第2話 蒼き薔薇


『心配するな。いずれそなたの側に行く』。

『それも、誰にも後ろ指をさされぬ形でな』──。


 ザカライアは、その後王子に密かにそう約束したのである。


 大きないくさのないこの時代、彼が手柄を立てるのは容易なことではなかったはずだ。だが、そこはさすがのザカライアだった。

 文武に優れたその偉丈夫ぶり、誠実さ。そして寛大な聡明さ、深謀遠慮。またそれを決して鼻に掛けない鷹揚さや、人の失敗や至らなさをなじらない度量の深さ。

 その他もろもろの才覚を、心ある人々はすぐに見抜いた。そうして彼を自然に愛し、望んで重用ちょうようしてくれたのだ。

 彼が人から自然と押し上げられ、周囲から推薦されて王付きの近衛兵になるまでに、さほどの年月は要らなかった。


 そして、今。

 彼は晴れて、王となったマクシミリアンのそばにいる。

 決して寝所に女を入れず、いつまで経っても妃の一人もめとるどころか、愛妾の一人も置こうとしないこの王のそばに。

 実はそのことにやきもきしている臣下は多い。なにしろ、王たる者には世継ぎが必須だ。彼に男子が生まれなければ、王位はいずれ彼の弟殿下のものになることだろう。王座の確定しない国は危うい。それぞれを神輿みこしにせんとする臣下たちの、騒乱の火種にもなりかねぬ。

 だが、どんなに臣下らからなだめすかされ、勧められても、この王は頑として自分のねやに余人の温もりを許さなかった。

 無論、この人がいたからである。


 実のところ、王の側付きを務める者たちの中には、彼が時おり寝所を抜け出していることを知っている者もある。

 彼らは口を揃えて言うのだ。


『陛下には、恐らくそのお心に、密かに決めた御方がおられるのに違いありませぬ』と。『でなければ、ああも夜ごと、通われることはありますまい』と。

『相手の女性にょしょうは、恐らく奥の宮にあがることもできぬ、よほど身分の低い娘なのであろうよ』

『しかし、あれほどの入れ込まれよう。さぞや美しい娘なのでありましょうな』

『いやいや。ひょっとすると、すでに夫のある女との許されぬ恋やもしれませぬぞ』──。


 下世話な噂は後を絶たず、城内は今もあれやこれやとかまびすしい。

 だが一方で、皆は異口同音にこう言うのだ。


『あの古城での立太子の儀式から、陛下はひどくあでやかにおなりになった』と。

『ただおどおどと、自信のなさばかりがお顔に出ることの多かったあの方が、不思議に落ち着きを身につけられたようですな』と──。


 ごく平凡な容貌と、気が小さく才にも恵まれなかったはずの王太子。

 だが彼は、その儀式以降、次第しだいに変わっていった。

 正式に王太子となり、やがて父王から譲位されて即位してのち、彼はゆっくりと、しかし着実に、臣下臣民から「なかなかに賢き王よ」との評判を勝ち得るようになったのだ。

 さすがに「賢王」とまでは称されないが、「むしろ慈愛の点では先代の王にも勝る」というのが、もっぱらの噂だった。


 御前会議で臣下たちが難問に頭を悩ませているとき、この王は大抵、難しい顔をして考え込んでおられる。

 しかし「一旦預かりおく。ひと晩待て」と言ってその場を去り、翌朝になって現れると、なぜか皆が目をみはるような素晴らしい解決策をひっさげて戻って来られるのだ。

 その案には、経験豊富な宰相や老齢の高級文官たちですら膝を打つのが常だった。まさに非の打ちどころがなかったのだ。

 王侯貴族連中も文句が言えず、なおかつ貧しい臣民たちの生活にできるだけ打撃を与えぬように、むしろ少しでも彼らの益になるようにと細やかな配慮までなされた案。皆は瞠目するよりほかなかった。

 そういうことが、これまで何度も繰り返されている。


 普通であればもっと経験豊富な王でなければ成し得ないような決断や、臣民の生活に直接関わるような、きめの細かい法整備。そして適材適所の巧みな人事。この若年の王はなぜかそれらを難なくこなし、ここまで大過なくその王座を占めて来た。

 実ははじめのうちこそ、不思議に思う臣もいないではなかった。

 けれども「早朝はよい考えが浮かびやすい時間だからな」と恥ずかしそうに笑うこの王の優しげな顔を見ていると、皆もやがては「まったく、陛下には敵いませぬな」と苦笑するほかなくなるのだった。


『かの王には、なにやら秘密裏にどこぞの賢者がついておるそうな』──。


 実はそのような噂もあった。

 王がとにかく、その知恵についてまったく鼻にかける様子がなかったからである。

 実際、側付きの女官や侍従たちによれば、そんな会議のあった夜、王はひそかに寝所を抜け出し、どこかに出かけることが多いという話だった。

 だがそれも、今のところは単なる噂の域を出ない。


 そうした噂を知ってか知らずか、当の青年王は己が王位にさほどの執着を見せる風もない。そうして、目下のところ次代の王と目されている弟殿下を大切に、また厳しく教育しているという。



「ああ。早くこの城で、そなたと一緒に暮らしたい」


 その「慈愛の王」はさっきから、近衛隊の騎士の手を引き、庭をそぞろ歩きつつ、子供のように頬を膨らませて不平を鳴らしている。


「その若さで、何も隠居されずとも良いと思うが」

「うるさいよ」

「俺がジジイだからと言って、そなたまで一緒にじじい仲間にならずとも」

「うるさいってば!」


 王の白いマントを翻し、青年はくるりと男に向き直った。


「しつこいぞ、ザック。何度目だ? それはもう言いっこなしと言ったはずだ。いい加減諦めていただきたい」


 ますます頬を膨らませてそう言ったら、男は軽く微笑んだ。なんとなく、「その顔が可愛くてたまらんのよ」とでも言いそうな顔だ。

 そのまますっと片膝をつき、胸に手を当ててこうべを垂れる。


「……すべて、陛下のお心のままに」

「もうっ。だから、そんなのはいいんだってば」


 王はふくれっ面のまま、腰をかがめて男の顔に両手を添えた。

 目を閉じて、軽く唇を触れあわせる。

 男はそのまま立ち上がり、王の背中をマントごと、長いかいなで抱きしめた。

 その指にはもう、あの禍々まがまがしい爪はない。

 思う存分抱きしめられて、王は満足げにふふっと笑った。


 互いにひたと目を合わせ、大事な言葉をつむぎあう。

 この世でたったひとりの相手にだけ告げる言葉を。

 そうしてそれがこぼれた場所を、互いにそっと重ねあう。


 ふたりの秘密を知る者は、

 彼らの手にある蒼い薔薇、

 ただ一輪のみである。



                    了

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【BL】古城の怪物とひょろ王子 つづれ しういち @marumariko508312

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