第三章
目指すは深林の、外の世界!
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「ここからだなあ」
おいらは、ニーナと熊と一緒に毒々しい紫色をした沼を見下ろしていた。
見ただけで渋い表情をしているのが、自分ではっきり分かる。
「いつも思うけんど、有名なんだったら手入れくらい誰かしてくれないかね」
誰も寄り付かない【深林】にそれはあり得ないと分かりつつも、おいらはつい愚痴を溢してしまう。
この沼ーーー【死廃の沼】は、実は知らない者を探すのが難しいくらい本当に有名な沼なのだ。
なぜ深林にそんな名前のある有名な沼があるのかと言うと、簡単な話、もっと有名な言い伝えがあるからである。
〜〜〜〜〜それは昔、まだ誰もが魔法という法則を使えていた頃にまで遡る。……とは言っても、本当かどうか分からない言い伝え程度の話だけんど。
当時、人の数以上に存在していたらしい魔法を操る獣ーーー【魔獣】に人々は苦しめられていた。
魔獣はいくら倒しても切りが無く、減っていくのは人間たちばかりという最悪の日々。
『明日は自分が魔獣に殺されるかもしれない。』
人々は心休まる日を一時として過ごすことが出来ないでいた。
そこで、世界各国の賢者達は、どうにかして魔獣を一掃出来ないものかと知恵を出し合った。
そして、ある日、一人の賢者が“とある方法”を思い付いた。
それは、長い戦いにより傷ついた大地を介して、魔獣の生まれる出る素となる原因を賢者達の大魔法によって遮り、その大地ごと封印してしまおうと言うものだった。
かくして行われた作戦は大成功に終わり、世界は救われたのでした。〜〜〜〜〜
今のは簡易的な子供が親から聞かせられる話だが、詳しい言い伝えにはその荒れ果てた封印場所の大地に出来た森が【深林】であり、周りを囲うように広がっているのが【死廃の沼】であると語られている。
元はおいらたちのいる向こう岸とは、真っ直ぐ平らに繋がるただの平原だったらしい。だけれど、一眼見た感じではとてもそうとは思えない。
いくら有名な言い伝えとはいえ魔法を使った事がないおいらにとっては、大地が凹んで紫色をした沼が出来上がるなんて、こうして見ている今でもいまいち信じられない。
参考程度に熊が魔法を使っていた姿を思い出してみるが、目を光らせて意思を伝えたり、目を光らせて身体を丈夫にしたり、さらに目を光らせて力を強くしたりとか、そういう程度でしか見たことなかった。
正直、目が光る意味も分からない。
まあ。
所詮は言い伝え。本当かどうかは、魔法を使った賢者達にしか分かりはしない。
それでも昔話にせめてもの感想を述べるとしたら、平地が無くなったのなら橋でも掛けておいてほしいと言うのが、おいらの本音である。
もう一度、【死廃の沼】を見下す。
ポコポコと水面に泡を噴くその沼はまさに禍々しく危険なものだと分かる。臭いもやや刺激があり、あまり嗅いでいたくない。出来ることならすぐにでも家に引き返したい所である。
だが、そうはいかなかいのが今日という日なのである。
「ここを越えて外に出るんだべ」
おいらは沼を超えた先にある対岸を見て、もう一度、覚悟と気合を入れ直した。
【深林】を出てニーナの家族を探しに行くのだ。今更、不安がったって仕方がない。おいらが不安になれば、ニーナがおいらを心配して不安がってしまう。ニーナだって、外での暮らしは初めてなのだ。おいらがしっかりしなくては。
それに、例えニーナの家族がすぐに見つからずとも、町に入れれば冬だってここよりかは酷くないはず。
大丈夫。
大丈夫だ。
「グフォウ」
そうして握り拳を硬くしていると、同じく沼を見下ろしていた薄茶色の毛並みの熊がおいらの脇腹を鼻で突いてきた。
「なんだべ?おまえさんも不安なのか」
「…………」
幼いころからニーナの親代わりをしてきた熊は、おいらの声を聞いているのか聞いていないのか曖昧な様子ですぐに顔を戻してしまう。
沼を越えるにあたって今回、熊は要の存在だ。
家畜達を乗せた荷車とその他必需品を乗せたおいら達の乗る荷車を牽引しながら向こう岸まで渡るのである。
流石に魔法が使える熊でも今回ばかりは厳しいのだろうか。
そう思ったのだが、熊は沼を見下ろしながら伏せて大きな欠伸を一つした。
「大丈夫そうだべな。頼んだぞ、熊」
なんとも余裕そうでなによりである。
お陰でおいらも少し気が楽になった気がした。
「ァアアア……ァアアァ…………ァァ」
そんな最中、沼のあちこちから奇怪な声がおいらの耳に届いてきた。
今まで敢えて聞かないふりをして、その声を発する主から目をを逸らしていたのだが、心に余裕が出来たからか、無視出来なくなってきてしまった。
代わりに空を見上げてみるが、
「ァアアァ…………ァァ」
(ダメだ。聞こえる)
自己主張が激しい声は耳にこびりつくように聞こえ続けている。
「背筋が寒くなるから嫌なんだよなぁ。ほら、ニーナあんまり見ないの」
実は【死廃の沼】は、ただ汚い禍々しく毒々しい色をした沼ではない。これこそ信じられないことだが、亡者が人の形を成して呻き声を上げながら歩き回っているのである。彼らは絶対に陸に上がって来ず、沼が広がる範囲しか行動しない。それはおそらく封印のお陰なのだろう。しかし、沼のある範囲であれば、彼らは無尽蔵に湧いてくるのだ。
「「ァアアァア……アアアア…………ァアーー!!」」
沼の水面から浮き出てきては呻きながら徘徊し、そして、悲鳴を上げて崩れていく。
沼は彼らによる不協和音で賑わっていた。
【深林】が恐れられているのは、過去の封印跡地という神聖な場所という意味ではなく、これがあるからないかとおいらは考えている。
言い伝えに亡者達の存在は登場しなかった。きっとその存在はあまり知られていないだろう。噂を耳にしたとしても、きっと言い伝えの脚色だと笑われるに違いない。
「あいつら追ってくるからタチが悪いんだよなあ」
彼らに掴まれたら最期、おそらく沼に引き摺り込まれて出て来られなくなるだろう。
そう言えば、親が子供に使う躾文句に「良い子にしないと沼に放り込む」というものがあるが、もし世の中の親たちがこれを目にしたら、きっとそんなこと言えなくなってしまうだろう。
沼に引き込まれて亡者達と悲鳴をあげることになるなんてとてもじゃないが想像したくない。
考えただけでも鳥肌が立ってしまう。
「あーあ。あーあ!もんた〜!」
「こらこら、ニーナ。真似しないの。あと、あれはモンタじゃなくて亡者だから。おいらはあんな紫でもドロドロもしてないよ。緑だからねえ〜」
「もんたー!モーンータぁー!」
てっきりニーナは怖がると思っていたのに、何が気に入ったのか目を輝かせて興味津々である。
「あーあ!もぉんたあ〜!」
お願いやめて!
違うから!
いくらゴブリンが不細工でも、あれは似てないから!
あと、おまけに臭くもないから!
「あーあ!あーあ!」
「……はいはい、分かったからここで大人しくしててなぁ」
おいらは熊が引っ張ってきた荷車にニーナを乗せる。それでもニーナは荷車の縁から身を乗り出して眼下を覗こうとするので、蜂蜜の入った瓶を渡して興味を逸らすことにした。
「はすみしゅだ〜」
「良い子にしててな」
何かの拍子に沼に落ちたら大変である。というより、亡者に飛び付いて行ってしまわないかが一番心配だった。
「これからここを渡らなきゃならない。熊。おいらがこいつを掛けるから効果があるうちに突っ走ってくれ」
そう言っておいらは荷車の上で樽を抱えながら乗り出した。熊がフゴウッと鼻息を吐いて頷く。
この樽には湖の水が入っている。これを沼に撒くと沼が一瞬固まり、亡者達は溶けてしばらくの間出て来なくなるのだ。
この方法を見つけたのは偶然だったが、実際においらはその方法を使って何度か深林の外に出ている。今回もこの方法で外に出る算段である。
だけど、この方法もどこまで通用するか正直分からなかった。
旅に必要な諸々を積み込んだ荷車が二台。
それを引いて走る熊。
行けるだろうか。
ゴブリンが一人、荷物を抱えて渡るのとでは流石に違いすぎる。
考え始めると確証なんて何もない。
でもーーー。
「行くって決めたんだべ」
おいらは振り向き様に顔を合わせたニーナへ笑顔を作り、再び前へと向いた。
【死廃の沼】を挟んだ対岸までは意外と距離がある。湖の水が入った樽が片道で一つ、空になってしまうだろう。今回は荷車があるため、道幅を考えて沢山の水が必要になる。行きと帰りで四つの樽を用意したが、果たして足りるかどうか。
おいらは樽の蓋を開け、杓子を突っ込む。
目指すは対岸。
目的地はそのもっと先。
行くと決めたんだから、行かなきゃいけないんだ。
おいらは腹に力を込め、言った。
「いくべ!走れ、熊っ!」
「フゴォゥウッ!!」
掛け声と共に沼目掛けて杓子を振り払うと、熊がなだらかな斜面へと脚を踏み出し、そのまま水を掛けられて灰色に変色した沼へ突き進んでいった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
どっしどっし、と固まった沼の上を熊は順調に走っていっていた。
(よし、良い調子だべ!)
おいらは間髪入れず、一心不乱に杓子を振って水撒きをしていく。
熊も本気なのか、緑色の光を目に灯らせている。繋いだ荷車がぎしぎしと不穏な音を立てるが、この分なら問題なくいけるはずだ。
おいらはそんな気がしていた。
しかし、その予感とは裏腹に不安を掻き立てるように亡者達が絶えず、おいら達を追いかけてきていた。
だが、それもどうと言うこともなかった。
彼らは足が遅く、過ぎ去るおいら達に追いつくことは出来なかった。対して、行き先に立ちはだかるようにして現れる亡者たちは、湖の水に触れた瞬間灰色に染まり硬くなり身動き出来ない。それを熊が魔法なのか力尽くなのか、容赦なく蹴散らして進んでいく。
水もまだあるし、おいらも疲れが出てきたが、あっという間に半分を通り過ぎたところである。最後まで大丈夫だ。
「コケェッ!コッコッコッコケェッ!!」
「モォオオオ!!
牛と鶏が騒がしく鳴き声をあげ、荷車に括り付けた荷物は今にも落ちそうなほど上下を繰り返す。
しかし、そんなことお構いなくスピードは落ちなかった。
ニーナはと言えば、荷車の枠の縁から呻く亡者に手を振って笑い声をあげていた。やだもう、この子は!
「危ないから掴まってて」
隙を見てニーナを小脇に抱え、また水を撒いていく。
「よし、あとちょっとだ!!がんばれ、くーーー、っま!?」
熊に声援を送ろうとした瞬間、バギィッと嫌な音が荷車の下から轟いた。
危うく下を噛むところだったが、そんな心配をしている場合ではなかった。
嫌な音に合わせて前後二両の荷車が大きく波打って宙に浮いたのだった。
「うお、おおお、え!!?」
浮遊感を身体全身で感じながらなんとか荷車の縁を掴むと、一瞬の後、荷車は盛大に下へと落ちた。
「ニーナ、大丈夫か?」
様子を伺うと、小脇に抱えたニーナは聞くまでもなかったようで大変大喜びしていた。とりあえず、怪我がないようで何よりだ。
でも、何がどうなったんだべ。
立ち上がって辺りを確認しようとすると、蓋が空いて中身が空になっていく樽が荷車の中でぶつかり合って一つ、二つ、と沼に落ちていくのが見え……た?!
「ああああああっ!!!!水が!水!水!水ッ!!あーーーああああみーずーーー!!!」
落ちていった方へそう叫ぶが、既に中身の無い樽には最早遅過ぎた悲鳴だった。取りに行けたところでなんの役にも立たない。
「なんてこったぁあ!」
水を荷台の中に盛大にひっくり返して失ってしまった事態に、沼へと沈み行く樽へ手を伸ばさずにはいられなかった。
しかし、そんなことは知ったことではないと荷車は進み、そこからどんどん遠ざかっていく。
「ああ、やっちまったあ〜!ごめんよニーナ!もう終わりだ!みんな沼に沈んじまうんだぁあ!!おいらのせいで、ああっ、ごめんよニーナっ!!」
「あーあー!あーあー!」
「ほんとあーあーだべ!おいらって奴は本当に最後の最後までどうしようもないやつだべ!」
「あーあーあ〜!あーぁあーあーあ〜」
ニーナを抱きしめながら自分の失態だと懺悔するおいらに、ニーナは慰めようとしてくれているのかあーあーばかりを繰り返す。
「あーあー!あぁああ!ぁあああ!」
……訂正。
慰めようとも励まそうともしてませんね、この子……。多分、周りの亡者の真似を続けているだけだべ。危機感の欠如は一番ダメなんじゃないかな?
「もうニーナ、そんな場合じゃないべさ!」
「ぁぁぁぁあーー!」
「悠長に沼を見ている場合じゃないべ!」
ニーナだけでも助かる方法を考えようと必死に頭を巡らせているというのに。
すると途端に、今まで聞こえなかった後ろーーーつまりニーナの見ている方向から何か聞こえてきて、おいらはこの危機的状況に喧しい!と言わんばかりに振り向いた。
バシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
『『『ァァァァアアアアアアアアアッーーー!!!』』』
バシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
「ーーーーーーーーーェ!?」
振り向くと、紫色の飛沫と共に散ってゆく大勢の亡者たちの姿が目に飛び込んできた。
絶叫を上げながら四散していくその光景においらは、ただ口を大きく開けて驚くことしか出来なかった。
しかし、ニーナは尚も大興奮と言わんばかりに両手を上げて亡者と一緒に叫んでいた。
「あああああ〜〜〜っ!」
「ーーーーーーーェ……いや、じゃなくてっ!!どうなってんだべ!?なんでおいらたち沈んでないんだべ!?」
ようやく我に帰ったおいらはいつまでも沈まない荷車に気付き、それを今も引いているであろう熊の方へと振り返った。
するとそこには。
「えええええええええええ………………」
湖の水で沼を固めることも必要なしに、熊があらゆる物を蹴散らしながら爆走する姿があった。
熊の前方と足元に見えない壁があるように見える。……なんだろうこの景色。前に濁流の中を突き進んでるこいつの視界とよく似てるんだけんど。
そう言えば、夢の中でも突進で鉱山の坑道内を破壊してたし、家から沼の岸まで荷車が通れる道を切り拓いたのはこの熊さんでした。
(魔法、凄すぎだべ……。湖の水、要らなかったべ…………)
「もんた〜?はちゅみちゅ、はい!」
「ぁぁ、ありがとニーナ……蜂蜜、おいしい……」
目の前に広がる紫一色の酷い光景を観ながらおいらは蜂蜜に手を伸ばしていった。
バシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
『『『ァァァァアアアアアアアアアッーーー!!!』』』
群がる亡者が荷車に翼があるかのように波を作って四散していき、
「あああああーー!!もんた、も、ああああ!」
楽しむニーナに促され、
『ァァァァアアアアアアアアア!」
「ああああー!!」
「ぁぁぁぁぁぁぁ…………」
一人気負っていた疲れが溜息として漏れ出るばかりだった。
おいらはもうそこから何も言わず、対岸に着くまで静かに着席していた。
程なくして、熊率いる一行は無事に沼を越えて深林を出ることに成功したのであった。
「フグゥッ!」
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野生幼女観察日記 現状思考 @eletona_noveles
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