ヘンリー王子の幸福

 リリアは冷たい石畳の上で静かに壁を睨む。冴えた頭では眠ることもできず、目を閉じれば仲間の死顔がチラついた。


 乾いた靴音と共にカンテラを持ったヘンリーが姿を現した。視界の端に捉えつつも、顔を向けることはない。細やかな抵抗だった。


「ヘンリー……どうして計画が分かったの?」


 ヘンリーが口角を歪め、ポケットを弄ってサファイアの『天の涙』を取り出した。


「アランの周辺には元々スパイを紛れ込ませていたんですよ。アーティファクトを持っている可能性もありましたし、亡国とはいえ王族の彼を中心に据えれば大義名分になりますからね」

「親友だと言っていたのは嘘だったの?」


 ヘンリーを睨む。叶うならば掴みかかりたかったが、手の鎖がそれを阻む。舌打ちを一つして座り直す。


「……嘘ではありませんよ。打算は多少ありましたが、彼の幸せを願う心に嘘はありません。今、彼が生きているのも僕が『血の涙』を使ったからです。最も、もう二度と自由に出歩くことはできないでしょうね」


 アランが無事だと分かり、思わず滲む視界を気合で押さえる。泣けばいいものを、今までの生活で染み付いた強気な性格が許さなかった。


「そう……彼は無事なのね。それで首謀者の私を処刑してハッピーエンドという筋書きかしら?」


 目を閉じて赤い目を細めて笑うアランの顔を思い描く。彼には酷いことをした。愛してると囁く彼を利用して、こんなことに巻き込んでしまったのだ。貴族社会に迎合できなかった自分の我がままが招いたことだ。協力してくれたソフィアの手助けも出来ず仕舞い。


 貴族にも平民にもなりきれなかった中途半端な自分にはお似合いの末路だ。


 自嘲気味に笑う。惜しむべくは父の死顔を拝めなかったことか。それももはやどうでもよい。


「何を勘違いしているのか知りませんが、僕はあの件について誰も処刑しませんよ?」

「優しさを見せているつもりかしら?更なる反乱を招くわよ」

「彼女との約束なんですよ。僕を愛する代わりに誰も処刑しないでって」


 ジュリアのことを指しているのか。だが記憶にある彼女とまったく食い違う言動に困惑を隠せない。


 ◇◆◇◆


『あなた、リリアっていうの?位は?』


 質問に答えるとジュリアは扇で口元を隠す。取り巻きの貴族からも失笑が湧いた。


『侯爵と仰いました?平民の間違いでしょう?』


 ジュリアはジュースの入ったコップをリリアの頭上で傾ける。


『あらあら、これでようやくお似合いな格好になったわね』


 すれ違いざま、彼女が耳元で囁く。


『あなたは父親に媚びを売るのがお似合いよ。身の程を知りなさい?』


 この屈辱を決して忘れるものか。必ず貴族を一人残らず滅ぼしてやる。取り巻きを連れて去る彼女の背中を見送った。


 ◇◆◇◆


 彼は自らの体をかき抱くように抱きしめる。


「なんて優しいんでしょうね?教えられた通りにしか優しく出来ない僕と根本的に違うんですよ、彼女は」

「ジュリアが……?」

「ああ、もう帰らないと寂しい思いをさせてしまう。とにかく、手続きが済むまで大人しくしていてください」


 リリアの叫ぶ声などお構いなしにヘンリーは足早にその場を立ち去った。一人、取り残されたリリアは膝を抱える。


「ジュリアが私を助けるために……?なんでそんなことを……?」


 隔絶された独房のなかでリリアの呟きに応えるものは誰一人としていなかった。

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どうあがいても死あるのみ!〜もしかしてスローライフな人生は送れない!?〜 変態ドラゴン @stomachache

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