13・そして、やってくる

 防護陣の効果が切れたときには、一体の合成魔獣キメラを残して他に動くものはなにもいなかった。その合成魔獣キメラも、一筋の斬撃と残ったすべての光球に身体を撃ち抜かれ、浄化されていく。

 ぶよぶよの巨体が消え去るのを眺めながら、メビウスはブリュンヒルデをぴっと横に振った。得物を使い終わったからしただけの、いわば反射で動いただけのような。


 効率よく――殺し尽くす。


 これで、良かったはずだ。いまは、合成魔獣キメラに時間をかけている場合ではない。

 ぐっと、得物を握る手にちからがはいる。どう処理してよいかわからない感情がこみ上げて、メビウスは最後の一体が消えた場所を睨みながら、動けずにいた。

 浴びた返り血が、前髪を伝ってぽたりと落ちる。浄化される前に浴びた血は、魔獣の身体から離れたもの、として判断されたようだ。ぽたぽたと流れる血を乱暴に拭って、メビウスはくしゃりと前髪に手をかける。どうしようもできない感情を吐き出そうとして、近づいてくる気配を感じ取り、くちびるを動かすだけにとどめる。


「しかしまァ。ほっとんど倒しちまいやがって。中途半端に盛り上がっちまったじゃねーか。どーしてくれんだ」


 その乱暴な声に、メビウスは軽く口角をあげて振り向いた。


「知らねーし。ま、虫嫌いなんてかわいーとこ」

「それ以上言ったらぶっ殺す」


 顔を真っ赤にしてすごまれても、まったく怖くないどころか逆に可愛くすら見えることにスフィルは気付いていない。


「と、言われましても。みんな見てたと思うぜ?」


 苦笑いを浮かべながらの言葉を拒絶するように、スフィルは耳を押さえて「あー!」と意味不明の大声を出す。


「うるせ! 忘れろ! なにも見なかった! お前ら全員なにも見なかった、いいなッ!?」

「なんで? 可愛いとこもあっていいじゃん? な、スフィルちゃん」

「ちゃん付けで呼ぶなッ!」


 めちゃくちゃに振り回される腕をヒラヒラとかわしながら、にしっと笑う。そんなじゃれ合いを、ウィルとファルコンが盛大にため息をつきながら顔を見合わせ――。


「――ッ!」


 一瞬、背筋を這いあがる寒気を感じ、そろりと出どころのほうへ視線を向けた。

 ソラが、離れた場所でふざけ合う二人をじとりと見つめている。本人が気付いているかは定かではないが、その夜空色の瞳は冷え切っている。

 彼女の視線を、今更感じたのだろう。メビウスが、目に見えてびくりと肩を跳ねさせる。突っかかってくるスフィルをなだめながら、そおっと空色の少女を見やった。


「……あの、ソラちゃん?」

「…………」


 じとりとした目つきのまま、無言。なにか言われるよりも、ずっと圧が強い。なんだかちくりと胸が痛い。


「えーと……あのですね……」

「……大怪我してなくて、良かった」


 平坦な声で言い、ソラはふっと目をそらした。これは怒っているのか、それとも言葉まんまの意味なのか。真意を計りかねて、メビウスは苦笑いを貼り付けながら首をひねった。


「あー、うん、まあ……」


 返事にもならない音を口にし、いつの間にかにやにやと彼を見ているスフィルに気付く。


「……なんだよ」

「痴話げんかか?」

「ん? 羨ましいの、スフィルちゃん」

「どこをどーやったらその解釈になんだよ。テメーの頭ん中は、お花畑か」

「お花畑……上等ッ! 痴話げんかって言ったよな? それはつまり、ソラちゃんがスフィルちゃんに嫉妬してるように見えるってことで、それはつまり、ソラちゃんがオレに気があるようにみえるってことで、それはつまり――」

「坊ちゃん。バカな話してる暇はあるんですか?」


 都合の良い方向に暴走し始めたメビウスを見かねて、ウィルがぴしゃりと言葉を叩きつけた。メビウスはと言えば、さきほどの圧などころっと忘れてしれっとソラに抱き着こうとしたところで水を差され、結局彼女の細い肩に手を置くだけに留めて振り返る。


「ソラちゃんとスキンシップするぐらいの時間はある」

「時間があろうがなかろうが、それはすべて解決してからにしてください」

「いまとあとではやる気が違う!」

「僕のやる気が萎えるので、無駄にキリっとするのやめてください。ほら、ソラさんだって、困ってますよ」

「ソラちゃん、ウィルに合わせる必要ないんだぜ」


 両肩に手を置いて、視線を合わせた。その表情があまりにも真剣だったので、ソラはぱちくりと瞬きをする。ほんの数秒見つめ合ったあと、少女が口にしたのはまったく別の言葉だった。


「……最果ての魂。凄く、危険」


 その言葉に目をしばたたかせたのは、今度はメビウスのほうだった。同時に、へらっとした笑顔も戻ってくる。


「うん。そうだよな」


 肩から手を離し、ソラの言葉を受け入れた。しかし落胆は隠せず、ため息が口をつきそうになる。が、その寸前でスフィルの声が耳に届いて、ため息を飲み込んだ。


「……最果て? なんだそりゃ」

「大変なのはこれからだってこと。大丈夫、ちゃあんと大ボスが控えてるって」


 軽い口調とは裏腹に、少年の表情は珍しく強張っていた。その様子に気がつき、スフィルが目を細める。


「大ボスねえ。てめーがそんな顔するぐらいだから、ちゃあんとお強いんだろーな?」

「さて? ただ、だってことはわかってる」

「はあ!? そんなもん、全ッ然すっきりできねーじゃねーか! なにが大ボスだよ!」

「大ボスだろ。魔獣は、そいつから逃げてきたみてえだからな」


 しれっと告げた事実に、スフィルが息を呑む。


「……少年。それがなんだかわかっているのだな」


 スフィルが目を丸くしている間に、狼が静かに口をはさんだ。メビウスは視線だけ動かして彼を見ると、魔獣が押し寄せてきていた方角に顔を向けてうなづく。


「外の世界――最果ての住人。どんなやつかは知らねーが、こっちの常識はほとんど通用しないと思っていいぜ」

「最果てとは。つまり、この世界のことわりを外れたものか」

「んー……概ね間違ってねえけど。そもそもテラリウムの住人じゃねえから、異分子イレギュラーっつーか、どこの世界にも属してない、枠の外にいることを決めた連中だな」


 多分、と付け加え、頭をがしがしとかきまわす。いかにも不服そうな態度に、狼は首を傾げた。


「ッたく。ばれたほうもいい迷惑だよな。外の方が居心地いいから、あっちにいるんだろうしさ」

「そんな簡単に、べるもんなのかよ」

「そいつは相手の規模によるな。対価さえ示せば、気が向いたやつはちから貸してくれるぜ」


 ま、大概は命と引き換え、だな、とさらりと続け、メビウスは口を挟んできたスフィルをまじまじと見やる。


「それにしてもスフィルちゃん、さすがに知らなすぎじゃね? 禁呪の定義は、魔界そっちも同じだろ?」

「使えねーもんには興味ねーんだよ」

「あらら。ファルコンもジェネラルも、そこにはなにも言わんのね」

「我では力不足だった、とだけ言っておこう」


 ファルコンの苦い言葉に込められた意味を察し、メビウスは苦笑で答えた。たった一日しか付き合っていないが、スフィルが興味のないことについて勉強する様など考えられない。狼が四苦八苦する姿はともかく、ジェネラルも匙投げてたりして、とほんの少しだけ想像し――かけてやめた。


「それで、坊ちゃん。倒しちゃいけないというのは?」


 ウィルがするっと口を挟んで、方向修正をする。メビウスは、一瞬視線を飛ばしてうなづいた。


「ああ。本来なら、ここテラリウムに存在するはずのない生命体だ。それが存在してるっていう事態がすでにおかしいんだよ。フツーは、んだやつが還すか、ばれた理由がなくなった時点で勝手に還るはずだ。世界テラリウム異分子イレギュラーを弾きだそうとするし、外のいきものも元の場所に還ろうとするからな」

「外は、色んな世界から魂が集まってまた、旅立っていくための準備をする場所。そこに住むかれらは、なんらかの形でどこにも還れなくなってしまった魂が形を持ったものたちなの」


 静かに言葉を添えたのは、空色の少女だ。初めて言葉を交わしたとき、彼女は外の世界を眺めて魂は巡るのだという話をしていたと、メビウスは思い出す。


「そっか。あいつらも好きで外の世界にいるわけじゃねーんだな」


 感慨深げに呟いて。ふっと短く息をつく。


「外のいきものは、外の世界で生きてるわけだ。だから、死ぬのももちろん外の世界でってのが当たり前なんだよ。これは、逆も当てはまるんだけどな」


 オレたちが外で死ぬのもよくないってことなんだけど、と続け。


「魂は、ソラちゃんが言ったように外の世界に向かうみてえなんだけど、身体はそういうわけにはいかねえ。そのまま、本来自分が存在するはずのない世界に残ることになる――」


 その気配に、いち早く気がついたのはソラだ。小さく息を呑み、話すメビウスの袖をつかむ。彼女の表情を見、メビウスもすぐに察した。


「直接見たほうが早いかもしれねえな。どうやら、もうすぐきてくれるらしい」


 ずしん、と大地が震えたような気がする。

 魔獣たちがいなくなり、先ほどまでの騒ぎはなんだったのかと思い返してしまうほど、いまは張り詰めた静けさに包まれている。

 今度こそ、大地が揺れる。一定のリズムで、足音らしき重低音とともに。しかし、瘴気も魔力も感じない。感じるのは、なにものかがいるという気配――ただ、それだけ。


「……こんだけ距離が離れてんのに、魔獣たちはパニックになってたってことかよ」


 魔族の少女の疑問は、もっともだ。メビウスとウィルが最後の魔獣を倒してから、気配も揺れも感じなかった。つまり、くだんの外のいきものとやらは、魔獣たちを追い掛け回していたというわけではない。ただ、マイペースに進んでいただけ、なのであろう。

 皆が皆、音のするほうへ意識を傾けていた。


 そして。

 それが――姿を現す。

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