第24話 余禄 新約聖書編

 新約聖書は、AD30年前後からAD100年前後の、約70年の間に書かれたと言われている。旧約聖書がBC1500年頃からBC400年の1000年以上の時間の中で書かれていたことと比べれば、ごく短期間の間に書かれたということになる。そして、旧約聖書の筆者たちは王から羊飼いまで、恐らく殆どが互いに面識もなかったと思われるのに対し、新約の著者たちは皆、初代教会の指導者で、恐らく互いに補完し合いながら、必要に迫られて書いたものだと思われる。

 初期のキリスト教会の文字通り土台となったのは言うまでもなく、12使徒だが、新約聖書の執筆をしたのは、そのうちマタイとペテロとヨハネの3名だけである。

「彼らが無学な普通の人である」

 と使徒行伝4;13に書かれていることをある意味で裏付けている。


 よく知られているように、マタイは取税人だった。様々な素性の人間が集まっていた12弟子の中でも抜きんでて特殊な存在で、恐らくは弟子たちの中でも、当初はある意味で浮いていたのではないか。彼の福音書は系図から始められている。旧約時代の預言の成就を証明するという意味で、新約聖書の冒頭を飾るにふさわしい。そこから分かることは、マタイが自分たちの民族や信仰についての深い教養を持っていたと思われることだ。

 そのマタイが、取税人としてローマ帝国の走狗に成り下がったのには、言うに言われぬ事情があったのではないか。自分が罪びとであるという自覚は他の誰よりもはっきりと持っており、

「罪びとを招くために来たのだ」

 というイエス様の言葉は、彼の人生を変えるに十分なものだったのだろう。

 

 新約聖書の執筆に携わった最も重要な人物は言うまでもなくパウロだが、掌編小説で取り上げるには大き過ぎるため、他の人物との絡みの中でその人となりを少しでも浮き上がらせようと考えた。


 マルコの母の家は最後の晩餐の会場となった場所だと言われているし、ペテロが牢から解放された際、信徒たちが集まって祈っていた場所ともされているので、初代教会の重要な拠点になった家と言える。今日のクリスチャンホームの子弟の走りだろう。パウロの第一次伝道旅行では、恐れて一行から離脱したと解釈されているが、少々好意的に、パウロの身を案じてエルサレムの使徒たちに相談に向かったという設定にした。


 ルカの福音書と使徒行伝は、テオピロという人物に当てて書かれたもので、ルカが私信の形で一連の出来事を記し、その信仰を導くことが一義的な目的であったと言われている。しかし、パウロとの関わりを物語にした中では、敢えてパウロの指示によって執筆をしたということにした。

 ルカはパウロの侍医だったと言われているが、如何に偉大な指導者の一人とはいえ、王侯貴族ではない彼に侍医がいたというのは少々無理がある。宣教の旅のさなかで重傷を負ったパウロを医師として診察したルカが、その生き様に惹き込まれるようにして付き従ったという設定にした。

 

 驚くべきなのはヨハネである。彼はペテロたちと同じガリラヤ湖の漁師で、雷の子と呼ばれるほどに気性の激しい荒くれ者だったろう。しかし、12使徒の中で唯一殉教せず、初代教会の立ち上がりを見届けている。漁師として生きた時間よりも、使徒として生きた時間の方が長く、その間に様々な教養をも身に付けたのだと思われる。

 実際に黙示録などは、複雑な構造の組み立てになっており、その点でも旧約時代の秀才であったダニエルの書と遜色がない。

 さらに、福音書はギリシャ語の精緻さを活かした、深い書となっている。ヨハネの福音書のラストの場面では、イエス様の

「あなたはわたしを愛するか」

 という問いかけには、神の愛、犠牲の愛を指す「アガパオー」という単語が当てられているのに対し、ペテロの回答の

「私があなたを愛することはあなたがご存知です」

 で用いられているのは、人間の愛、友情を指す「フィレオー」だとされている。

 しかし、実際にイエス様とペテロの間で交わされた会話はアラム語であったと思われる。つまり、福音書のこのくだりは、両者のやりとりに込められた意味を読み取って、ヨハネ自身が意図的に書き分けたということだろう。この辺り、大神学者の風格がある。

 ヨハネはエルサレムで、イエス様の母マリヤの面倒を見ていたと思われるが、晩年にはエペソに移り、そこで初代教会の指導的な役割を果たしたと言われている。恐らく、ネロ帝による迫害の中でパウロやペテロといった使徒たちが殉教し、最後に残った使徒として地中海沿岸一帯の教会から招聘されたのだろう。

 

 そのあたりの背景と使徒たち同士の結びつきを表現したくて、新約聖書編は掌編でありながら全体を一つながりの舞台として書いた。ヨハネを迎えに来たナザリウスと言う人物は、有名な「クオヴァディス」の伝説にも登場するペテロの従者で、ローマでの殉教の直前に一緒にいたと言われている。後にミラノで殉教し、聖人として尊敬されている。もちろん、ヨハネを迎えに来たというのは創作である。


 そうした綺羅星のごとき大使徒たちの中で、謙虚に控えているのが、ヤコブとユダである。

 ヤコブは、12使徒のヤコブではなく、イエス様の実弟で、ヤコブの手紙を記した人物である。幾人かいたとされている弟たちの中では唯一、復活したイエス様と出会っている。当初はただ、兄のことを案じていただけのヤコブは、復活の姿を目撃して180度変えられた。

 肉親が神であると理解した時の驚きは、余人にははかり知ることが出来ないものだろう。

「行いのない信仰は死んだ信仰」と断言するヤコブの手紙は、救いは行いではなく信仰によるものだとするルターから「藁の書」と揶揄されたこともあるが、実は行いを軽視する異端への警告であり、きちんとした信仰の上で書かれている。

 誤解を恐れずに自らの役割を果たそうとしたそのまっすぐさは、どこかイエス様の肉親としての共通点を思わせる。その生き様は、復活の姿をこそ直接見ることがなかったユダをはじめとする弟たちを信仰に目覚めさせるものだったのだろうとも思われる。


 聖書の執筆に携わった人々の物語を書いてきた。生きた人間としてのイメージを持つことで、聖書そのものに少しでも親しみを感じられたら、というのが狙いだった。想像の部分があるにせよ、それぞれの生きたところで、それぞれの思いの中で執筆されてきたものであることには違いはない。一度の企画会議も、一度の編集会議も開かれることなく書かれたはずの66巻が今日、一冊の聖書となって手元にある。そのことの奇跡を改めて感じている。このシリーズが、そんな聖書に親しむ一助として用いられれば、と願ってやまない。

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