第5話

 翌日、鳥の声で目が覚めた。崩れた屋根から覗く、紺青の空。夜明け前の透明な空気は、しっとりと湿ったいた。


「しまった……」


 焚火を見張るつもりが、いつの間にか眠っていたらしい。


「ん……」


 耳元で、微かにそんな声。肩にかかる柔らかな重み。見れば、俺に寄りかかるようにリコが眠っていた。


「……ん? ……なんでハルちゃんがいるの?」


 寝起きのリコはそんなことを言う。


「あ、そうだ! 砂糖! ごめん、ボク、寝ちゃってた」

「いや。俺もだよ」


 しかし、フタを開けてみると、もくもくと湯気が出る。火は消えていなかったらしい。粥の上澄みを匙で掬う。一滴、手の甲に垂らして、舐めてみる。


「……うん。だけど、大丈夫そうだ」

「え?」

「舐めてみて」


 微かにとろみのついた、琥珀色の液体。リコもそれに口をつける。


「……うそ? ただの麦とお米だったのに、こんな、なんで――」


 リコが振り返り、俺のことをマジマジと見つめる。


「――甘い!?」


「さとぅおっ!?」


 リコの声を聞いて、ヨシツネが跳び起きる。鍋に頭から突っ込む勢い。既に言葉は失ったらしい。獣になり果てたのか。


「ヨシツネ! 待て! 待てだよ!」


 リコが止めに入る。


「よ、ヨシツネ!」


 すかさず、おたまで掬った液体を、ヨシツネの口に流し込む。


「甘いっ!」


 彼は叫ぶ。


「ん? あれ? ここは?」


 人の言葉を取り戻したらしい。辛うじて間に合ったのか。


「いつもの廃図書館だよ」

「……そうだ! 俺たち、砂糖を造ってたんだ」

「思い出したか」

「出来たのか!?」

「一応、これ」


 鍋に溜まった、ドロドロの粥。


「これ、砂糖か?」

「いや。砂糖ではない」

「「砂糖じゃないの!?」」


 二人が叫ぶ。


「砂糖の親戚。麦芽糖ばくがとうってやつだな。水あめ、って呼ばれたりするな」

「なんだよ! 砂糖じゃないのかよ!」

「でも、甘かっただろ?」

「甘ければ何でも良いってことだなっ!」


 ヨシツネは言う。


「まあ、そういうことだな」

「でも、ハルちゃん。これって、いったい何なの?」

「それは俺も気になるな。芽の出た大麦を砕いて、米と一緒に煮ただけだろ? なんでこんなに甘くなるんだよ?」

「そうだね。それじゃあ、説明しようか――」


 焚火の灰を均して、そこに木の棒で線を描く。


「ありとあらゆるものは、原子が組み合わさってできている」

「あ、それ、学校で教わった!」

「教わったか?」

「ヨシツネ、寝てたよね?」

「そうだっけ?」

「まあ、この麦芽糖も例外じゃないんだ」


「C」


 と灰の上に描く。


「Cは炭素って意味だね。それが六個つながって、六角形を造る。同じ六角形が二つ並ぶ。そこに、「O」――酸素と、「H」――水素が幾つかくっついて、麦芽糖になる」

「「へぇー」」


 二人の反応が薄い。


「ちなみに、米ってなにからできてるか知ってる?」

「米は米だろうが」

「だよねぇ」

「米はほとんどデンプンでできてるんだ。それで、デンプンの原子の並びはこんな感じかな」


 炭素がつくる六角形。それが一つ、二つ、三つ……、と無数に繋がってデンプンができる。


「何か気付かない?」

「あ!」


 リコが指す。


「これ、デンプンのたくさん繋がった六角形、これ、バラバラにしたら麦芽糖になるよ!」

「正解」

「なるほどな」


 おもむろにヨシツネが立ち上がる。


「ヨシツネ? どうしたの?」

「話はだいたい分かったぜ。米を細かくすれば甘くなるんだろ? 今から家になる米を粉々に砕いてくる」

「待て待て! そういう話じゃない」

「あ? デンプンをバラバラにすると、甘くなるんだろ?」

「そうだけど、砕いたくらいじゃデンプンはバラバラにならない」

「ああ? どういうことだ!? 俺にはさっぱりだぜ!」


 原子の結合は、ハンマーで叩いたくらいじゃ壊れない。原子に比べて、ハンマーは大き過ぎる。


「とりあえず叩いてみようぜ!」


 と自宅の倉庫に向かおうとするヨシツネ。彼が本当に家中の米を粉々にしてしまったら。ヨシツネ家の惨状は簡単に想像できた。しかし、甘味に脳みそを支配された彼には、言葉が届かない。しかし、


「でもさ、お餅って別に甘くないよね?」


 リコが言う。


「確かに!」


 ヨシツネが座る。


「納得してくれたか……」

「でもよ、叩いて壊せないなら、どうやってデンプンをバラバラにしたんだよ」

「そう。そこで大麦が必要だったんだよ」

「どゆこと?」


 リコが首を傾げる。


「ああ。大麦は葉っぱが無いから日光も浴びられないし、根が無いから地面から栄養も吸えない。でも、芽は出るよね?」

「そう言えば、不思議だねぇ」

「実は、種の中に栄養が蓄えられてるんだ。デンプンとしてね」

「ふむふむ」

「だけど、デンプンはそのままじゃ栄養にならないんだよね……」

「ダメじゃん!」

「そう。だから、大麦はデンプンをバラバラにする特別な酵素を持ってる」


 それはアミラーゼ、と呼ばれていたらしい。


「分かった!」


 リコが声を上げる。


「お米と大麦を一緒に煮たのは、大麦の酵素で、お米のデンプンをバラバラにするためだったんだね!」


 そして、デンプンをバラバラにした結果、生まれるのがこの甘味、麦芽糖だ。


「でもさぁ、どうせ煮ちゃうなら、なんで一回、芽を出させたの」

「ああ。大麦の酵素、アミラーゼは、芽が出た時じゃないと働かないんだよ」


 そもそも、芽が出る前に全てのデンプンを分解してしまったら、肝心の時に栄養が無くなってしまう。


「ちなみに、アミラーゼが一番よく働くのは、六十度くらいだよ」

「あ、だから弱火で煮たんだね」

「流石、リコ。話が早い」

「えへへ。誉められた」

「俺も分かったぜ」


 ヨシツネが言う。


「麦芽糖は甘い」

「うん?」

「要は何も分からなかったんだな」

「ああ。そうとも言うな」

「どっちなのさ……」

「甘けりゃ良いんだよ! 甘けりゃなあっ!」

「「一理ある……」」



 鍋に残った、どろどろのおかゆ(甘い)。それを、リコが持参した布袋で濾す。ぎゅ、っと絞れば、薄黄金のトロリとした液体が滴り落ちる。


「「「おおっ」」」


 鍋の三分の一ほどが、麦芽糖で満たされる。


「よし! それじゃあ喰おうぜ」


 ヨシツネが言う。


「あ、ちょっと待って」

「あ?」

「もっと美味しく食べる方法が有るんだ」

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