Perfume of Soy
増田朋美
Perfume of Soy
Perfume of Soy
今日は、穏やかな晴だった。最近、雨が多かったので、久しぶりの晴であった。農作業をしていた人たちは、嬉しそうな顔をして作業を開始し、道路工事をしていた人たちは、気合を入れて道路を作り直す作業を開始した。
「おはよう聰。」
ブッチャーが、今日最初に入った注文をメモに書いていると、姉の有希がやってきた。
「また注文?」
「ああ、そうなんだよ。やっぱり、ダントツで売れるのは銘仙だよな。可愛いという事もあり、一番売れるよ。唯、問題は、そこからほかの着物への橋渡しが難しいというところだ。」
ブッチャーは、部屋の中に大量に積まれた着物の山から、銘仙の着物を一枚取り出した。
「着物は嫌いだが、銘仙だけは好きだという、若い姉ちゃんばかりが、注文をよこしてくるので困ったもんだよ。まあねえ、売る側としても、一番最初に銘仙を、筆頭商品として出しておかないと、着物なんてものに興味を持ってくれないという、事情があるもので、、、。」
ブッチャーは、紙袋に銘仙の着物を入れ、あて名を書いた伝票を、袋に張り付けた。
「ま、いずれにしても、着物を買ってくれる人は増えてくれるから、いいという事にしようかな。」
ブッチャーは、頭をがりがりとかじって、袋を閉じた。
「さて、俺、ご飯の前に発送してくるからさ、姉ちゃん先に食べてて。急ぎの注文なんで、なるべく早く発送してくださいって、お客さんから言われちゃってよ。」
「嫌ね、そんなものが、流行るなんて。」
ブッチャーがそういうと、有希は嫌そうな顔をして、ブッチャーの顔を見る。
「何だよ姉ちゃん。」
「だってそうじゃないの。ただけばけばしくて、気持ち悪い柄の着物なのに、そんなものが何ではやるのかしら。それに、昔の貧しい人の着物だったんでしょ。そんなもの、果たして実用的かどうかしら。貧しい人の事だからちゃんと縫製だってしてないでしょうし。其れで抗議の電話でも来たらどうするの?」
有希はそんなことをいい始めた。
「姉ちゃん。そんな心配はしなくてもいいよ。抗議の電話なんて、今まで一度も来たことないし、昔の着物はちっとやそっとの事では壊れたりしないようにできてるって、カールさんも言ってたよ。そんな心配しないでくれ。」
ブッチャーがそういうと、
「あたしは、聰の事を心配しているのよ。アンタのやっている商売だって、インターネットの画面しか商品の情報とかないんだし、もし、画面と色が違っていたとか、一寸サイズが大きすぎたとか、そういう事があったらどうするのかと心配しているのよ。そりゃ、カールさんのお店みたいに、店を構えることができたら、理想的なんでしょうけど、そういう事が出来ないのなら、そういうことが起きるっていう、リスクも考えないと、いけないんじゃないかしら?」
有希はまた変な理屈を言い始めた。ここで矢鱈油を注ぐようなことをいったら、また大暴れという可能性もあり、ブッチャーは、ちょっと身構える。
でも、有希は今回、そのようなことはなかった。それ以上理屈をまくしたてることはなく、こういうのである。
「ま、いいわ。今日はあたし、製鉄所まで行かなきゃいけないし。いつまでもアンタとやり取りしていたら、遅刻しちゃうわ。ここまでにしておきましょう。」
おお!姉ちゃんがそんなことをいい始めたか!もう自分の中だけの世界ではなく、外の世界に目を向け始めたという事か!
ブッチャーは、それだけでも嬉しくなった。
有希は、呆然としているブッチャーを無視して、どんどん朝食を盛り付け始める。
「姉ちゃん、ありがとうな。」
ブッチャーは思わず言った。
「ありがとうって何が?」
有希は、そういうが、ブッチャーは、あ、何でもないとだけにしておいた。其れより、早くコンビニへ行って、発送しなければと思った。急いで紙袋をもって、コンビニへ出かけていく。
「姉ちゃんも、少し変わってきたな。俺も前向きにいかなくちゃ。」
持っていた、着物の袋が、打ち出の小槌みたいに思えてきた。
有希は、時おり体調が良いときは、こうして製鉄所を手伝いに行っている。製鉄所で役に立っているか、役に立っていないかは不明だが、同じ場所にかようという事が、段々できるようになってきているという事は、回復の兆しであると、影浦先生は言っていた。いずれは一人で生きていかなければならなくなるのだし、そのためにはどうしてもどこかに通って働かなければならないのだし。そのためには、一つのところにかようという事を、ストレスなくできるようにならなければならない。それができないという事は、まだ欧米と違って、障害として認められていない。だから、なんとしてでもできるようにならなければならないのだ。それを製鉄所を手伝いに行くという名目で、練習してくれるのなら、少し良かったと思った。
ブッチャーが、コンビニで、銘仙の小包を発送して帰ってくると、有希はもう、家を出てしまっていた。もうタクシーが、有希を連れて、彼女を製鉄所まで、運んでしまったのだ。
「よし、俺も、頑張って、貧乏呉服屋をやっていくかあ!」
ブッチャーは勢いよく朝食を掻き込んだ。
その数分後、有希は製鉄所に着いた。玄関の戸を開けて、まっすぐ四畳半に向かう。最近では製鉄所で鉄を作るために居る利用者はおらず、現在では、学校や職場などに通いながら、製鉄所に寝泊まりしている利用者ばかりである。彼らや彼女たちが、一生懸命水穂の世話をしているが、専門のお世話係という人はいない。家政婦斡旋所にお願いをしても、素雄さんの事務所にお願いをしても、人が足りなくて、水穂のところまで来てくれる適任者は居ないのである。
有希は、四畳半に入って、ふすまを開けた。水穂さんは、弱弱しく息を立てて眠っている。
「おはよう、水穂さん。」
有希はそう声をかけた。水穂さんは、しずかに目を開ける。
「あ、あ、どうも、すみません。」
布団におきようとする水穂さんだが、力がなくて、起き上がろうとしても、ひっくり返ってしまいそうになった。有希は、すぐに背中に手を当てて、しずかに寝かせてやる。
「すぐにご飯持ってきますからね。全く、こんなに痩せて。もう疲れてどうしようもないって顔してる。早くご飯食べて元気になりましょうね。」
水穂が答えるまもなく、有希はそう言って、食堂に走っていった。
暫くして。
「はい。水穂さん、食事ができましたよ。ゆっくり食べて頂戴。」
有希はお盆におかゆの入ったお皿をのせて、それを水穂さんの枕元に置いた。
「今日は寒いから、熱々を食べましょうね。ホウレンソウに、ゼンマイに、もやし。体にいいものばっかりよ。肉魚は一切使ってないから、当たる食品は入ってないわ。」
そうは言っても、おかゆの色を見て、水穂はぎょっとする。おかゆは茶色だった。という事はつまり、あるもので味をつけてあるという事なんだろうか、、、?
「さ、もし起き上がるのが大変だったら、寝たままで大丈夫よ。今日も一日、たくさん食べて病気に負けないでね。」
有希はおかゆを丁寧にかき回して、お匙を水穂の口元にもっていく。水穂は、首を反対の方へ向けた。
「何で、食べないの?」
有希はもう一回お匙をもっていくが、やっぱり反対の方へ向けてしまうのだった。
「どうしたの?食べないと、力が出ないわよ。其れとも、寝たままで食べるのはちょっときついの?」
有希は、そういってみたが、水穂は答えようとしなかった。
「だめよ、ちゃんと食べなくちゃ。もし、寝たままで食べるのが嫌なら、ちゃんと起きて食べれる?」
有希は、掛布団をめくりあげて、水穂の体を起こそうとした。そこに信じられないほどやせ細った水穂の体が現れる。その体は黒色に、白で井桁絣を大きく織りだした、銘仙の着物を着ている。
「まあ、、、。」
有希は、驚くというより呆然としてしまった。
「水穂さん、起きれる?だめならあたしが支えてるから、食べるときやっぱり座ったほうがいいか。」
有希は、水穂さんの背中に手を入れて、よいしょと上体を起こした。その体は、ごつごつと骨ばって、まるで体ではなく、木の棒を掴んでいるみたいだった。
「嫌な着方ね。其れじゃまるで、花魁のお姉さんみたい。そんな風に衣紋を抜いて着るんじゃ、貫禄がなくて格好悪いわ。」
有希は、水穂さんの体をこう批評した。
「ほら、食べて。体を起こした方が、食べられるかもしれないわ。」
そういって、水穂さんの口元に、再度おかゆを持って行った。さすがに水穂も、首周りを有希の手で捕まれているため、これ以上逃げることができず、お匙の中身を口にした。
「ほら、食べれるじゃない。じゃあもう一口頑張ろう。」
そういって、有希はもう一回お匙をもっていく。水穂は、仕方なく口にした。
さらにもう一度。
「もう一口。」
と、有希は再度お匙をもっていくが、
「もういいです。」
と水穂は言った。
「なんで?ぜんぶたべないと、作った人に失礼というモノ、」
と言いかけたが、有希もとりあえず三口食べてくれたから、良いにするかという気持ちに変わる。
「お昼のときは、もうちょっと食べられるわね。目標を立てましょう。朝、三口食べたんだから、お昼はその倍。いいわね。」
有希は、そういって、にこやかに匙を戻した。
「ありがとうございました。」
水穂はそう言ったが、食べ物を食べてうれしそうという顔ではない。有希は、こうなったら、もう徹底的に水穂さんの意識を変える必要があると思って、こういった。
「之、うちの弟が販売している着物と同じものよね。私、わかるわよ。女ものばかりという、訳じゃないわよね。世界の半分は男だし。」
水穂はそれがどういう事だかわからなくて、何も言わなかった。有希はさらに話を続ける。
「ブランド名があるわよね。確か銘仙という。そりゃ、洋服のジーンズみたいに、もともとは炭礦で働いていた人の服が、ファッションブランドになった例は確かにあるわよ。でも、この着物は、そういう人よりもっと貧しい人たちが着ていた着物でしょ。私、調べたのよ。昔はそういう身分制度があったんですってね。かわたとか、えったぼしとかそういう言い方をしていた人たち。その人たちが着ていた着物だったのよね、このブランドは。弟は、ラッパーと同じだと思えばいいと言っていたけど、あたしは、それではいけないと思うの。日本は、ラッパーを同じ人間として認めようという国家じゃないでしょ。其れはアメリカでの話。日本は、貧しい人の真似をしたファッション何て、受け入れたことあるかしら?よく考えて。そういうファッションしている人、みんな冷たい目でにらみつけるだけだわ。だから、水穂さんも、こんなみずぼらしい着物なんて着るのやめて、もう少しちゃんとした着物を着ましょうよ。庶民の着物でいたいんなら、結城もあるし、牛首もあるわ。ちょっと高級路線で行きたいだったら、縮緬も羽二重もあるじゃない。お金の事だったら、大したことないわよ。着物は安い値段で手軽に買える時代なんだし。ねえ、もう、わざわざ人種差別をしてほしいような、格好はやめましょうよ。ちょっと服装変えれば、また前むきになれるかもしれないわよ。」
「有希さ、、、。」
水穂は言いかけたが、代わりに咳が出た。反論したかったけど、咳に邪魔されてできなかった。
「ああ、ほらほら。薬のんで休みましょう。吸い飲みはこっちよ。」
有希は吸い飲みを取って、中身を水穂に飲ませた。暫くせき込んでいたが、薬はうまく効いてくれたようで、そのまま静かに眠ってしまったのである。有希は、水穂を布団のうえに寝かせて、かけ布団をかけてやった。
「咳で返事してるんだったら、あたしがしてやればいいわ。もうちょっとしたら、呉服屋さんもオープンするでしょうしね。」
有希は、壁にかかっている時計を眺めた。もう九時を当に過ぎていた。それでは、と、あることを思いつき、食器を急いで片付けたあと、有希は、自分の鞄をもって、ヨイショとたち上がる。水穂さんはすでに静かに眠っていた。
そこへ行くにはタクシーも必要なく、走っていけばたどり着けることは知っている。それに、ほしいものはいくらリサイクル品であるからと言っても、高級品であることは確かなので、無駄なお金は使いたくなかった。
有希は、増田呉服店にたどり着いた。呉服店はすでにオープンしていた。有希は何の迷いもなく、ドアを開ける。
「すみません。」
「はい、何でしょうか。」
と、売り台の整理をしていたカールさんは、有希のほうを振り向いた。
「あの、お願いなんですけど。」
有希は、頭の汗を拭きながらそういうことを言う。
「何でしょう?」
「あの、羽二重をください。羽二重をください。一番高級な男物の羽二重の着物を一枚ください。」
早口でまくし立てる有希に、カールさんはただ事でもないなと思って、
「ああ、男物の羽二重ですか。えーと、これとこれですが。」
と、カールさんは売り台から、急いで羽二重の着物を取り出した。ある色は、黒にグレー。まあ、男物ということで、さほど華やかな色合いでも無いのだが、やっぱり羽二重というだけあって、黒もグレーも、華やかに光を放っている。
「他に、羽二重は売れてしまいましてね。残念ながら今のところございません。」
という事は、他に何もないという事である。
「それでは、グレーのほうをください。」
有希は何の迷いもなく、グレーの着物を選んだ。
「了解しました。」
と、カールさんは、静かに言う。直ぐにその着物を取って、
「二千円で結構です。」
と、だけ言った。ちょっとその安さに有希は驚いてしまったが、着物というものは、それくらいしか需要がないという事に気が付く。有希は、すぐ千円札を二枚、カールさんに渡した。カールさんは、丁重に受け取って、領収書を書いて有希に渡す。
「ありがとうございました。」
有希は、そういって、紙袋に入った、羽二重の着物を受け取った。カールさんは、いったい男物の羽二重なんか、何に使うつもりなのか聞いてみたいような感じだったが、有希は、そういう質問には答えずに、静かに店を出ていく。そしてまた、製鉄所に向かって走っていくのだった。
有希は、製鉄所に戻って、急いで四畳半に行った。水穂さんはさっきの薬が効いているのか、まだ眠ったままであった。起こして着替えさせようかと思ったが、そんなことを言っても、いう事を聞かなかったら意味がないと思って、有希は眠っている間に着替えさせてしまおうと思いつく。
「水穂さん、すぐ着替えましょうね。もうこんな水ぼらしい恰好はしないでよ。ちゃんと、着物らしい着物というものを着用して頂戴。」
有希はかけ布団をめくり、水穂の来ている例の銘仙の着物を脱がせた。幸い、着物というものは、脱ぐ作業は簡単だ。水穂さんが冷えてしまわないように、すぐに羽二重の着物を手早く着せてやる。そして、兵児帯を締めてやり、また掛布団をかけてやった。これなら大丈夫だ。この方がよほど似合うわ!と、有希は思いながら、お昼の支度にとりかかろうと思った。その前に、銘仙の着物は、ごみ箱に捨ててしまった。
丁度そのころ。
「おう、天童先生。」
「杉ちゃんも。同時にくるなんて偶然かしら?」
製鉄所の玄関先で、杉ちゃんと由紀子、天童先生が、鉢合わせしていた。由紀子と杉ちゃんは、定期的に製鉄所にやってくることが恒例になっているが、天童先生は、最近忙しくてなかなか製鉄所に来る事は出来なかった。
「今日は、何だか久しぶりに、はれたわね。」
「そうですね、天童先生。最近雨ばっかり降ってたから、おかげさまで嬉しい気持ちになりますね。」
由紀子と天童先生は、にこやかに言い合った。それほど、今日は穏やかに晴れている。
「さて、水穂さんは何をしているのかな。」
天童先生がそう言い出した。
「昼寝。」
と杉三がぼそっという。
「其れか、縁側でも眺めているんじゃないでしょうか。今日は晴れているし、誰かに助けてもらって、外へ出してもらっているんじゃないかしら?」
由紀子は、そういって、ガラッと玄関の戸を開けた。
「あれれ、なんだかいいにおいがするなあ。」
杉三が、そんなことを言う。
「何か作っているんですかね。」
由紀子は思わず言ったが、すぐに匂いの正体が判明した。これはいけない。醤油の匂いである!
「ダメ!」
由紀子は急いで台所に飛び込んだ。醤油というのは、醤油というのは凶器!凶器である!
「何をしているのよ!」
由紀子が台所に飛び込むと、ちょうど有希が醤油味のおかゆを作っているところであった。
「有希さん!何をしているのよ!水穂さんに醤油なんか食べさせないでよ!」
「そんなこと言って、ただお昼を作っているだけじゃないのよ!」
有希と由紀子がそう言い合っていると、
「おい、静かにしてくれ!」
と、杉三が言った。四畳半から咳き込んでいる声が聞こえてきた。杉三と、天童先生は、四畳半に急いで行ってしまった。
「余分なことしないでよ!なんでそう余計なことばっかりするのよ!」
由紀子は、有希にそう怒鳴った。
「余計なことって、何もしてないわよ。ただ食べさせてやろうとしただけなんじゃないの!」
有希も負けじと怒鳴る。
「食べさせる、、、。醤油を?そんなことしないでよ!醤油は水穂さんにとっては凶器なのよ!」
「凶器?何を言っているの?」
有希は、ちょっと面食らったが、由紀子は自分も心配だったのか、すぐに四畳半に走って行ってしまった。有希が由紀子さんと言っても、気が付かなかった。有希も由紀子さんの後を追いかけて、四畳半に行った。
「ほら、シッカリしっかり、大丈夫よ。落ち着いて。」
天童先生が、そう言って、水穂さんの背をなでてやっている。由紀子も彼の体を支えて、咳き込んでいる口元に、タオルをあてがってやっているのだった。
「よし、もうちょっとだからね、頑張って。」
天童先生、今日はなかなか雄弁だ。
「ほらよしよし、ゆっくり吐き出してちょうだい。」
天童先生がそう言うと、由紀子があてがっていたタオルが一気に赤く染まった。
「ようし、大成功。うまくいった。良かったねエ。」
そういうことを言っている天童先生は、きれいに水穂さんの口元を拭いた。でも、例の羽二重の着物は、吐いた血液のせいで、もう襟元が真っ赤に汚れていて、二度と使い物にはならなかった。
「もうな、こんなてっかてかの着物なんか着ているから悪いんだ。天の羽衣を身に着けるのはもうちょっと後じゃないの!」
杉ちゃんが、げらげらと笑って、
「着替えような。」
と、どこからか先ほどの銘仙の着物を持ってきてしまった。杉ちゃんという人は、不思議な能力のようなものがあるらしく、すぐに、大事なものを持ち出してしまうのである。
「水穂さんの着物じゃない。何処にあったのよ!」
由紀子が聞くと、
「いいや、ごみ箱の中に入ってた。」
と、カラカラと笑う杉ちゃん。
「ごみ箱ね、そこに入れるのは失礼だわ。他に着物なかったかしら。」
由紀子は箪笥の引き出しを開けて、銘仙を一枚取り出した。天童先生と二人がかりで、水穂さんに急いで着せてやる。今度は黒ではなくて、白色に黒の井桁絣を入れたものであった。水穂さん本人はさっきの発作で疲れ切ってしまったのだろうか、また静かにうとうと眠っている。
有希は、この有様を眺めて、ぼんやりとしていた。この一連の事件で、何を学んだのかもわからず、
ただ、ぼんやりとしているしかできなかった。
醤油の香りは、いつの間にか、焦げ臭い匂いに変わっていた。
Perfume of Soy 増田朋美 @masubuchi4996
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