日本が嫌いになった日

 あらかじめ書いておきます。とてもじゃないですがネガティブな記事なので読みたくない方はお気を付けください。



 さて。私の住んでいる街にもコロナウイルスは当然やってきてます。

 このエッセイでは度々書いていますが、私の住んでいる街は飲食店の非常に多い商業都市です。ほとんどの店が自粛という言葉の元に店を閉めています。

 そんな中で、それでも営業を縮小したり昼営業に切り替えてみたりして開けている店がいくらかあります。

 ここまで書いて思ったのですが、皆さんは今時必要もない部類の飲食店が店を開けていることをどう思いますか?

 悪いことだと思いますか? それとも別にいいじゃないかと思いますか?

 聞いといてなんですが答えはないです。自粛と言われて休業の要請までされてこの事態の最中に店を開けているんですからいいこととは言えない。でもその一方でお店だって開けたくて開けてるわけじゃないからです。

 じゃあどうして開けてるんでしょうか?

 そこは答えがあります。『自分たちの生活を守る』ためです。

 今行政から不要不急の関連施設は自粛休業の要請が出ています。ぶっちゃけこの言葉、不要不急とか自粛とか要請とか、全部嫌いになったんですがそういう状態です。

 これの理由は皆さんご存知の通り、コロナウイルスの蔓延を防ぐためです。つまり言い換えると『人間の命を守る』ためですね。

 でも行政は人間の命を守る動きをしても、生活を守る動きはしてくれません。

 私の住んでいる街、ひいては県では休業する施設に補償金が出ることが決まりました。でもその条件は『4月中の7割を休業とすること』だそうです。そしてこれが発表されたのは4月の半ばです。つまり『保証が発表される前から自粛していた店』しか保証がもらえないそうです。

 もちろん自粛が要請されてるんだからもっと前から自粛しとけとか言うこともできます。でも保証がない中で店を閉めるということは生活を支えるお金が途絶えるということです。大企業のチェーン店などは違うかもしれませんが、個人営業の飲食店はそのほとんどが日々の稼ぎで資金繰りをしてつないでいます。その在り方がいけないわけではなくて、むしろそうするしか営業する方法がないからです。

 だから多くの店は涙をこらえて店を閉じるか、自粛の要請に沿う形で営業時間の短縮やテイクアウトに乗り出したり、営業時間を夜から昼に変えてみるなどの努力をするかに分かれたわけです。

 そうです。結局生き残るために努力したお店が保証をもらえなくなっているんです。

 命を守るのは当然だと思います。でも、生活が守れないのは本末転倒です。生き残っても住む家がない、働く店がない、生きる場所がない。それでは意味がないのです。

 そして結局、今この街では店をたたんだ人か営業するしかなくなっている人かしかないのです。いや、まだ完全にたたむしかないってわけじゃないのかもしれませんが、現状が続くならたたむしかないでしょう。

 今不要不急の施設が営業しているのはいいのか悪いのか。これに答えはないんです。だけど、良くもなければ悪くもないのです。だってどちらにしても自分が守りたいものを守るためにそうするしかなかったのだから。

 そして今日、血縁の人間に言われました。「この事態で休業してない店の方がおかしい」というようなことを。

 営業している店を悪く思ってしまうのもわかります。実際に陰口叩かれたり評判が落ちたりしているのもわかります。でも実際にそうすることが正しいわけではないはずです。

 だから。

 営業している店を悪く思う一般人も、営業するしかない店を助けようとしない行政も、すべて。

 日本という国が嫌いになった日でした。


 蛇足ですが、私からお願いがあります。

 この中でお店を開けている人、好きなお店を残したくて外に出る人。そういう人たちを叩くようなことはしないで欲しいとそう思うのです。

 わかって欲しいとも許してほしいとも思っていません。悪くもないけど正しくもないのだから。

 でも、そういう人たちのことを何も考えずに貶すのは、自分の品位の低さをさらけ出すだけです。

 何も言わずにただ、そっとしておいてください。

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