ヘンリー王子と決着をつけよう

 青々とした植物の葉を血の滴が滑り落ちる。群青の下、燻んだ鎧を纏う兵士と皮を舐めした鎧を身につけた集団が激しく斬り合っていた。

 もはや怒号にしか聞こえない呪文と悲鳴が飛び交う。


 周囲の喧騒などものともしないソフィアとヘンリー。二人は互いを牽制し合っていた。


「使用人にしておくにはもったいない腕前ですね。例え相討ちになっても僕を殺す気でいる」

「ええ、ジュリア様に仇する輩は一人残らず殺します」


 爛々と輝く瞳でヘンリーを見据え、ソフィアは油断なくナイフを構える。彼女の直感は彼が強者だと警報を鳴らしていた。


 スゥッと息を吸い、一瞬で間合いを詰め、喉笛を掻っ切らんとナイフを横なぎに振るう。


「まずは足からいきましょうか」


 ヒラリと身をかわし、すれ違い様にレイピアがソフィアの膝を斬りつける。


「グッ、はやい!?」


 呻き声をあげながらソフィアが距離を取る。剣術を嗜んでいないが、その動きは素人のものではないと気づく。


 焦りを見せたソフィアに対し、余裕の笑みすら浮かべたヘンリー。己の勝利を確信した彼は、決着をつける為に勝負に出る。


「これで素早い動きは封じました。さあ、その足で僕の攻撃を凌げますか!」


 素早い突きに翻弄され、怪我をした足では満足に避けられないソフィア。やむを得ずナイフで凌ぐ。


 一突き。ソフィアは己とヘンリーとの実力差をまざまざと感じた。天賦の才と経験、そのどれもが遠く及ばない。


 二突き。ヘンリーの自信に満ちた表情から手加減されていると確信した。彼にとってはジュリアに強さを見せつけ、支配する為の余興なのだ。


 三突き。直感が告げた。ソフィアの勝利は一つだけあると。それはたった一瞬の、それこそ瞬くような隙が存在した。


 極限まで神経を張り巡らせ、繊細な動きが得意なソフィアだからこそ気づいた弱点だった。


 突きを繰り出す直前、僅かにヘンリーが体を捻る。凌ぐのをやめ、しなったレイピアの剣先が腹を切り裂く痛みを堪えながらナイフを心臓に突き立てる。


「もらったァッ!!」

「ぐあっ!貴様、よくも……!!」


 ナイフを突き立てられたヘンリーはよろめきながら壁にもたれかかり、そのままズルズルと背中を引きずりながら地面に崩れ落ちる。


 ソフィアも脇腹を押さえ、柱を支えに倒れるのを防ぐ。どくどくと溢れる血液は止まることなく体を伝って地面に吸い込まれた。


「トドメを刺さなければ……!」


 一歩また一歩とヘンリーに近づく。たった十歩程の距離だというのに意識が飛びそうだ。


 力無く項垂れ、ピクリとも動かないヘンリー。確実に息の根を止めようとナイフに手を伸ばす。その時、胸元のルビーのペンダントが輝く。


「そう簡単に僕を殺せるわけないでしょう?」


 伸ばした手を押さえ込まれ、首を掴まれる。持ち上げられ、呼吸もままならないソフィアは自由を求めて暴れた。


「どうやらあちらも片付いたようですね」


 ヘンリーがチラリと視線を向けると取り押さえられたリリアの姿があった。アランや他の仲間は既に地に伏し、呼吸の動きすらない。夥しい出血が彼らの死を物語っていた。


「僕の計画通りに、いや計画以上に動いてくれて助かります。安心してください、彼女は僕と幸せになりますから」


 悍ましい男の囁くような声に人間とは思えぬ力で締め上げられる気道。酸素不足と出血で遠退く意識の中で薄らとジュリアの悲鳴が聞こえた気がした。


 ◇◆◇◆


「ソフィア!目を覚ましてよソフィア!」


 目を閉じたまま動かなくなったソフィアを揺さぶる。純白の手袋やドレスが血で染まるけど、そんなことはどうだってよかった。


「リリアは独房に放り込め。他の兵士は残党を処理、使用人は死体を墓場に持って行け」


 冷静な声で指示を飛ばすヘンリー。彼は隣に膝をついて私の肩に手を置いた。


「何故彼女たちが死んだのか、きみならよく分かりますよね?」

「アンタと兵士が殺したのよ!このーー」


 罵倒しようとした言葉はヘンリーに顔を掴まれて阻まれる。


「殺したのはきみだよ。きみが大人しく運命を受け入れていればこんなことにはならなかったんだ。可哀想なソフィア、きみが『助けて』って言うから助けないといけなかったんだ」

「私のせい……?」

「ソフィアはきみに仕える人間だ。前に言っただろう、『住む世界が違う』んだ。それにーー」


 彼が言葉を切る。


「僕が一度でもきみを怪我させたかい?殺そうとしたかい?違うよね?僕はきみに優しく接したはずだ」

「違う……私、知らなかったの……。助けるって、逃げるんだって思って……」


 彼がニコリと微笑んだ。さも慈愛に満ちた聖母のような、それでいて凍りつくような瞳で私を見据える。


 抱えたソフィアの体と血が染み込んで冷たくなった手袋の感触がねばねばと思考に絡みついてきて、なんだかヘンリーの方が正しい気がしてきた。


 私がもっと上手くヘンリーを相手に立ち回れていればこんなことにはならなかったんじゃないか?私がヘンリーを受け入れていれば誰も死ななかった?


 認めたくない現実と血の匂いとヘンリーの言葉が頭の中を反芻して私はーー


「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

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