第十五話「てんてこ舞いマイホーム」(2)
(2)
半開きの戸口から中の様子を伺う。
暗い所は得意な方さ。何かが動くようだったらたちまちわたしの高性能の両目がキャッチする手はずになっている。
一階は元駄菓子屋だ。
土間の上には駄菓子が陳列されていたケースが当時の状態のまま並べられていたけれど、中身は全てチィタが食べてしまったので空っぽだ。どれも薄手のシーツに覆われていて、埃が降り積もっている。
ふう。
一息入れる。よし。
「とりあえず、中に入ってみるから、そこで大人しくしておくんだよ」
小声でそう言い残すと、金魚屋の返事を待たずに、わたしは半開きのシャッターをくぐり引き戸の隙間からするりと中に忍び込んだ。普段から足音を立てずに歩く癖があるけど、ことさら慎重に足を運ぶ。
室内にはひんやりとした空気が漂っていた。
そして、若干、かびと、焦げ臭いにおいがした。一日ぶりの我が家のにおいだ。
わたしは素早く動いて元駄菓子ケースの足元に体をすべらせると身を屈めた。ほかのケースの足元に目を配るも、そこに誰かさんが小さくなって隠れているようなことは無かった。
土間の奥の方に視線をやる。
そこには屏風で仕切られた一段高くなっているスペースがあり、わたしとチィタは居間と呼んでいる。元は客が上がって駄菓子をつまみに酒を飲んでくつろいでいく場所だった。簡単な調理が出来る程度の小さな台所が備え付けられているほか、食器棚と冷蔵庫が置いてあり、狭い。
そういう場所だったから、鶴と亀と松の木が描かれた古臭い屏風の裏側にチィタが二、三人隠れていたっておかしくない。
屏風を透視すべく目を凝らし、耳を澄ませていると、ことりと、二階の方で何かが倒れる音が聞こえた。
やっぱり二階だね。
一階にチィタが居ないのはいつものことだった。
誰かと鉢合わせしたくないので、外界に通じる出入り口がある一階には居たがらない。居心地が悪いので、腹が減らない限り居間には降りてこないし、居間と言いながらも台所で飯を作ったならさっさと二階に持って上がってしまうので、本来の用途で使われていなかった。
チィタは一日の大半を二階で過ごしていた。
わたしはケースの足元から出ると、居間のそばまで歩いていく。そこに二階に上がるための階段がある。
よし、声をかけてみよう。誰かいたなら反応するはずさ。泥棒でないことを祈りながら「チィタ。帰ったよ」と、階段の下から声をかける。
返事はない。
階段は暗かった。裸電球の明かりも灯っておらず、黒光りする踏み板が八段ばかり続いている。とんとんっと急こう配を駆け上がる。
階段を登り切ると短い廊下があり、ふたつの部屋を繋いでいる。ひとつの部屋のふすまが少し開いている。わたしが出入りできるように少しだけ開きっぱなしになっているのだ。
「チィタ? 部屋にいるのかい?」
隙間からするりと体を潜り込ませる。そこは布団が敷きっぱなしで、炬燵も出しっぱなしで、ごみくずがそこら中に散らばった、いつもの光景が広がっていた。
チィタのやつめ、片付けていないな。昨日のままじゃないか。
布団と半分一体化してしまっている万年炬燵の上に、描きかけの原稿と、消しゴムのカスと、くず野菜のスープが入った汁椀があった。スープはもうすっかり冷めていた。ウィンナーの切れ端が浮かんでいるのを見付けたので、食べた。こんなものでも腹が空いていれば実に美味しく感じられる。
「押し入れの中に隠れているんだろう?」
へそを曲げたり、居留守を使う時には、必ずチィタは押し入れに隠れる。
ふむ。いま、おかしいことを言ったね。
引きこもりのチィタは外出なんてしないのだから居留守を使うチャンスなんて無いじゃないか。
隠れるところは押し入れか、炬燵の中と決まっていた。わたしは炬燵布団に潜り込み、反対側から出て来ると、押し入れのふすまに前足をかけた。このふすまは、立て付けが悪いのと、中に、チィタが片付けたがらない物をわんさかと詰め込んでしまうせいで、爪を立ててめいいっぱい力を入れないと開かない。
「ぐぬぬ。今日は開かない日だね」
襖は少しだけ動いたけれど、それ以上には開かなかった。また、ごみくずを押し入れにしまい込んだのだろう。日に日に開けづらくなっていく扉だよ。「チィタ。そこにいるんだろう?」押し入れのふすまを前足でかりかりやる。耳を澄ませて返事を待つが、中からは物音ひとつ返ってきやしなかった。
おかしいね。
チィタが居ない。
どこで物音がしたのだろう?
まさか、外出したってことはあるまいね? 無い無い。それは絶対に無いよ。引きこもりは外に出ない。
こいつは本当に困った状況になっているのかもしれない。
わたしは、チィタとわたしの寝室兼チィタだけ一日の大半の時間を過ごす部屋を後にした。
再び短い廊下に出る。その突き当りを見る。そこには使っていない部屋がある。
使っていない部屋。そこは整頓された物置となっていて、前の住人が残していった物が納められている。
チィタとの約束で「ここはお化けが出るから入ったら駄目だ」と言いつけてあった。チィタはわたしの言うことはよく聞くので、今まで、一度だって立ち入ったことはない。従って、こっちの部屋に隠れることは考えられないのだけど、それでも、わたしは念のため、チィタが居ないことに不安を覚えていたから、扉に前足をかけた。
何か月も役目を忘れていた扉は、しかし、静かにスライドする。
かび臭い空気が出迎えてくれる。
鎧戸の隙間から光が一筋差し込んでいるだけで、部屋は暗い。
四畳半の部屋には、段ボールや木箱、いくつかの家具があり、隅の方に布団が畳んで置かれている。そのどれもに、すっかりとほこりが積もっていた。チィタが侵入した形跡は見付けられないし、ほかの誰かが潜んでいるようなことはなかった。勿論、前の住人が返ってきた形跡だってない。
わたしは、ほっとして引き戸を締める。
はあ。吐き出された息は重苦しい。
この部屋を開ける時は、なんでだか知らないけど、自然に息を止めてしまう。
気を取り直して、じゃあ、屋上はどうだろうか?
短い廊下の中ほどに、天井から紐がぶら下がっていた。そいつに飛びつき引っ張ると、上げ下げ式の階段が降りてくる。二階に上がる階段よりも更に急こう配の階段を登ると、屋上に通じる扉にはしっかりと錠が掛けられていた。
「困ったね。本当にどこに隠れたんだい」
おかしい。こいつは、おかしいったらないよ。
あの子の性格上、本当に見付けられないようなところに隠れたりなんてしないのさ。
隠れるたって、結局のところはわたしに見付けて欲しいだけなのだから。
不安を掻き立てられる。わたしが留守にしている間に、チィタに何かあったのだろうか? わたしの小さな心臓がドクドクと音を立て始めた。
二階にも屋上にもチィタが居ないことを確認したので、わたしは、だっと階段を駆け降りた。
「どうだった?」
嘘だろう。
一階の土間に、金魚屋とプフが突っ立っていた。
ぼーっとね。
わたしの頭にかあーっと血が駆け登って行く。
「おいおいおいおい! 困ったやつらだね! まったく!」
なんだって勝手に入って来たりするのさ。本当に、この男ときたら! この男ときたら! ひとの話を一個も聞きやしない!
「だって、ヨタが心配だったんだもん」
「おかしは?」
金魚屋は片手に鞄を提げて、もう片方の手には林檎飴を握っていた。プフは鼻をすんすんやりながら、くしゃみをし、かつて駄菓子が入っていたケースを覆う布をめくって回っている。
「お前達ね! 表で待ってろって言っただろう!」
「だってー」と、ふたり分の返事。
「だって、じゃない!」
わたしは金魚屋の足元に走って行って、頭で小突く。
「ほら、出た出た」
「ええっ。もう、入っちゃったんだから、良いじゃないか」
「良くないんだよ。大体、家主の了解も得ないでのこのこと家に上がり込んでくるやつがいるかい?」
「まだ、ここ、土間じゃないか」
「敷居を跨いだこっち側は全部家だよ、家」
「しかし、駄菓子屋なんて懐かしいな。まあ、子どもの頃の記憶なんて無いから、そんな気がするだけだけどな。駄菓子って子どもっぽい味がするんだろう? そういえば、俺は駄菓子なんてもん食べたことがあったかなあ」
「わたしの話、聞いてるのかい?」
金魚屋はわたしの声に耳を傾けることなく、壁に貼り付けてあるポスターを眺めて歩く。亜人の女がビール瓶を片手にニッコリ笑っているやつだ。ポスターは他にも、猫っぽい子どもと犬っぽい子どもがスティック状の菓子を食べているのや、羽根を広げた亜人が飛行船のおもちゃと一緒に空を飛んでいるのもある。
「俺も、こういうの食べてたのかなあ」
金魚屋は遠い記憶を呼び戻そうとでもするかのように、壁のポスターや、天井からつり下がっているおみくじや紙風船、組み立て式の浮き船の玩具を眺めて回っている。しかし、金魚屋の脳みその中に子どもの頃の記憶が蘇ってくることは無いようだった。薄暗い室内、金魚屋が歩いた後を追いかけるように、光る、半透明の金魚が付いてくるだけだった。
「さあ、出た出た」
沸騰した頭の中に、記憶喪失者に対する感傷的な気持ちはこれっぽっちも湧き上がってこなかったので、とにかくこの男を外に追い出すべく足を小突いて回るのだけど「なんだよ。ヨタ。まとわりついてきちゃって、猫みたいだぜ」と、喜ばすだけだった。
「ぷれぜんとだー」
プフの興奮する声が聞こえた。
プフ。お前さんも勝手にうろちょろしないでおくれよ。
おいおい、待ってくれよ。
金魚屋を小突くのに夢中になっている間に、プフの姿が見えなくなってるじゃないさ。どこに行ったんだい?
「ばあっ。きゃははは」
居間に立つ屏風の陰から、プフがまんまと驚かせてやったぞ、という顔を覗かせた。
わたしと金魚屋が居間に上がる。
「なんだい、こりゃあ?」
金魚屋は屏風を畳んで脇へどけた。
屏風の裏にはチィタが二、三人隠れていた、なんてことはなかった。
そこには、ビリビリに破かれた派手な色合いの包装紙の残骸と、同じくらい派手な模様のリボンが散らかっており、その中に、縦にも横にも大きい木箱が鎮座していた。こんな物が置かれていたなんて、さっきはまるで気が付かなかった。屏風と同じくらいのサイズ感なので、ぴったりと隠されて見えなかったのだろう。
「プフ。困ったやつだぜ。お前、勝手に開けちまったのか?」
金魚屋が問うと「あけてない。あけたかった」と、小さいプフはマルセロのちょん切れた腕でもって、箱の側面をバンバンと叩いて抗議した。
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