第十四話「みなしごプフ」(3)
(3)
それ以降は、特に何事もなく歩みは進んだ。
道中、林檎飴屋が甘そうなにおいのする
「りんごあめ。しこうのあじ」
中心の林檎をしゃりしゃりと音を立てて食べるプフがうらやましかった。林檎飴の飴の部分を舐めたくらいじゃ腹の足しになりやしない。わたしだって林檎飴のことは本当は好きなんだ。ただ、わたしが好きなやつは初めから薄くスライスしてあって、上から熱い
もう一本の林檎飴はどうしたかって?
それは同居人への手土産用に取ってあるのさ。袋に入れて、金魚屋の鞄に納めてある。あの子は林檎飴が好きだからね。林檎飴屋は、毎日あちこち歩き回って商売しているけれど、探していると見付からないものさ。良いタイミングで現れてくれたよ。林檎飴があれば、ひょっとしたらわたしの朝帰り(昼に近いけれど)も帳消しにしてくれるやもしれない。
「それにしてもヨタが飼い猫だったなんてな」
両手が塞がっているせいか、単に名残惜しいだけか、林檎飴の棒をいつまでも口にくわえたまま、失礼なことをもごもご言う金魚屋。
かちん、と頭の中で、林檎飴が割れるような音と一緒に、わたしの怒りのスイッチが入る。
「金魚屋、わたしのことを二度と飼い猫だなんて
「ひやっ。よ、ヨタ。いまだかつてない声のトーンだぜ」
「怒りの声さ!」
「地獄の底から響いてきそうな声だぜ」
「金魚屋。お前さんは、触れちゃいけないものに触っちまったのさ。ヨタの逆鱗にね!」
「どこにあるんだよ、ヨタの逆鱗」
「ここさ!」と喉を見せる。「見てごらん、わたしの首元を。この細く、ふわふわとした首筋に、ちりんちりんと節操なく鳴る鈴がぶら下がっているように見えるかい? ヨタの逆鱗は首輪なんかで隠せるようなものじゃないのさ」
「そんな剣幕でまくし立てなくったって良いじゃないか。俺は似合うと思うぜ? 鈴付きの首輪。猫らしくて良いじゃないか」
「嫌だよ。首輪なんて御免だよ。わたしはね、自立した猫なんだ。手に職も持っているし、家まで構えてる」
「足に職な。肉球に職、か?」
「揚げ足を取るんじゃないよ!」
「四本あるんだし、一本くらい良いと思って」
「金魚屋。林檎飴屋は、まだ、そう遠くまで行ってないよ。走って行って、もう、二、三本買って来たなら、全て口の中に突っ込んでおくんだ。いいかい。それから、一本づつ無くなったら買い足して、突っ込むんだ。お前さんは、永遠にそれを繰り返す生き物になればいい」
「ぷふもりんごあめほしい」プフは林檎飴が好物になっちまったんだね。でも、今は黙っておいで。
「喋れないじゃないか」
「喋るなって言ってるんだよ! とにかく、わたしは飼い猫じゃない。飼い猫よばわりされるのは、本当に、いらっとくるんだ。こういう時、わたしがドラゴンであったのなら、ぶわっと火を吹き掛けて、飼い猫呼ばわりしたやつを、片っ端から消し炭にしてやれるんだけどね。お前さんが相手にしているのが猫で良かったよ。そいつは口から出るものといったって、流ちょうな言葉くらいなものだからね。おお、そうか。丁寧な言葉遣いでもって、お前さんの欠点やら短所やら、悪口を並べ立ててほしいっていうのかい? さあ、わかっただろう。もう二度と言わないからね。わたしは、飼い猫じゃあ、ない!」
わたしは飼われてはいないんだ。
もう、飼われちゃいない。
だから、わたしのことを飼い猫だなんて言うやつには、
「ちぇっ。怒られちゃったよ」金魚屋はそっぽを向いて独り言ちた。
「迷子防止用の首輪があったんだけどなあ。どこに行ってしまっても、ずばりと居場所がわかる優れもんなんだぜ。首輪の部分は
わたしはきっと睨む。首輪なんて絶対にしてやるものか。
「悪かったよ、ヨタ。もう言わない」
金魚屋は、階段の踊り場で立ち止まると謝った。ああまで言ってわからないのなら、飛び掛かって顔中切り刻んでやるまでだったけど、多少なりともひとの気持ちを汲める男で良かったよ。
「で。ヨタが一緒に住んでる、えっと、なにちゃんだったっけ?」
林檎飴屋の前で、同居人が居ることは話しておいたのだ。しかし、名前だけで、まだ、あれもこれも伝え足りていなかった。
「チィタさ」
わたしは改めて同居人の名前を口にする。
「チィタちゃん、ね。女の子なんだよな? 林檎飴好きなのか?」
「ああ、大好きさ。こいつがあるのと無いのとでは、随分と印象が変わってくる」
「ドキドキするな。ヨタの同居人、どんなかな?」
「良いかい、金魚屋。あの子は、なんていうか、気難しい性格なんだ」
わたしは釘を刺しておく。
「だから、お前さんはわたしが紹介するまで、一言たりとも口を聞いちゃいけない。分かったね」
これまでの経験上(実に短時間で色々と分かったよ)金魚屋とチィタは、絶対に、そりが合わない。金魚屋という、やたらと馴れ馴れしくて、馬鹿な話と無駄な話しかしない、お喋りなこの男は、あの子の嫌いなタイプだ。
「分かりました」と、金魚屋は一切分かっていないような声を上げ、隙あらば話かけるぞと決意に満ちた顔をした。こりゃあ駄目だな。余計な揉め事は面倒だから、こいつは、家には上げずに外で待たせておくことにしよう。
「プフも、良い子にしておくんだよ」
わたしは、実は、プフの方に気がかりがあった。
プフは、こんなだから、何ら害は無いように思えた。金魚屋なんかと比べるまでもなく大人しくしているだろう。
「ぷふほどよいこはおらぬ」プフは自信満々だ。
けれど、プフはみなしごなのだ。
そして、チィタもそうだった。
一年くらい前に、わたしが拾ったんだ。
ふたりのみなしごを会わせるというのは、漠然と気乗りしなかった。
でも、それが何だというのだ。
みなしごなんてそこら中にいる訳だし、いつかはチィタも同じ境遇の子と出会うことになるはずだ。そして、みなしごだけではなく、他人全般との関り合いを持つには、十分に時間を費やした、と思う。家の中でね。今日こそが、チィタが他人と関わり合いを持つ日になるのさ。わたしは同居人を甘やかしすぎたのさ。
チィタに、いつまでも「引きこもり生活」を続けさせるわけにはいかない。
家でずっとイラストの仕事をやっていて、まったくと外に出ないというのは健康上よろしくないし、原稿を取りに来るやつとだって、まともに会話をしたがらないのは感心しない。
あいつはいけ好かないやつで、チィタに好意を寄せているのがわたしも気に入らないけど、根は悪いやつじゃないし、色々と良くしてくれる。わたし以外の誰かと話すのに、手ごろな相手だと思っていた。
でも、あいつも金魚屋と一緒でやたらとぐいぐい来るのだ。押しが強い相手はいまのチィタには無理だった。
ならば、プフという手軽そうなハードルをひとつ越えてもらって、わたし以外のやつともまともに付き合いが出来る第一歩にして欲しい。
みなしご同士を合わせるのがなんだ。わたしの漠然とした不安はさておいて、プフの為になるのだ、そういう風に考えなくちゃいけないよ。
そうさ。金魚屋もプフも、我が家には、ふらりと立ち寄っただけなのだ。いつまでも一緒に居るという訳では無い。
手土産の林檎飴を渡してから、ひとこと、ふたこと挨拶を交わした後、銭湯に行こう。何日も風呂に入っていないチィタを連れ出せたら御の字さ。
風呂は良い。わたしは嫌いだけどね。
裸の付き合いってやつさ。何もかもさらけだしたら、きっとチィタとプフの仲は急速に近付くことだろう。
風呂上りにはみんなで珈琲牛乳を飲むのを提案してみよう。あの子も好きだからね。フルーツ牛乳でも良い。プフと仲良くなったご褒美さ。金魚屋におごってもらおう。
銭湯の後は、一旦家に帰って来て、皆で昼飯を食いに出かけよう。
でも、銭湯と違ってなかなか難しそうなお題だね。チィタはいつもひとりで飯を作って食べているのだから。わたしと食事をする機会も少ない。飯屋は銭湯と違って近くには無いから、少々、出歩くことになる。そこが難しい。太陽の下になんか出たくない、というのが彼女の口癖なのに。なんと言って連れ出すか、アイディアを練らなくちゃいけない。
さあ、万事が上手くいき、昼下がりのお茶を家で出したら、そこらへんでさようならさ。
わたしは、金魚屋とプフを連れて、そういうふたり組みでも泊まれそうな宿を探しに行く。変な噂が立ってもいけないので顔見知りの所が良い。
そしたら、わたしの方は夕方から夜にかけて、また、どこかの酒場に話をやりに行く。チィタはその間、留守番をしていて、明日の朝こそは、わたしは、ちゃあんと朝帰りをして、チィタの布団に潜りこんで眠るのさ。
ふむ。いけそうな、気がする。そんな気が、してきたような、気がする。はあ。なんでだろうね。わたしは憂鬱で仕方が無いよ。どうしても上手く行くとは思えない。
「ヨタ? 行かないのか?」
さして綿密でもなシミュレーションをしていたわたしに、金魚屋が首を傾げたので、わたしはプフの肩から跳び下りた。そのまま、階段をさっと駆け上がって振り返る。
「いや、もう着いた。ようこそ我が家へ」
◆
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