最終話

    ■     ◆     ■




「やぁ、タカ。懲りもせず今日も来たんだね」

「あぁ、性懲りも無くまた来た」

二階から地上を見下ろしていた少女、吉姫は、訪れた客に向かって爽やかに声をかけた。

今夜は満天の星空、夏の大三角もはっきり見える程に雲の陰一つさえ存在しない。

タカは相変わらず爛漫に咲いている庭の罪病の花を横目で見ながら、吉姫の家の扉をノックする。

「……どうぞ、タカお兄様」

タカの呼びかけに応じたのはセカイだった。

タカはその言葉に小さく頷き、小声で「失礼します」と言いながら玄関の扉を開ける。

昨日までは一階まで咲いていなかった罪病の花は、二階に続く階段の一部を侵食する程度まで咲き進んでしまっていた。

タカはそんな花を踏まないように気を付けながら、階段を昇っていく。

二階にある吉姫の部屋の扉は既に全開にされており、まるでタカを待ちわびていたようだった。

フローリングに咲いた罪病の花の光の粒子がタカの頬を微かに撫でる。

窓枠に力なく座る少女の姿は、幻想的な光景もあいまってか終幕直前のような雰囲気を醸し出していた。

「さて、今日はどんな話をしようか?前は出来なかった世間話でもしてみるか?私は最近のニュースも新聞も学生生活も何一つとして把握していないから、聞き専になるかもしれないがね」

「そこまで饒舌ならまだ当分罪病の花に消される心配は無さそうだな」

「……いや」

吉姫は首だけを動かし、美しい星空で一際輝く月を見上げる。

「もう身体が満足に動かないんだ。今朝からかな、ずっと身体が重く感じていてね。遅くて明日……早くて、今日。罪病の花にこの身を喰われる事だろうさ」

「……そうか」

タカは汗でにじんだ拳をぐっ、と握って、吉姫を見つめた。

そんな視線に気づいた吉姫は、月からタカへと目線を動かす。

「それで、タカはまだこんな私を救おうとしているのかい?」

「ああ。だから俺は今ここに立っている」

笑顔でありながらどこか寂しそうな表情へと移り変わった吉姫の表情は、月からの逆光で少年の目に入る事は無かった。

「物好きだね、君も」

何とでも言え――。

タカは心の中で呟きながら、罪病の花が咲いた部屋の中へと足を踏み入れた。

そして、お互いの顔がはっきりと見える程にタカが近づいた時、少年は口を開く。

「――初めて出会った時、お前は言ったよな。自殺を選んだことに理由はない……と」

「……ああ。確かにそう言った。そう言ったよ」

「でも、実際は違う。そうだろ?」

「……そう思った根拠を聞こうか。タカ」

タカは軽めの深呼吸をする。

いよいよ大詰めなのだ――と、心の中で自分を落ち着かせながら、タカは口を開いた。

「お前が学校に来なくなった時期の新聞に、とある一つの記事が載っていた。車両と車両の交通事故……死亡者が二人も出た、凄惨な事故について書かれた記事だ」

「……!」

吉姫の瞳が大きく見開く。

タカの目にもそんな彼女が映ったが、タカは口を止めず、言葉を続ける。

「死亡者の名前は記事にしっかりと載っていたよ。お前と同じ珍しい苗字の、人の名前がな」

「……やめろ、タカ」

「今思えば不思議だったんだ。俺がプリントを届けたあの日も、昨日も、そして今日もガレージが使われた形跡が一切無かった。それだけだったらただ両親が海外に行っていたりする可能性もあったが、一年前の時点ではお前の両親は先生からの電話に対応していた。つまり、お前の家には両親が少なくとも居たんだ」

「……やめるんだ、タカ」

「それに加えて、昨日の夕飯にも不自然な点があった。それはお前が出したハンバーグが三人分あった事だ。セカイの分があるのはともかく、俺を含めた三人分が当たり前のようにあるのはおかしい。翌日以降の分を作りだめしている可能性もあったが、お前が取り出した大皿にはぴったり三人分のハンバーグが置かれていた。これはつまり――」

「もうやめろ!」

腹に力を込める余裕さえ無いはずの吉姫から、タカの言葉を遮るような大きな声が放たれた。

それと同時に、吉姫の右目から顎にかけて、一筋の雫が流れていった。

「もう、それ以上……言わないでくれ」

震えた声色でタカに静止を伝える。

タカが言葉を止めた事で、二人の間には静寂の時が生まれた。

その森閑の時を裂いたのは、二人の様子を見る為に二階へと昇ってきていたセカイだった。

タカの背後に立っていたセカイは、泣いていた吉姫とそれを見るタカを交互に見て。

「――タカお兄様。お兄様は、吉姫お姉様の罪病の花の進行を止める為にここに来たはず。それなのに、ただでさえ残酷な『真実』を突きつけるのは、吉姫お姉様を助ける事からかけ離れてしまうのでは?」

「いや……これで良いんだ。これで――」

タカは自分の頬を指先で掻きながら、吉姫へと視線を移す。


「これで。俺は、お前を助ける『理由』と『言葉』を作る事が出来た」


「「――え?」」

セカイと吉姫は、視線をタカに集中させる。

「昨日までの俺は早計だった。吉姫がどういった理由で孤独死を望んだのかさえも知らぬまま、吉姫を助けるなんて無責任な言葉を吐いていた。だが――今の俺は違う。今の俺は、吉姫が『両親を失った苦しみで孤独死を望んでいる』という事を知っている。だからこそ、お前にかけるべき言葉を見つける事が出来た」

タカは吉姫の部屋にずかずかと入り込み、罪病の花を踏み散らしながら少女の右手を取る。

蹴散らされた青い花弁が外から入り込む風で舞い上がる。

その勢いのまま、少年は言葉を口にした。


「吉姫!俺がお前の失った家族の代わりになってやる!だから死ぬな!」


――まるで、プロポーズのような言葉を。

満ちた月の優しい光が、少年の僅かに火照っていた顔を照らす。

そして、タカの言葉を聞いて一瞬ぽかん、としていた吉姫は頬を僅かに膨らませて。

「……ぷっ、くははっ」

空いた片方の手を自分の口元に運び、小さな口を開いてけたけたと笑い始めた。

「……俺は真面目だぞ、吉姫」

「いや、それは分かってるんだが……はは、いやぁ何というかね。自分が想像していた引き留めの言葉と乖離していたというか……ははっ、あはは……」

先ほど見せた涙とはまた違う涙を流しながら笑い続けた吉姫は、やがてその笑顔を潜め、昨日タカに見せたものと同じミステリアスな微笑みを浮かべる。

「……それよりも、だ。タカ……よく、私の嘘を見破ったね。私はこの嘘を墓まで持っていくつもりだったが、お前によって掘り起こされてしまったよ。……思い出したくない、あの事件の事も、私の心境の事も」

「……」

吉姫はタカの手を握ったまま、窓枠から罪病の花畑へと降り立つ。

既に立つ力もあまり残っていないのか、タカに寄り添いながら、吉姫は口を開く。

「おっと……でも、勘違いはしてほしくない。タカはむしろ、私の恩人だ。『現実』からは目を背けてはいけない、それを最期に教えて貰えただけでも、私は幸せ者だ」

「最期なんて言わないでくれ。……これからもお前は生き続けるんだ。家族の分まで――」

タカが言葉を言い切る直前、吉姫の身体の内から青い粒子が溢れ始める。

そして、彼女の身体がうっすらと透明化していく。

松阪が言っていた『罪病の花による死』が、吉姫の身体を蝕み始めていた。

「吉姫ッ!」

タカは叫びながら手を握ろうとしたが、その左手は空しくも空気を掴んでいた。

吉姫はそんなタカの行為を見て、普段に比べて力の無い笑顔を浮かべた。

「そうか……もうそろそろか」

「吉姫……」

「そんな悲しそうな顔をするなよ、タカ。たかが会って一日二日の関係だろう?そんな奴の最期くらい、笑って見送っておくれよ」

吉姫は、満月に負けないくらいの満天の笑顔を最期、タカとセカイに見せた。

月を背景に見せたその笑顔は、儚くて、そして美しいものだった。

タカはそんな彼女を、月に行くかぐや姫を見送る爺のように。

「あっちの世界でも、元気で」

涙を流しながら、可能な限り口角を上げて吉姫に伝えた。

吉姫はタカの姿を満足そうに見届けた後、窓枠に足を乗せて、外へと足を踏み出した。

「ああ。それじゃあ――また、来世」

そう吐き捨てた吉姫は、空を飛んだ。正しくは『吉姫の粒子が』だろう。

窓から飛び立った吉姫の全身は青い粒子へと変換され、そして風に流されていった。

タカは自分の目から溢れていた涙を手の甲で拭って、その場に立ち尽くしていた。

「……タカお兄様」

セカイがタカの服の裾を引っ張る。

「吉姫お姉様の記憶は……どうなされますか?」

タカの答えは、言わなくても決まっていた。




     ■     ◆     ■




「それにしてもタカ君、雰囲気変わったよね~」

吉姫が罪病の花によって消滅した翌日、金曜日の放課後。

普段と変わらない夕焼けが差し込む教室で。

普段と変わらない生徒達の喧騒を聴きながら、タカと霧島は机を合わせて会話をしていた。

「雰囲気が変わった……?」

教科書類を学生鞄に詰め込んでいたタカは小さく首を傾げながら霧島の方を見る。

「うんうん。なんていうか、前より壁が無くなったように感じるよ。全体的に明るくなったっていうか。いやあ、話しかけやすくなって嬉しい事ですなぁ」

霧島は椅子の背もたれを掴んで「にひひ」と笑顔をタカに向けながら言った。

「全体的に明るくなったって……分かるものなのか?そういうの」

「それは勿論。普段からタカ君の事をきちんと観察してるからねっ」

「……観察?」

「あ、いや、観察っていうのは言葉のあやっていうか!そんな露骨に引かないでよ!」

椅子の上で身を引いたタカに向けて、焦りながら両手を伸ばす霧島。

傍から見たら仲睦まじい男女のようにも見えるこの光景は、一週間前には恐らく見る事が出来ないものだった。

「……あれ、そういえば今日の放課後、新聞部の活動か何か、あったっけ?」

「いや、俺が知る限りは無かったはずだが」

「なんで私、放課後に残ってるんだろ」

「それは――」

『――あいつの家にプリントを届ける為じゃないのか』

彼女の事を覚えているのは自分だけのはずなのに。

不意に口に出そうになった言葉をタカは呑みこんだ。

「……それは?」

「――残りたくなったから残ったんだろ。特に理由なんて無いんじゃないか?」

「……ん。そうかもね」

今は亡き『誰か』の言葉を借りた少年は、窓の外へと視線をやる。

そこには幽かに、青い粒子が飛んでいる気がした。


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罪病の花 村上 響 @yuzu-hatsuka

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