黄色いりぼん

雨世界

1 あなたに出会えて私は本当に幸せでした。

 黄色いりぼん


 プロローグ


 あなたに出会えて私は本当に幸せでした。


 本編


 10月1日


 弥生から美羽への手紙。


 みはねちゃん。お手紙ありがとう。私も頑張っています。相変わらず文章は下手だけど、私のあたまの中には描きたい物語がもう頭が爆発してしまいそうなくらいたくさん詰まっています。それをすべて形にすることが私の夢です。だから私は小説家になろうと思いました。でも今のところ、この私の本当の夢を知っているのはみはねちゃんだけです。だから今のところはみはねちゃんの頭の中だけの秘密にしておいてください。時間がきたら、私からみんなにそれを発表します。でも今はみはねちゃんだけです。これは私の信頼の証です。もう本当に死んでしまいそうなくらい恥ずかしかったんですよ。でもね、みはねちゃん。みはねちゃんが必死に、真剣にピアノに取り組んでいる姿を見て私も決心ができたのです。夢を追いかけることはだめなことじゃないって気がついたんです。ありがとうみはねちゃん。がんばっているみはねちゃんの姿を見なければ、私はみはねちゃんと友達になれなかったら、きっと小説家になるという夢を、夢のまんまで無くしてしまっていたんだと思います。だから本当に感謝しています。ありがとう。みはねちゃん。お手紙また書きます。絶対に書きます。だからみはねちゃん。いつまでたっても、どれだけ私たちが大人になったとして、もし私たちが今のように離れ離れになってしまって、あんまり会うことができなくなってしまったとしても、私のこと、やよいのこと。ずっとずっと、忘れないで覚えていてくださいね。宜しくお願いします。


 追伸。


 新しく書いた物語を手紙に書きます。できたら、読んだ感想を書いて手紙で送ってください。待っています。辛辣な意見でもいいですよ。覚悟はとっくに、できています。ピースサイン。ブイ。

 あ、作品のタイトルは『黄色いりぼん』です。


 手紙を描き終えた弥生は窓の外に目を向けた。そこには雨が降っている。弥生は雨の中を近所にあるポストまで傘をさして走っていくことが億劫になる。でも手紙を出さないわけにはいかない。そう決心すると弥生は椅子から立ち上がって書き終えたばかりの手紙をきちんと折りたたんで、それから封筒に入れてから手に持つと部屋を出てぱたぱたとした足取りで階段を降りて一階に移動して、キッチンでコーヒーを一杯だけ飲んでから、靴を履いて傘を持って、玄関から家の外に出ると、雨の降る空を一度見上げて、それから傘をさしてコンクリートの道路の上を小走りで走り始めた。


 ポストまでは五分でついた。その帰り道に弥生は本屋に寄って何冊かの小説を選んで、その中から一冊の本を購入した。


 10月15日


 弥生から美羽への手紙。


 文章を書けば書くほど実在してる人間 またはあらゆるものの存在に驚かされます。私は人間というものを本当になにも知らなかったのだと思い知ります。本当に創作は深いです。癖になります。一生涯、やめられそうにもありません。みはねちゃんはどうですか? やはり音楽というものも、そういうところがあるのでしょうか? 音楽は人間を表現するのですか? それとも自然とか神様とか、そう言った抽象的な概念を表現する芸術なのでしょうか? 私としてはみはねちゃんには(神様とか、流行とか、そういうことではなくて)みはねちゃんの感情を表現してもらいたいと思っています。みはねちゃんのすべてをそこに残して欲しいと思っています。でも、音楽とはそういったものではないのでしょうか? 音楽音痴の私にはわかりません。でもできたら、そうした音をみはねちゃんにはずっと奏でていて欲しいと思うのです。私は文章で自分の感情を表現します。とてもエモーショナルな文章を書きます。それが私の文章であり、私の芸術だからです。そのことに対して、周りの反応はあまりいいものではありません。でもそれでもいいのです。私がそうしたいのだから、それでいいのです。なんだか手紙を書いていると創作をするやる気がめきめきと湧いてきます。私はこれから、この手紙を書き終えたらすぐに新作の執筆に取り掛かります。みはねちゃんも新しい音楽を作り出してください。できたらその音源を私にもなんらかの形で送ってもらえると嬉しいです。みはねちゃんの音楽を楽しみに待っています。では、また来週。さよなら、みはねちゃん。


 弥生。


 11月1日


 弥生から美羽への手紙


 はぁー。なんだかちょっと疲れました。もしかしたら風邪をひいているのかもしれません。最近スランプなんです。あんまり文章がのりません。机に向かうのも億劫になることがあります。以前では考えられないことです。その原因の一つはきっとみはねちゃんがいなくなってしまったことが大きいのではないかと私は考えています。みはねちゃんは私の書いた文章を読んでくれたり物語の内容などの話を聞いてくれたりしましたよね。あれはね、実はみはねちゃんにだけしていた行為なんです。私はみはねちゃん以外の人に私の書いた小説や文章を見せたことはまだ一度もありません。そんな自信は私の体の隅からすみまでを探してもどこにもないのです。優しいみはねちゃんにだから見せることができたのです。あんなに美しい音を奏でるみはねちゃんにだからこそ、私の文章を読んでそれを評価して欲しいと思ったのです。でも今はそれが自由にはできません。こうして手紙のやり取りをするだけです。時間がかかりすぎちゃいます。本当に不便です。本当に悲しいです。みはねちゃん。また昔みたいにお互いの顔を見ながらお話ができるようになればいいですね。本当にそんな奇跡みたいな毎日が送れるようになればいいなって思います。本当に、本当にそう思います。


 追伸


 すみませんみはねちゃん。今回の手紙は、なんだか愚痴みたいになってしまいましたね。今度はもっと前向きな文章を意識して書きます。ではまた来週。みはねちゃんのお返事を楽しみにしています。 


 弥生より。


 余計な一言。人は生きるヒントを探すために小説を読む。

 

 ……弥生が手に持っている手紙の束は、そこで終わっていた。

 それが最後の手紙。


 美羽ちゃんからのお返事の手紙がこなくなったのは、それからすぐのことだった。

 最後の美羽ちゃんからの手紙には「今までお手紙ありがとう。本当に弥生ちゃんのお手紙は嬉しかったです。私の心の支えでした。私はどうやら、自分の夢を叶えることが、できないみたいです。でも、弥生ちゃんは、自分の夢を叶えて(もし可能であるのなら、私の分まで)、ちゃんと幸せになってください」という文字が書かれていた。

 当時の弥生は(そして今の大人になった弥生も)その手紙を読んで一人、涙を流した。

 そんな昔の悲しい思い出を、大人になった弥生は、まるで隠された財宝でも見つけるようにして、古い宝箱の中から古ぼけた手紙の束を見つけて久しぶりに鮮明な記憶として思い出した。


「懐かしいな」

 目元の涙を指で掬いながら、弥生は言う。

 小日向弥生の見つけた小さな木箱の中には、そんな昔の自分の手紙がたくさん、たくさんはいっていた。

 それは自分の親友である幼馴染の女の子、狩野美羽に向けて書いた何通もの弥生自身の小学校時代の手紙だった。

 この手紙は弥生が大人になってから、美羽のお母さんから、直接会って、手渡された弥生自身の書いた手紙たちだった。

(その手紙は、美羽の手を通じて、結局、美羽のお母さんの手から弥生の元に、帰ってきてしまった手紙たちであると言える)

「美羽は最後まで、この手紙を大切に、まるで宝物のようにして、すっと手元に置いて保管していたんですよ」

 にっこりと笑って美羽のお母さんは言った。

 その手紙の束の中には、弥生が書いた最初の小説である『黄色いりぼん』の文章が書かれた原稿もあった。(黄色いりぼんは、離れ離れになった弥生と美羽が、もしそうはならないで、同じ中学校、高校に進学していたら、と言うもしもを描いた物語だった。弥生と美羽が一緒に通うはずだった、弥生の母校である聖マリア女学院は、その首元に黄色りぼんをつけることが、伝統となっていて、その黄色いりぼんに、弥生とそれから美羽は、ずっと憧れを抱いていた)

 その文章を弥生は久しぶりに読み返して、苦笑した。

「よし」

 懐かしい手紙を読み終えて、それを大切に元の木箱の中にしまったあとで、あったかいコーヒーを一杯だけ飲んでから、そう言って、弥生は引越しの準備の続きに取り掛かった。

 明日からは、夢にまで見た東京での暮らしが始まる。

 そこで私は、自分の夢を絶対に叶えてみせる、と大学生の小日向弥生は、一人、そう思って気持ちに気合いを入れるのだった。


 弥生の部屋の中に、優しい春の風が吹き込んでくる。その風が真っ白な弥生の部屋の黄色い色のカーテンをかすかに揺らした。


 黄色いりぼん 終わり

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