14・屍竜

「……な、んなんだよ、アレ……」


 掠れた声で、スフィルが呟く。無論、誰も答えられるものはいない。もっとも、皆、同じような気持ちで、その姿を見上げていた。

 地響きを立てて歩くだけで、足もとから、身体が触れた場所から草花が死滅していく。長い尾を引きずりながら、土から命を刈り取りながら巨体は一歩、また一歩と確実に進んでいる。


 それは、とにかく異様であった。


 肉は腐敗し、露出した骨に皮がひっかかっている巨大な体躯は、どう見ても生きているようには見えない。それでも動いているのだから、生きているのだろう。豪快な顎を持つ爬虫類にも似た頭の左右から、奇妙にねじくれた角がそれぞれ生え、かろうじてまともに肉が残るぶ厚い背中には、歪な――上下あべこべを向いた羽――を連想させる皮膜がまとわりついている。ゆらりと陽炎のように不自然に見え隠れするのは、この世界のいきものではないからだろうか。どこか輪郭がぼんやりと揺らぎ、本当にこちらに具現しているのか疑いたくなってしまう。二階建ての家ぐらいの大きさはあるというのに、揺れを感じるまで気がつかなかったのは、ゆらゆらとブレる不安定さのせいだろう。

 だが、いきものから発せられる圧や、その身にまとう、瘴気とも違った生臭さを感じるような空気はやはりこの世界では異質である。外の空気には覚えがあるはずのメビウスでさえ、巨躯から発せられる気はあまり気分の良いものではなかった。


「……海の、匂い」

「え?」


 ぽつりとソラがこぼした言葉にメビウスは反応し、すぐに気がついた。


「そういえば……気にしたことなかったな。確かに、似てる」

「海にも命があふれていたから……。似ているのかもしれない」

「あ……か」


 ソラが言っているのは、海の匂いに似ているというそのままの意味ではないことに気がつき、ほんのり照れ笑いを浮かべる。彼女は、母なる海、とも呼ばれる命の揺りかごと、魂を循環させる外の在り方が似ていると、存在そのものについて語っているのだ。海について詳しく話したことはないが、ソラが初めて海を見たときにそれっぽい言葉を口にしていたなと思い出す。

 ま、今度はのんびりとソラちゃんの水着姿を拝みたいな、などとわかりやすい妄想を描きつつ、それはこの場をちゃんと切り抜けた場合のご褒美か、と自分に言い聞かせ、メビウスはゆらりと迫りくる外のいきものへと視線を向けた。


「ソラちゃん。アレは、この世界でいきていけると思う?」

「きっと、無理だと思う。あの子の空気は、こことは相容れない」


 ソラは、問いかけた少年を見ていなかった。彼が、自分を見ていないと気がついていたからだ。ふるふると静かに首を振って言葉を紡ぎつつ、夜空色の瞳はメビウスと同じく外のいきものを見上げている。

 メビウスは少女の答えに頷き、独白のように言葉を転がす。


「あいつを倒すことは可能かもしれない。だけど、あの身体がそのままここに残るんだ。朽ちるかどうかもわからねえ。この淀んだ空気が消えるかどうかもわからねえまま、な。こんな空気に支配されれば、この辺りは魔獣どころか虫一匹寄せ付けない、になっちまう」


 もちろん、なんの影響もない可能性だってあるさ、と続けながらも、少年は自分で自分の言葉を否定した。


「でも、あいつの持つ空気は、テラリウムとは合わねえようだ。だから、魔獣たちは目の前のオレたちよりも、あいつから逃げることを優先した。近くにいたら確実に死ぬって、いきものの根っこみたいな部分で感じ取ったんだ」


 話しながら朱の双眸は、外のいきものが通ってきた後ろを見つめていた。草花が枯れた跡すら残っていない。土をも溶かしているのか、雨は降っていないはずなのにどろりと黒い泥が堆積している。それはまるで、腐り落ちた血液のようにも見えた。


「……屍竜ドラゴンゾンビ……」


 その声は、誰が落としたものだったか。

 ドラゴン。神とも人とも魔とも違い、その起源は未だ明らかになっていない。それどころか、数限りない奇跡や災厄の記述があれど、本当に存在しているのかすらわからない。今でも目撃談だけは絶えない、テラリウムの生命体の頂点に立つと言われている、想像上、あるいは伝説上の生き物だ。だが、骨に皮を貼り付け、歩くだけで周囲の命を刈り取り、腐った血と肉をぼとぼとと垂れ流しながらもぎこちなく動くそれに、死せる竜ドラゴンゾンビという呼び名は奇妙にふさわしいと思えた。


「こんなもの、術者だって無事じゃ済まないんじゃ……!」


 ウィルが掠れた声で呟いた。メビウスが不快感も隠さずに、低い声で答える。


「フツーなら、死んでる。けどな、対価は術者自身の魔力や生命力じゃなくたっていいんだ。昔からあるだろ? 生贄を捧げるとかって話。規模がでかくなるから、禁呪っつーより、禁術に近いけどな」

「しかし……」

「外のいきものと、合成魔獣キメラ。誰がどんな手を使ってんだかなんて、わかるだろ」


 眉根を寄せると苦々し気に吐き捨てた。普段飄々としている少年が、ここまで嫌悪感をあらわにするのは珍しい。もちろん、ウィルとて同じような気持ちではあったのだけど、相手があのドクターなのだから、目的のためにはそれぐらいするだろうと思える。思えるからこそ、ある程度冷静に受け止められたのだ。


合成魔獣キメラに、魂を詰め込んで……あんなものをぶために、魂の入れ物にしたと、そういうわけですか」

「ああ。一体にどんだけ詰めたかは知らねえが、効率だけはいいだろ。失敗作を使えば、処分の必要すらないからな」


 失敗作、処分。普段の彼なら選ばないような言葉を使ったのは、少年の覚悟と怒りの表れだろう。


「オレが、扉を開く。あいつがなんのためにばれたのかは知らねえけど、ココットに向かってるのは確かだ。ここで外への扉を開いて、外へ送りかえす」


 それは、と異を唱えそうになったところで、ウィルはくちびるを引き結んで耐えた。倒せないのなら、そうするしかない。というより、それが最善手だ。ほかに方法が浮かばない以上、反対して時間を割くわけにもいかない。


「だいじょーぶ。外への門をちょっと開くだけだ。アレをぶよりは、消費しねーだろ」


 ちら、とウィルを見やり、メビウスはへらりと笑う。彼が悪食ワームぶところは見たことがあるが、ワームは『悪食』と呼ばれている通り、ほんの少しでも魔力などが目の前にある状態で通り道を開けてやれば、いくらでも食い散らかしに集まってくるいきものなのだそうだ。なんにでも貪欲に食らいつくところから、外の世界でも掃除屋的な働きをしているという。メビウスに言わせれば、なのである。

 いつもの笑みをすっと引っ込め、少年は真顔でウィルとソラ、そしてスフィルとファルコンを順に見回した。


「わりーけど、みんなには扉が開くまでの時間稼ぎをしてほしい。こっちにも事情があるから……必要最低限で還ってもらいてーんだ。そこを見極めるまでに、少し時間がかかると思う。面倒なこと言ってんのはわかってる。だけど、頼む」


 ぐっと両手を握りしめて、頭を下げた。こういう場面では、メビウスは素直である。自分一人でできないからこそ、危険を承知で頼むのだ。そこに、嘘偽りはない。


「……頼まれてやるから、さっさと頭を上げろよな。テメーがそういう態度取ってんの、気持ちわりーんだよ」

「頼まれてくれてサンキュな、スフィルちゃん」


 顔を上げたかと思えば、へらっとちゃん付けだ。殊勝な態度も気持ち悪いが、こうも簡単にいつの間にか見慣れてしまった笑顔をされても言葉に詰まる。呼ばれ慣れない敬称に首筋辺りがざわりとするが、メビウスは一応礼を言っているのであり、それも言葉が出てこなかった要因だった。本当に、ことごとく自分のペースを崩してくれるガキだ、とスフィルは胸中でグチグチと呪詛を吐く。


「扉が開けば、あいつは勝手に外へと引っ張られる。ここより外との結びつきが強いからな。だから、扉が開くまでにあいつになにもさせなきゃ、オレたちの勝ちだ」

「へえ。思ってたよりも楽しそうじゃん。倒さなきゃ、なにしてもいいんだよな?」


 気分を切り替えたのか、魔族の少女は獰猛に瞳を細めてくちびるを吊り上げる。


「ああ。けど、あいつの身体のなにもかもが、こっちのいきものにとっては害になるみてえだ。人間にとっての瘴気、魔族にとっての浄化みたいなもんかな。だから、ヤバいと思ったら深追いする必要はねえ。無理だけはすんな」

「メビウスは、いつもこう言うの。自分は、無理も無茶もするくせに」

「ソ、ソラちゃん! オレは、ただ――」

「はいはい、わかったわかった。痴話げんかは後でやってくれ。あと、テメーこそ無理してぶっ倒れんなよ。そーなったら、おれがあいつをぶっ倒すからな」


 言うだけ言って、スフィルは返事も待たずに歩いていってしまう。狼やウィルもそれに倣い、一人残ったソラもまた、心配そうにメビウスをちらりと見あげてから、歩き出そうとした。


「……あ、ソラちゃん」


 外のいきものへと足を踏み出そうとした少女は、なにも言わずに振り返る。


「その、手。大きさを変えたりできるみたいだけど、形は変えられる?」


 メビウスの言わんとしていることが伝わらなかったのか、ソラはこてん、と首をかしげた。


「剣とか槍とか、武器の形にはできねーのかなと思ってさ。できそうだったら、やってみてほしい。あいつにはあんまり近づいてほしくねーし、ぶん殴るよりは戦いやすいんじゃないかな」


 ほんとは、普通の魔獣辺りで試してみてほしかったんだけど、と続け。


「なんかバタバタしちゃって、時間取れなくてごめん。無理しなくていいから……ってのは、いまの提案についてであって、あいつを足止めすること自体に対してじゃねーから。ただ、無理してやれるかどうかわからねえことを、いま頑張る必要はねえってことで」


 最近、無理するなに対して無茶してるとよく返される手前、無理は無理でも意味は違う無理です、と強調しようとして言っている自分もよくわからなくなってきたメビウスだったが。


「わかってる。やってみるけど、難しそうだったらやめる」


 空色の少女が、正確に意図を読み取ってくれたので、メビウスは目をぱちくりさせて言葉を飲み込んだ。


「うん。ん? え?」

「メビウスも、無茶しないで」


 ぽつりと言い残し、ソラはさっと踵を返してしまう。メビウスも、もう呼び止めたりはしない。彼女が黒いもののちからを使っているということは、戦う覚悟を決めているということだ。だから、助言こそすれ、止めることはできない。


 ――無茶しないで、か。


 くっと、低い笑いが口をつく。

 ソラが心配してくれているのは、よくわかっている。彼にしても、好きで無理や無茶をしているわけではない。無理をしなくて済むなら、それに越したことはないのだから。

 一人、屍竜ドラゴンゾンビから離れ、メビウスはおもむろにブリュンヒルデを解除する。背丈相応の剣に戻ったそれを無造作に右手でぶら下げ、ふうっと肩で大きく息をついた。


「ごめん、オオハシさん。オレはまた、命を使う。あれをどうにかしないといけないってのは、ルシオラもわかってくれるかな」


 ふっと自嘲して、メビウスは目を閉じた。


「……ま、理解してくれなくてもやるしかねえ。こんな形で、ソラちゃんの記憶探しを終わらせるわけにはいかねーもんな」


 軽口とは裏腹に、開いた朱の瞳にはちからが満ちていた。無造作に持っていたブリュンヒルデを逆手に持ち替え、左腕を胸の高さまでゆっくりと上げる。


「混沌の外にて生きる輪廻を外れ彷徨う魂に告ぐ。我が命を喰らいて、在るべき場所へと還るがいい――!」


 朗々と響く声と共に、赤い飛沫が勢いよく舞い散った。

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