食物連鎖

枯嶋 枢

第1話 恐怖の底に落ち始めた非力な人間

「おはよう、アリス!」そう言い僕はいつも通りアリスを起こしに行った。「朝からうるさいなぁ」と眠たげな表情をしてアリスは僕の方を見てきた。そんないつも通りの日常が音を立てて崩れる日が来るなど世界中の誰も考えてもいなかったと思う。少なくとも僕らは考えてもいなかった。

僕の名前は、フェルトン・ノア。僕は妹のアリスと2人で自然豊かなカラナレムという町に暮らしている。僕らは3年前に父親を亡くし、父親が死んだことが原因となって精神が持たなくなった母は、1年前に他界した。そんなこんなで妹の世話から自分のことまで全て僕がこなしている。慣れたら楽だが、慣れるまで大変だった。朝食を机の上に広げ、アリスが来るのを待っている。今日のメニューは、パン、ベーコンとスクランブルエッグ、サラダボールとコーンスープだ。どれも美味しそうな匂いを漂わせている。その匂いにつられて、アリスが機嫌を直し早々と席についた。「いただきます」と僕らは食べ始めた。そんなゆったりとした時間の流れる食卓からテレビに目を移す。テレビにはニュースが映し出されていた。最近流行っている新型ウイルスについてだった。そのニュースによると、その新型ウイルスに感染したであろう人たちは、1晩経つと消息を絶っているというものだった。もう既にこの王国の人口の半分はいなくなっているらしい。予防策や治療策はまだ開発されてないという。この世には何とも不思議なことが起こるものだ。僕は頭の中で毎日疑問に思うことがある。『この村では、まだウイルス感染者がいないが、王国の人口の半分が消えることは本当にあり得るのか?』そんなことを考えながら朝食を食べ終えた。

その日の夜にアリスが僕に相談があると言ってきた。簡単に言うと、今日の昼にウイルスの流行り始めている隣町ナートルへうっかり入ってしまったということだった。相談している間も少しアリスは息苦しそうだった。ウイルスにかかっていたら大変だと思い、一生懸命に僕は治療した。治療と言っても医者ではない為、出来ることは限られているがそれでも出来る限りを尽くした。1晩で消息を絶つという噂が嘘か真か分からないが、朝まで起きておくことにした。夜中になってもアリスが消えることはなかった。だが急な睡魔が僕を襲った。何の前兆もなく急に目の前が真っ暗になった。目が覚めたのは明け方だった。焦って家中を探したが、アリスの声すら聞こえない。そう、たった1晩でアリスは消えてしまったのだった。ベッドの上にはアリスの着ていた服が脱ぎ捨てられた状態で散乱していた。

僕は悲しさと恐怖の余り涙すら出なかった。たった1人の家族を失い絶望し、ベッドの前で時が止まったかのように動かなくなっていた。噂によると、ウイルス感染拡大防止のためにウイルスに感染した人と接していた人は政府収容所に入れられ、殺されるらしい。僕は1日考えた結果、収容所で殺されるくらいならウイルスに感染して消えてしまいたいと思った。ウイルスに感染する方法は簡単だ。アリスのように、ウイルス感染者の出ている町に行けばいいのだから。僕は一枚写真を手に取った。父と母も写っている唯一無二の4人の写真だ。その写真と少しの食糧をかばんに入れそれ以外全て捨てた。そして僕は静かな夜に家を出た。感染者の出た隣町まで歩いて1時間程度だ。自分の足音以外何も聞こえない、澄んだ星空の下歩き続けた。歩きながら色々なことを想像した。『もしかして感染して消えたら、妹と会えるかもしれない。』そんなことさえ考えていた。都合のいい話だと思うかもしれない。だが、そうしていないと僕の精神を保っていられる自信がなかった。なんとかナートルに着いたが、誰1人として住んでいる気配すらない。空き家ばかりが立ち並んでいるかのようだった。町の人たちがウイルスに感染し消息を絶ったのか、はたまた収容所に捕まったのか僕には想像すらできなかった。僕は空き家を見つけ、そこで感染するまで生活することにした。寝室であろう所で横たわると疲れからすぐにぐっすり眠ってしまった。夜も深くなってきた頃、妙な違和感を首のあたりに感じ、目が覚めた。何か虫が這いずり回っているかのような感覚だった。気持ち悪いと思いその虫を取ってみた。よく目を凝らしてみると、人間のような形をしていた。僕は目を疑った。ここはおとぎ話のようなメルヘンチックな世界ではないのだ。小人が存在するのか?いや、そんなはずはない。しかし。何度見ても人間にしか見えないのだ。大きさは2センチ弱男の人のようだった。息苦しさを若干覚えながらぼんやりとした視界の中で必死にその男を見た。口をパクパクさせているが、何を話しているか聞き取ることすらできない。『ウイルスに感染し、何か悪い夢を見ているに違いない。』そう信じてそのまま男のようなものを外に捨て、深い眠りについた。

起きたのは翌日の朝だった。まだ僕は生きていた。いつも通りの朝がまた始まった。だが、昨日と1つだけ違うことがあった。遠くに見えるのは巨大な壁だった。その巨大な壁で四方を囲まれている。そう、とてつもなく広い空間にいたのだ。上を見上げても青空は見えず、ただはるか上の方に白一色の天井が見えるのだった。何故かは分からないが、不思議と不安や焦燥感は無かった。すごく落ち着いており冷静だった。それもあって自分のいる場所はどこだかすぐにわかった。昨日の記憶にある空き家の寝室のような場所とそっくりだったのだ。寝室がただ巨大になったという言い方が正しいと思いたかったが、そんな訳はない。寝室の記憶と共にある、虫のような小人と出会った記憶。その記憶が全てを物語っていた。部屋が大きくなったのではなく、僕自身が小さくなったのだ。これから想像すらつかない恐怖に追われることなどまだこの時の僕が知ることは無かった。

僕は体がどうして急激に小さくなったのか考えた。『原因はウイルスだろう』という結果に辿り着いた。夜中に起きた時の息苦しさといい、妹が感染していた時にかなり近い状態だった。更に、持ってきていた食料を入れた鞄は大きいままだった。身につけているものに大きさの変化がないので、人間以外小さくならないのだろう。一昨日のニュースで聞いた、ウイルスに感染した人が消息を絶っているというのも、感染した人が消えたわけではなく体が縮んでいたと仮定すれば全て辻褄が合う。人がウイルスに感染したら、たった1晩で縮むなど誰も予想がつかないだろう。だからみんな感染者は消えたと思っていたのだ。そう考えているうちに僕はあることに気がついた。それはまだ妹のアリスが生きている可能性が十分にあるということだ。『もしそうだとしたら、僕らの家にまだアリスは居るかもしれない。』そう考えるだけで不思議と元気が湧いてきたのだ。しかし現実はそう甘いものでは無いということにすぐに気付かされた。まず昨日見た小人は2センチ弱だったので僕の身長も約100分の1程度になっていると考えられた。そのことにより、大きかった頃の体で1時間程度かかった道のりを小さい体で歩くとしたら、何倍の時間がかかるかもわからなかった。だがそうこう考えている時間さえ惜しくなった。『とりあえず昨日外に捨てたあの男の人に謝りに行こう。』そう思い僕は落ちていた小さな布を腰に巻きつけ、玄関の方向へ歩いて行った。

玄関にたどり着くまでかなり時間はかかったが、玄関は相変わらず開きっぱなしだったので外に出ることは容易かった。すると、かなり強い鉄の臭いが僕の鼻を貫いた。その臭いの方向に歩くとそこにあったのは、見たこともない量の血溜まりだった。周りには肉片や粉々に折れた骨、飛び散った内臓や眼球など見るに耐えない物ばかりがあった。原型すらとどめていないが、その生物が何かは僕が1番分かっていた。それは人間の死体だ。そして、その人を殺したのは僕だった。昨日外に小人を捨てた時、虫を外に逃がす時と同様に僕は立った状態でその虫のような小人をそっと投げ捨てたのだった。虫は体が硬い殻で覆われていたり、弾力性があったりする為、多少の高さから落としたところで無傷で済む。しかし人間はどうだ?そっと投げたからと言って地上1メートルくらいのところで投げられたとしても、100分の1に縮んだ人からすれば高さ100Mの超高層ビルから何も持たず飛び降りるようなものだ。そんなのひとたまりもないに決まっていた。僕はようやく気がついた。ここでは常識が通用しない。今まで当たり前だと思って考えたこともなかったが、人間がどれだけ非力であるかを目の当たりにした瞬間だった。ここでは人間が1番強い生物だということが通じない。『もしかしたら1番弱いのではないか?』そう考えると原型すらない昨日の男を目の前にして恐怖に怯えた。僕はアリスのところまでたどり着くことさえ出来るかわからなく思えてきた。だが進むしか生きる道はないと思い始めていた。僕は死体を横目に突き進んでいく決心をした。

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食物連鎖 枯嶋 枢 @karesimakururu

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