運命の輪

賢者テラ

短編

「へぇ。じゃあ、とにかくアタックあるのみね! ありがとね」

 スッキリした表情を浮かべた秋子は、ナチュラルブラウンのロングヘアをかきあげる仕草をした。占いの良い結果に勇気を得た彼女は、恐らく明日にでも意中の人に告白することだろう。

「やっぱ占ってもらってよかったぁ」

 ガタリと席を立った秋子は、教室を出て行く。

 チェックの制服のスカートをひるがえして、鼻歌を歌いながら廊下を駆けていくその様子は、かなりうれしそうだ。

「それじゃ、次の人——」

 テーブルに並べられていたタロットカードをまとめると、雅夫は後ろに並んでいる女子の列に声をかける。

 見たところざっと15人くらいは順番待ちをしている。

 列の中には雅夫のクラスの女子以外にも、他クラスからも噂を聞きつけて女子生徒が来ていた。

「ハイハイっ、次アタシね、アタシ!」

 待ってましたとばかりに、次の女子が秋子のいなくなった席にドッカリ座る。

「じゃあ、占って欲しい事柄を教えてください。そして、そのことだけを強く念じてこのカードをシャッフルしてください。いいですか、余分なことは考えずに、占ってほしい事に集中してください——」



 高校二年になる高柳雅夫がタロットカードを手にしたのは、半年前。

 動機は、至って不純である。

『女子にモテたいから』

 彼は、女子連中がやたら占いにご執心であることに目を付けた。

 彼女たちは女性雑誌を学校に持ってきては、今週の運勢はどうだのこうだのという話に花を咲かせている。朝学校に来る前に見てきたワイドショーもどきの報道番組で、たった1分だけ流れる『あなたの今日の運勢』 自分はどうだった、という話もたまに小耳にはさむ。

 聞いていると、本当にいい加減である。

 基準になるのは、たいがいは星座。

 つまり自分の誕生日に対応して何座である、ということを根拠にして「今日のなになに座さんの運勢は?」と教えてくれるのである。

「マジ最低! 今日のワースト運勢はどこのどいつだぁい?  てんびん座……ってアタシだよっ!」

 かと思えば、同じ時間帯に裏番組で流す占いは星座ではなく『血液型』が判断基準であったりする。



 雅夫は思うのだった。

 そういう占いの判断って、どういうひとがどういう根拠で、何の権威があって言ってるんだろうか? 男の雅夫にしてみれば、バカバカしいこと極まりない。

 しかし、雅夫はあえて自分がバカにするその占いというものを、あえて研究してみることにしたのだ。

 自分の主義に目をつむってまで、バカにするそれをするのは、ただ女子にチヤホヤされたい、人気を得たいというただそれだけである。



 星座や血液型どうのは、雅夫がいなくても雑誌やテレビの情報で事足りてしまう。

 手相は、何だかジジクサイ。

 女子の手に堂々と触れられるオイシイ占いだが、今時の女子の心をつかめるとはあまり思えない。イマイチ、インパクトに欠ける。

 姓名判断など、本さえあれば自分でできてしまう。最近では、インターネットで名前さえ入力すれば占ってくれる姓名判断サイトすらあるから、よほどのプロでないかぎりあえて人前でするものでもない——。

 考え抜いた末、雅夫が選んだのはカード占いだ。

 トランプ占いじゃ幼稚臭い。やっぱりここは、きちっとしたプロが使う占いのカードでないと……と、意外に凝り性の正雄は考えた。

 そう。すなわち『タロット占い』に手を出すことにしたのだ。



 雅夫は電車に乗って、都内のかなり大きなデパートへ行った。

 玩具売り場のフロアの一角に、テレビゲームや子どものおもちゃとは趣を異にするコーナーがあった。

 そこにはチェスや将棋、世界のトランプや占い関係の道具など、どちらかと言えば『大人向け』な雰囲気の漂うコーナーがある。

 ショーケースの中には、驚くほど多種類にわたるタロットカードが陳列され、販売されている。中には、美術品と言ってもいいくらいに惚れ惚れするような絵柄のカードもあった。

 雅夫の目は、商品たちに釘付けになった。



「いらっしゃいませ。タロットに興味がおありですか?」

 二十代後半くらいと思われる女性店員が、声をかけてきた。

 雅夫は、興味があるのだが初めてなんだということを伝えた。

「それなら、カード一枚一枚の詳しい意味や占い方の書いてある教則本とセットのタロットがいいかもしれませんねぇ。おすすめなのは『1JJスイス』か『ウェイトライダー』と呼ばれるカードですね。日本人にも親しみやすい、きれいな絵柄のカードですよ。クラッシックタロットの絵はちょっと好き嫌いが分かれますが——」

 店員さんの親切なすすめもあって、取り合えず雅夫はウェイトライダーと呼ばれるデッキを一組・そしてそのカードの絵柄で説明されている教則本を買った。

「占いに慣れてきたら、また別の種類のカードをお買い求めになることをお勧めします。と言いますのも、ひとつのカードを使い続けていると、固定観念と言われるものがカードにしみ付きやすくなってきて、占っても同じカードばかり出てきてしまうということもあるんです。ですからプロの占い師は常に数組の種類の違ったタロットをそばに置いていて、順番に使うことでそれを回避しているようです」



 ……なるほど。深いなぁ。



 つい一週間前までは、占いをバカにしていた雅夫だったが、今ではもうすっかりタロットカードのとりこになっていた。



 雅夫は家に帰るなり、むさぼるように占い方の教則本を読み始め、一枚一枚のカードの意味を覚えていく。

 タロットカードの枚数は、78枚。

 しかももし絵柄が逆さま(占い者から見て逆位置)に出てくれば、正位置の時とは意味が変わる。それも、いちいち覚えなければならない。

 占い師が、『えーっと、このカードの意味は何だったかなぁ?』などと言って虎の巻を片手に占っていたんでは、見た目にかなり情けない。

「まぁ、あんたもやっと目覚めたのね!」

 息子が珍しく勉強してるのだと誤解した母親は、夜食を持ってきた。

 誤解を解くのも面倒だったので、そのままにしておいた。

「……お兄ちゃんがおかしくなったぁ!」

 中学生の妹まで、そう言って騒ぎまわった。

 いかに日頃、雅夫が勉強していないかが分かる一幕である。

 しかし、不思議なことに——

 あれだけ勉強が嫌いで、暗記物を苦手とする雅夫が、ものの一週間程度で、すべてのカードの意味をマスターしてしまった。

 モテることへの執念は、すさまじい。



 さて。いよいよ雅夫がタロット占い師としてカミングアウトする時が来た。

 友人との話題の中で、さりげなく自分が最近占いに凝っているんだということをほのめかす。すると、珍しいことや面白いことは大歓迎な友人達は、さっそく占ってくれともちかける。

 雅夫が本格的なタロットカードを取り出すと、皆『オオッ』と感嘆の声を上げる。最初はもちろん、無難に男友達に対して占いをしていた。

「あ、高柳君。それってタロット占い? わぁ、私も試しにやってぇ!」

 女の子は、こういうものには目ざとく、すぐに飛びつく。

 これは、雅夫の計算どおりであった。

 お昼休みだけで、実に10人の女子を相手に占った。

 カードがきれいなのと、運勢のいい悪いだけでなく思ったより色々な要素が占いから導き出せることに、女子たちは感嘆の声を上げた。

「あ~あ。じゃ明日は私だかんね! ちゃんとやってよ」

 その日に占いきれないと、明日の休み時間の予約者まで出る始末だった。



 もともと、女子の歓心を買うために始めたのだから、これで当初の目的は達せられたはずなのだが——

 事態は、そこまででは終わらなかった。

 クラスのある女子が、顔を紅潮させて教室に駆け込んできた。

「高柳君の占い、当たったよ! すっごいじゃん」

 それからも、雅夫の占いが当たった、という報告と感謝の声がたくさんもたらされた。遠い将来のことではなく、比較的近い未来に関することを占ってもらった者の中に、実際にその通りになった者が出始めたのだ。

 噂は噂を呼び、雅夫は学校で有名になった。

 クラスメイトだけでなく、ついに他クラスや他学年の生徒まで彼の元を訪れた。

 学校の女教師までが、恋愛やお見合いのことで相談に来る始末であった。

 そして、今や雅夫は女の子にモテるために始めたという動機を忘れ去っていた。

 もはや、彼は真剣であった。

 ひとりの占い師として、ポリシーと誇りをもって占っていた。

 ウソから出たまこと、とでも言おうか。不純な動機で始めたことが、いまや人生の重要な一部を占めるに至ったのである。



 そんなある日のこと。

「高柳君、私も……いいかな?」

 雅夫の目の前に座ったのは、クラスメイトの穂高香苗。彼が占いを始めてから三ヶ月になるが、唯一彼に占いを頼んだことのない人物でもあった。

 実を言うと、雅夫が一番来てほしかったのは、香苗なのだ。

 女子の人気を得たいという思いの底には、実は彼女の心を射止めたいという究極の目的があったのだ。

 雅夫は、香苗が好きだった。彼女を思って、眠れぬ夜を過ごしたこともあった。

 それが運悪く中間テスト期間の真っ只中で、結果は惨敗。

 まぁ彼の場合、日頃の成績が悪かったので、さしてヘンではなかったというのが悲しいところではある。



 ……もしかしたら穂高さんは、占いに興味ないんじゃないか?



 雅夫がそう思い出していた頃だった。

 だから、ついにこの時が来たか、と喜びまた緊張した。

「えっと、占って欲しい事柄は何ですか?」

 きちんと占いたかったので、クラスメイトではあるが他人行儀な声でそう尋ねた。

「……私のこれからの人生と、恋について」



 女子からよくある依頼は、具体的に好きな人がいて、その人とうまくいくかどうかというものが多かったが、香苗の場合は少し違った。

「別に、今好きな人がいるとかそういうんじゃないの。ただ、私にとって真剣になれる人がいつ頃、どんな形で現れるのかな、って思ったの。そして幸せになるかどうかも知りたい」

 雅夫はそれを聞き、タロットカードの束を香苗に渡す。

「それでは、占ってほしい事柄に集中して納得いくまでカードをシャフッルしてください。いいですか、占いの精度はここで決まると言っても言いすぎじゃないから、慎重に——」



 香苗からカードを受け取った雅夫は、定位置にカードを上から並べる。



 ……現在・過去・近い未来・影響を与える人物・具体的な障害——



 合計十枚のカードを並べ、慎重にめくっていく。



 世界。マジシャンの逆位置。審判。

 聖杯(カップ)のクイーン、剣(ソード)の9。

 ムーン(月)の逆位置……



 そして、最後のカードに目が釘付けになった。



 La Mort ~死~ !?




 雅夫は衝撃を受けた。

 他のカードのからみからも導き出される、その最終結果。

 あまりにも残酷であった。

 言いにくかった。

 ここはウソをつくか、ボカしてごまかすかしたほうがいいのか!?

 プロ根性を貫いて、出てきた結果をそのまま伝えるか。

 それとも友人としての思いやりを優先させるか——

 彼は悩んだ。

 結果として、彼は前者を選んだ。

「……そう」

 香苗は、力なく席を立った。明らかにしょげ返っている。

「き、気にするなよ。たかが占いなんだからさ」

 しかし、雅夫の一言は何の慰めにもならなかった。

 彼の占いは当たる、というのがすでに皆の認めるところだったからだ。



 その日家に帰ってからも、彼は悩んだ。

 カードは、その出てきた位置や依頼の内容、他のカードとのからみで決して固定した意味にのみ解されるべきものではない。雅夫は何とか別の解釈がないか、と頭をひねった。

 しかし優秀な占い師としての才覚を発揮しだしていた雅夫には、分かっていた。

 自分の直感が悟った解釈が、真実だと。

 雅夫は、香苗のことを念じながら自分で占ってみた。

 不思議なことに、結果は同じだった。

 やけになって、何度も何度もやってみた。確かに、すべてがすべて同じ結果にはならなかったが、三回に一回は必ず『死』のカードがまったく同じ位置に来た。

 彼は、恐ろしくなった。

 占いというもののもつ恐ろしさを、初めて知った。

 何気なく手を出してしまった占い。今それが、雅夫と香苗という二人の若者の人生を大きく狂わそうとしていたのである——



「あら、お久しぶり。今日はカードを買いに来たのかしら?」

 雅夫は久しぶりに、デパートのカード売り場を尋ねてきた。

 この前お世話になった店員が占いのことに詳しいと見た雅夫は、今の悩みを相談したくてはるばるやってきたのだ。

 雅夫がそのことを伝えても、その若い女性店員はいやな顔ひとつしなかった。

「そうねぇ。私四時半で仕事あがりだから、それまでどっかで時間を潰しといてくれるかな? 後で、一階の喫茶店でお話しましょう。そこなら落ち着いて相談にのってあげれるわ」



 落ち着いた雰囲気の、洒落た喫茶店だった。

 店員の女性は、村松冴子と名乗った。

 雅夫は、冴子に占いを始めてから香苗の不幸を占ってしまうまでのいきさつを語った。すべて聞き終わった冴子は、雅夫にこう言った。

 


 なら、占いの結果を変えちゃえばいいじゃない。

 占いはね、こういう結果が出たから必ずそうなる、というものではないの。

 言い方を変えるとね、その時の占いの結果というものはね、『このままいけばそうなりますよ』っていうことに過ぎないわけ。だから、結果が気に食わなければ必死に努力してね、変えちゃえばいいの。

 あなた、独学で占いしてたんだよね。

 本当にプロとしてやるなら、どこかの先生の弟子につくべきだったね。

 あなた、独学だから多分勘違いしてる。

 占い、というのは当てるためにあるんじゃないの。

 当たってすご~い! ってのは世間に誤って広まってしまった、迷惑な占いの定義。本当の占いとはね、ある意味「当たらないことを目指す」ものでもあるの。

 あくまでも、あなたが人生で大きく流れを変えるようなことをしなければ、多分こうなりますよ、ということを導き出すものだから、もし結果が気に入らないなら、意識のありようと今後の行動や選択を変えていけばいい。

 本当の占い師はね、未来に何が起こるかを言うだけでなく、それを変えたかったらどうしたらいいのか、そこまで言ってあげるものなの。



 運命とはね、決められたものではなく自分の力で切り開くものなの。

 だから、香苗ちゃんに悲しい運命が待っているんなら、立ち向かえばいいの。

 彼女に、そう言って勇気付けてあげなさい。

 それに、あなた香苗ちゃんが好きなんでしょ?

 じゃあ、あなたが力になってあげなさい。

 男なら、体張って彼女守ってやんなさい——



 次の日。

 雅夫は放課後、香苗を屋上に呼び出した。

「オレの占いは、当たらない」

「エッ」

 自信に満ちた目で、雅夫は言い放った。

「穂高、悔しくないか? オレがやってて言うのも説得力ないけどさ、こんなカードに自分の運命決められて、それにおびえて暮らすのって、悔しくないか? 

 人生の主人は、自分自身であるべきなんだ。他から暗示かけられてそれに乗っかるんじゃなくて、自分自身の手で切り開いていくべきなんだ」

 香苗は、雅夫の言葉を聞きながら、必死に自分のものとしようとしていた。

「本当に、変えれるかしら。私、幸せになれるかしら。早死にしないかしら——」



 みなまで言わせず、雅夫は香苗の震える華奢な体を抱いた。

 香苗の心臓の鼓動が、彼女の制服の生地を通して伝わってくる。

「君は今を生きてるじゃないか。こんなに元気じゃないか。信じるんだ。他に誰もいないなら、僕が穂高を幸せにする。僕が君の命を守り抜く」

 雅夫は、思わず自分が言ってしまったことに顔を赤らめた。

「もちろんきっ、君が受け入れてくれるなら、のことなんだけど……」

 もう、シドロモドロになって言う。抱きしめておいて、今更何をである。

 すると、香苗のほうでも両腕を雅夫の肩に回し、体を押し付けて来た。

「……私、たぶん今世界で一番幸せ」

 香苗は、泣いていた。

 でも、安心しきった表情で雅夫の胸に顔をうずめてきた。

 愛おしそうに香苗の体をしっかり抱いた雅夫は、宣言した。

「オレ、もう占いを捨てるよ。二度と、カードをさわることをしない」



 その宣言どおり、雅夫はスッパリと占いをやめた。

 もちろん、周囲はガッカリである。

 皆が雅夫の占い師廃業を惜しんだが、それでも彼の決心は固かった。

 そこまで念のこもったカードをただゴミとして捨てるのはよくない、と冴子から聞いた雅夫は、そういうことに詳しい彼女の指示通りに、ちょっとした供養の「儀式」めいたものをして処分した。

「……今まで、ありがとうな。相棒」

 感謝の気持ちとともに、カードに別れを告げたのだった。

 雅夫は後日、冴子からこういう話を聞いた。



 あるところに、病気がちな男がいた。

 姓名判断のプロでもある知人が彼を占ったところ、大変に運勢の悪い画数であるということが分かった。

 病気がちなのも、そのせいであると。

 知人は、名前を変えるように勧めた。しかし、男の返答は意外なものだった。



 ……僕は、このままでいいよ。

 なるほど、君の言うとおり、名前を変えればあるいは僕が元気になったり、いいことがあったりするのかもしれない。

 でも、僕は両親が愛情をもってつけてくれた今の名前が気に入っている。

 それに、病気がちなのだって、あながち悪いことばっかりでもないのさ。

 苦しさの中で学ぶことも多いし、病気を通じてたくさんの大切な友達ができた。

 妻だって、この病院で知り合ったのさ。

 だから、君の忠告はありがたいけど、僕は与えられた範囲の中で、全力で生きることの方を選びたいんだ——



 雅夫は、香苗を愛した。

 愛して、愛しぬいた。

 香苗も、それに応えた。



 数年後、香苗は大きな病気をして生死の境をさまよった。

 しかし、医師の努力と雅夫の必死の看病で一命をとりとめた。



 現在二人は結婚し、一男二女をもうけて幸せに暮らしている——。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

運命の輪 賢者テラ @eyeofgod

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ