【書籍化記念SS】怨獄の薔薇姫 政治の都合で殺されましたが最強のアンデッドとして蘇りました

霧崎雀/DRAGON NOVELS

オープン・ザ・ドア


「もっと顎を引きなさい! それと、まだ肩が上下しておりますよ!」

「はい……!」

 キーリー伯爵居城の一室に地獄のブートキャンプが顕現していた。

 教鞭を手に檄を飛ばすのは、地味でお堅い雰囲気で飾り気の無いドレスを着た年配の女性。三角眼鏡を光らせる彼女は伯爵令嬢キャサリンの家庭教師であり礼儀作法などを教えている。

 そんな彼女は今、キャサリンの影武者として雇われた冒険者の少女イリスに、淑女としての立ち居振る舞いを仕込んでいるところだった。

 ……正確には、自身を追う王宮の目をくらましつつ復讐の戦いを進めるため、イリスに憑依して成り代わっているルネに対して。

 ――きつい……

 指導する先生の厳しい言葉によって全身を縛り上げられているかのように錯覚するイリスルネ。うっかり返事の後に『イェス、マム』と付けてしまいそうだ。

「一本の線の上を歩くと思いなさい! 右足と左足の間にほんの僅かでも隙間が空かないように!」

 キャサリンと同じ姿に変装し、ドレスに着替えさせられたイリスルネ。しかし外見だけ真似ればどうにかなるという単純なものでもない。現在は歩法の訓練中だ。

 歩く姿がみっともなくてはどちらが本物かバレてしまう。しかし、外見的優雅さを突き詰めたハイソサエティの歩き方は、地雷原でケンケンパをするような難しさだ。

 さらにイリスルネを困惑させる要素があった。

 自分がコテコテに『女の子の格好をしている』という点だ。

 ――スカートの中でズボンの布地に遮られず内股がこすれる感触……! なんで今更こんな事に違和感を覚えなきゃならないの!?

 押し寄せる背徳感。そして、謎のドキドキ。背中をくすぐられているようなこそばゆさ。

 先日、ルネは処刑されて蘇った際に前世の記憶を取り戻したわけだが、それから何かおかしい。

 前世で生きていた頃の地球の日本は、ジェンダーに対する固定観念も昔に比べてかなり薄れているように感じたが、それでもやはり『男らしさ』『女らしさ』という概念は強固に存在した。そして、男として生きていた前世の記憶が戻って来たからかなんなのか、現在イリスルネのアイデンティティーは比較的深刻にクライシスしていた。

 ――わたしは女の子に生まれて十年生きて! その間ずっと自分のジェンダーに疑問を持ったりしなかったはずなのに! 前世の記憶が蘇ったらなんか急に揺らぎだした……!?

 自分が男だという気は今更しない。

 しかし、だというのに。自分が女かと言われると……急に自信が無くなってきた。

 そんなイリスルネにとって、この装いは華やかすぎる。『イリス』本来の、実用一点張りの冒険者装備ならまあまだ耐えられなくもないのだが。

 ――静まれ……わたしの内なるオッサンよ、静まれ……!

 リボンまみれのフリフリドレスを着たイリスルネは、内心の葛藤を押し殺しつつ教官殿に従う。

「真っ直ぐ、はい、一、二、三。そこで右へ曲がる。体幹をぶれさせてはなりません、天井から一本の線で吊られているように!」

 ――わたしがやることに、男とか女とかは関係無いっ……! ただ、復讐を為すのみ……!

 お守りのように、その言葉を心の中で繰り返してイリスルネは耐えた。

 人生は遠目に見ると悲劇だが近くで見ると喜劇だという、どこかの偉人の言葉が脳内を巡っていた。


 * * *


 イリスルネは鏡の前に座っていた。

 鏡の中には蜜柑色の髪の少女が居る。キャサリンに変装したイリスルネが。

 厳しく姿勢を正され、背筋は定規でも差したように伸びきっていた。

「まずは普通に笑ってみてくださいまし」

 先生に指示されて、イリスルネはちょっと困る。

 ――普通に……笑うって言っても……どうすればいいんだっけ。

 普通、人は、何らかのポジティブな気持ちに基づいて笑うものだ。全てが終わって全てが始まったあの日から、イリスルネはそんな気分になったことが無かった。

 鏡を見ながら表情筋を動かして、イリスルネはどうにかこうにか笑顔らしいものを作る。

「……子どもらしさがありませんね」

「ご、ごめんなさい」

「褒め言葉です。子どもらしく屈託の無い、無邪気な笑顔ではいけませんから。しかし、先程の笑顔には陰りがございました。それもまた、殿方に奥ゆかしさを感じさせるための手管としてはよろしゅうございましょうが、キャサリンお嬢様の笑顔ではございません」

 なるほど確かに、と心中で唸るイリスルネ

 あの勝ち気で自信に満ちた様子のキャサリンを思えば、それに合った演技をしなければならないだろう。

「わたしに、お嬢様の演技ができるでしょうか。お嬢様みたいにツンケン……じゃなくて、その、自信満々には振る舞えない気がしまして。何か、コツのようなものは……」

「よろしいですか? 全ては作り物です。人は、他人の内面など見えません。上っ面だけを見て『本質を見抜いた』と思い込んでいるに過ぎないのです。特に、表情は他人に多くの情報を与えます。上品に、美しく、可憐に微笑んでさえいれば、あなたは周囲から、上品で美しく可憐であると見られるようになるのです」

 三角眼鏡をクイクイ押し上げ、先生は言う。

 その言葉そのものは含蓄ある妥当なものだろうとイリスルネは思った。

 しかし、『美しい』だの『可憐』だのという言葉がイリスルネの中で何かをくすぐる。男性に対しては滅多に使われない……少なくともルネの前世に対しては使われなかったし、未来永劫使われなかったであろう形容詞だ。

 幸いというか何と言うか、先生はイリスルネの内心で起きている戦いに気付いた様子は無かった。

「本来であれば一から全てを教え込むところですが、与えられた時間は長くありません。必要な事全てを学ぶのは不可能です。ですので、骨身に染みたものにできなくても、せめて『騙す』だけの力を身につけていただきます」

「は、はい」

「そうですね……まずは顔を作ることに慣れていただきましょう。少し時間を差し上げますから、三種類の笑顔を作ってみてごらんなさい」

 人生二つ合わせても前代未聞のお題だった。

 どうすればいいのか皆目見当も付かないが、ひとまずイリスルネは鏡を見ながら百面相を開始する。

 ――前世で営業スマイルは散々やったけど、鏡を見て練習したことはほぼ無かったなあ……

 背後から先生の視線メガネビームを感じつつ、顔をぐにぐに動かしてみたり、首を動かして目線の向きを変えてみたりしてイリスルネはいろんな笑顔を作ろうとしてみる。

 ――あ、この角度は可愛……

「うひゃあ!」

 イリスルネは飛び上がってしまいそうになった。

「どうなさいました?」

「あ、いえ、なんでもないです……」

 首をかしげる先生に対して、イリスルネは慌てて誤魔化した。

 心の中で自分に向かって『可愛い』という言葉を使おうとしたその瞬間、熱湯に触れてしまった手を脊椎反射で引っ込めるかのようにイリスルネは思考を中断していた。

 ――しっかりして、わたしーっ! 『可愛い』なんてお母さんから散々言われたでしょーっ! 

 自分自身を『可愛い』と思うことは、禁断の果実の味だった。新鮮で鮮烈、ふわふわとした気分で不快ではない。パステルカラーの大迷宮に迷い込んだかのような心地よい酩酊感があった。

 しかし、めくるめく少女世界に飛び込みかけていたイリスルネは、恥ずかしさと『前世的感覚』によってブレーキを掛けられた。

 男性にとって『可愛い』という言葉は縁遠い。向けられることは少なく、自らの可愛さを求める男性は変わり者扱いだ。この世界でもそうだし、前世でもそうだった。

 その齟齬が。

 蘇ってしまった前世の記憶・感覚との不協和音が、イリスルネの心の中で地獄の交響曲を奏でていた。

 ――だいたいこれ、わたしの身体じゃないし! 顔もキャサリンちゃんに似せてる状態だし! だからこれはセーフ! ノーカン! 『可愛い』って思ってもそれはわたしのことじゃない!

 猛烈な勢いで頭の中で言い訳を並べ立てイリスルネはダメージコントロールに励んだ。

 だが、その時。ふと、イリスルネは気が付いてしまった。

 ――ん……? ちょっと待って、もしかしてわたしって、元の姿も結構……

 偏見の薄い国境地帯に住んでいたとは言えど、ルネの銀髪銀目はこの国で忌み子の証。

 擦れ違うだけで露骨に嫌そうな顔をされたり、暴言を吐かれたりして、いつも頭を隠すようにして生きていた。そんなだから自分の容姿には全く価値がなく、それどころかマイナスなのだと思い込んでいた。

 だが、今、偏見と経験から自由な異世界ちきゅう人の、それも大人の目を通して記憶の中の自分の姿を見ればどうだろうか。

「あ、あわわわわわわ!」

「どうなさいました? それと、あまりお顔に触れますとお化粧が乱れます」

「ななななんでもないですっ!」

 自分が可愛かったのではないかと気付いた瞬間は、世界の全てを手に入れたかのように思った。同時に、居ても立ってもいられないほどくすぐったく感じた。内なるオッサンが悲鳴を上げる。

 だが、そのせいで身悶えしてもいられない。

 ――ぐぬぬ。こ、こうなったらわたしの中に浮上したオッサン的な自我を徹底調教して、『女の子慣れ』させてやるっ……! せめて活動に支障が出ない程度にはっ……!

 決意を固めるイリスルネ。こちらの世界で既に女の子として十年生き、死んでからも少女の姿で活動しているのだから、遅れて来た違和感などねじ伏せて順応しなければならないだろう。

「可愛らしい表情を作ることに、照れがあるように見受けられますね」

「そう、ですか……」

 三角眼鏡が不気味に光る。イリスルネの複雑な事情など知るよしも無いだろうが、可愛く見せる表情に抵抗がある事は、先生のご慧眼にしっかり見抜かれていた。

「まずは堂々としていなければなりません。自分自身に疑いを持たず、開き直ること」

 すっと腰を落とし、先生は鏡を遮らないよう、斜め前からイリスルネの顔を覗き込む。

「貴女は可愛い」

「あ、う……」

「貴女は可愛い!」

「わ、わたしは、可愛…………」

 先生は暗示を掛けるかのように畳みかける。

 ――やめてー! ちょっとずつ慣れてくところなんだからショック療法みたいな事しないでー!

 恥ずかしさと謎の背徳感で、にやけて引きつった顔が鏡に映っていた。


 * * *


「あれっ、お嬢様……じゃない、イリスか」

 とっぷりと日も暮れた頃。ようやくレッスンから解放されたイリスルネは、城の廊下を歩いていて“竜の喉笛”の面々と行き会った。

「なんか妙に疲れた顔してねーか?」

「……分かる?」

「そりゃまあ……」

 三人は揃って苦笑する。

 先生に一日中絞られて、夕食さえも姿勢から食器の使い方まで徹底指導された。精神的な疲労だけを言うなら、徹夜でブラック労働した方がマシだったんじゃないかと思うほどだ。疲労のあまり陰鬱なオーラを漂わせているように見えたのかも知れない。

「やっと全部終わって、お風呂サウナに行くところなんだけど……多分、身体も髪もぜぇーんぶ侍女さんが洗うことになるんだと思うわ。今はキャサリンちゃんと同じ生活をする予行演習だから」

「ほう、そりゃまたまさしく王侯貴族の気分だな」

「うっひゃー、すげぇ贅沢! いいじゃねーか、楽しんでこいって」

「そんなことまで他の人にやらせるのって、なんだか落ち着かないわよ!」

「あっはっは! ま、人生は何事も経験さ」

 ディアナがカラカラと笑い、ほんの少しイリスルネの髪を乱す。

「あたしらはこれから衛兵隊長さんと警備の打ち合わせだよ」

「晩飯もまだなんだぜ?」

「そう。そっちも大変ね」

「まあ、これも伯爵様とお嬢様のためさ。お互い頑張ろうじゃないか」

「へいへい、報酬の分は頑張ろうぜ」

 三人と一人は擦れ違い、それぞれの目的地に向かっていく。

 だがその時、ディアナがにまっといたずらっぽく笑う。彼女はすれ違いざまに何かをイリスルネに手渡した。違法なブツをこっそりやりとりするかのように。

 思わず受け取ったイリスルネは、去って行く三人の背中を見て、それから自分の手の中にある物を見た。

 手渡されたのは巾着絞りにした紙切れだった。反故紙を適当に破ったような包みを解くと、中には艶めいた小石のようなものが入っていた。

 蜂蜜飴だ。ディアナはこれを時折、『イリス』に与えていた。

 飴を包んでいた紙にはディアナの筆跡で『がんばれ!』とメッセージが書かれている。

 イリスルネはしばらくの間、身動きができないような気分になって、しげしげと一粒の飴を眺めていた。そしてそれを、口に入れた。

「…………甘い」

 素朴な味に、不意に涙がこぼれそうになって。

 イリスルネはその甘さに口が慣れてしまう前に、蜂蜜飴を奥歯で噛み潰した。

 

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