第3話 のんべえな快輔は抽選で転生の権利を獲得した

 ある土曜日の深夜。行き付けのスナックで大量の酒を飲んだ井瀬いせ快輔かいすけは、酔って車道で泥酔しているところを車に跳ねられ、死亡した。


「おめでとうございます。交通事故死亡者限定キャンペーン期間中に亡くなった方の中から抽選を行い、あなたに特賞が当たりました」


 頭の中に響く穏やかな声で快輔は目を覚ます。ぼんやりとした視界に自分の両足が映り、自分が下を向いて立っていることに気がついた。


「……何だ? ここは何処だ?」


 目をこすりながら、快輔は顔を上げた。

 目の前には薄緑色の長髪を肩の辺りで纏め、メガネをかけた若い男が立っていた。メガネの奥の瞳は濃い茶色だ。


貴方あなたは先ほど亡くなりました」


 男が穏やかな口調で言った。


「面白いこと言うな! 変な髪した兄ちゃん。おっちゃんが死んだって?」


 快輔はそう言って、愉快そうに笑う。男は快輔の言葉に困惑した様子で「に……兄ちゃん?」と呟く。だがコホンと咳をして気を取り直し、男は状況の説明にかかった。


「……私はトマス。神のような者です。抽選の結果、貴方あなたに特賞が当たったんです。記憶を保持したままファンタジックな異世界への転生、もしくは本日0時からのやり直しです。どちらをご希望ですか?」


 トマスはつとめてゆっくりと丁寧に説明し、快輔に希望を訊いた。


「……ひっく。異世界? なんだそりゃ? おっちゃんは何処どこにも行く気はない! 『みやこ』のママに明日も飲みに行くって約束してんだ!」


 快輔は吃逆しゃっくりをしながら激しく主張する。『死んで魂となっているというのに、何故まだこの人は酔っぱらっているのだろう?』と首を捻りつつ、トマスはなだめるような口調で言葉を続ける。


「じゃあ、やり直しで良いんですね? 異世界転生、すごく人気なんですよ。綺麗な女性も沢山いる夢の様な世界なんですけど……。本当に良いんですね?」


 トマスの念を押すようなその言葉に、快輔は急に大人しくなった。

 そしてしばしの沈黙の後「……『みやこ』のママよりも?」と小さな声でトマスに訊ねる。


「ママさん以上の美人も沢山いますよ!」


 トマスが頷いて請け合う。快輔は「そうか……」と応じると、また黙り込む。何やら考えを巡らせているようだ。


「もちろんチート能力もお付けします! あちらの世界でモテる事、間違いなしです!」


 そう言ってトマスは異世界転生の利点を説明する。その言葉に、大人しく黙り込んでいる快輔の耳がピクリと動く。


「チートってなあ分らんが、異世界ってえなあ良さそうな所みたいだな。おっちゃんが美人にモテモテかあ」


 満更でも無さそうな口調で快輔は言うと、「ママには悪いけど、転生ってえのも良いかも知らんな!」とガハハと豪快に笑う。トマスも釣られて愛想笑いする。


「じゃあ、ご希望は異世界転生という事で宜しいですか?」


 トマスは希望の聞き取りを終わらせにかかった。

 彼も忙しい身の上なのだ、まだ抽選結果を伝える業務が100人ほど残っている。『酔っ払いの相手は早々に切り上げたい』とトマスは貼り付けた笑顔の裏で考えていた。


 そんな事とは知るよしもない快輔は「……ひっく。そうだなあ。そうしようかな」と吃逆しゃっくりをしながらニマニマと応じる。だが、急に「ああ、そうだ!」と何か思い出したように叫ぶとトマスに質問した。


「その世界、ビールはあるよな?」

「え? ビールですか? ちょっと待ってください。調べます」


 トマスはそう応じると、体の前で手を大きくゆっくりと振る。するとまばゆい光を放って凝った装飾の姿鏡が出現した。

 トマスがぱちんと指を鳴らすと、姿鏡の鏡面に酒場の映像が映し出された。


「あちらの世界では日本で飲まれているようなラガーではなく、エールが飲まれているようですね」


 鏡面を覗き込みながらトマスが言った。快輔がいぶかし気な声色で「えーるう?」と疑問の声を上げる。


「ビールの一種です。ラガーはすっきりとしたのどごしと苦みを楽しむお酒ですが、エールは芳醇な香りと苦みを楽しむお酒のようですね」


 トマスが説明する。


「おっちゃんはキンキンに冷えたビールののどごしが好きなの! なんだ? 香りって! おっちゃんをバカにしてんのか?」


 快輔がトマスに食って掛かる。


「ち……ちなみに、異世界には冷蔵庫が無いのでキンキンに冷えたビールは販売してません」


 胸ぐらを捕まれないように後ずさりながら、トマスが説明を付け加えた。

 その言葉でトマスににじり寄っていた快輔の動きがピタリと止まる。


「……え? じゃあ、い物は冷やせんてことか? 酒の肴の刺身は?」


 快輔が目を丸くして、トマスに訊ねる。


「ブリザード系の魔法で一瞬で飲み物を凍らす事は出来るので、好い具合まで溶かして飲むとかどうですかね? 刺身は常に冷やしておかないとダメですが、ずっと魔法を使い続けるのは不可能なので……」

「……刺身はえないって事か?」


 快輔がそう言うと、トマスは申し訳なさそうに頷いた。


 二人は沈黙する。


「……行かない。日本がいい」


 呟くように言って、沈黙を先に破ったのは快輔だった。「え?」とトマスが訊き返す。


「キンキンに冷えたビールの酒の肴に刺身も食えないような所、おっちゃんは行かないッ!」


 快輔がわめく。


「……じ、じゃあ。本日0時からのやり直しで良いという事ですね?」


 トマスが快輔のあまりの剣幕にたじろぎながら確認する。


「そうだッ! まともなビールとつまみがある所におっちゃんを戻してッ! 早く!」


 快輔が地団太を踏んでまくし立てる。


「……わ、わかりました」


 気圧けおされしながら了承すると、トマスは快輔の前に手をかざす。

 すると快輔の体が光を放ち、だんだんと消え始めた。

 そこでトマスはハッとあることに気づく。そして快輔に向かって大慌てで叫んだ。


「おっちゃん! おっちゃんが事故に遭うのはやり直してからだからッ! やり直しが始まったら急いで右へ転がって! そうしないとまた死んじゃうからッ!」


 トマスの声が聞こえたのか、聞こえなかったのかはさだかかではないが、快輔は嬉しそうにニヤニヤ手を振って消えていった。


 快輔は日曜日の0時5分ごろ交通事故に遭った。日曜日の0時には車道ですでに転がっている。


 願わくば無事であって欲しい。


 トマスはまた此処で快輔に出会わずに済むように願わずにはいられなかった。

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