《似た者》


 翌日。

 隼人は普段通りの時間に教室へと入った。

 代わり映えのしない日常の風景ではあるが、そこに雫の姿はない。

 気怠さを抱きながらも自分の席に着く。

 教室の中央では、木戸拓巳を中心として、《セブンスエンドオンライン》の話題が広がっていた。


「"黒騎士"なんて本当にいんのかよ?」

「所詮、ただの噂でしょ」

「でも、黒騎士が本当だったら、怖くね?」


 "黒騎士"の噂話はかなりの速度で世間に広がっているようだった。

 その存在に倒されると意識をゲームの世界に囚われる。

 だが、それを本当に信じ、恐怖を抱いているのはごく僅かだろう。


 普通に考えれば"あり得ない"事なのだから。


 しかし、その噂話を真っ向から否定出来ない人間はこのクラスに二人いる。

 隼人と羽咲だ。

 特に羽咲に関しては"黒騎士"と呼ばれている存在を自分の視覚野を通して見ている。

 だから、黒騎士を笑い事では済ませなくなっている。


「なあ、立花。少し、良いか?」


 隼人に話し掛けたのは羽咲だ。

 それに少し驚いた様子を見せるが、席を立ちあまり人がいないであろう屋上に行く。


「急に、なんだよ?」


 未だかつて羽咲が自分に話し掛けてきた記憶はない。隼人は訝しむような視線を向ける。


「そんなに警戒するな、というのは無理な話か。私がお前に話し掛けた事なんて一度もないからな」


 自嘲気味な笑みをこぼす。


「なら、単刀直入に聞くんだが、雫は今日、どうしたんだ?」

「……さあな。……なんで俺に聞くんだ?」

「何か知っていると思ったからだが……」

「なら、他を当たってくれ。俺は……何も、知らない」


 その言葉に多少の嘘が混じっている事に気づいた羽咲は屋上から去ろうとする隼人の腕を掴んだ。


「嘘はつかないでくれ。 本当は、何か知っているんだろう」


 羽咲には無理をしているように見えた。


 羽咲自身、隼人の事をそこまでよく知っている訳ではない。寧ろ、今まで知ろうともしなかった。ただのクラスメイトに過ぎず、友達の友達というだけだった。


 その程度の関係性でしかない羽咲にさえ、その無理は手に取るように解ってしまう。

 《セブンスエンドオンライン》の世界では人に頼る事が多い隼人だが、現実では頼る事には否定的だった。それは一種の見栄だ。

 自分一人でどうにかしなければならないという責任感と言い換えてもいい。


「だとしても、話すつもりはない」


 明確な拒絶。


 羽咲が嫌いだから、とか稚拙な理由ではない。羽咲は剣道の段位取得者だ。

 その力はあの世界であっても確実に強力なものだ。戦力としては充分過ぎる程の経験はあるはずだ。

 だからこそ、羽咲の力を借りるのに躊躇が生まれている。それで、本当に自分が救ったという事になるのか、という疑問。

 現実では非力な人間でしかないが、あの世界ならば、時間を掛けた分だけ強くなれる可能性が大いにある。


「話す事がないなら、もう行くぞ」

「まっ、待て……まだ、話は……」


 隼人は聞く耳を持たず、屋上を後にする。その後ろ姿を見ながら羽咲は思う。隼人は平静を装ってはいるが、精神的な余裕がない。


 きっと他人はおろか自分さえもまともに見れてはいないのではないだろうかと。

 校舎中に響く鐘の音。羽咲も階段を駆け下りて、教室へと入る。

 羽咲は雫が心配だった。ゲーム内で雫の存在が消えている。背中を凍り付かせるような悪寒が走る。


「兄さん……」


 羽咲は小声で呟いた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 《央都セントリア》の噴水前でフレンドリストを開くと、キョウヘイはまだこの世界に降り立ってはいないようだった。

 現実世界では20時を超えたところで、約束まで1時間程度ある。


「熟練度を上げに行くか」


 この世界においてハヤトはまだ弱者だ。少しでも強くなる為に圏外エリアへと向かう。

 その道中ですれ違った人物を見て足が動かなくなる。


「雫?」


 まるで、時間が止まったようだった。

 ゲーム内でリアルネームを呼ぶのはあまり褒められた行為ではない。

 しかし、その配慮が至らない程度には冷静さを失っていた。

 その理由は、すれ違った少女が現実にある姫宮雫の容姿を複製したようにそっくりだった為だ。


「なんですか?」


 感情のない表情。

 冷え切ったように見える淡い青眼。

 短く切り揃えられた白髪。

 所々では雫とは違う特徴がある。


「なあ、俺だよ。ハヤトだ」


 けれど、その少女が雫だと疑わない。

 普通に考えれば、彼女が雫である可能性は限りなくゼロに近い。

 しかし、人はそうあって欲しいものに対しては盲目的に信用を置いてしまう生き物だ。

「あなたの事は知りません。それに私はレムです。雫という名ではありません」

 その言葉にショックは隠せない。

 自分という人間は所詮その程度の存在でしかないと自覚させられるようだ。


「失礼します」

「まっ、まってくれ」


 その静止の言葉も無慈悲に空気中に溶けていき、雫似の少女、レムは人波の中に消える。

 追い掛けたい衝動に駆られるが、既に遅く、姿を見失ってしまう。

 他人の空似である可能性の方が遥かに大きい。だが、ハヤトにはとても無関係とは思えなかった。

 人波に紛れ、見失ってしまう。

 締め付ける胸痛。膨張し、破裂してしまいそうな程の痛み。

 なんとか深呼吸で落ち着かせる。

 3分程度で治るが、既にレムの姿はない。

 圏外エリアに出ると心のざわめきを誤魔化すようにゴブリンに八つ当たりだ。

 幸い、ゴブリン程度ならば倒せるくらいには慣れてきた。


 《央都セントリア》からはだいぶ離れた場所にまで来ると三人の冒険者の姿が遠目で見える。

 あまり友好的ではない雰囲気を感じ取り、ハヤトは本能的に動き出した。


「まったく、ついてるぜ。まさか、こんなところで初心者が一人でウロチョロしてるなんてな」


 下品な笑い声を零すその男。それがダッカーである事は直ぐに分かった。

 内部時間では既に一週間が経過している。

 ダッカーは眼前にいるレムに言い放つ。


「死んでくれ」


 大剣の刀身を赤く光らせる。

 それは剣技発動を報せるモーションだ。

 大剣薙ぎ払い剣技ヘル・ブラスト。

 システムアシストにより、剣戟が辛うじて視認できる程度だ。重量も感じさせる一撃にハヤトは両刃直剣を抜いて、レムとダッカーの間に飛び込み、速度重視の剣技で応戦する。

 片手直剣反撃カウンター技《ソード・バリア》。

 防御に特化した剣技の一つだ。


 現状、ハヤトが使える剣技の中で最も素早く行使出来る剣技だ。反撃という特性上、特殊な状況下でのみ本領を発揮する。

 剣同士がぶつかり合い、火花が散る。


「……お前は……何しに来たんだ? まさか、助けに来た、なんて言うつもりじゃないだろうなあ」


 頬を緩め、新たな獲物が現れた事に歓喜するように笑う。ダッカーにとって、レムもハヤトも獲物としか見えていないのだろう。


「そんな大層な事は言うつもりはない」


 ダッカーは剣技キャルセルをして、距離を開く。


「なら、何のために出てきた? 少なくとも出て来なければ、お前が此処で死ぬ事はなかったものを」


 ダッカーの中でハヤトとレムを此処で殺す事は決定事項だ。油断をしなければハヤトに遅れを取る事はない。それだけ自分の力を自負している。


「そんなの知らねえよ。ただ、放っては置けなかった。それだけだ」

「身の程を知れ、雑魚がぁ」


 地面に突き刺していた大剣を肩に担ぐ。それは攻撃に映る事を意味している。

 殺気が大剣の刀身に纏わりつく。数値的なダメージに影響はないが、明確な危険信号を発している。

 元来、迫合いにおいて有利になるのは重量、角度、鋭さの三要素だ。特に重量に関していえば、どうしようもない。


 重量に於いて、長剣は大剣に到底及ばない。ならば、別の部分で勝負をするしかない。

 肩に担いだ大剣を振り上げ、重力の加速度を加算させていく。

 ハヤトはその剣戟をギリギリまで観察し、正面から受けずに躱す。叩きつけるようにぶつかった大剣は地面を抉り、衝撃波を撒き散らす。

 それを上手く避け、踏み込み、ダッカーの懐へ飛び込んだ。


「はぁぁあ!」


 雄叫びを上げながら、下段から振り上げる。その剣尖がダッカーの頬を掠め、その傷口から鮮血が溢れ出した。


 しかし、頭上に可視化されているHPを示す横線ラインは微かに減少するのみで、ダメージとしては微々たるものでしかない。

 けれどダッカーから冷静さを失わさせるのには充分過ぎる効果を発揮した。


「手前ェ!」


 戦闘に於いて重要なのはいかに冷静で客観的に見えているかだ。その点に於いてはハヤトの方が有利だ。

 集中も出来ている。周りも見える。エルメは動かない。その戦闘を観察するように静観している。

 それが慢心へと繋がる。


 意識を大剣へと向けていたハヤト。近づいてくるダッカーが故意的に落とした大剣に意識を引っ張られる。

 それはすなわちダッカー本人から、視線を外すということだ。


 無防備な状態となる。その無意識下で限界まで距離を詰めたダッカーは再び取り出した大剣の切っ先をハヤトに向け、突き刺そうとする。

 ダッカーはほくそ笑む。このタイミングでの攻撃を回避する術は持たない。


 スキルである《第六感》は確率系のエクストラスキルだ。それも運悪く発動はしない。

 まさに絶体絶命。


「させません」


 大剣の刀身と柄の境目、その脆さのある接続部を淡い青色に染まる白い短剣が射抜いた。

 その一撃がクリティカル判定となり、一定確率で起こり得る武器破壊を引き起こした。

 それをしたのは白髪の少女、レムだった。

 バックステップで距離を開く。


「すまない、助かった」

「感謝には及びません。私がそうしたいから、しただけの事です」


 相変わらず感情の見え難い淡々とした口調だ。けれど、ハヤトには心なしか安堵しているように見えた。

 本来であるのならば、短剣で大剣に勝つ事など万に一つも起こり得ない。

 けれど、武器のレアリティーによってはそれは可能だ。


 ダッカーの大剣はレア相当だが、レムの持つ短剣はエピック相当だ。かなり上位の武器だ。


「お前から、先に殺す」


 予備の大剣を取り出して、標的をハヤトからレムに移す。

 その言葉を聞いた瞬間、ハヤトの中で何かが壊れた様な感覚が走った。

 また、大切な者を失うのか……。

 何者かが、ハヤトに問い掛ける。

 身体の支配権がハヤトではない誰かに移るようだった。


「待て、お前の相手は俺だろ」


 雰囲気が変わる。


「おい、エルメ。女は任せる」


 ハヤトの雰囲気が変わった事に警戒を強めたダッカーは後方で待機させていたエルメに指示を出す。

 エルメはコクリと頷き、レムと刃を交える。


「何がなんだか知らねえが、初心者に舐められてたまるか」


 先に攻勢に出たのはダッカーだった。

 だが、それは不安心の表れでもある。


 ガキンッ!!


 その重撃を放つ大剣を華奢な長剣で受け止める。それどころか競り勝とうとしている。


「その程度か?」


 思考が停止する。経験も熟練度も全てにおいてダッカーはハヤトを優っている。負ける要因は見当たらない。

 けれど、劣勢を強いられている。


「なんなんだよ、お前」


 先程まではなかった何者か分からぬ不気味さを醸し出す。

 状況は既に変わっている。狩人と獲物という立場が逆転している。

 ダッカーは状況を理解する。自分が蹂躙される対象と成り果てた事に。そこで初めて恐怖を抱いた。

 この世界での死は所詮、仮想体アバター情報の損失というシステム的なものがあるだけだ。

 なのに、全身を駆け回る寒気は恐怖心を増幅させていく。


「俺は俺だよ。けど、大切な者を傷つけようとするのなら──」


 地面を蹴る。


 一気に加速したハヤトは電光石火の如き速さで長剣の射程にダッカーを捉える。けれど、ダッカーは気づいてはいない。

 人智を超えた速さだ。

 大剣を弾き飛ばされて、首元に長剣を突きつけられる。


「なんなんだよ、その速さは……?」

「知るか……けど勝負はついたな。死ね」


 ハヤトは躊躇なく、首を斬り、ダッカーを四散させる。

 それを確認するとハヤトはドサッという物音を立てながら、倒れ、意識を手放した。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 微睡みの中から意識を覚醒させる。

 ハヤトは向けられる視線に気づき、見てみると青眼を真っ直ぐと自分に向ける雫似の少女、レムが目に入った。


「気がつきましたか?」


 相変わらず淡々と感情のない言葉だが、安堵しているようにも見える。


「俺はどうなったんだ? ちょっと、記憶が曖昧でな。教えて貰えると助かるんだが」


 事実として、ハヤトはあまり戦闘の終焉については憶えていなかった。


「私も、全てを見ていた訳ではありませんが、解る範囲で教えます」


 レムはハヤトに語る。ダッカーを倒した事を。そして、自分が纏っていた雰囲気が違っていた事を。

 まるで別人のようだとレムに言われた。


「私からも訊きたい事があります」


 真っ直ぐと視線をハヤトに向ける。


「何故、私を助けようとしたんですか?」

「なんだ、そんな事か。ただ、放って置けなかったから……って理由じゃ駄目か?」


 事実として、理由はない。自分がそうしたかったという自分本位な考えの結果だ。


「一先ず、戻らないか? 流石に此処は危険だろう」

 ハヤトはそう提案した。疲労は限界だった。生死の分かれ目だった戦闘だ。


 レムはコクリと頷き、《央都セントリア》へと戻る。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「そっちの彼女は誰なんだ?」


 拠点に戻ると噴水前にいたキョウヘイがハヤトに気づき話し掛ける。事の顛末を説明する。


「成る程な。ハヤト、もう気づいてるのかもしれないが、そっち、レムだったな。レムはNPCだ」


 プレイヤーではない、この世界の住人であるNPC──ノンプレイキャラクター。


 その中でもレムは異質な存在だった。


 人工知能という技術は未だに進歩はなく、レムのように人同士でするような会話を行うのは現状では不可能に近い。

 ましてや自分の価値観や考えによって行動するという事例は聞いたことがなかった。

 さらにNPCには本来、役割が与えられているはずだ。例えば店のウェイトレスやギルドの受付嬢のように。


 しかし、レムにはその役割がないようだ。寧ろ、冒険者──つまりプレイヤーと同じように自分の意思で行動しているようにさえ見える。


「その子をどうするつもりなんだ?」


 雫に似ているレムを放って行くなんてハヤトには出来ない。それは六年前と同じだ。

 もう、あんな想いは沢山だ。


 だから、


「レム、俺達と一緒に来ないか?」


 パーティーに勧誘する。

 レムは迷っていた。ハヤトの事をあまり知らない筈なのに、長い間、一緒に過ごしてきた"幼馴染"のようにも思えていた。

 胸を騒つかせる。この原因が解るならば、とレムは頷いた。


「よし、じゃあ俺から話す事がある」


 キョウヘイは仕入れてきた情報を伝える。


「鉱山都市ゲルトレーガンに信頼の置ける情報屋がいるんだが、ソイツのところに行くぞ。黒騎士について、知る為にな」


 三人は黒騎士について知る為に序盤最大規模の拠点である《央都セントリア》を離れ、《鉱山都市ゲルトレーガン》へと向かって行く。

 立ち上がり、握手を交わしてから【セントラル】に戻り、別れた。

 ハヤトは別れてからすぐに宿へと入り、ログアウトした。

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セブンスエンドオンライン 伊月夢衣 @Masayuki08

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