第7話

「はじめに確認したいんですが、コーヒーって豆の種類によって扱い方が変わったりするんですか? ブルーマウンテンやグアテマラとか」

「ああ、変わるぜ。それぞれ適切な焙煎の度合いがあって、見合った抽出方法も種類によって異なる。俺はとても全部は覚えきれていねえが、椀田さんはぜんぶ頭の中に入ってるはずだ」

「椀田さんの知識ホントすごいよ! 玉置君も椀田さんのコーヒーうんちく聞いてみたらどう?」

「いや、それは」

「湊さん、それより今は翔君の話だよ」

 さっそく脱線しかけた話をいい塩梅に安心院が修正する。つまり雑談にふけっていないでさっさと話せということだろう。安心院は優しいようで陰では見た目通りしたたかな男なのかもしれない。

「あの、焙煎って、なんですか?」

「生の緑色のコーヒー豆に火を入れて飲みやすくする工程だよ。生のまんまだとすっぱくてとても飲めたもんじゃないの。でも熱を加えると苦みやコクなんかっていうコーヒーっぽい味がするようになるんだよ。ね、部長?」

「そ。んで、焙煎が深ければ深いほど基本的に苦くなりすぎる。だから豆によって適した焙煎度ってのがあるんだよ」

「そうなんですか」

「それで、焙煎度が椀田さんの話とどうつながるんだ?」

 名児耶も名児耶で話の本筋が早く聞きたいらしい。彼の真正面ではハルも熱心に話を聞いていた。彼女と目が合うと妙に照れくさくなり、翔の方から目をそらした。

「結論から言いますと、あのコーヒーは練習用だったんじゃないかな、と」

「練習用って、えりこさんの?」

 ハルの問いに翔は目を合わせずうなずいた。

「あの人、その、修行中って言ってたから。早く一人前になれるように、日々コーヒーを淹れる練習をしているのかな、と思って」

「しかしえりこさんはプロを目指してんだ。そんな粗悪な豆じゃなく、きちんと現場と同じ豆で練習するべきなんじゃないか?」

 名児耶は年長者なだけあって指摘が鋭い。翔はうっかり、そうですね、と納得しかけてしまった。

「あの、でも、えりこさんってプロになりたいならなおのこと、たくさん練習しますよね。だから店の豆で練習すると、豆があっという間になくなってしまうんだと思います。お店に出すわけでもないのに、無駄に豆を消費するのはもったいないですよね?」

「確かに、お金もバカにならないねー」

「だから、えりこさんの練習用の豆には安いカネフォラ種――えっと、実際にはロブスタ種でしたっけ、それでかさましされていたんだと思います。そして『ワンダー』で出してるのって……シングルオリジンでしたっけ、一種類の豆をそのまま混ぜずに出しているんですよね。そしてそれぞれ扱い方が微妙に異なるから、それぞれの豆にロブスタ種をブレンドしたものも用意していました」

「つまり翔君が言いたいのは、それをうっかり椀田さんが僕たちに出しちゃったってこと?」

 そんな言い方ではまるですべての非が椀田にあるようだったが、他に言い換えが思いつかなくて、はい、と翔はうなずいた。椀田には内心で謝っておいた。

「うーん、僕は椀田さんがそんなケアレスミスをする人だとは思えないけどなあ」

「いやいや安心院さん、案外娘につく悪い虫を追っ払いたくてわざと出したのかもしれませんよー。ね、部長」

「なんで俺を見るんだよ」

「でも、当の本人は味が分からなかったみたいですけどね」

「だからなんで俺を見るんだよ」

 面白いほどうろたえる名児耶を後目に、くすくすとハルと安心院は笑いあっていた。翔もぜひとも仲間に入れてほしかったのだが、乗り遅れてしまい、ただにやっと怪しい笑みを浮かべただけになってしまった。

「椀田さんもえりこさんの腕が上がってきたら、本物のコーヒーを使わせるつもりだったのでしょう。でも、えりこさんの腕はまだまだその段階ではない、んじゃないですか?」

「まあ、そうだよね。えりこさん下手だもん」

「こら、湊さん。そんなこと言っちゃだめだよ」

「まあそこがかわいいところなんだけどなあ」

「部長、のろけですか?」

「バカ、違ぇよ」

 腑に落ちた、という顔で倶楽部の面々は各々体を伸ばした。安心院は二つ目のパフェを注文し、ハルは二杯目のメロンソーダをずずっと飲み干す。名児耶がトイレに席を立ったので、翔もジンジャーエールのおかわりをしに立ち上がった。



 翔はハルを送ることになった。

 名児耶は駅、安心院はバス停へとそれぞれ散っていく。地元民の翔とハルは徒歩で自宅へと向かった。ハルの家はイオンの近く、ファミレスからもそう遠くないマンションに住んでいるらしかった。

「椀田さんもいい人だよね」

 ハルは翔と肩を並べていた。ワンピースがぼんやりと月光を反射してぼんやりと光って見える。

「えりこさんのためにわざわざ練習付き合ってるもんね。たくさんの失敗作をずっと飲んでやってて、お前、また味が落ちたぞ! なんて言われたりして」

「そうかな」

「そうだよ! ぜったい! 父親ってそんなもんだよ!」

 ハルが胸を張って、まるで父親になったことがあるかのように宣言した。その姿がかわいらしくて、翔はつい声を上げて笑った。

「そうだね、うん。椀田さんはえりこさんにずっと店にいてほしかったんだと思う」

「そうなのかなー」

「だって、練習用にロブ臭のする豆を混ぜたんだ。案外、えりこさんの舌をバカにさせて独立させないよう画策していたのかも」

「それはずいぶんうがった考えだねー」

「そうかな」

「私はそうは思わないな」

 ハルは暗闇の中でにっこりと笑った。

「椀田さんはきっとえりこさんの独立を願ってるよ。だって、えりこさんの淹れたコーヒーを飲んでるのは椀田さんの方なんだから」

 ああ、そうか。翔は空を見上げた。

 コーヒーのような黒々とした空に、満月がぽっかりと浮かんでいた。

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