15・総力戦

 ざんッ!


 自身の腕を切り裂いた剣をくるりと持ち替え、地面に突き刺す。

 メビウスの腕から流れ落ちる血が、彼の周り――正確には、剣の周りにぐるりと円を描き複雑な文様を浮かび上がらせながら赤い光を放ち始める。ブリュンヒルデのときと違うのは、血液も生命力もどんどんと魔法陣に吸い込まれていくということだ。生命力だけなら枯渇を気にせず注ぎ込むことができるとして、血液はさすがにそうもいかない。流しすぎればもちろん、出血多量で死にいたる。


 わかっていてメビウスが血肉、物質を一緒に術式に組み込んだのにはもちろんわけがある。彼が本来使う禁呪は、あくまで少ない魔力を生命力で補うためのものだが、いま生命力は魔力の代わりとして術を発動させるだけではなく、目の前の外のいきものに向けた餌でもあるのだ。目に見えないエネルギーである生命力や魔力を、より相手にわかりやすくアピールするために五感に訴えるという手段にでた。

 あとはいつ、屍竜ドラゴンゾンビが食いつくか。焦る気持ちを抑えて、メビウスは慎重に生命力を注ぎ続ける。魔法陣の光が生命力に比例して、徐々に強くなっていく。


 一気にちからを注いでしまえば、すぐに終わるのかもしれない。だが、強制能力導入オーバーインストールで生命力を一気に使い、世界を混乱させた記憶はまだ新しい。同じ轍は踏まぬよう――たとえ、結果的に今回のことでまた封印が緩んだとして――前のように、ただいたずらに、自分の役目を放棄したような結果になるのは避けたかった。使う生命力はできるだけ少なく、食いつくギリギリのところを見極めて、外への扉を開く。時間を稼いでもらう仲間たちに負担はかけるが、それが、世界テラリウムにとって最善だと、彼は結論を出したのである。


 それに、ウィルはもちろん、スフィルやファルコンにも場をゆだねられると判断した。ソラには正直一緒にいて欲しかったが、それでは精一杯役に立とうとしている少女を認めていないことになる。守りたいというのは、彼のエゴだ。そんなもので、ソラの気持ちを傷つけるわけにはいかない。

 だから。

 彼にできるのは、なるべく早く、扉を開くこと。








「さってとデカブツちゃん。直接ぶっ殺してやれねーのは残念だけど、ヒマしねーぐらいは楽しませてくれよな」


 瘴気を変化させた比翼で空を舞い、いち早く屍竜ドラゴンゾンビの真上に陣取ったスフィルがにやりと獰猛な笑顔を見せた。得物の爪もしっかりと具現化済みである。

 急降下し爪を振り上げたところで、短い炸裂音と共に屍竜ドラゴンゾンビがほんの少しだけのけ反った。そのお陰で、彼女が振り下ろした爪はいきものの角に当たって弾かれ、更にスフィルを認識した竜が頭を振り回したことで、一度引かざるを得なくなった。


「――ッ!」


 いったん離れたスフィルの目に入ったのは、両手で銃を構えたウィルの姿だ。彼が発砲したせいで狙いが外れたのだと知り、頭に血が上りやすい魔族の少女は眼鏡の青年に向かって吠える。


「テメーな! 状況見てぶっ放しやがれッ!」

「あなたこそ、いま殺す気でいきましたよね。どんな攻撃手段――いえ、その身体に触れただけでどうなるかわからないというのに、もう少し慎重に動いてもらわないと困ります」

「殺すぐれーの気合いでいかねーと、こっちがやられんだろが! こっちは最前で命張るんだ。余裕で相手できるようなやつじゃねーんだよ、アイツは!」

「自分の状態を確認できるぐらいの余裕は、持っていてください」


 ウィルはちょん、と自身の爪を触る仕草をする。はっとしてスフィルが具現化させた己の得物――爪を見やると、角に当たった部分が欠けてひびが入っていた。これがもし、自分の身体が当たっていたらと思うと、さすがにスフィルもぞっとする。


「まあ、興味は引けたようですが。僕の銃もあなたの攻撃もほとんど通用しないとなると、どうやって足止めしますかね」

「通用しねーって決まったわけじゃねえ! ファルコン! 行くぞ!」


 駆け出した少女に応えるよう、黒い狼は吠えた。低く通るその声は、衝撃波となってスフィルを追い越し、彼女に狙いを定めた屍竜ドラゴンゾンビに襲い掛かる。


「あれは――」


 初めてスフィルたちと会ったとき。ブリュンヒルデの放つ解放の光を無効化した、ファルコンの声。魂を削って害成すものを打ち消す、黒狼の咆哮。それは屍竜ドラゴンゾンビの纏う空気を打ち消し、揺らぐ不安定な身体をくっきりと浮き彫りにする。

 はじめてその詳細を晒した巨体は、何事かと首を持ち上げた。この世界の空気に合わないのだろう、ただでさえ崩れている身体がぶすぶすと煙をあげ、溶け落ちる。


 隙間を駆け抜けて、一閃。


 黒い刃は欠けることなく、屍竜ドラゴンゾンビの足の骨を抉った。追撃の破裂音が二発続けて響き、巨体が身悶えする。


「どーよ! ちったァ効いただろ!」


 巨大な骨の下を走り抜け、踏み潰そうと動く竜に正面から啖呵を切った。自分に気を取られている間に、小回りの利かない身体の内にもう一度飛び込もうとして、屍竜ドラゴンゾンビから放たれる気味の悪い空気に気圧され、舌打ちしながら飛び退く。


「……ちッ。もう回復してやがる。ファルコン!」

「心得た」


 スフィルの指図が飛ぶより早く、黒狼は咆哮の準備に入っている。もう一度、竜の気配オーラを吹き飛ばし、その姿があらわになったところでスフィルは草原を駆け、先ほど抉った箇所を寸分違わず殴るような勢いで切りつける。左右の爪を連続で叩きつけ、姿勢を低くして短い腕を動かして自分を捕らえようとする竜をあざ笑うかの如く、巨体の下を自由自在に走り回る。

 何度も抉り、屍竜ドラゴンゾンビの巨体がぐらりと傾いだとき。

 振り下ろした爪は、光の壁に跳ね返された。その意味を即座に理解し突撃を阻む防護陣を蹴りつけ、大きく後ろに飛んで竜から離れる。直後、竜の身体は揺らぐ空気に包まれ輪郭が不安定になる。


「あのオーラさえなければ、攻撃は届く。あれさえなきゃ潰せンだろ」

「……ですがこれでは、ジリ貧です」

「わーってるよ、んなこたァ! ファルコンがぶっ倒れる前に、アイツの足を潰す!」


 とにかく、足を止めさせりゃあいいんだろ、とスフィルはメビウスに向かって叫んだ。だが、少年からの返事はない。メビウスを飲み込んで輝く巨大な魔法陣の、鼓動にも似た明滅が目に入るだけだ。心の中で早くしろと舌を打ち、視線を引き戻す。

 目のに、いけ好かない空色が一瞬映る。


「……なにやってんだよ、あの女は」


 ただでさえ、手が足りねえってときに、と動かない少女を睨みつけ、思わずぼやいた。

 初めて接続インベイジョンしたときとは逆だ。いまは、ソラが自分の中の成れの果てに語りかけている。成れの果てもあのときとは違い、一方的に語るだけではない。回帰したいと願ったものが合流し、元の身体が二つそろったからなのか、彼女の問いかけに答え具現している己の形をソラが思い描くとおりに変化させていく。

 それはしくも、魔族の少女が瘴気を具現化させているのと同じようなもので。


「…………」


 しかし。どれもがしっくりこない。武器など握ったことはないから、使ってみないとわからないのかもしれない。だが、小さなものにせよ、飛び道具にせよ、これは、と黒いものも拒否しているように感じる。

 ファルコンの咆哮が、三度みたび耳朶を打つ。狼の心臓がどくんと大きく跳ねるのが、ソラにははっきりとわかった。自分がいまにも泣き出しそうな顔をしていることにも気付かず、少女はぎゅうっと両の手のひらを握りしめた。


「……続けて三度は、さすがに我でもきついな」


 覇気のない声で呟き、黒狼は飛び出した相棒の背中を視線で追う。そのまぶたも、ふと気を抜くとすぐに閉じてしまいそうで、「老いたな……」と苦々し気に独り言ちた。

 狼の咆哮と共に飛び出したスフィルが、竜の足を切り裂き、ウィルの弾丸が追い打ちをかける。そのたびに苦しそうな声をあげながら、前進を続ける外のいきものの姿も、ソラにとってはつらく映る。だが、竜の魂は、ソラになにも語りかけてはこない。

 屍竜ドラゴンゾンビのオーラが復活し、スフィルが飛び退く。ファルコンが息を吸い込む仕草が見え、ソラは思わず声をあげていた。


「それ以上は……もう、やめて」

「だったら、テメーがどうにかできんのかよ」


 答えたのは、スフィルだ。ウィルは足止めに徹し、こちらも魔力がどんどん削られている。


「ファルコンの身体に無理がかかんのは、言われなくたって知ってんだよ。知ってて、他に方法がねえから、ファルコンが命張ってんだ。なにもしてねえテメーに、やめろって言う資格なんかねえんだよ」


 強い口調で叩きつけられ、ソラはきっと魔族の少女を見上げた。あくまでも、ファルコンは少女の相棒であるはずだ。それなのに。

 ふつふつと、心の奥底から沸き上がる激しい感情を、初めて知った。内側だけではなく、身体の外側も焼き尽くしてしまいそうな気持の高ぶりを感じながらも、唇をすり抜けていった言葉はひどく端的である。怒りで熱くなっているため、難しく考えることができなくなっているのだが、本来饒舌ではないソラだ。怒鳴るわけでもないその声は、普段よりも冷ややかさを増している程度にしか聞こえない。


「……わかった」

「あぁ?」

「わたしが、あの子を止める」


 ファルコンの制止も聞かず、ソラは足を踏み出す。

 実際、沸騰しているはずの脳内は、普段よりはるかにクリアになっていた。漆黒の両手については、いま無理しなくてもいいとメビウスは言っていたのに、実際はそれにとらわれ続けていたことに気がついた。


 ――そうだ。

 いま必要なのは、

 なんでもいい。屍竜ドラゴンゾンビを、止められるなにかを。


「ソラさん!? それ以上近づいては――」

「大丈夫。わたしの魂は、一番外に近いと思うから」

「……え?」


 聞き返そうと、した。しかし空色の少女は、黒の気配を纏わせたまま足を進めている。それに、聞き返したところで、ソラはいま自分がなにを言ったか覚えていなかった。ふわりと浮かんだ真実を、ただ口にしただけにすぎない。

 ふいに近づいてきた華奢な少女を、屍竜ドラゴンゾンビは巨体に似合わぬ小さな前足を振り回して殴り飛ばそうとする。触れなくとも、風圧だけで吹き飛んでしまいそうなソラの身体は、しかし、髪と衣服を風に揺らしただけでその場にしっかりと立っていた。彼女が、黒い両手で竜の攻撃を簡単に逸らしたのを見ることができたのは、スフィルだけだ。骨だらけの竜の放つ気配より、空色の少女の具現化させた成れの果てから感じる気持ち悪さが、魔族の背筋を駆けのぼっていく。


 ――あんなのが。


「あんなのが、魔王のちからだって言うのかよ」


 こぼれた言葉を拾ったファルコンの耳が、ぴくり、とわずかに動く。だが、黒狼が口を開く前に、屍竜ドラゴンゾンビが大きな口を開けて静かに佇む少女を頭から嚙み砕こうと襲いかかった。


「ソラさんッ!?」


 ウィルの悲痛な叫びは、竜の唸り声でかき消され――視界が、黒で染まる。



 ――時が、止まったようだった。



 ウィルも。

 スフィルも。

 ファルコンで、さえも。


 誰も動けず、声すらも出せない。

 屍竜ドラゴンゾンビの口は、無数の黒い糸で絡めとられていた。糸の先にあるのは、頭上に掲げたソラの――成れの果ての、手のひら。

 空色の少女は一人、凛とした声を出す。


 あなたは。


「わたしと一緒には、いけない。還るべき場所が、あるでしょう?」


 掲げた漆黒の両手から、ぶわりと大量の糸が紡ぎ出された。

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空色の告死天使<アズライール> 柊らみ子 @ram-h

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