第一章 9 『ラスト・バレット』

「──異種。あれが……異種」


 立川は異様なオーラの原因が判明した途端にその異種の幻妖が強大な力を持っているように思えてきた。


「それよりも茂木さん。任務は一旦遂行できたんじゃないんすか。幻妖をここまで連れてくりゃ、シェルターからは十分な距離を置けたんじゃ」


 昼神は立川など気にしていないかのように話し出す。


「そうだな。とりあえずここまで運んだのなら大丈夫だろう。ここからは一時撤退しよう」


 茂木はその場にいた全員に撤退の意を伝える。が、猛スピードで走行する電車からどうやって逃げ出すのか立川には皆目見当がつかない。


 すると、茂木はマントの中に仕込まれているホルスターから一丁の拳銃を取り出した。

 あの即効性の麻酔銃である。この場から退避をするためにこの世界自体から緊急脱出を図るという寸法だ。


 しかし、幻妖もおいそれと逃す訳も無く、首を傾げるようにして骨を鳴らす。


 そして、立川は自分の意思とは裏腹に地面に叩きつけられるようにしてひざまずいた。外部からの力で強制的に床へ押し付けられている感覚だ。


 立川だけじゃなく、その場にいた幻妖以外の人間は皆同じように跪いていた。


「なんだ……これ……動かない……身体が重い……」


 歯を食いしばり、立ち上がろうとするが重くなった身体は言う事を聞かない。


「……っく。重力まで操ってるのかこいつ」


 昼神も両手の拳を床につけて、なんとか体勢を保っているが辛そうだ。


「はやく! 茂木さん撃ってください!」


 唯一、立川が見た事のない男は茂木に向かって叫ぶが振り返る余裕もないようで幻妖を睨んだままだ。


「それが……拳銃が張り付いたみたいに動かないんだ……持ち上がらない」


「あいつが拳銃を押さえつけているんじゃ」


 夏田も具現器である刀を床に突き立てて身体を支えているが、それで精一杯なようで頬には汗を垂らしている。


「だめ……耐えられない……」


 斧を背負った夜久も必死に堪えているがその表情から限界が近い事は簡単に読み取れた。


 立川以外の全員は体力が底をつきかけている。


 そんな中で立川の視界は色を失い始めた。少しずつ身体の力も抜け、ブラックアウト寸前まで追い込まれる。


 だが、ここで立川は気づいた。


 このまま意識を失えばこの檻の世界から出られる。即効性の麻酔銃を撃たんとも抜け出せるという事を。

 ピンチだと思っていた現状はいつの間にかチャンスに好転していた。


 立川は重力に逆らわず、身体の力を自ら抜いて這いつくばる。




 ──このまま意識を失えば。




 ──いいぞ、身体の感覚が無くなってきた。




 ──あと少し、あと少し、あと……少し……。




 あと少し。そう思っていた立川はその光景に目を疑った。顔の前を夕陽の光が普通ではあり得ない速度で横切っていったのだ。

 立川は失いつつある意識を保ちながら首を夕陽の方へと向けて窓の外を見た。


 太陽が急速に下がっていっている。それに加えて、白いもやのような何かが窓全体を遮ったと思えば、数秒で白い靄は消えて太陽が再び姿を現した。


 いや、あれはただの靄なんかじゃない。


 あれは雲だ。


 あの幻妖は重力を操っていたのではなく、立川たちの乗っている電車を丸ごと浮かせて、とてつもないスピードで上空へと浮遊させていったのだ。


 立川が靄の正体に気づいた時には雲を突き抜け、電車は地上四十キロメートルもの位置まで持ち上げられていた。


 空気は薄れて、温度もみるみる下がっていく。


 これは時間の問題だ。このまま上昇し続ければ、ここにいる全員が気を失い目を覚ます事ができる。


 しかし、そう上手くはいかない。


 幻妖は軽々と窓まで近づいていくと、窓を破って車内から上空へと身を投げた。落ちていったかと思えば、幻妖は浮遊できるようでその場で漂っている。


 そして、立川たちを乗せた電車は上昇を止めた。

 突如、幻妖の念力が解除され元の重力を取り戻したのだ。


 一瞬、無重力状態になる立川たち。立川以外は何が起こったのか理解していないようだ。

 立川はこちらを外から眺める幻妖を見る。段々と幻妖は上へと上昇していく。いや、立川自身が降下し始めたのだ。


「落ちます! 何かに掴まって!」


 立川の叫び声を皮切りに電車は急降下を始める。


 電車が地へとまっしぐらで落ちていく姿はまるで制御を失った竜だ。


 ほとんどの者は不規則に回転する車内で何かに掴まる事しかできなかった。だが、茂木は片手で網棚を掴み、もう片方の手で拳銃を構えていた。


 そして、一つ目の銃声がする。その銃声と共に夜久の姿が見えなくなる。上手く銃弾は命中して現実へと戻ったのだ。


 二つ目の銃声で見知らぬ男が消える。


 三つ目で昼神が消えた。


 そして、四発目。茂木は立川に狙いを定める。が、気を失いつつあった立川は掴んでいたポールから手を離してしまう。


 振り乱される車内で掴んだ手を離す事は死を意味していた。


「立川くん!」


 夏田も掴まっていたポールから手を離し、立川に向かって飛んで行った。

 そして、立川を守るように抱き寄せると二人は車内からそのまま割れた窓を通り抜け、振り下ろされた。


「夏……田……」


 美しく輝いた夕陽に照らされ、二人は上空から落下していく。


 このまま地に打ちつけられて死ぬのか。


 立川は夏田の体温と落ちる感覚だけを感じていた。



 そして、意識がはっきりとしてきた頃には立川は一人だった。


 一人で落ちている。


 夏田の姿はない。


「立川くん! 無事で何よりだ!」


 声のする方を見る。横を見ると茂木がマントをなびかせながら同じように飛んでいた。


「茂木さん! 夏田が! 夏田がいないんです!」


 急降下する今は大声でなければ声は届かない。

 大声で夏田の行方を聞くと、茂木は右手で握りしめている拳銃を見せつけてきた。


 なるほど。どうやら夏田は無事に戻れたらしい。


 ホッとする反面、立川はまたも嫌な事に気付いた。


 麻酔銃に装填できる銃弾は上限五発。一発目は夜久。二発目は見知らぬ男。三発目に昼神。四発目は夏田だった。


 という事は残された弾丸は一発。立川自身か茂木どちらかにしか現実に戻る切符は残されていない。どちらかが現実に戻れば、もう一方は確実に死ぬ。


 どうやら茂木もその事実には気付いているらしい。だが、茂木は迷いなく銃口を立川へと向けた。


「だめです! 僕は……僕はいいです! どうせ生き残っても力になれない! 茂木さんがいなきゃ討伐団はどうするんですか!」


 立川は手を前に出して撃つなと横に振るが、茂木は決断を変えないようだ。


「おじさんの心配はいいよ!」


 茂木は笑いながら左手の親指を立て、その引き金を引いた。








「……さん……くさん……お客さん!」


 誰かが肩を揺さぶる。


「うわああああ」


「うわああああ」


 飛び上がる立川に駅員も叫んだ。


「へ?…………あれ?」


「ふぅ〜。──寝ぼけてるんですか? お客さん」


 窓の外は元通りに暗くなっている。


 窓には自分の顔も写っている。その視線に駅員が割り込んできた。


「終点ですよ?」


「あ、はい」


 電車から出るとそこは見た事のない駅だった。


 立川は急いでポケットにある携帯を取り出し、夏田に電話をかける。


 コールが六回目に差し掛かった時、夏田は電話に出た。


「夏田! 大丈夫か!?」


「──ええ。どうやら助かったみたい。立川くんも無事なのね」


「まあな。……でも……茂木さんが……茂木さんが帰れなかった。……麻酔銃の弾が足りなかったんだ」


 立川はそこから夏田が現実に戻ってから何があったかを説明した。

 説明をし終わると夏田はしばらく黙り込み空気が流れる音だけが携帯から聞こえた。


「何があったかはわかった。とりあえず、あなたが無事でよかったわ」


「いや、俺なんかより茂木さんの心配しろよ! あの高さから落ちれば確実に死ぬ! 今頃、茂木さんは幻妖になって……」


「あの人は大丈夫」


 食い気味に答える夏田に立川はたじろぐ。

 何も言い返せず、暫しの沈黙が流れた。


「──今どこ? 電車に乗ってたんでしょ?」


 その言葉で立川は周りを見渡す。


「それが終点まで来たらしくて……どこだろ」


 電話の奥からため息が聞こえてきた。


「終点ね。じゃあ、駅を出た所で待ってて。今から迎えを寄越すわ」

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眠れる檻のビジョン ナリタ @naritasensei

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