第10話

(真っ暗だ。死んだのか?)

 意識は有るが、それ以外は全く何も無い。

 暗いだけでなく、音も、匂い、触感も無い。

 自分は今、どんな様態なのだろうか。座っているのか、立っているのか、そもそも身体は有るのか。何も感じられないので、それすらも不明だった。

 意識だけが、暗闇の中を漂っている感じだった。

(だけど、不思議と辛くはない)

 少年は目を閉じるような感覚で、思考を止めた。すると、後に残るのは、暗闇だけだった。

 それから、どのくらい経ったのかは分からない。何か、上の方で、キラキラと輝くものが有った。

(あー、煩いなあ。静かにしてほしい……)

 しかし、輝きは益々、強さを増していく。そして輝きは、瞬く間に、全ての闇を吹き飛ばした。

 少年の意識は、今度は光の中を漂っていた。

(……もう。眩しいな……放って置いてよ……)

 そうして、少年は、ゆっくりと薄目を開ける。

「アガサ⁉」

「何それ? 傷つくわね」

「……あれ? ヴィヴィアン?」

 ヴィヴィアンが、少年の顔を覗き込んでいた。寝台の端に、彼女は座っていた。少年は起き上がろうとして、すぐに激痛が襲ってきた。

「貴方、死にかけたのよ?」

 記憶が戻って来た。男との剣劇。男の繰り出す、一撃、一撃が、生々しく蘇ってくる。刃が身体を撫でるチリチリとした触感。とたんに身体が痛み出した。

「じゃあ、もしかしてヴィヴィアンが……」

「そう。私の魔法よ。流石に、全部は治せなかったけど」

「アガサは⁉」

 少し大きな声を出しただけで、少年の全身が痛んだ。

「……アガサは、無事なの?」

「ええ。外に居るわ」

「……そう。良かった」

 少年の身体から、力が抜ける。柔らかい寝台に、身体が沈んだ。

「アガサと話しがしたいんだ。呼んでくれないかな?」

「良いけど。貴方……」

 ヴィヴィアンは、何かを言おうとして止めた。

「ヴィヴィアン?」

「何でもないわ。……もう、貴方の事、要らないわ。あの歌姫とはもう、関わり合いになりたくないもの」

「何か有ったの?」

「……別に」

 ヴィヴィアンが立ち上がる。

「あの、歌姫。呼んでくるわ」

「あ、待って」

「何?」

「ありがとう。助けてくれて」

 怪我の責任の一部は、ヴィヴィアンたちにも有るのだが、少年は礼を伝える。最後の飛び降りは、間違いなく少年の責任だった。

「あと、守り手にならないかって誘ってくれて、誘ってくれたのも、ありがとう」

「今更、遅いわ」

「あ、君の守り手になるつもりは無いよ」

「知ってる」

「でも、君でも別に良かったんだ。偶々、最初に有ったのがアガサで、僕を必要としていたから、アガサの守り手になったんだ。最初に会ったのが、ヴィヴィアンだったら、ボクは君のために命を賭けていた」

「貴方、馬鹿なの?」

「そうだね。馬鹿だ」

 ヴィヴィアンは、分かりやすくため息を吐く。

「お互いに、不運だったわね」

「そう? ボクはそうでも無いけどね」

「……あの歌姫、相当、強い力を持っているわ」

「そうなんだ。でも、声は出せないよ」

「そうね。まあ、一応、気を付けなさい」

「ヴィヴィアン。どういうこと?」

 しかし、ヴィヴィンはそれ以上、何も答えなかった。

 ヴィヴィアンと入れ替わりに、アガサがやって来た。そして、少年に抱き着いた。痛みが、少年の全身を駆け巡る。うめき声と一緒に、ちょっと血が漏れた。

「……アガサ。一旦、離れて」

( ごめん )

 少年の眼の前にアガサが居た。いつもと変わらない。相変わらず綺麗だったし、髪も象牙色だ。しかし、随分と久しぶりに、アガサに有った気がする。

( 生きていて 良かった )

「うん。本当に」

( 止めれば 良かった )

「そんな事、言い出したら、限が無いよ」

 アガサが頷く。彼女は、少年の意志を汲んでくれたのだ。そして、少年が、ここまで酷く傷つくとも考えていなかったのだろう。

「お祭りなのに、暴れすぎちゃったよ……」

( 馬鹿 )

「ごめん。……あ、でも。ボク、あの男に勝ったよ」

( は? 何を言っているの? )

 指では無くて、表情でアガサはそう言った。

「え? 何で?」

( あの人 生きている 死にそうな 君を ここまで 運んだ )

「いやいや。嘘でしょう? 流石に」

( 本当 )

 少年は、頭が痛くなった。あの高さから落ちて、おまけに腹を刺されて、どうして生きているのか。あの男は、不死身なのか。

( あの人 から 伝言 )

「何?」

( 最後 君は 死のうと していた だから 死なせなかった あれは 良くない )

 男もそうだが、ろくに受け身を取らなかった少年が生きている事も、不可解だ。今の伝言を聞く限り、あの男が、少年を庇ったということなのか。もしそうならば、向こう百年は勝てそうにない。

( 今の 本当 )

「死のうとしていた、ってところ?」

 アガサが頷く。眦に、涙が溜まっていた。本当だよ。少年の一言で、溜まっていた涙が、溢れて落ちた。

( 馬鹿 )

 アガサが、少年に泣きつく。彼の肩口に顔を埋め、声を殺して泣いていた。少年は、アガサの頭を撫でる。

 これこそがボクの求めていた光景なのだろう。少年は思う。しかし、今は、罪悪感しか感じない。さっき、ヴィヴィアン言った事は本心だった。今泣きついているのが、アガサでなくても良かったのだ。それこそ、ヴィヴィアンでも。

 誰かに必要とされたかった。そして、それが偶々、アガサだった。それだけだ。

 今まで、少年は、アガサを、自分を慰める物みたいに扱っていたのだ。

「アガサ。名前が欲しい」

 アガサが頷く。彼女は性根に泣きついたまま、もぞもぞと身体をずらす。少年の首筋に、唇を当てた。唇の動きで、少年の名前を伝える。

( 君の )

「待って」

( 何? )

「古い名前じゃなくて、新しい名前が欲しい」

(新しい名前?)

「アガサが付ければ良いよ」

( 急に どうして?)

「ボクは君のために生きる」

 少年は、アガサに縋っていたのだ。だったら、自分の全てをアガサに与えよう。でなければ不公平だ。

「ボクらしいのを頼むよ」

( 馬鹿 )

「今すぐは思いつかない?」

( だから、馬鹿 )

「……いや、それは無いでしょ」

( 君らしい )

「ごめん。もう少し格好良いの、頼むよ」

( じゃあシロ )

「シロ、か。由来は」

( 適当。響きで )

「何それ。まあ、良いけどさ。有難く、頂戴するよ」

( 大事に 使って )

「うん。死ぬまで使うよ」

 アガサが、もぞもぞと動く。シロは、彼女の頭に置いた手をどかした。アガサが起き上がる。

「そういえば、ここは?」

( 街の 宿屋 )

「あ、ここ宿屋なんだ」

 普段、少年たちが泊まる宿よりも、遥かに高級だったので、気が付かなかったのだ。立地もよく大通りに面していた。祭りの喧騒が聞こえてくる。そして、シロは、自分があることを忘れていたと気が付く。

「ホラリスの琥珀酒、取れなかったよ……」

 少年の一言に、アガサはニヤリとする。

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声なき歌姫の旅路 夕野草路 @you_know_souzi

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