第4話


甘いものを、嫌になるほど、たくさん。


それが当面の目的だった。


 翌日の夜、俺たちは例の廃図書館に居た。書架の隙間から虫の声。半壊した屋根からは夜空が見える。


 労働に疲れ切って、ハンモックで溶けかかっているリコが言った。


「あ、夏の大三角」


 そのままの姿勢で、リコが指差す。


「あー、あれは方角が違うな。夏の大三角は…………アレだな」

「さすがハルちゃん。物知りですなぁ」

「つーかさ、おかしくねえ?」


 その時、同じくハンモックで溶けているヨシツネが言う。


「何が?」

「星が三つあれば三角形だろ? あれと、あれと、あれも。あれと、あれと、あれでも。なんで、その三つだけ「夏の大三角」なの? おかしくね?」


 言われてみればその通り。昔は街の明かりで星が見えない、なんてことも有ったらしいけれど。今では夜空は星だらけ。ヨシツネの言う通り。適当に繋げば、三角形など幾らでもできるくらいには星空。


「確かに! ハルちゃん、分かる?」

「……いや。分からないな」

「ハルちゃんでも分からないことが有るんだねぇ」

「分からないことの方が多いと思うぞ」


 そもそも、人類がほとんどの知識を失くしているのだから。


「まあ、星なんてどーでも良いけどよぉ」

「綺麗なのに」

「綺麗でも甘くねえだろ」

「「あー」」


 ロマンが無いなぁ、とリコは呟きながらも、否定はしきれないらしい。


「夏の大三角形なんて分からなくて良いけどよ、砂糖はマジで頼むぜ? 大将さんよぉ」


 ヨシツネの目が血走っていて怖い。


「甘味なら大丈夫だよ――」


 ぱたん、と本を閉じる。油が勿体ないので、角灯を吹き消す。後には星明りだけ。


「――だいたい分かった」

「「おお!?」」


「ハルちゃんはすごいなー。ご褒美に、なでなでしてあげよう」


 ふらり、と立ち上がると、彼女は背後に回る。後ろから回された彼女の手が、俺の後頭部を捕まえる。柔らかな感触と、甘い匂い。


 これは、撫でる、と言うよりも、もう。


「り、リコ……」

「ん?」

「いや。ちょっと、近いかも」

「え?」


 リコが戸惑っていると、


「嫌だってよ!」


 ヨシツネが言う。


「あ、うそ。ごめん……」


 さっと、リコが離れる。悲しそうな表情。


「全然、嫌じゃないから!」


 思わず、断言してしまう。


「え?」

「ちょっと急だったから、びっくりしたというか…….だから、嫌とかでは」

「ありがと……。ごめんね?」


 寂しげに笑う。


「気を使ってるとかじゃなくて、ほら、俺たちも、こどもじゃないし」


「あ」


とリコは一声を発してから、しばらく固まっていた。


「だ、だよね! ごめん」


 顔を赤らめてはにかむ。思わず、視線を逸らす。どうも、距離感がこどもの頃から変わらないから対処に困るのだ。


「どーでも良いけどよ、砂糖、どうすんの? 俺、腹減った」


 時々、こいつの欲望に忠実な性格が羨ましくなる時が有る。


「……とりあえずは大麦だね」

「大麦って、大麦?」

「そう。パンとかにするやつな」

「それなら、種が俺の家にもあるぜ!」

「うん。ボクの家にも」


 食料不足の昨今、多くの人が兼業農家だ。小さな畑を持っていて、本業の傍らに耕している。幸い、人間は少ないから土地は余っている。


 大麦は病気に強く、手間も掛からない(比較的)から好んで植えられる。


「よっしゃ。一っ走り行って来るぜ!」

「あ、ちょっと待って!」


 止めるのも無視して、彼は図書館を跳び出した。


「待ってろよ砂糖!」


 自転車をこぎながら叫んでいるのか、遠ざかる彼の声が聞こえた。こういう時の行動力は頼もしい。


 しばらくして、ヨシツネが戻ってきた。


「悪いな。待たせた」


 一抱えもある巨大な麻袋を抱えて。


「「どうするの、それ!?」」


 ヨシツネは真顔で答える。


「全部、砂糖にしてくれ」


「説明が足りなかった。大麦がそのまま砂糖になるわけじゃないんだ……」

「言ってくれよお」

「言おうとしたけど、言えなかったんだ」

「何でだよ?」

「ヨシツネが話を聞かないで跳び出すからだろ?」

「ぞれだと、まるで俺が慌て者みたいじゃねえか」


 リコと顔を見合わせる。何も言わなかった。お互い。


「このくらいあれば十分だよ」


 袋の中から、手のひらで一掬いほどを失敬する。


「で、どうすんだよ?」

「とりあえず、水が要るね」

「表に井戸が有ったな。待ってろ。汲んでくる」


 縁が錆びたバケツに、並々と水を満たし、ヨシツネが戻ってくる。


「それから、この大麦を水に浸す」

「え? ハルちゃん。それじゃあ、芽が出ちゃうよ?」


 大麦に日本の夏は暑すぎる。芽が出ても育たない。


「大丈夫。育てるわけじゃないから」

「ハルツグ。次は?」

「あー、今日はここまでだね。続きはまた明日」

「なあ、大将。砂糖が食べれんのは来年とか言わねえよな?」

「言わない、言わない。早ければ、罰が終わるころには食べられるよ」




「あー、根が出てる」


 翌日の夜、水に浸かった大麦を見てリコが言う。彼女の言う通り、粒のから長さ5ミリほど、白い糸のようなモノがちょろりと伸びている。


「で?」


 不機嫌そうにヨシツネ。


 今日も今日とて、重曹を運び続けた。三日目ともなると疲労も溜まる。節々が痛い。


「次はこの本だね」

「この本?」

「砂糖の作り方が書いてあるの?」

「いや」


 数十ページ、破り取る。


「「え?」」


「ハルちゃんが本を破った! 本好きのハルちゃんが」

「砂糖の為なら仕方ねえ犠牲だ。甘いってことは正義なんだよ」


 ヨシツネの振りかざす暴論。


「なるほど……」


 しかし、納得してしまうリコ。


「大した内容じゃなかったから……。で、このページを水に浸す」

「おー」

「それで、大麦を挟む」

「うん。次は?」

「今日はこれで終わり。また明日だな」


 と言っても、翌日もすることはほとんどない。乾いたページに水をかけるだけで、四日目が終わる。




そして、さらに待つこと二日。六日目の労働が終わった夜だ。


「芽が出てる!」

 

 リコが言う。ぽつぽつ、と緑の小さな芽が出ている。


「ハルツグ。これ、いつになったら砂糖が食えるんだよ?」

「大丈夫。ここからは早いよ。本で読んだ通りならね」


 実際、時間で言えば既に半分は過ぎた。


「この大麦を干すんだ」


 持参したザルに大麦を乗せる。


「ここなら日当たりも良いか」


 それを、明日の朝、良く日光が当たるであろう場所に置く。鳥よけにもう一枚、上からザルを被せることも忘れない。


「どのくらい干すの?」


 リコが問う。


「完全に乾くまでかな」

「うん?」

「枯れるんじゃねーの?」

「そうだね」

「芽を出させてみたり、枯らしたり、意味が分かんねーよ」

「まあ、育てるわけじゃないから」

「大丈夫なんだよな?」

「それはお楽しみと言うことで」




 七日目、最後の労働が終わる。一歩あるくのにも、相当の覚悟が必要なくらい。


 夏の強烈な日光を一日中、浴び続けたのだ。大麦はカピカピに干からびていた。


「さとー」


 空ろな瞳。連日の労働で動くしたいと化したヨシツネは、その大麦を貪る。


「あ、おい、よせ!」

「ん? あまくねえな……」

「甘いわけあるかっ! ただの乾いた大麦だぞ!?」

「ん? なんで?」

「なんでって、お前……」


 さとー


 ヨシツネの半開きの口からは、そんな音が漏れる。今日の午後から、彼はこれ以外の言葉を喋らなくなった。そんな彼を見て、


「はっはっはっ! 良い気味だ! これに懲りたらリコに近づくなよ!」


 リコ父は笑っていた。しかし、その言葉はヨシツネには伝わらなかっただろう。


「は、ハルちゃん! ヨシツネは限界だよ! 人間性が欠片も残って無いよ!?」

「そ、そうだな」

「砂糖はまだなの?」

「明日には出来上がる」

「間に合う!?」

「分からんが、やるしかない」

「そうだね!」


 気合十分、リコは小さくガッツポーズ。

 果たして、ヨシツネは人として踏みとどまることができるのか。

 知らんけど。


「で、リコ。例のモノは?」

「うん。持ってきた」


 取り出したのは、すり鉢とすりこぎ。


「これで、乾いた大麦をすり潰すんだよね?」

「ああ」


 ごーり、ごりごり、とリコは大麦をすり潰し始める。


 俺は、集めた廃材を燃料に、焚火を熾す。それから五徳に、水を張った鍋を乗せる。家から持ってきた米を投入。そのまま火にかける。


「ハルちゃん。できたよ!」


 それは、きめ細かい粉になった大麦だった。


「どうかな?」

「ああ。十分だ」


匙でかき混ぜ、時に水を足しながら、ドロドロの粥になるまで煮込む。そこに、リコがすり潰した大麦の粉を投入。さらにかき混ぜる。鍋にフタをする。それから、焚火に灰を被せる。


「よし。あとはこの弱火に一晩かけて完成だ」

「……本当に、これで砂糖ができるのかな?」


 リコが不安げに問う。


「大麦も、お米も、ぜんぜん甘くないのにね」

「そうなんだよ……。本だと、できることになってるけどな……」


 実際、作るのは初めてなのだ。フタを開けるまで結果は分からない。俺も少しばかり不安だ。そんな気持ちを察したのか、


「大丈夫! きっと上手く行くよ!」


 リコは朗らかに言う。


「ああ。ありがとう」

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