第25話

 待合ホールは、私たちが来院した時と変わらぬ混み具合だった。あの現場に居合わせた者だけでなく、ニュースで何が起きたか知った者も、不安を感じ、それを払拭すべく受診しているらしい。

 何組もの家族連れが、互いの手を握り、背を擦り、慰めあっている。

 そして同じように、幾人分もの亡霊が、痛々し気に目を細め、彼や彼女に優しい言葉を囁いている。

「大丈夫、ここにいるよ」

「ここにいるよ」

「ここにいるよ」

 亡霊たちが、もういなくなった者たちが生者を支えている。その光景に、私は強烈な眩暈を覚えた。

 調整が終わったネムに、私はどんな顔を向ければいいのだろうか。帰りのタクシーの中で、どんな話をすればいいのだろうか。彼女が抱きしめているであろうサヨを相手に、どう振る舞えばいいのだろうか。

 私は夫として最低なことをしているのではないか。せっかく隣に来てくれたネムの望みを叶えてやれない私は、一体何なのだろうか。こんな簡単な選択一つでこれほど頭を抱えるでくの坊に、一体何の価値があるのだろうか。あの亡霊たちと、生者である私と、どちらが価値ある存在だろうか。


 そもそもネムは、私と生きるべきなのだろうか。

 彼女が手を離すべきはサヨの幻ではなく、私なのではないだろうか。

 私のことなど忘れて、サヨの記録の山と生活する方が、よほど――。


 もう何度も自問した疑問の数々。おそらく、そのうちのいくつかに対する答えは、既に明らかだ。

 ただ、私が見ようとしていないだけ。その答えが己にとって最悪であるという理由で、目を逸らしているだけ。これでは、〈REM〉に縋りつき、「死」という事実を直視しようとしない彼らと、何も変わらないではないか。

 自己嫌悪はさらなる自問を呼び、自問は次の自己嫌悪をもたらす。今すぐにでも逃げ出したい欲望を何とか抑え、患者たちの間を縫い、ソファに掛け、ネムの帰りを告げる通知を待つ。待つ振りをする。本当は、そんなもの来てほしくないにも拘らず。

 頭上に誰かの影がかかる。新たな患者のために、私は少し席を詰める。

 だが、その人影は一向に腰かけようとしない。


「ヨアカシ、だよね?」


 聞き覚えのある声に、顔を上げる。

 目の前に立つ男は、あの頃と少しも変わらぬ顔で、私を見下ろしていた。

 未だに幼さの残るその顔は、ひどく疲弊しているように見える。

「……クレサシ」

「久しぶりだね。本当に、久しぶり」

 旧友はそう言って、弱々しく笑った。ちょうどあの日、母親に対する無力感に苛まれていた時と同じように。

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生者の街 @ymst1137

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