第十五話「てんてこ舞いマイホーム」(3)

 (3)


 土間に突っ立っている金魚屋に「良いから上がりなよ。この箱の中身を覗いてみておくれ」と、声をかけて居間へと導く。金魚屋は「じゃあ、遠慮なく」なんて言いながら、履物を脱ぐと、ちゃんと揃えてから畳の間に上がり込んだ。てっきりそういう芸当は出来ないやつだと思っていたけれど、作法が守れるのだったら、初めから、わたしの言いつけを守って家の外で待っていて欲しかった。金魚屋は鞄を木箱の蓋の上に置くと「確かに、プレゼントっぽいな」と、わたしに頼まれる前に中身を覗き込んだ。


「ヨタ。ひょっとして今日がお前の誕生日なんてことはないよな? あいにく俺は何も用意してきちゃいないよ」


「お前さんが祝ってくれるってんなら、今日が誕生日ってことにしてやってもいいけど、残念なことに、猫に誕生日なんて無いのさ」


「そうなのか?」


「生まれた時に周りにカレンダーが無かったもんでね。それはさておき、どうだい? 中に兎っぽい女の子が入っていたら正解だよ」


 くまなく探した二階に居なかったのだから、わたしの同居人が隠れているのは、十中八九、このどでかい木箱の中だろう。


 八百屋のやつ、チィタの買い物メモの内容を真に受けて、また、余計な買い物をしてきたに違いないよ。まったく、あの子もあの子さ。貧乏に暮らしているのだから無駄遣いを止めるように口酸っぱく言って聞かせているというのに「資料に必要だから!」と、ガラクタばかりを集めたがる。外に出て見に行けば済むと言うものを、わざわざとお金を払って取り寄せるんだから、引きこもりというやつは困ったものだ。それに、今度のガラクタは、押し入れに押し込もうたって、どうやったって上手くはいかないサイズだけれど、一体全体、箱の中身は何だっていうんだい?


 木箱の蓋の隙間から中身を覗き込んでいた金魚屋は「こいつは、完全に開けちゃっても構わないのか? 釘で止めてあるみたいだけど」と尋ねてきた。でも、それはわたしの勘違いで、実際には同意を求めらただけで、金魚屋の貧弱な腕っぷしさえ披露する必要もなく、釘で止めてあった蓋はすんなりと取り外された。


 わたしは木箱をぐるりと回り込むと、いつものステップで流し台に飛び乗った。出しっぱなしのまな板が、くず野菜と一緒に床に落ちたので、後でチィタに片付けさせるとして、流し台を経由して木箱にもぴょんと飛び移った。


「ぷふもみたいー」


 眼下で飛び跳ねる子は一旦無視することにしよう。


「こいつは兎っぽくもなければ、女の子っぽくも無いぜ」


 金魚屋が木箱の中身について感想を述べる。「こりゃあ」と、首をひねってから「亀、かい?」と、わたしも連想したものを口にした。鉋屑の緩衝材の中から顔を覗かせていたのは、亀の甲羅のような物体だった。


 陸亀のような、こんもりと盛り上がった形の甲羅が、木箱いっぱいに収まっている。


 しかし、亀と言ったって動物の亀のものとは到底思えない。


「これは、金属か? 機械なのか?」


「わたしには魔物の甲羅に見えるよ」


「ぷふにもみせて」


 チィタはいったい何を買ったというのだ。


 鉋屑かんなくずが邪魔で全体像はわからないけれど、金魚屋が手でかき分けて現れた部分を見るだけでも、とにかく大きいのは確かだ。やたらと大きな甲羅は、ともすれば岩石だ、と言い切ってしまっても差し支えないような見た目をしているし、水晶のような鉱物を豊富に含んでいるようで、所々にきらきら光る部分が混ざっている。細かい粒なので、苦労して取り出したっていくらにもなりそうにないけれど、白や赤、紫色など、色々な種類の鉱物が混じっているようだ。中でも大きいのはカメラのレンズくらいのサイズで、おや? こいつは実際に、見た目もレンズのようだ。磨き上げられていて、絞り羽のような機構まで見える。


 なんだこりゃあ?


 わたしは首をひねる。しかし、カメラのレンズみたいな部分なんてのはわたしの優れた観察眼あってこそ見付けることができた違和感であって、金魚屋の細目では見えてもいないだろうけど、首をひねるに至ったのは、別の違和感のせいだ。


 もっとも、そこは金魚屋にだって発見できた、もっとも目立っており、明らかに変でしょうがないと自己主張している部分だったので、一瞬、自分の目がおかしくなったのかな? なんて心配になって一度目を閉じて見開いてみたけれど、やはり、そこには金属や機械にしか見えない部分がくっついていた。それ以上首をひねると転んでしまいそうなので、反対方向にひねっておいた。


 亀の甲羅、あれは、骨なのか皮なのか知らないけれど、鱗のようにも見えるだろう? その鱗一枚一枚は岩石みたいなやつなのだけど、その中に、取り分け他よりも大きい鱗が付いていた。


 そこだけ磨き上げられた銀色の金属製で、表面には歪んだわたしと金魚屋の顔が映り込んでいたのだ。


 表面には何やら文字まで刻印されており、中央には、バルブのような形をした取っ手と思しき物が取りついている。蓋のように見える。ううん。蓋にしか見えない。金魚屋は「開けて、みちゃう?」と、目配せしてきた。そうなのだ。そこは明らかに開きそうなのだ。


 わたしが頷くと、金魚屋は取っ手に手を掛けた。


「回す、のか? あれ、回らない。押す? おお、引くのか。なるほど、引いて回すのか」


 苦戦したが、開け方がわかった途端、ぶしゅっ、という圧力鍋の蓋が開く時のような大きな音が響く。わたしは一瞬たじろいだけれど、いつだって好奇心の方が勝ってしまう。蝶番ちょうつがいのあるドアのように開いた部分から中身を見てやろうと首を伸ばした。


 蓋の中身、その暗がりは、数時間前にわたしと金魚屋、それからプフが居た場所によく似ていた。酒場で襲われた魔物の腹の中のような、肉色をした、ブヨブヨとした空間になっている。


 巨大な亀の腹の中なのだろうか? 骨のような物まで見える。


 しかし、生き物の体の中とは到底思えなかった。なぜなら内側にはパイプやホースが張り巡らされており、ピカピカと明滅するランプや、いくつもスイッチがついた機械が何種類も埋め込まれているからだ。


「チィ、タ?」


 わたしは声をかけた。


 そこにはチィタと思われる人物が背中を向け、頭と手足を肉壁の中に突っ込むような態勢で、すっぽりと納まっていた。


 そいつは革製かゴム製かわからないけど、つるっとした生地で仕立てられた全身を覆うボディスーツ(水着なのか?)を着込んでいるのだけど、体形がわかるくらいぴちぴちなので、華奢な肩のラインや背中の感じから見たって、よくよく見覚えがある人物のものに違いなかった。


 チィタに違いないよ。


 それにしても、この子ときたらなんだってそんな趣味の悪い服を着ているんだろうね。それに、なんだい? そんなみょうちきりんなヘルメットまで被って。ヘルメットは兎の頭のような形をしていて、ちゃあんと長い耳までついている。その後頭部にはいくつものケーブルが差し込まれている。ケーブルを辿っていくと、肉壁に着いた装置に繋がっているのがわかった。


 しかし、目がチカチカする格好だね。


 ヘルメットもスーツも派手なピンク色なのだ。


 こんな得体の知れない服、我が家の箪笥の中に眠っていたっけ?


 いやいや、無い。断じて無いよ。


「チィタ。そんなところで何をやってんだい?」


 つるっとした後頭部に向かって尋ねる。


 チィタはすこぶると耳が良いにもかかわらず、わたしの声がまるっきり聞こえていない様子でピクリとも動かなかった。


 普段なら、我が家のすぐそばの階段を登って行く途中で、わたしの足音を聞きつけて、二階の窓からこっそりと覗き見をしてくるくらいの地獄耳を持っているというのに。思い返してみれば、わたし達が階段を登ってきた時に姿を見せなかったけれど、こんな趣味の悪いスーツとヘルメットを着込み、密閉性の高そうな得体の知れない物体の中に隠れていたせいだろう。


「寝てんじゃないのか?」


 金魚屋がわたしの頭越しに覗き込んで言った。


 言われてみればチィタの肩は緩やかに上下しているし、体の力も抜けきっているように見える。作業中に炬燵こたつに突っ伏して寝てしまったり、へそを曲げて押し入れに隠れたまま朝まで眠りこけてしまうこともあった。昼夜逆転しただらしない生活を送っているせいもあるけれど、暗いところではすぐ眠くなるのがこの子の体質なのだ。


 しかし、この子がこんな薄暗い所で眠っていたおかげで、無用の混乱は避けられたようだ。


 薄汚れた男と、ベタベタにまみれた女の子を連れて朝帰りした日には、どんな小言を言われるのかわかったもんじゃなかったからね。


 ほっとした。


 でも、束の間だった。


 いきなり。


 そう、不運というのはいきなり始まってしまうものなのさ。


 ばんっ!


「うおお! びっくりした!」


「プフ! 何やってんだい!」


「ぷふもみる、らあああ!」


 突然、プフが木箱に飛び乗ってきたのだ。


 わたしがやったように、流し台によじ登って、そこからジャンプしたようだ。しかし、身のこなしがへたくそなプフは、勢いに乗ったまま箱の中へと落っこちてしまったのだ。プフは顔面を、チィタは背中を、それぞれ強打することになった。


 びくん。


 チィタがびっくりして体を震わせた。


 その拍子にプフの体が滑って頭からチィタの脇腹と肉壁の隙間に滑り込んでしまった。ちゅるんっ、と気持ちいいくらい滑らかにね。プフが全身ベタベタだったのと、チィタがつるんとしたおかしなスーツを着込んでいたせいさ。プフは尻をむき出しにした情けない恰好で、両足と三角形の尻尾の先端をじたばたと動かしながら、きゃははっ、とくぐもった笑い声をあげる。チィタも、くすぐったいのかその身をよじったけれど、一言も声を発しなかった。ヘルメットのせいで声が聞こえないだけかもしれない。


「ふたりとも、大丈夫かい?」


 声をかける。わたしの声が届いたのか、単に脇腹でうごめくプフを見たかったのか、チィタはそこで初めて振り返り、ようやくと、わたしが帰って来たことに気付いた。


「ほはあ!」


 大声を出した。


 ヨタあ、と叫んだのか、馬鹿あ、と叫んだのか、どっちかよくわからない。それもそのはず。ヘルメットは完全な鉄仮面で、外界を見るためのスリットすら設けられていなかった。そんなので、どうやって前を見るというのだ? それよりも、息は出来るのだろうね? その代わりに、という具合に額にあたる部分と鼻にあたる部分とに、大小ふたつ宝石のようなものがはめこまれていた。どちらも、つるつるに磨かれた黄色い石で、でも、よくよく見れば、甲羅についていたカメラのレンズっぽい石に似ていた。中の絞り羽根が動いたように見えた。


 チィタの見えない視線は、わたしの顔を貫かんばかりに注がれていた。しかし、はっ、と気が付く。わたしの頭の上に、もうひとつ別の頭があることに。


「はひい!」


 また大声を出したけど、今度は言葉の想像もつかなかった。明らかに動揺した様子で肩をわなわなと震わせながら、わたしと、金魚屋の顔とを交互に見比べる。頭が、がくん、がくん、と大きく上下して、接続されたコードがぶらんぶらんと跳ね動く。その動きは、だんだんと勢いを増し、今にも首がもげそうなくらい大袈裟なものになる。


 金魚屋は、不穏な動きをするピンク色のヘルメット頭に動ずることなく「やあ。俺は金魚屋だよ」と、片手を上げて気軽な挨拶をした。


 これは、もう、チィタと金魚屋は、最悪の出会い方をしてしまったのではないだろうか。


 全身が痙攣したかのように震え始めた同居人を見て、わたしは頭から血の気が引く思いだった。そんなわたしをよそに「あはははは。せまくてくらいー」と、プフの明るい声が、ぷりんとした尻の穴から聞こえた気がする。


 がくん。


 チィタの動きが止まる。頭が落ちてしまったのか、と思うような動きで、肉壁に顔面を押し当てたまま動かなくなってしまった。


 しばらく経っても動かないものだから「チ、チィタ?」と、おずおずと声をかける。


 すると。


「もがああ! もがもが! ふんふん!」


 ヘルメットの中で癇癪かんしゃくが大爆発した。


 そして。


 また、いきなりと。


 ばんっ! どしんっ!


 木箱が大きく揺れ、片側に勢いよく倒れた。


 わたしは反射的に金魚屋の背中に飛び移ったけれど、その足場は「ぶへっ」と嗚咽を漏らしたかと思うと、わたしを乗せたまま土間まで吹っ飛んでいってしまった。


 空飛ぶ金魚屋絨毯だ。


 金魚屋の体が不時着する直前に、わたしはジャンプしたけれど、着地先を選んでいる余裕は無かったので、シーツが被さったかつての駄菓子ケースの中にぼすんと突っ込んでしまった。そのすぐ後に、どんっ、と金魚屋の体が土間に叩きつけられた音がした。


「ひひゃあ。な、なんだってんだい!」


 体にまとわりついたシーツの中から顔を出す。土間には金魚屋が腰も腹も手で押さえて涙を流して這いつくばっており、居間の方には、粉砕された木箱の残骸の中に、亀の化け物が二本足で仁王立ちになっていた。


   ◆

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金魚屋奇譚 煙ちゃん @Kemurichang

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