第8話 お姉さんと一緒に。

 最近よく思うんだけど、どうしてこうなったのかな?

 僕はお姉さんの部屋で、一緒に寝ることになりました。

 お姉さんと仲が良いことを差し引いても、男の子なんだから別の部屋にして欲しいけど、お姉さんは僕のお世話をする気満々で、自分のベッドじゃなくわざわざお客さん用の布団を自分も用意して、隣に寝ていた。

 なんだかんだで寝るまでお姉さんと一緒に居られることが嬉しい僕は、ちょっとだめな男の子だと思います。

 さっきまで一緒に勉強して、リビングで桃香さんも一緒にゲームをしたり、部屋にある漫画を読んだりしていたんだけど――

 一緒に入らないって言ったのに、お姉さんはいい湯にのほほんとしていた僕の隙を突いて、お風呂のお世話をしにきた、お陰で一生もののトラウマが出来たよ。

 何が起きたのかは僕の精神衛生の為割愛させて貰うけど、

「……お泊りなんて、久しぶりね?」

「……そうだね……一緒に寝るなんて、久しぶり」

 こうしていると、本当の家族になった気がして、ほんのり安心する。お姉さんの言う通り、一緒に寝るのは久しぶりだった。

「いつからだっけ、修君が、うちにお泊りしなくなったの」

「うーん、一年……くらいじゃないかな?」

 そういいながら、僕は、それまでの事を思い出していた。

 お泊りはこれが初めてじゃない。

 僕が風邪を引いたときや、台風や大雪みたいな天災の時、お姉さんと桃香さんがよく僕の事を守ろうとしてくれた。

 それもあって、この人達が本当にいい人達なんだってことはわかっていた。でも、お姉さんが本格的に高校受験に差し掛ってからは僕は遠慮して、家に一人で風邪をひいてもこのお家にお世話になることはしなかった。

 高校生に入学してからも、お姉さんの新しい生活リズムに気を遣って惰性で行かなくなっていた。

 それまでは、結構頻繁に夕食にお呼ばれしたり、お姉さんと桃香さんが、僕の家族代わりに遠くへ遊びに、一緒に連れて行ってくれたりしていた。

 僕に、自然な家族の温かさを教えてくれたのは、この人達だった。

「……覚えてる? 初めてお泊りしに来た時のこと」

「うん、覚えてるよ?」

 まだあまり心を許していない頃、すごく大きな台風が来て浸水するかもしれないってときのことだ。桃香さんは看護師の夜勤に入っていて家にいなかったんだけど、

「あのとき、せっかく修くんを守ろうって思ったのに、修君ぜんぜん怖がってなくて、逆に私の方が励まされていたわね?」

「仕方ないよ、女の子だもん」

「二回目は?」

「僕が風邪引いたとき」

「あのときは、ちゃんとお姉ちゃん出来たよね?」

「次の日一緒に寝込んでたけどね?」

「そうだったかしら?」

「そうだよ」

「それじゃあ……一番思い出深いのは?」

「それは……」

 それは、お姉さんがひどく弱っている時だった。

 お姉さんは学校で色んな仕事をしていた、真面目で成績が優秀だからって全てを任せられていた。お姉さん、深く考えているように見えて何も考えず脊髄反射で動く動物みたいなところがあるからね、そういうところが悪く回ってしまうことがあるんだ。

 誰もやる人がいないと誰かが困るからって、宿題の回収やプリント配りを手伝い、その様子を見た先生が自分の代わりにテストの採点を任せられて、後は文化祭や運動会の実行委員、生徒会に地域のボランティアにまで参加していた。

 その内に、いつのまにか教室で一人でぽつんとしていた。

「……私はね? 修くんが、いい子、いい子、ってしてくれたときかな?」

「……ん、そんなことあったっけかな?」

 そのことを、誰も気にしていなくて、それがごく当たり前のようになっていた。

 一緒に遊ぶことも無い、楽し気に話をすることも無い、ただそういう人なんだと思われていた。

本当の意味で嫌われていた訳ではない、ただ、本当に・・・仲良くなれなかっただけ。皮肉にもお姉さんが誰かのために動くたび、その機会が失われて――

 お姉さんが努力すればするほど人が離れていき、お姉さんのことを誰も気にしなくなっていく。

 それを唯一、僕だけが気にしていた。

 そのとき僕は、風邪でもないのに無理を言ってお泊りした。

 色んなことを聞いた。

 その事をひどく悩んで、苦しんで苦しんで、一番近い友達に話したら「いい子ぶってる」と言われたこと。

 他人から評価されたかったわけでもなかったこと。優しくすることで誰かと仲良くしたかったわけじゃなかったこと、特別誰かを助けたかったのでもなく、そこに居る人の役に立ちたかったのでもなかったこと。

 そこに達成感や充足感があったわけでもなく、お姉さんは、ただなんとなく、誰かがやるべき当然のことをしているつもりだったこと。

 それを聞いて、そんなお姉さんは間違えていないということ、ただ周りに、お姉さんと同じ誰かがやるべき当然のことをする人が、他に誰も居なかっただけということを話した。

 僕は思う、人は心も言葉も偽れる、意識している部分、無意識の部分でも、自分にも他人にも幾らでも嘘を吐ける。けど魂だけは偽れない、魂はその人の本質を成す根源にあるものだから嘘で魂は変えられない。

 そしてお姉さんは、そんな、優しくしよう、正しくしよう、なんて考える前に、それができる人なんだ。

 それは心の上辺――理想や理念が正しいのではなく、魂が正しいということなんだと思う。

 そんなお姉さんを、傷つけられたままにしていいはずがない。

 だから僕は今みたいに一緒に寝ながら、お姉さんの頭を撫でて『いままでよく我慢したね?』って本当のいい子扱いをしてあげた。キョトンとしていたお姉さんを両腕で、その頭を思い切り優しく抱きしめて、何度も何度もお姉さんの背中と髪を撫でてあげた。

 最初は何をされているのかわからないみたいだった、でも、その内にお姉さんが、音も立てずに泣いていたのを僕は忘れられなかった。

「……あのときね? 修くんのことが世界一頼もしく見えたの、こんなに小さいのに、とても大きな男の子なんだなって」

 なんのこともない、子供の世界の常識、いや、ごく普通の人付き合いにお姉さんは苦しんでいた。

 一回り近く年下の僕にそんなことされたって、普通は可笑しいだけだろうに、それすら救いになってしまうくらい弱っていたんだ。

 ……ああ、そうだ、確かこの時から僕は、お姉さんの事を守らなくちゃって思っていたんだ。

 それまでは本当に、近所の立派なお姉さん――尊敬できるかっこいい大人としか思っていなかったんだけど、この人は僕が守らなくちゃいけない人なんだって。

「……そうかな? ……僕はそれ以外、なにもしてなかったけど」

「でも、それが一番、大切な事だったの……」

 とはいえ、結局、お姉さんは自分の力で事態を解決した。

 お姉さんは自分に任せられた仕事を割り振るようになり、クラス委員に部長に生徒会、与えられた立場と権限を使ってこれまでとは逆に仕事を押し付けるようになった。お姉さんがそれまでその自由意思に基づいて背負っていたそれらを、彼らの自由意思を無視し義務と責任とのしを付けて送り返した。

 どうして急にそんなことが出来るようになったかといえば『――この人以外には捨てられてもいい、捨ててもいいって、思えるようになったの……』とは当時の談だけど。

 そのときちょっとゾッとした、けどそれまでお姉さんを機械のように利用していた人達は当然の報いを受けたからざまあとしか思えなかったからまあいいんだけどね。

 特に、実は面白がってお姉さんを苦しめようとしていた人なんて、それはもう――

 おっと、これはお姉さんが知らなくてもいいことだ。ただあのとき、お姉さんを苦しめていた全てのことが酷く歪んで見えていた――許せなかった、それだけだ。

 ……で、今更、

「――それで、それがどうかしたの?」

「ふふふ、だからね? ……あの時のお返しが、まだだったでしょう?」

「えー、別にいいよ、大したことしてないんだから」

「だ~め。……だから――」

 お姉さんはもぞもぞと布団の中を移動した。

 何をするつもりなんだろう、僕は警戒して距離を取ろうとするけど、それより早く僕の布団に入って来る。


 お姉さんは、僕に腕を伸ばして。

 そしてあの時の僕と同じよう、横這いになったその大きな胸で僕の頭を抱いて来る。


「いい子、いい子……」

「……」

 すごい、お姉さんの匂いがした。酷く甘い花の様と、蕩けるような果実を混ぜ合わせたみたいな、くらくらするほどいい匂い。

 それと、温めたミルクのよう淡くも優しく、どこか懐かしい香り――

 そんな幾つもの匂いが混じり合う、ひどくやわらかい、あたたかい何か。

 もし心に匂いがあったら、こんな匂いなのかもしれない。

 それに包み込まれている。

 どうしよう……この匂いに慣れたら、他の匂いはダメかも知れない。お姉さんの優しさがふわっと、流れ込んで来る。

 ふわり、ふわり、陽だまりから取り込んだタオルのような温かな手の平で、僕の髪と背中を撫でながら、体を丸め、ゆりかごみたいに寄り添ってくる。

 全身全霊で包み込んでくれている……その瞬間、お姉さんのふたつのふくらみが、かおに迫っていることに気づいた。思いがけず来た顔の熱に、ぼくはそっと、触れないようにかおをあげる。

「……もうだめ……恥ずかしいよ……」

「ダメ……いい子、いい子……」

 だけど、あろうことか、お姉さんは手で僕の頭を撫で、ぱふぱふと、奥へ、奥へと何度も抱き直してくる。

 心の温かさに目眩がした。でも、お姉さんのおっぱいに顔を埋めてなんて、これ、すごくいけないことだよ。

 ――いい匂い……温かい、いい匂いがする。

頭に熱と目眩が回る。どうすればいいんだろう、それなのに、瞼が落ちそうになるほど心地いい。

 お姉さんの匂い、すごく気持ちいい、香水や石鹸の類では出せない、お姉さんの女の人の部分、全部からいい匂いがしてる。

 でも、もしかして……お姉さんは、今日のことで僕を心配しているのかな?

 こんなに、ここまで優しくしようとするってことは、本当に心配させちゃってるのかな……僕はもう、あのことはそんなに気にしていないのに。

 でもその事を言ったら、僕がお姉さんの正体を知ってる事を気付かれちゃうよ……。

「いい子、いい子……」

 力が、入らない。

 しちゃだめだってわかってるのに、そこに頬が落ちてしまう。

 絶対、甘えちゃいけないのに、すごく柔らかくて、気持ち良くて、優しい匂いで、抵抗したくても、動けば、すごく柔らかくて、優しい温かさに目が奪われてしまう。

 優しく頭を撫でられる、赤ちゃんじゃないのに、そこに顔を落として、口をつけた。

 頭だけじゃなくて体全て、お姉さんに優しく抱き締められていて……温っかい……ポンポンしてくれる、お姉さんの手のリズムも気持ちいい。

 どうすればいいかな……どうすれば、お姉さんを安心させられるかな?

 今だけは、思いっきり甘えていいのかな……?

 ……眠い……。

 ――絶対、まけちゃ、だめなのに……。

「……おねえちゃん……」

「んー?」

 優しく撫でられる。やわらかい……お姉さんが全部、気持ち良くて……つい、体を寄せてしまう。

 ――あふ……。

 とてもやわらかい。

 もっと、がまんしなくちゃ――

 おねえちゃんを、まもれる、おとこのこに、ならなくちゃ……。

 こんなのだめなのに、こんなの、だめ、なのに…………ふわ…………。

 あ、うぅ……。

「……? 修くん?」

「………………?」

「――おやすみなさい、修くん」

「………………おやすみ、なさ……」 

 もう、だめ……。

 ぼくはやっぱり、お姉さんには敵わなかったよ……。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隣のお姉さんは魔法少女、ぼくは悪の大幹部 タナカつかさ @098ujiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ