第四章 I burn everything to ashes. -9-
そして、東城大輝は所長の前に立ちはだかる。
「――テメェ、状況が分かってンのかァ?」
「聞こえてたよ。――この街は潰させない」
「そォじゃねェよォ。能力を無効化するオレを相手に、ンな満身創痍で勝てると思ってンのかって話だろォがよォ」
所長はいら立ちを隠すこともせずそう言った。
「神ヲ汚ス愚者はテメェが叩き伏せたァ。霹靂ノ女帝も今頃はそォだろォがァ。――たった一人で何が出来ると思い上がってンだァ」
「思い上がってるのはどっちだよ」
鼻で笑い、東城は自分の周囲に紅蓮の業火を侍らせる。
「最強の能力者を相手に、もう勝ったつもりか」
「上等だァ。――
眼光が燃える。
一歩も引かず、互いが睨み合う。
「――下がっててくれ、七瀬」
そして、東城は言う。
その言葉に目を剥いて、彼女は唇を噛む。
「わたくしも戦います。たとえ大輝様が何をおっしゃろうとも――」
「所長は無効化で能力をねじ曲げられる。俺の炎を操られたら、お前じゃ無理だろ」
「――っ」
分かっているから、七瀬はうつむくしかない。
もともと七瀬が東城に立ち向かえたのは、柊茅里という枷を用意し、その全霊を出させないようにしたから。東城の炎を横から奪った所長にはそんな人質はいないし、いたとしても気にも留めずに焼き払うだけだろう。
ここで彼女に優しい言葉をかけることは簡単だ。――けれどそれで、彼女を自分の炎で傷つけてしまうような真似は絶対に出来ない。
「……わかり、ました」
「そんな顔するなよ。――悪いけど、その間に柊のところに行ってくれ。どうせまた無茶するに決まってるからさ」
「……えぇ、任せてくださいな」
彼女がどれほどの思いを抱えているかなんて、考えなくなって伝わってくる。
それでも七瀬はそう言ってくれた。
「信じて、お待ちしていますから」
いまできる精一杯の笑みを浮かべて、それでもこぼれる涙を隠せなくて、七瀬は崩れた顔でそう言い残す。
そうして七瀬は走り去っていく。
それを最後まで見送って、東城は所長と向き合った。
「――もォ立ってるのも限界だろォがァ。強がってンじゃねェぞォ」
言って、所長が地面を蹴り東城へと拳を振り下ろした。
鍛え抜かれた肢体は、微塵の無駄もなくその動きに力を乗せる。まともに食らえば、一撃で地面に沈む。
「限界なんかとっくに超えてる」
それを。
東城大輝は所長の腕の横を裏拳で殴りつけるような形で、完璧にいなしてみせた。
「――ッ!?」
「それくらいで立ち止まってなんかいられないってだけだ」
体勢を崩した所長は、それでも踏み止まって、その流された動きすら力に変えて回し蹴りで東城の腹を薙ぎ払おうとする。
それに対して、東城はただ反対側へと跳んで威力を殺す。地面で受け身を取って半回転し、そのまま即座に東城は所長と向き合う体勢に戻る。
初めから能力は使わない。
直接的にしろ間接的にしろ、能力を使えばそれは所長の力で無力化される。炎による加速すら奪われるのであれば、無理に能力を頼る理由はない。
「能力は通じねェ。ただの高校生だろォがァ。それでオレに勝つ気かよォ」
「負ける気でお前の前に立つかよ」
最強を誇るかの燼滅ノ王を今の東城は振るえない。そんなことは分かった上で、東城はここにいる。
勝ち目がないとは思っていない。
ただそれは、あまりにも――……
「目障りなンだよォ!」
直後、小手先でどうにかしようとしていた東城をただの力でねじ伏せて、所長はそのみぞおちに蹴りを叩き込んだ。
数メートルは無様に転がった。唾液なのか血なのかも分からない液体を口から漏らしながら、東城はアスファルトの上で痛みを堪えて喘ぐ。
「手はなくとも精神論だけで何とか出来るってかァ? ざけンじゃねェぞォ」
倒れた東城の頭蓋を踏みつけて、所長はあざ笑う。
「そォいうヒーロー主義に虫唾が走るってンだよォ」
「――なれねぇよ……っ」
その足首を掴んで、東城は無理矢理に払いのける。
痛みでまともに呼吸が出来ない。立ち上がることすらままならないほど、もう体力なんて残っていない。
それでも眼光だけは衰えなかった。
「ヒーローなんかじゃねぇよ。そいつは、誰も泣かせないようなヤツを言うんだ。いまだって俺がどれだけ泣かせて来たと思ってんだよ……っ」
一番守りたかった少女だ。
彼女を泣かせる度、こんなにボロボロになった身体よりも、引き裂かれそうになる心の方がよっぽど痛む。
彼女を笑顔に出来たらどれほど嬉しいだろう。
涙を流させず「俺を信じろ」と言えば笑顔で送り出してもらえるような、そんな強さがあればどれだけ楽だったか。
けれど、そんなものを東城は持ち合わせていない。
英雄になんてなれない。
ただどこにでもいる高校生のまま、それでも、諦めてはいけないものがあったから。
だから、どれほどの痛みに耐えてでも東城大輝は立ち上がる。
「開き直ったふりしてンじゃねェよォ。そォやって誰かのために、ってェのが一番ムカつくっつってンだろォがァ!」
地面を踏み締めた東城の顔面を殴りつけ、所長は吠える。
「甘ェ理想をほざいてンじゃねェ。テメェらはただのモノだろォがァ。何にも知らねェ実験動物が偉そうに盾突いてんじゃねェ! テメェらはオレが殺す! テメェも霹靂ノ女帝も神ヲ汚ス愚者も波涛ノ監視者も! テメェらは肉片になるまですり潰して殺してやるよォ!!」
血飛沫が散る。
機関銃のように繰り出される乱打を、東城はほとんど防げなかった。躱す余力ももうなく気休め程度に腕で顔を覆ってみるが、骨と骨がぶつかるような音と共に、焼けた鉄をねじ込まれたような痛みが炸裂する。
能力がなければこんなものだ。
無効化を持ちながらも、武器の類いが能力者にとって逆手に取られる可能性を考慮してだろう。徒手で能力者を制圧するために、目の前の男は自らの身体を鍛え上げている。
その研鑽に、ただの根性論で東城が敵うはずがない。
ほんの数分耐えただけでも僥倖だろう。
頬骨は砕け、血で視界は真っ赤に染まり、腕も紫色に変色しておかしな方向に曲がっていて、もう身体のどこも正視に耐える状態ではない。
それでもなお、東城の膝は折れない。
「――お前が、何のために能力者を作ったのかなんて知らない」
「っ、テメェ、まだ――」
最後に殴りつけるように振るわれた所長の拳に対し、東城はその手首を掴んで受け止めた。
どこにそんな力が残っていたのかと驚愕に顔を染める所長だが、それは間違いだ。――そもそも東城は、この一瞬を、この一瞬だけを待ち続けていた。
「この研究ってやつは、お前がスタートじゃないってことは知ってる。年齢も合わないしな。私利私欲で引き継いだのかも知れないし、何か理由があって引き継がなきゃいけなくなったのかも知れない。――だけど」
逃れようとする所長だが、爪を突き立てるように握り締めた東城の手は離れない。それは肉に食い込んで、もう骨に届くのではと思わせるほど。
「それでも俺は、お前を認めない」
ミシミシとかすかに響く音は、東城の筋肉からか、あるいは、所長の骨からか。
苦悶の表情を浮かべながら殴りつけて引き離そうとする所長に対し、どれほど殴られ痛めつけられようと、東城大輝はその手を決して離さない。
「お前にどんな譲れないものがあったって、俺も引き下がれねぇんだよ。ここで俺がお前に同情すれば、それは俺が背負ったものを放り捨てるのと同じなんだから」
「テメェ、さっきから何を――ッ!?」
言いかけて、気づいたのだろう。
眼前の血に汚れた東城の顔面、その右目の周囲で、深紅に輝く光に。
「柊を殺すって言ったな。――させねぇよ。九〇〇〇の自由も、あいつの命も、お前なんかにくれてやるかよ」
「テ、メェ……ッまさかクラッシュかァ!?」
叫ぶ所長に、東城はうっすら笑って答える。
刻印を輝かせ、その背に煉獄の業火をまといながら。
「あぁ、そうだ。能力を無効化するっていうのも、シミュレーテッドリアリティを介した能力なんだろ。だったらあとは簡単だ。
無効化と言えども能力であるなら、それは演算力の勝負だ。東城が制御できない力を無効化で上書きするには、単純に東城すら凌駕するスペックが求められる。
「だから殴られてやったんだ。……もう痛みでまともな演算なんて出来る状態じゃねぇよ。――こんな状態で能力を使えば、あっという間にクラッシュだ」
能力の暴走がどれほどの規模になるのか、東城はその身をもって知っている。ほんの少し前に柊のそれを目の当たりにしているのだから。
「ざ、けンじゃねェぞォ!! ンな方法じゃテメェだって助からねェだろォがァ!!」
暴れる所長に対し、東城はそれでも決して離さない。
これが、正真正銘の最後の一撃だ。
「あぁ、いいよ。――俺の命くらいならくれてやる」
笑う東城の全身から火の粉が散る。この距離――彼の無効化が発動する距離で、だ。
既に本来なら荒れ狂うはずの業火を打ち消しているのだろう。それでもなお火の粉が、その無効化の限界を超えて漏れ出ている。
「ク、ソがァ……ッ!!」
逃げ出す術もなく、所長は絶望と憎悪に顔を歪ませていた。
所長の右腕を這う漆黒の蛇のような刻印は、黒く光を放ち続けている。だが、どれほど無効化を駆使しようと、その処理速度を超えて燼滅ノ王が猛威を振るう。単純な力勝負だからこそ、所長がこの瞬間にどれほどの策を張り巡らせたところで真正面からねじ伏せてしまう。
――業火が走る。
もう何も守るものはない。何も救う必要はない。
その業火は本来あるべき姿をもって、世界の全てを燼滅へと導く。
「……終わりだよ、所長。柊は傷つけさせない。九〇〇〇の自由は奪わせないし、この街も壊させない。その為に――……」
腹の底からわき上がる激情を、紅蓮の業火へと変換して吐き出す。
彼に出来ることは、初めからそれだけだ。
「お前の全てを、俺がここで焼き尽くす」
爆ぜる。
所長の絶叫すら焦がし、深紅の業火はその顎で二人の身体を噛み砕き焼き払う。
それは緋色の地獄だった。
灼熱の火炎が辺りの全てを溶かし尽くし、プラズマと化した空気が周囲の構造物を見境なく切り刻む。
絶対的な力を振りかざす業火と爆炎の嵐。烈火が颶風を呼び、暴風が猛炎を生み、絡み合うように膨れ上がり続けていく。
もはやそこに生命はなく、あるのはただの絶望だけだ。
――その灼熱の中心地で、東城大輝は最後にたった一人の少女の姿を思い出す。
彼女を泣かせてしまうことだけが心残りで。
だけど、彼女がきっと無事でいてくれることだけは誇らしくて。
最後に浮かべた彼の笑みが、
燃えた。
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