第3話

「茉莉、今からする質問に正直に答えて」


 事務所に着いて早々、茉莉はマネージャーに会議室へと呼び出された。マネージャー、伏見は二十代半ばの女性で、この春茉莉のマネージャーとなった。

 周囲に聞かれてはまずい話題なのだろう。伏見はいつもよりも声のトーンを落としている。出会ってから一年も満たないが、こんな慌てた様子の伏見を見るのは初めてだった。

「今って本当に一人暮らしなの?」

「どういう意味?」

「誰かと一緒に住んでるんじゃないかって噂が出てる、主にファンの間で」

「えっなんで」

「まずは私の質問に答えて」

「いや、あの伏見さんの想像とは違うって言うか、ほんとただの友達と住んでるの。いや、大家さんにはとっくの昔に挨拶してたから、てっきり事務所の方にも話がいってるものだと」

 茉莉のもとへとやって来た翌日、ナオミは茉莉を連れて大家に挨拶へ行った。大家、と言っても事務所の借り上げたマンションで、社長の親戚筋にあたる老夫婦である。

 ナオミは自分を茉莉の親戚だと名乗った。今実家が改築中で、旅行ついでに各地を転々としており、せっかくなので茉莉の様子を見にきたら、たいへん心細そうにしていたので、しばらくこの家で厄介になることにした、ともっともらしい理由を並べ立てた。大家夫妻はナオミの運転免許証を確認すると快く受け入れた。

「まあプライベートは干渉しないのがうちの事務所の方針なんだけど、急にSNSでの茉莉の投稿の雰囲気が変わったら、ファンも気になるでしょう」

「そんなに変わった? 変えてるつもりはないんだけどなぁ」

 茉莉にこれといって心当たりはなかった。いつもその時思いついたことを、とくに問題が無ければそのまま呟いているだけだ。

「明らかに誰かと一緒にいる投稿が増えてるって話題だよ」

「えー、みんな深読みしすぎじゃない?」

「たしかに、妄想のし過ぎみたいな噂も出てるけど、私から見ても茉莉以外が撮ったなって写真が増えた……というか更新の頻度も前より高くなってるし」

「更新が増えたのは褒めるところでしょ」

「うん、それはいい変化だと思う。それで、これは上に確認してからだけど、妙な誤解が広がる前に、今一緒に住んでるのが友達なら友達だって公表するのがいいんじゃないかって。べつに恋人だったらダメだってわけじゃないけど、正体が分からないと探りを入れたがる人も出てきてしまうかもしれないから、それだけは何としても避けたい」

 公表、と茉莉は伏見の言葉を繰り返す。

「うーん、でも私だけの問題じゃないし……ナオミ、あ、今住んでる友達のことね、そっちに聞いてみないことにはなんとも」

 本人が覚えていなかったとしても、表舞台から姿を消して数年経っていたとしても、ナオミが同世代から絶大な支持を得ていた人気モデルだったことは、まだ人々から忘れさられてはいないだろう。

 へたにナオミの存在を知られると、あの人は今、みたいな追われ方をしてしまうかもしれない。それはいまだに記憶を取り戻していないナオミの平穏な生活を脅かすことにもなる。

 あることないこと書きたてられて、いくら本当のことじゃないと言ったところで、一度流れた噂話は簡単には消えてくれない。この業界に幼い頃から身を置いている茉莉も、下衆な好奇心に追い詰められて去っていった人を何度も見て来た。

「……ナオミってあのナオミ?」

 血相を変えて伏見は言った。同世代のあるモデルに憧れて、この事務所で働きたいとマネージャー職に就いた、と自己紹介の際に伏見が話していたことを茉莉は思い出した。伏見の年齢は、茉莉の記憶が正しければ、ナオミと同じだ。

「えーと、うん、たぶん伏見さんの思い浮かべた人で合ってる」

「そっか………そうなんだ……………」

 伏見は安堵したようにそう漏らすと、感慨深そうな顔で目頭を押さえていた。

「えっ伏見さん、どうしたの急に」

「ちょっと五分だけマネージャー業休ませて……」

 堪えきれず、伏見はその場でしゃがみ込む。

「いいけど、大丈夫?」

「大丈夫……大丈夫……大丈夫じゃない……」

「ひょっとして、伏見さんってナオミのファンだった?」

 茉莉の問いに、伏見はこくこくと頷く。

「……元気にしてる?」

「うん、元気にしてるよ」

 ナオミは事故に遭ってそのまま引退した。以来、ナオミのファンがナオミのその後を知ることはなかった。

 ナオミと連絡を取ろうと思えばいつでも取ることが出来た茉莉と違って、事故後元気に暮らしているかどうかさえ、一介のファンである彼らには知るすべがなかったのだ。すんすんと涙を流す伏見の姿に、茉莉もつられて泣きたくなった。

「ティッシュいる?」

「ありがとう……」

「今度うち来る?」

「いい……遠慮します……」

 茉莉からティッシュを受け取り、伏見は子供のようにずびずびと鼻を啜る。しっかり者のマネージャーの意外な一面に驚きながらも、茉莉は胸が詰まる思いだった。

 

「そういうわけで、友達が一緒に住んでるって公表しようと思うんだけど、ナオミはどう思う? あっ、写真載せるとかじゃなくて、ただルームシェアしてるって話するだけ」

「いいよ」

 帰宅後、茉莉が事の顛末を話すと、ナオミはあっさりと承諾した。伏見がナオミのファンであることは言わずにおいた。ナオミがどの程度自分の過去を調べているのか茉莉には分からなかったので、へたなことを言って刺激したくはなかったのである。

「むしろ事務所の人たちもさ、私がほんとに茉莉と住んでも大丈夫な人物か調べなくてもだいじょうぶなのかね。万が一私がお尋ね者で、茉莉を危険なことに巻き込むつもりだったらどうするんだろうね」

「……そういうんじゃないよね?」

「さあ、どうだろ」

 言いながらナオミはスマートフォンを取り出すと、茉莉の肩をちょんちょんとつついて、隣に座るように促した。そのままスマートフォンを高く構え、二人の姿が画面に収まったかと思えば、撮影ボタンを押す。

「なに急に」

「うん、よく撮れてる」

 ナオミのスマートフォンには仲良く笑顔で映っている二人の姿があった。突然の撮影にも表情を作ることが出来るのは、幼い頃からカメラを向けられて生きて来た茉莉の特技でもある。

「よし、茉莉の方にも送ったから、事務所の人にでも安心できないって言われたら見せて」

「分かった」

 茉莉はナオミから送られてきた写真を確認すると、「流出厳禁」というメッセージを添えて伏見へと転送した。

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