兄と弟と。

日本という国には、太古の昔から法律が実体化し人となり、我々と共に生活をしているという。

彼らは【リョウノギケ】と呼ばれている。


法律の擬人化たるリョウノギケは、草案の際にその身体は生まれる。

そして、公布の際と施行の際に身体が成長するという。


1.


「すっかり髪伸びたねぇ」


週末、リョウノギケの宿舎にて。

刑法が、弟である俺──刑事訴訟法の赤く、長い髪にスっと指を通す。

刑法は少し酒を飲んでいた。

俺はソファで寛いでたし、酔ってるんだろうな……と思い、止めはしない。

俺と刑法と同居している恩赦法はクスクス笑いながら俺たちの方を見ていた。


「そう言えば切るタイミングがないな」


ゆっくりと手ぐしをしながら、忙しいからねと応えを返してくる。

そう言えば──俺の前任者である刑事訴訟法の名前は治罪法だったか。

その治罪法も赤い髪をしていたらしい。

廃止された法の身体は死ぬ。

しかし、その遺体は残るため、遺体を安置する施設が必要であり、それはリョウノギケの職場の近くにある。

俺はそこに行ったことがないから、赤い髪だった『らしい』としか言えないが。


「そう言えば刑法、治罪法ってどんな人だった?

俺、草案の時にしか会ったことないからよく覚えてない」


「お前より100倍ぐらいうるさいな」


即答でそう言われる。

──本当にこの人酔ってるか?


「まぁでも、アイツも良い奴だったよ」


それだけ。

本当に、それだけしか答えがなかった。

普段は頑なに治罪法のことを話さない兄が、これほど話をするとはやはり酔っているのか。

フーン、と曖昧な返事をしておいて後は好きに髪をいじってもらう。

今度の日時にでも遺体安置施設に行ってみるか。



2.


日曜の昼頃。

刑事訴訟法はリョウノギケの遺体安置施設にやってきた。

廃止となった法の遺体は、ここに条文と共に展示される。

ここの施設に来ることをリョウノギケは『墓参り』という。


(治罪法……は刑事法……3階か)


案内板をじっと見つめて階数を確認し、横にある階段を上っていく。

トン、トン、と自分の足音だけが聞こえてくる。

ここには管理者がいるはずだが、水を打ったように静かだ。


「ここ……」


3階に着いた彼は、ふぅ、と息を吐いた。

治罪法はここの階の1番端にいる。


───その明るい髪のリョウノギケは、すぐ見つかった。


「──治罪、法」


見上げた先には、赤い髪の青年──治罪法の遺体があった。


(ああ、彼が刑法の最初の相棒か)


刑法は刑事訴訟法に価する法律が無ければ活動ができない。

逆に刑事訴訟法も刑法がなければならない。

故に、刑事訴訟について定めた治罪法は兄の相棒だった。


「おや、そこの君は刑事訴訟法くんではないですか。

珍しいですね」


ドク、と心臓が跳ねる。

勢いよく横に身体を向ける。

そこには、フードを目深く被った人物がいた。


「すみません、脅かすつもりはなく。

私はここの管理者の1人です。オウミとお呼びください」


(オウミ───)


非常に怪しい。

そう判断した刑事訴訟法は、じっと相手を見つめる。

オウミはその様子にニコ、と笑い、


「ふふ、そう見つめないでください。

──ああそう言えばその『怪しいと思った人物をじっと観察する』癖、治罪法にそっくりです。

そう言えば裁判所法も──裁判所構成法にも同じ癖がありましたね。

ああ、裁判所構成法分かります?

あなたと同じく治罪法の後任で──」


「大丈夫分かってるから説明はいい。

治罪法は刑事訴訟と裁判所について定めた法だからな。

治罪法が廃止となった時の後任は俺と裁判所構成法だった」


俺が1番よく分かってる、と説明を遮る。

さよですか、とオウミは話すのをやめてしまい、奥に引っ込んだ。


(確かに裁判所構成法と裁判所法も相手をじっと見つめて観察する癖があったな……。

裁判所法は構成法の後任だから同じ癖があるのは納得していたが)


しばらくぼーっと治罪法を眺めていた刑事訴訟法だったが、ふと、遺体と共に展示された条文の書かれた冊子の隣に置いてあるノートが目に止まる。


(──何だ?)


『治罪法へ

刑法より』


表紙には確かに刑法の筆跡でそう書かれていた。

パラ、とページをめくる。


『有難う、さようなら ○月○日』


その言葉だけが書き連ねてある。

毎日、毎日──そして今日の日付も。


「お兄さんの刑法は毎日ここにいらしてますよ。

先程までいらしてましたが……すれ違いになってしまいましたか」


オウミの声が、静かに聞こえた。


「しばらくいらっしゃいますよね?

お茶をご用意いたしました。

私も治罪法とは少し話をしたことがあるぐらいですが、お話はできると思います」


妙な気遣いが、心に入り込む。

治罪法と、兄のことを知りたい。


「──ああ、すまない」


刑事訴訟法は管理人室へと案内され、治罪法の話と、刑法の昔話を聞く。

治罪法はたった8年施行されただけの法律だが、刑法の隣を歩み、確かに刑法の相棒として寄り添った。


「……ところで刑訴くん、そろそろここに来てから1時間は経つが良いのかい?

刑法がもうそろそろ恩赦法の施行記念日だ……と言っていたけれど」


しばらく話を聞いているとオウミがそう話題を切り替える。

あ、と気付いて時計を見ると、刑法と一緒に恩赦法への贈り物を買うための待ち合わせの時間が迫っていた。

慌てて立ち上がるが、あ、と刑訴は何かに気付いた。


「管理人、あなたは一体──」


「私のことですか?

あなたのお兄さんと恩赦法がよく分かってらっしゃいますよ。

オウミに会ったと言えば分かります」


最後までいかにも『怪しい人物』である。

有難うございました、と深くお辞儀をして礼を述べ、遺体安置施設を後にした。



3.


「オウミ──はぁ、アイツも変な名前名乗るねぇ……」


無事に刑法と共に買い物をした帰宅後。

刑法にオウミのことを聞くと、そんな回答をした。

ん?と首を傾げる刑訴とあー……と思い当たる節のある恩赦法。


「近江令って知ってるか?

日本で最初の律令法典と言われている。

律令って言っても令だけで、かつて律を担当していた俺はまだいなかったが。

存在しないと言ってる学者もいるようだが、近江令は確かに存在した。

アイツは──律令の片割れの令だよ」


1300年前。

現在の刑法に当たる律、現在の行政法に当たる令がいた。

それが、律令。

律は名前をことあるごとに変え、現在は「刑法」として生存している。

そこまで聞き、刑訴の頭の中では、リョウノギケは廃止になったら死ぬのに、何故令が生きているのか──その疑問があった。


「あそこには十七条憲法も管理人としている。

あの二人は俺らリョウノギケの始祖だから生き残ってるかもな」


そう言って刑法は恩赦法を見る。

恩赦法も、恩赦法という法律自体は昭和生まれだが、「恩赦の起源」は飛鳥時代にまで遡る。

「恩赦そのもの」の概念が擬人として生まれ、それが「恩赦法」として生存した。

──つまり、十七条憲法と律(刑法)、令(オウミ)、恩赦法はこの国の法制史をほぼ網羅的に見たこととなる。


そんなことを考えていると、恩赦法がゆっくりと口を開く。


「私たちは法の番人だから、誰かが法制史を語り継がないといけない。

それが十七条憲法と律令と私だよ。

もちろん治罪法のことも」


優しく、ゆったりとした声で話す彼は記憶を探すように目を瞑った。

もしかしたら、恩赦法も治罪法との思い出に浸っているのかもしれない。


であれば、自分も誰かの記憶になれるように、『刑事訴訟法』として生きていかなければならない。

少し目を伏せながら、刑事訴訟法の頭をその決意が固まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リョウノギケ 碧羅 @hekiheki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ