終章


「……あ、――……」


 それは、紅の柱だった。

 あれほど美しかった金色の髪を泥で汚し、這いつくばりながら何とかステーションまで行って瞬間移動したばかりの柊茅里の視界を埋め尽くして、その獄炎は天壌すら突き破るほどの高さで燃え上がっている。

 涙が溢れて止まらない。頬を伝い、顎からその滴が地面へと吸われていく。それはきっと、現実を拒み続ける頭よりも先に、感情がその喪失を理解してしまっていたから。


 ――間に合わなかった。


 ただそれだけの事実が、むしばむように理解できてしまう。

 ぎゅっと、思わず千切れたネックレスを祈るように握り締めていた。

 今の東城大輝の想いに上書きされたその金属は、じわじわと掌から熱を奪い去っていくようですらあった。


「……それ以上近づかれては危険ですわ」


 そんな彼女の肩を抱いて起き上がらせたのは、ブルネットの髪をカチューシャで留めた少女――七瀬七海だった。

 それでもその手を振り払って、柊はその深紅の炎へと手を伸ばした。

 その奥にいるはずの彼へ。

 もうとっくに終わってしまっていると分かっていながら、それでも。


「……っ」


 その姿にもう七瀬は何も言わない。彼女もまた頬を濡らし、何かに耐えるように自分の腕を血が出るくらい強く握っている。凛とした顔を崩すまいと必死に堪える、悲痛な顔を浮かべて。

 ――そんな顔をさせたのは、柊だ。


「何やってたのよ、私は……っ」


 二年前、東城大輝を失った彼女は失意にくれた。もう一生分泣き尽くしたと思っていたし、これから先どう生きていけばいいかも分からなかった。

 それでも、立ち上がった。

 自分の知る彼とは違う。そんなことは分かった上で、それでも、同じ姿をした少年をもう一度失うなんて耐えられなかったから。

 罪悪感を薄めるための、どうしようもない自分のエゴだ。それを理解していてもなお彼女は東城大輝を守るために立ち上がった。

 その結果が、これだ。

 東城大輝は守れなかった。――それどころか、そんな死地に追いやったのは、紛れもなく自分の手だ。


「大輝を守りたかった。もう会えなくても、それだけでいいって、そう思ってたくせに……っ。その為だけに生きてきたのに、本当に、何やってんのよ……っ」


 自分勝手に何もかもを投げ出して、傷つけるだけ傷つけて、全部を彼一人に押しつけた。

 二年前と無力は少しだって変わらないのに、高慢さだけは手が付けられないほど肥大して。

 そんな自分を、いっそ焼き殺してしまいたくなる。


「――……た、いき……っ」


 もう返事なんて来ないと分かっているのに。

 それでも、その名前は口を衝いて出た。


「戻ってくるって、言ったわよね……っ」


 あり得ないと、そんなことは分かっている。


「帰ってくるって、言ったんじゃない……っ」


 それが彼の優しい嘘だなんてことは、自分が一番知っている。

 けれど、それでも。

 異例の名を冠する東城ならクラッシュさえも焼き尽くして笑って帰ってくるのではないか、なんて、そんなどうしようもないことを想像して願ってしまう。

 醜いことを散々言った。

 酷いことも散々やった。

 まだそのことを、一つだって謝っていない。その前にいなくなるなんて、どうしたって認められない。

 無茶苦茶を言っているのは分かっている。

 それでも、もう届かないのならせめて、それくらいのわがままを最後に言っても――……


「――――……」


 ふいに、木の葉が擦れ合うような、そんな小さな何かが聞こえた気がした。

 止めどなく溢れる涙を振りまいて、彼女は顔を勢いよく上げる。

 燃え盛る業火の柱は変わらない。

 だけど。


「……なんだよ」


 喉も焼けてしまったのかその声はひどくしゃがれていて、か細く小さなものだったけれど。

 それでもそれは、ずっと、ずっと、柊が恋い焦がれ続けていた人の声で。

 みっともなく流れる滴は、どれだけ拭ったって後から後から溢れてくる。


「笑顔で、って言っただろ……?」


 呼吸が止まるかと思った。

 その業火を割るように、一人の少年が姿を現す。

 力なく笑うその姿を、誰が見間違えようか。

 大気さえも焦がす紅蓮の中に立つ、その姿を。


「ぁ、あ……」


 両腕の皮膚は焼け爛れているし、服もかなり破れている。顔だって傷と火傷だらけで煤にまみれ、元の端正な顔立ちが台無しだ。

 それでも、彼だ。

 涙を流し声を嗄らして待ち焦がれた、あの東城大輝だ。


 気づけば、柊はふらふらと駆け出していた。そのまま、触れれば崩れ折れてしまいそうな彼の胸の中に飛び込んだ。

 子供みたいに泣きじゃくりながら、言いたいことを言おうとして全部が合わさってただの嗚咽になりながら、それでも柊は東城の身体を抱き締め続けた。

 もう二度と、そのぬくもりを放さないように。

 もう二度と、彼を傷つけることのないように。

 そんな柊を抱き留めながら、東城は少しだけ疲れたように、


「――ただいま」


 と。

 業火に照らされて赤く煌めく彼女の涙を指先で拭って、

 東城大輝は少年のような笑みを浮かべていた。

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フレイムレンジ・イクセプション 九条智樹 @tomoki_kujo

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