第十五話
第十五話「てんてこ舞いマイホーム」(1)
第十五話
(1)
細い階段を上がると、人間や亜人なら数人歩いていたって肩はぶつからず、でも、巨人は入ってこれない、決して広くない道に出る。この町では珍しい、車の往来がある道だ。だから飛び出していってはいけない。バンパーに血のりが付いた路線バスが通りすぎて行った。
階段の左側の店先にはトラックが停まっている。荷台にペンキで「八百屋」と書いてある通りで、ご近所付き合いもあるから大声では言わないけれど、しかし、はっきりと店主には伝えている、たいして新鮮でも無い野菜を扱っている店だ。芽が出たジャガイモは駄目だよ。あれは毒がある。我が家とは目と鼻の先なので、食べられる野菜についてはいつも配達をお願いしていた。
我が家は八百屋の隣、階段を挟んで右側にある。
そっちを紹介する前に、ついでに辺りを見渡しておこう。
我が家の右隣り、そこはスナックだ。男だか女だか性別がはっきりしない亜人が三人集まってやっていて、近所のやつがやって来ては歌をうたい、酒を飲んで楽しむ場所となっている。いつも朝の早い時間から、老(若は無い)男女の下手くそな歌声が、厚くもない壁を貫通して聞こえてくるのだから、店が流行っているのは結構なことだけど、隣近所としては迷惑で仕方ない。
ご近所付き合いを大事にするわたしは、ごくたまにだけど、そこで歌声を披露している。自慢になるけどわたしは歌が上手い。いつか披露したいね。
向かい側には住居が並んでいる。どこも老人ばかりが住み着いていて、朝早くからどこかに出掛けて行っては、夕方にならないうちにちゃんと生きて戻ってくるのだから、足腰は健康だし、まだまだ、あの世からの使者がお迎えに来そうに無いので、当分は空き家になりそうにはない。
そちら側、右の方に数軒歩いていくと、この辺りで唯一まともな店がある。
人間のおやじがやっている店で、割と品が良い喫茶店だ。珈琲豆を挽く良いにおいがするのでわたしは気に入っている。そこはホットケーキが名物だ。この界隈で見知らぬ顔を見かけたなら、みんなその店のホットケーキをお目当てにやってきた客だ。そこは、わたしにとって特別な店でもある。昔、一度だけチィタを連れて行ったことがあるのだ。
喫茶店がまともな店と紹介したけれど、壁一面に銃火器が並んでいて、それも売り物だったりするので、まともかそうでないかと問われたら違うかもしれないけど、この町ではいたって「まとも」な部類の店になるのだ。
それから、左の方へ真っすぐと、角に付きあたるまで歩いていくとスライム爺さんのクリーニング屋がある。その先に更に歩いて行ったところに「地獄湯」という古くからの銭湯がある。
家の近所はそんな感じさ。
住居と店が建ち並んでいる。
八百屋、スナック、喫茶店、クリーニング屋の他にも店はあったけど、店主が死んだり魔物に食べられたりして、今はシャッターを下ろしているところが多い。住人はわりと住んでいるから、この町の中では比較的に安全、と言って良いかわからないけれど、実際、あまり魔物はやってこないエリアではあった。
どこも、建物と建物の間の壁を共有した長屋の造りで、二階建てだったり三階建てだったり、広くも無い建物がひしめき合って建っている。この町は平らな土地が少ないせいで、どこでも似たような建て付けになっている。
「おお。話し屋。えらく遅いお帰りだな」
野太い声が聞こえた。
そちらを見れば、八百屋のテントが張り出した店先で、白黒の牛頭の男が煙草をふかしながら野菜を出しているところだった。
品の無い柄シャツにジーパン、長靴、前掛けをして、無駄に立派な二本角が生えた頭には薄汚れたタオルを巻いている。小脇に白菜を何個も抱える腕は、丸太のように太い。腰には、野菜もひと様の胴体も、同じような扱いが出来そうな、切れ味の良さそうな大ぶりの包丁がぶら下がっている。それから小型の機関銃もぶら下がっている。札付きと紹介した方がわかり良さそうだけど、残念なことにこいつが八百屋当人だ。名前は、確か、ミカだったかな。ミカエル・なんちゃら・かんちゃら・ほにゃららら、とかいう見た目に反して由緒ありそうな長い名前だったはずさ。面倒なのでわたしは八百屋としか呼ばない。
「八百屋かい。あんたはいつも通り朝早くから、売れ残りそうなものばかり店先に並べていたんだろう?」
「そうだな。今日はキャベツが売れ残りそうだから、お前の家に捨ててこようと思ってたんだ」緑の葉物野菜を片手で掴んでわたしに見せる。
「それ、キャベツかい? 花の苗なんじゃないのかい?」
「気のせいだよ。ほら、たくさんあるぞ」
八百屋が持ち上げた箱いっぱいに、色づきこそしていないけど、菜の花みたいなのが生えたキャベツが山盛りになっていた。
「お前さんは、なんだって売り切れる量を計算して買ってこないのさ」
「仕方ないよ。だって、市場のねえちゃんが、これなんだ」
八百屋は自分の胸を大きく張って、さらに、手でぼいんとやってキャベツと同じくらいの膨らみを作ると、がはははは、と白い歯を見せて笑った。
二本足で立っている連中は、なんだって乳の大きい女が好きなんだろうね。八百屋が女の色香に惑わされて必要以上に野菜を仕入れてしまうなんてのはいつものことだったから頭だけ振って見せた。話したついでだから、あれこれ用を言付けておこう。
「そうだ。フライパンを仕入れてくれないか? 小さいので良いんだ。あと鍋敷きも」
「お安い御用だ。焦がしたんだろう?」
「分かったかい?」
「お前の家から煙が漏れてたからな。チィタも煙草を吸い出す歳かな、とか思ったけど。換気扇からにおってきたのは違うにおいだったわ」
「うちのにおいを嗅ぎにこないでくれるかい?」
「がはは。そこら中くさかったからよ。で、元気にやってんのか?」チィタは、と聞いてくる付き合いも短くはないご近所さん。
「ああ、おかげさんで腹の方はたくましくなったよ」
「がっはっは。うちの野菜は新鮮だからな。それで、他にいるものは?」
「そうさね、野菜はお前さんが捨ててくれるやつがあるとして。卵とウィンナーと、パンと、米はまだあったかな、ええと、それから。まあ、後で紙に書かすよ。いつもすまないね」
「ご近所同士のよしみだろう。それから、近いうちに、あれのことを、それして、ほれ、あれな。頼むよ。ぼいんちゃんを、な」
牛頭はいやらしい顔を近づけてきて辺りに響き渡るくらいの小声で言った。八百屋は親切だけどすけべえだ。大して美味しくない野菜と、我が家の日用品の買い付けをしてくれる代わりに、わたしはたまに八百屋と飲み屋に出掛けてやって、そこで飲んでいる女に声を掛け、一緒のテーブルにつかせてやる。そういうサービスを提供してやっている。ご近所同士のよしみってやつでね。
しかし、八百屋はすけべえな見た目に反してシャイなので、女と上手く会話も出来ず、従って、女を口説いて別の店へ、そのまましっぽりと布団が敷いてあるところへ、なんてことにはならず、大抵、朝までわたしとふたりで飲んでいることが多かった。なので、真の目的は、単にわたしのことが好きで、一緒に飲みたいだけなのかもしれない。
「へえ。ヨタの家は八百屋だったのか」
プフを引き連れて金魚屋が階段を上がってやってきた。
「まさか。わたしの家はあっちだよ。立ち話をしていたまでさ」
「おお。あっちの駄菓子屋か!」
金魚屋は、わたしに言われると、背伸びをして反対側の家の方を見やった。駄菓子屋? ああ、そういえばわたしの家は、元は駄菓子屋だったかね。
我が家の軒先には、錆びついてはいるけど割かし大きい看板がぶら下がっている。そこに、かすれて読みにくくなってはいたけど、それらしい店の名前が書いてあったはずさ。金魚屋はそいつを目ざとく見つけたようだ。
「おや、話し屋。お前に連れがいるなんて珍しいな。こちらさんはお前の新しいコレかい?」と親指を立てて見せてきたので「親指の知り合いなんていないよ」と返した。八百屋は自分が発した大して面白くもない冗談なんかには興味はなかったようで、わたしの返事を聞く間もおかずに「おお、おお。また、えらく小さな子どもまで連れて」と、プフの前にしゃがみ込んだ。プフは八百屋のでかい顔を前に「でかいうしだ」と、思ったことをそのまま口から出した。
「ああ、こいつらは、ちょっとした知り合いさ。面倒くさいから紹介は無しな」
「そうなのか。チィタに友達を連れて来てやったんだと思ったよ、俺は」
八百屋はそう言ってプフの頭を撫でると「なんだか、ベタベタするな」と、前掛けで手を拭いた。「お前達は、なんつーか、全体的に汚いな」更に言葉を選ばずに付け加えた。
「友達、ね」
わたしは我が家の方を見て、そこで待っているチィタの背格好を思い起こしてみる。
プフはチィタと歳が近い、ような気はする。
それでも、七や八は離れているかもしれないけど、金魚屋よりかは近いだろう。もしも、歳が近いチィタとプフが意気投合することがあって、友達とやらの間柄になってくれたなら、わたしは嬉しいね。引きこもりを始めておよそ一年が経とうとしているのだ。いつまでも、わたしと、いくらかの限定的なやつらとだけ付き合って生きていける訳じゃあない。チィタは居候なのだ。いつかは我が家を追い出さなくちゃいけない日が来るのだ。
しかし、チィタは極度の人見知りだからね。いまのわたしには、チィタとプフが楽しそうにやっている姿なんて、とんと想像することが出来ないよ。
「みてみて。ほら、かわいいでしょう」
「おお、なんじゃそりゃ。スライムの赤ん坊か?」
プフはポケットの中のスライム入り小瓶を、八百屋に向かって誇らしげに掲げて見せた。プフときたら人見知りしない子だよ。八百屋は中腰の姿勢のまま、プフの小瓶を凝視して笑顔を浮かべた。
「スライム爺さんのスライムなんだよ。跳ね馬やんちゃ亭の帰りにスライム溜まりになってたのを拾ってきたのさ」
「あの爺さん、またスライム落としたのかよ」
この辺りではスライム爺さんも、彼の所業も、どちらも有名で八百屋も良く知る処だった。頭を抑える代わりに角をさすってみせた。
「ところで今日は爺さん、見かけたかい? 文句を言ってやらなきゃならないんだ」
「ああ。店を開けた時に見かけたけど、今日は一家総出で出掛けて行ったよ。ゆうべは魔物があちこちでたくさん出たらしくてさ。大勢おっちんだみたいで、葬儀屋だけじゃ手が回らないってんで、手伝いで溶かしに行くとかなんとか言ってたっけな」
「おっちんだ。くふふ。おっちんだ」思い出し笑いを浮かべるプフは放っておこう。
日々出来上がる死体は、ゾンビになる前に始末をしないといけない。この町の破ってはいけないルールで、わたしも推進委員会のひとりさ。委員会のメンバーがわたし唯一人であることはあえて言う必要も無いだろう。
寿命や病気で死んだやつも、街中でのたれ死んだやつも、魔物にやられたやつも、普通は、葬儀屋が焼いて回るのだけど、坊さん連れで行くので時間がかかる。ごにょごにょと念仏を唱える手間が惜しいくらいに死体がいっぱい出て、こいつは夕方までに間に合いそうにないぞ、という時には爺さんの出番だ。
町役場からスライム爺さんに依頼の電話が入ると、町に繰り出して行き、道端でおっちんでるやつに次から次にスライムをけしかけて、溶かして食わせて歩くのだ。どうせ身元不明だろうってんで、迅速に処理してしまう訳さ。
一家総出(孫も含めたら、七、八人の家族構成だった気がする。スライム爺さんの名前がことさら有名だけど、スライム婆さんも、スライムお孫さんも、爺さんの血筋は全員スライムを操る事が出来るのだからすごい話さ)で出掛けて行ったとなると、昨夜の魔物騒動はさぞ大変な騒ぎだったのだろう。死者も大勢出たのだろうから、クリーニング屋は臨時休業なのだろう。今日は文句を言いに行っても仕方がなさそうだ。
小瓶のスライムは後回しにするとして、八百屋がその大きな頭をキョロキョロと動かしていた。
「あれ? お前さんの、大きい友達はどこ行ったんだ?」
不吉なことを言うんじゃないよ。わたしはくるりと回転して辺りを見回したが、八百屋が気にした通り金魚屋の姿が見当たらなかった。大慌てで八百屋の頭まで駆け上がる。こいつは灯台みたいにでかい。
「ちょっと何やってんだい!」
金魚屋の姿を見付けると、大声を出し、八百屋から跳び下りると急いで走っていく。我が家の前、半分開いたシャッターの前に屈みこんで中の様子を伺っているではないか。金魚屋のことだから、家主の許しを得られなくたって、何の気なしに家に上がり込んでしまうだろう。それから勝手に水引の引き戸を開けて、お茶屋ら何やら出してきて、隠しておいた煎餅も見付け出し、まるで自分の家のようにくつろぎ始めてしまうに違いない。
冗談はさておいても、金魚屋なんて男をチィタに真っ先に引き合わす訳にはいかないよ!
「いや、中でなんか動いたように見えたからさ。挨拶しようと思ってな」
「鼠でなけりゃあ、チィタだよ。お前さんね、あんまり勝手な行動をとってくれるんじゃないよ。段取りというものがあるんだから。まずは、わたしからチィタに、お前さんとプフのことを話してくるから。お前さんの挨拶とやらは、そいつがつつがなく終わってからなんだよ。お前さんは、わたしが良いよって言うまで、決して家に上がり込んでくるんじゃないよ」
「でも、よ。なんだかガサガサ行ってたぜ。それに、シャッターも、扉だって半分開いてたしよ。ほら? 変な音がしてるんだぜ。泥棒でも入ってんじゃねえのか?」
おいおい、やれやれ、まったくもって。
わたしは既に頭が痛くなってきた。金魚屋が言う通り、半開きのシャッターの向こう側、いつもはきちんとしまっているはずの引き戸が半分開いていた。悪い予感がするよ。
§
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