ショタ御曹司が大福を食べるだけのお話

手之埼 照@連載中

本編


 皿には、たった一つの大福があった。

 なんてことはない、ただのおやつだ。


「………………ふむ」


 しかし、九条グループ御曹司────九条綾斗の目にはそう映っていない。それはまるで今にも彼を巻き込もうと、爆発する寸前のダイナマイトのようであった。


 彼の洗練された審美眼の前では、如何なる偽装も透明なガラス同然に丸見えなのだ。


「どうしました坊ちゃん?」


 そしてそんな大福を差し出した張本人は、素知らぬ顔で綾斗の横に待機している。

 フリフリのメイド服とは似つかわしくない、冷ややかかつ清淑な雰囲気の女性。絹糸のように艶のある黒髪だけが僅かに揺れているが、彼女自身は一切顔を寄越さず前だけを向いていた。


黒坂くろさか、これは何だ?」

「見ての通り。私が丹精込めて作り上げた自信作です」

「ほう……」


 黒坂が綾斗お付きのメイドとなったのは一月ほど前。元々は祖父に仕えていたのだが、彼が急死してから直ぐに着任したのである。


 常に冷静で、まるで機械のような仕事ぶり。あらゆる動作が驚くほど丁寧で洗練されており、気難しいことで有名だった祖父の下に一年近くもいたのも納得であった。


「黒坂が大福を手作り……か」


 しかし、綾斗は彼女を信用してはいない。理由は至極単純────なんか恐いから。

 本人はただのメイドだと言い張っているが、どう見ても威圧感がカタギのそれとは思えない。


 それに綾斗は普段から何かを探るような視線を感じることも少なくなかった。勉強中、通学中、入浴中……あらゆる場面で背後から誰かに見られているような感覚になる。彼の隙を伺うような、ザラザラとした嫌な視線だ。


「坊ちゃん?」


 以上のことから綾斗は黒坂を、自らの命を狙う暗殺者であると予想していた。御曹司という立場上そんなこともあると覚悟はしていたが、いざ相対してみるとかなり緊張する。


 とはいえ、そんな彼女が手作りの大福をわざわざおやつに出しているのだ。もはや率直に「死んでくれ」と言っているようなもの。

 回避するには主として堂々と断ればいい。たったそれだけのこと────なのだが。


「…………黒坂」

「はい。何でしょう」

「……ん………………その…………」


 言い出せなかった。チラチラと顔色を伺ってみるけれど、黒坂の鋭い目つきと衝突してついつい顔を逸らしてしまう。暗殺者であることに気付いたことがバレたら、そのまま物理的に殺されるのではないかという心配が頭を支配するのだ。


 しかし言わねばどっちにしろ死んでしまう。綾斗はIQ180の頭脳をフル回転させ、なるべく自然に、かつ効果的なカウンターとなる返答を考え出した。


「ど…………毒見をしてはくれないか?」


 言った。

 彼女が現時点で最も恐れているであろうその言葉を。どんなに情で訴えかけても関係ないと捨て置く、彼の非情な一言を。

 溢れだしそうになる汗を必死に抑え、綾斗は平静を装う。決して動揺を悟られぬように毅然とした態度を貫いた。


 そうして長い沈黙……聞こえていないわけではない。事実、綾斗が決死の覚悟で放った一撃から明らかに空気が重くなっている。


「……………………」


 この間は何だ?

 まさか本当に聞こえていない?

 全部ただの勘違いで、単にショックを受けているだけ?


 様々な考えや憶測が綾斗の脳内を飛び交うも、どれも決定打に欠ける。そして同時に今この時点で彼女がどんな顔をしているのか、それを知ることが最適解だと結論付けた。


 そんなとき、先ほどから前方を向いていただけの黒坂の目が、ギョロっと。斜め下に鎮座している主の姿を捉えた。


「私が坊ちゃんに毒を盛ったと……………そう仰るのですか?」

「────っ!」


 背筋を何かが走り抜ける。背後から真っ二つに斬られたのかと錯覚するほどの寒気が、その一瞬で綾斗の身体を駆け巡った。


 我慢していた震えや発汗がせきを切ったようにあふれ出して止まらない。即座に土下座で許しを請わなかったのは、上に立つ者のせめてものプライドであろう。黒坂の声色はそれほどまでに重く昏く、そして威圧的なものであった。


「そう言って…………………は、いない。ただ、その……少し。そう、少し気になっただけだ。すまん、食う。食うから許してください」


 ついには使用人へ敬語で話してしまう始末。威厳のある九条グループ御曹司のプライドは、メイドの一言でゴミ箱へと投げ捨ててしまった。


 まるで頭に銃を突き付けられたがごとく圧倒的な威圧感に負けた綾斗は、頭の中が真っ白になったまま皿に乗った大福を手にして────ついに食べた。












「うまっ!」



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