第14話 リューガは風呂ギライ

 ゴブリンとの遭遇から三日過ぎた、ある日の事。

 たまの休みで家にいたベネットは、庭に出て空模様を確認した。

 日射しは暖かく風もない、雲一つない快晴である。

「今日は天気が良いから、風呂にしよう」

 屋内に戻って告げると、妻のマレーナと娘のティアは大喜び。

 温かい風呂は手間暇が掛かり、それなりに贅沢なのである。

 ベネット一家総出で、入浴準備が始まった。


 その時リューガは、居間のソファーでウトウトしていた。

 朝食を終えてお腹がいっぱいになり、眠気を催したのである。

 食欲と睡眠欲に忠実なのは、犬だった前世と変わりない。

 しかし家の中が騒がしくなると、何事かと上半身を起こした。

「おい、水汲みを手伝ってくれ」

 食っちゃ寝の居候の頭を、ベネットがポンポンと叩く。

 リューガは大口を開けて欠伸をしてから、首をひねった。


 リューガを連れて庭に出たベネットは、物置小屋から大釜を持ち出した。

「ここに水を注ぎ込むんだ」

 庭に設置されたカマドに大鍋を据え、リューガに説明する。

 井戸で汲み上げた水を、リューガにバケツで運ばせるつもりらしい。

「リューガくん、できそう?」

 マレーナは心配そうに確認する。

 大鍋を満たすには、重いバケツを何度も運ばなくてはならないだろう。

 華奢なリューガには荷が勝ちすぎると、彼女は思っているようだ。

 軒先で井戸の水を汲み上げてながら、ベネット隊長は妻の心配を笑う。

「まあ、見てろって。ほら」

 バケツを受け取ったリューガは、一目散に駆け出す。

 水で満杯になった木製のバケツの重さをまるで感じさせない、軽快な走りである。

 あっという間にカマドまで移動して、ざばっと大鍋に水を注いだ。

 そして飛ぶように戻ると、ポイっとベネット隊長にバケツを放り投げる。

「まあ! 凄いのね、リューガ君!」

 リューガの身体能力のレベルの高さに、マレーナが驚く。

 褒めそやす彼女に、リューガはひしと抱き着いた。

 彼女の豊かな胸元に、ぐいぐいと頭を押し付けておねだりする。

 じゃれつく少年に苦笑しながら、マレーナは頭を撫でてやった。

「…………お前達、すっかり仲良くなったよな?」

 再びバケツに水を注ぎながら、ベネット隊長がこぼす。

 日中ずっと一緒にいる自分より、妻に懐くリューガに納得がいかない。

 しかし、それは至極当然なのである。

 ゴハンを与えてくれる相手に全力で媚びる、それがリューガなのだから。


「ティアも! おとうさん! ティアもやる!」

 幼い娘が、父親の膝に抱き着いて訴えた。

 母親が他所の子を褒めるので、対抗心を燃やしたのである。

「いや、ティアには無理だろ?」

 木製のバケツは、空っぽでも幼い子供の手に余る重さなのだ。

「できるもん!」

 ティアは意地になってしまい、困ったベネットが頭を掻く。

 するとマレーラが家から木椀を持ってきて、駄々をこねる娘に渡した。

「ティアはこれでね?」

「うん!」

 木椀に水を注いでもらったティアが、こぼさないように恐る恐る運ぶ。

 すると何を考えたのか、リューガはその後ろに付き従う

 両親が見守る中、ティアがカマドの前にたどり着いた。

 しかし背が届かず、大鍋に水を注ぐことができない。

 彼女が泣きそうな顔になると、ひょいっとリューガが木椀を取り上げた。

 ぱしゃっと大鍋に水を注ぎ、ぶっきらぼうに木椀を返す。

「ありがとう! おにい――」

 少女が礼を言い終えるよりも早く、リューガは駆け戻る。

 再びマレーナに抱き着き、ぐいぐいと頭を押し付けた。

「ティアのお手伝いをしてくれて、ありがとうね」

 将を射んとする者はまず馬を射よ、ということなのか。

 人間になったリューガは、小賢しさを身に付けたらしい。

「ズルい! ティアもー!!」

 幼女も一生懸命走って戻り、母の膝に抱き着く。

 マレーナは穏やかに笑いながら、二人一緒に頭を撫でた。


 それから競うように、リューガとティアは大鍋に水を運んだ。

 マレーナが竈に薪をくべ、湯を沸かし始める。

 水汲みを終えたベネット隊長は、今度は大きなタライを運んできた。


 ――その時点で、リューガは何やら悪い予感を覚えたらしい。

 だんだん落ち着きがなくなり、挙動不審になる。

 ベネット隊長が大鍋から湯をタライに注ぎ、水を継ぎ足して温度を調整した。

「よし、いい湯加減に――――、なにしてんだ?」


 マレーナが、ジタバタともがくリューガを抱きかかえていた。


「リューガくん、お風呂が嫌いみたいね?」

 こっそり逃げ出そうとしたところを捕獲したらしい。

 逃げ出そうとするリューガを押さえて、次々と衣服を剥いでゆく。

 そしてまる裸すると、湯の張ったタライに下ろした。

「おにーちゃん、きれいにしようねー」

 バシャバシャとお湯を浴びせながら、ティアが笑う。

「ほら、大人しくしてろよ」

 ベネット隊長が、タオルでごしごしと背中を拭ってやる。

 すっかり観念したのか、リューガはピクリとも動かない。

 しかし哀れっぽい調子で、鼻を鳴らした。

「だめでしょ、乱暴にしちゃ」

 夫に注意したマレーナは、目に入らないように気を付けながら頭に湯を掛けた。


(…………のどかだなあ)

 ニケはその時、タライの脇の地面に転がされていた。

 たまに振りかかる飛沫に濡れながら、リューガ達を見守る。

 まるで一家そろって、ペットの犬をお風呂に入れている感じだ。

 それがまた、リューガには似合い過ぎているほど似合っていた。


(やっぱり無理なのかなあ。いやでもなあ……)

 リューガがゴブリンから逃走して以来、ニケはずっと彼を観察している。

 安全確保のため、リューガの身体能力の向上は必要不可欠。

 だから原住生物を倒してエーテルを吸収、促成強化する。

 それが一番手っとり早く、効率的な手段だと確信していた。


 しかし、されるがままに洗われているリューガの姿に、自信を失ってしまう。

 前世は一般家庭の飼い犬、愛玩動物だったのである。

 なのにゴブリン相手に、剣を抜いて殺し合えとか。

(…………そりゃあ、尻込みもするわよねー)

 ひどい無茶ぶりだと、本当はニケ自身も分かっていたのだ。


 身体を洗い終えると、リューガはタライから飛び出した。

 マレーナがすぐさま捕まえ、びしょ濡れの髪と身体を拭う。

 くすぐったいのか、リューガは身をよじって悶えた。


(女神さまー、どうしたらいいんでしょうねー?)

 創造主に助けを求めてしまう、ニケであった。

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犬から始まる転生物語~鈴木竜牙と転生女神~ 藤正治 @corobuta

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