近づける。遠ざけ過ぎず、近づけ過ぎず、ほどほどの距離を保つ。


「何してんだよ?」

「もう少し……」


 間もなく、琥珀色の麦芽糖が泡立つ。


「あ、ねばねばしてるよ!」

「ああ……」


 実際、とろみのついた泡だ。それが茶色く変化する、と同時に火から離す。


「減っちまったぞ?」

「ああ。水分が蒸発した分な」


しばらく冷めるのを待てば、お玉の中には茶色く変色し、固まった麦芽糖。


「ハルちゃん。これ、なに?」

「見てよ」


 指先で突いてみる。


「へ? 固まってる!?」


 固まった麦芽糖をお玉から剥がし、ぱきんっ、と割る。破片を口に放り込む。


「どう?」


 残りを二人に勧める。


「ハルツグ。何だよ、これ?」

「まあ、食べてみれば分かるよ」

「しゃあねえな」


 躊躇なく口に欠片を放り込むのはヨシツネ。リコは、おずおずと小さめの欠片を一つ、指で摘まむ。一秒後、二人の表情が変わる。


「「アメだ!」」


 麦芽糖も糖の一種。こうして水分を飛ばせば、きちんと飴になる。なにより、甘い。砂糖に負けないほど、濃厚な甘み。


「おいおい! ハルツグ、これは、アレを造れるってことかよ!?」

「アレって?」

「超巨大な飴」

「おお! ヨシツネ、たまには良いこと言うね!」

「俺は良いことしか言わねえけどな」

「ソウダネ……」

「それじゃ、とにかく火にかけるぞ」


 ヨシツネが鍋を持ち上げる。


「あ、待った、待った!」

「なんだよ?」

「火加減が難しいんだ。焦がしたらただの炭になる」

「マジかよ……」

「少しずつ火を入れよう」


 お玉で一杯すくう。火にかけて泡立ったところで、皿に移す。これを繰り返して、段々と大きな飴にしていく。この方法なら、仮に焦がしたとしても被害はお玉一杯分だけで済む。


 しばらくして、巨大な飴玉ができあ上がった。飴玉、というよりかはもはや飴塊。


「これは、なかなか……」

「ああ。思ったよりやべえな……」


 普通に出回っている雨は、大きくても親指の爪程度。しかし、これは握りこぶしほど。破格だ。


「でもさぁ、どうやって食べるの? 一個しかないよ?」


 リコが言う。


「「あ」」


 一瞬、沈黙。しかし、すぐに


「俺が食べる!」


 ヨシツネが飴玉に掴みかかる。


「あ! だめ! 絶対だめっ!」

「分かった! 三等分しよう」

 

 慎重に飴を加熱。柔らかくなった飴を、三つに取り分ける。しかし、それでもまだまだ大きい。一口に頬張るのが難しいくらいには。


「どうしよう? まだ、半分くらい残ってるけど……」

「はうふふへほほほはんは?」

「何て言ってるの?」


 飴を口に入れているっせいで、ヨシツネが何を言っているのか分からない。


「そうだね。残りは、冷やし飴にしようと思うんだ」





 廃図書館の裏手には山が有った。山、と言っても名前もないような小さな山だ。里山の類。しかし、小さな沢が流れていた。


「冷たいっ」


 スカートをたくし上げながら、素足のリコは笑う。


「えいっ」


 つま先で水を弾く。飛沫が頬にかかる。


「リコ。危ないよ?」

「大丈夫!」


 と答えながら、足を滑らせる彼女。水の流れにしりもちをつく。


「えへへ……」


 彼女がはにかみながら立ち上がる。そのほっそりとした脚に、濡れたスカートの布地が張り付いていた。


「なあ。そろそろ良いんじゃねえの?」


 その時、ヨシツネが言った。

 小川のせせらぎに、麦芽糖の鍋を浸して二時間ほど。程よく冷えた頃だろう。


「そうだね」

「ほれ」


 ヨシツネが放ったのは、竹を切って作った即席のコップだ。それに、冷えた麦芽糖を注ぐ。


「ちょうど、一週間だねぇ」

「罰もようやく終わったな」

「ったく、身体中痛えんだよ……」

「それじゃあ、お疲れさまってことで」


「「「かんぱい!」」」


 竹のコップをぶつけ合う。こつん、と鈍い音。一滴、琥珀色の液体が舞った。



 この飲み物を、かつては「冷やし飴」と呼んだらしい。その名前の通り、麦芽糖を冷やしただけのシンプルな飲み物だ。しかし、美味い。

 

 口に含んだ冷たさ。とろみの付いた液体が、喉を滑り落ちる心地よい感触。そして何より、甘い。


 砂糖をそのまま食べた時のような、濃厚な甘さは無い。しかし、すっと身体に沁み込むような、爽やかな甘味。


加えたショウガの汁も良い仕事をしていた。微かな辛みのアクセントが、より甘さを際立てる。


 気が付けば、コップは空になっていた。


「ふぅ……」


 思わず、ため息を吐く。素足を浸した小川の冷たさ。枝葉を揺らしながら、森を吹き抜ける風が、汗の滲んだ額を撫でる。


 リコと、ヨシツネと、目が合う。


 言葉は見つからなかった。


 ただ、自然と笑いが零れていた。


 幸福。


 この瞬間を、そう呼んで良いのかもしれない。


「昔はさ、簡単に甘いモノが買えたらしいよ」


 そんなことを、本で読んだ。


「簡単にって、どんな感じだよ?」

「その辺の道端に、「自動販売機」ってのが有ったらしい。無人販売の一種で、小銭を入れれば甘い飲み物が出てくる」

「まじかよ!?」

「でもさ、高いんじゃないの?」

「そうでもなかったみたい。無人販売で売ってるくらいだからね」

「すごい時代だねぇ」


 とは言っても、百年も昔のことではないだろう。


「でもさ、それって良かったのかな?」

「ハルちゃん、どういうこと?」

「良いに決まってんだろ! 幾らでも甘いもんが食えるんだぜ?」

「確かにね……」


 本当のところ、どうだろうか。


 自分はこの「冷やし飴」を、そして、「冷やし飴」を飲む瞬間を、十年後もきっと覚えている。


 しかし、甘味で溢れた世界で、この一杯の冷やし飴をいつまでも覚えていられるだろうか。そもそも、こうして甘味に感動を覚えることすらほとんどないのではないか。だってそれは、当たり前なのだから。


 甘味の入手は困難だけど、僅か一杯の冷やし飴にこれだけの幸福を感じられる。


 結局、文明が発展してもしなくても、人は同じ程度にしか幸せでないのならば……


 感じたのはそんな疑問。

 

 しかし、それを確かめるすべは無いのだ。


 人類はゆるやかに終わりゆくのだから。

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人類は終わるけど 夕野草路 @you_know_souzi

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