その2『誰のために』


 何だよさっきから


 うっとおしい


 仕事の邪魔だ


 すでに東北と九州で仕事をしてきた私は


 地震 台風 洪水 あらゆる手を尽くし


 人間どものつくった多くの建造物を限りなく破壊し


 数百人の命を奪い


 その十数倍の人間を泣かせてやった


 希望を絶望に変えてやった





 いい気味だ


 ちょっと知恵と霊性を与えられたからってつけ上がる


 人間どもには今回はいい薬だろうよ


 私は水害を司る悪の天使


 まだ関東で都市部に鉄槌を下し国の基盤を壊す仕事が残っている


 なのにさっきからうるさいハエがチョロチョロしている


 人間風情が


 こざかしい





 どうやらただの人間とは違うらしい


 異能力者だ


 ヤツの中には水の精霊が棲んでいる


 水をある程度自在に操る力を持っているようだ


 道理で


 まだ若い娘っ子だ


 私が行く先々で私の邪魔をする


 無論どんなに力があろうがデーモンの私にかなうはずがない


 せいぜい、流された数人の命を救うか


 濁流を数分せき止めている間に人を逃がすかできる程度


 おまけに人間は肉体などという厄介なものがあるせいで


 水霊使いの娘の体は限界に来ている


 それでもまだ私に向かってくる——




 ……お前には私が見えるのか


 私は娘に話しかけた


 人間風情と口をきいたのはこの千年の間で初めてだ


 ……ええ


 ……ムダなことを


 私は大地に息を吹きかけた


 大量の泥水を召還した


 街は一気に建物の二階部分に達するまで水流に呑まれる


 



 ……やめとけ


 私は自分の仕事を続けながらあきれて言った


 ……お前骨折はしてるし血を吐いているではないか


 バカではないのか


 死んでどうする


 損してまで人を救う意味が私には分からない


 長年戦争を続けている光の勢力もそうだ


 あいつらは一体どういう神経をしてるんだ


 


「アクア・トルネード!」


 ……まだやる気か


 奔流の中央に大きな水柱が立った


 溺れ流されていたまだ小さな女の子の体を押し上げる


 その水柱がまだ浸水していない高い場所に子どもの体を引き上げると——


「まだ、助かる」


 水霊使いは子どもの腹を押して水を吐き出させ


 人工呼吸まで始めた


 私は鼻で笑った




 おいおい


 お前がその子ひとりを助けている間にな


 一体今何人の人間が下を流れていってると思う?


 かわいそうに


 お前に選んでもらえなかった人間は運が悪いことよ


 ほれほれ


 また一人二人死んだぞ


 数分後には三十人だ


 無力なヤツ



 

 娘はこの私に電撃を放ってきた


 ……痛いじゃないか


 人間のくせに


 私を倒そうというのか


 そんな弱っちい攻撃で


 自殺行為だ


 私がちょっとその気になれば人間など一瞬で数千人殺せる


 ただ闇の世界にも色々と秩序と掟があって


 今回のように特別に上から許可されたのでない限り力を乱用できない




 一瞬で水霊使いを肉片に砕いてやろうと思ったが気が変わった


 娘は泣いている


 何で泣いている?


 ただの悔し涙なら私も気持ちが揺らぎなんかしない


 何だあれは


 なぜ千年を生きる闇の師団長たる私が動揺せねばならんのだ——




 ごめんなさい ごめんなさい


 私の力が足りなくってゴメンね


 助けてあげられなくてゴメンね


 娘は地面を叩いた


 コブシが血でにじむ


 娘の体に青の炎が燃え上がった


 残りのエネルギー全部をこちらにぶつけてくる気だ


 そんなことされても私は痛くもかゆくもないが


 いや ちょっとかゆいかもしれないが



「デーモンスレイヤー・ボルト!」



 あの娘 力をまったくセーブしてない


 死ぬ気だ


 


 分かった分かった


 お前の怒りと真剣さの程度は分かった


 今私がお前を倒しても勝った気がしない


 多分めちゃめちゃ後味が悪い


 それじゃ私の負けだ




 面白い


 日頃自分より怖いものがないからな


 こんなに胸踊る経験はめったにできない


 よろしい


 今回は引こう


 これ以上の災害はもう下さない


 傑作だ


 人間に負けて帰ったら部下は大笑いだろうな





 私は自分でも信じられないことをした


 ほっとけば娘はじき死ぬと見抜いていた


 念動力パワー残量ゼロ


 おまけにろっ骨ほぼ骨折 内出血箇所多数


 じき心臓が止まる


 ……お前には負けたよ


 破壊にしか使ったことのない力を


 この娘を救うのに使ってしまった





 ……ありがと


 娘は力が自分に流れ込んできたことを悟ったのだろう


 私は初めて他者からお礼というやつをされてしまった


 ……なに 大したことではない


 実は大したことだ


 でも黙っておいた


 しかしエスパーに隠しごとはできない


 すっかり健康体に戻った娘はクスクス笑っている


 ……なっ 何がおかしい




 ……お前のような者がもっとこの世にいればな


 私は嘆息した


 そうしたら世界はもっと違っていたのかもしれない


 私が誕生する必要はなかったかもしれない


 すこし疑問が生じた


 そして興味が生じた


 善とは何か


 愛とは何か


 どうしてこの娘のように自分より人のために生きれる者がいるのか




 忘れるな


 お前に免じて今回は引くが


 今度の制裁は不当なものではないのだぞ


 お前たち人間がトータルでしでかしたことの代償を


 私が請け負って払わせに来ただけだ


 まぁ頑張れ


 お前のような者が世界を変えるのかもしれない


 次に私が来るときは容赦しないぞ


 お前たちが何も学んでいない証拠だからな


 その時お前が立ちはだかったなら


 遠慮なく殺してやる——




 ……がんばるよ


 娘は言った


 人間って救いようがないかもしれない


 どの生き物よりも知恵があるくせに一番愚かかもしれない


 でもね


 私も人間なんだ


 人が大好き


 だからどんなに微力でも戦う


 最後まで戦う


 例えまた人間が罪を犯して


 またあなたが災いを下しにやってきても


 私はやっぱりあなたの前に立つ


 そして全力で戦うと思う




 さらばだ娘よ


 そういえば名を聞いていなかったな


「菜穂。水谷、菜穂」


 面白かったぞ


 私は自分を知者だと思っていたが


 世界にはまだまだ学ぶことがあるものだな


 何となく分かった


 本当に強い者とは


 私のような者のことを言うのではなく




 菜穂とやら


 お前のような者なのかも知れない——

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水の通り道 賢者テラ @eyeofgod

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ