廃ビルと私と伊宮子さん

廃ビルと私と伊宮子さん

「だから言っただろう。こんなところにひとりで来るもんじゃないと」

「ははぁ、すみません」

 私は答えるしかなかった。動けないのでせめて言葉に謝罪の意思をしっかり込めて。まぁ、込めたフリなのだが。

「こんな良くないものは放っておいて近づかないのが一番だ。なのにお前と言うやつは好奇心の赴くままに入ってきて、結局この始末だ。一文の得にもならない労働をする上司のことも考えろ」

「ははぁ、すいません」

 私は床に這いつくばって言う。湿っぽい床、薄暗い室内、カビっぽい空気。ここは廃墟だった。

 私の上には怪物が乗っていた。それは人型で、材質は不定形の石のようだった。くすんだ灰色で子供のような大きさだが、ふしくれだった手足は老人を思わせる。しかし、顔は無い。のっぺらぼうだ。それが私の上に四つん這いになって乗っかっているのだ。私はそれでまったく体を動かせなかった。重いからではない。これが乗ってから動かそうと思ってもまったく体が動かないのだ。

 それは、確かな意思を持って私の上司を、伊宮子いくこさんを見ていた。

「これ、どかせますよね」

「どかせん。そいつからどかん限りはどうにも出来んな」

「嘘ですよね」

「上司思いの従順な良い部下の皮を被って心の中で私を見下しまくっているお前に、相応の苦痛を味わってもらいたいのは事実だが嘘じゃない。そいつは私ではどうにも出来ない。神にでも祈れ」

「そんな。私は伊宮子さんのことを見下したりなんかしてませんよ」

「分かった分かった。そういうことにしておいてやろう。じゃあな」

「ええ、置いてくんですか? 助けに来てくれたんじゃ」

「助けにきたつもりだったが、来てみればどうにもならないものだった。だから、帰るんだ。どうにもならないものにいつまでも時間を割けるほど暇じゃないんでな」

「そ、そんな。お願いだからどうにかしてください」

「お前が今後一年は無断で仕事に向かわないと誓うなら努力はしてやろう」

 伊宮子さんは人でも殺せそうな勢いで私を睨み付けながら言った。私は恐ろしくて縮み上がる。まぁ、フリなのだが。

「わ、分かりました。だから、そんなに恐ろしい顔しないでください。心臓が止まりそうです」

「演技も上達したものだ。2年も組めばそんなものか。まぁ、良い。とにかく約束だからな。帰ったら書面にして印鑑も押してもらう」

「ひぇえ。徹底的だ」

 まぁ、伊宮子さんがここまで徹底するのも無理は無い。私は勝手に仕事を探し、勝手に現場に赴き、勝手にトラブルを起こす常習犯だからだ。それも大抵のケースでこの仕事でも最も質の悪い状況を作るのだから伊宮子さんの苦労も押して図るべしというところなのだ。しかし、伊宮子さんは有能で、それら全てをこれといった被害もなく収めてしまうのだ。なので、私は高慢ちきで、人間嫌いな伊宮子さんを見下してはいたが同時に信用していた。なので、いつも脇目も振らずトラブルに突っ込んでいくのである。



 私たちは処理業者だ。処理するものは怪異。怪異は世界に満ちている気に人間の感情や自然現象などが作用して発生する異常現象だ。私たちはそれを処理、解決することを生業としている。伊宮子さんが課長で私が契約社員。といってもあと社長が一人で従業員3人の小規模企業である。そんな感じで私たちは日々街で発生する怪異と戦っているのだ。

 そんな中私が目を付けたのがこの『木島ビル』と呼ばれる廃ビルだ。田舎の小都市のさらに町外れにあるこのビルはたびたび妙なことが起きることでその近辺では有名だった。一時行方不明、原因不明の事故がたびたび起き、一度死亡事故も起きていた。

 明らかに怪異の気配がある。この道2年の私の勘はそう告げていた。なので昼過ぎに私はこのビルにアタックをかけ、そしてこうなっているのであった。



「面倒だな。これは実に面倒だ」

 伊宮子さんはうんざりした様子でしゃがみこみ、私の背中の怪物を見ていた。一定距離を取ってだ。セミロングの髪をクシャクシャと掻いている。

「ここに入ってしばらくしたらこいつがおぶさってきました。それから2時間半くらいここでこうしてました」

「そうかそうかそれは大変だったな。私が頼んだおつかいもこれでおじゃんというわけだ」

 私の前には伊宮子さんに頼まれて買ったワインの瓶が無惨に砕けて散らばっていた。私はおつかいを済ませた後に思いつきでここに入ったのだ。思い立ったが吉日が私のモットーである。私は伊宮子さんの不機嫌に気づかないボンクラのふりをして質問する。

「これはなんなんですか。大きさの割にすごく嫌な感じがするんですけど。入った時から気持ち悪かったです」

「それを感じた時点で引き返すという考えが無いのに驚きだ。こいつは人間の感情の化身だな。それも憎悪とか恨み辛みとかそういった感情の塊だ」

「なんでそんなものがこのビルに居るんですか」

 人間の感情を元にした怪異は強力なものになりがちだった。だが、都市部とか何かの事件の現場とかそういった場所に発生するのが主だ。

 伊宮子さんは立ち上がって目を細めながらビルの中を見回した。

「ここは地理的にそういった負の感情の流れが集まりやすい場所なんだ。そしてこのビルはそもそも廃墟であるし、窓の数や部屋の配置、そういった構造の面でも怪異を発生させやすい。まぁ、条件が揃いに揃って生まれたのがそいつだ」

「倒すにはどうすれば良いんですか」

「倒す方法は無いさ。憎しみや恨みというものが人間が居る限り無くならないのだから。常にそいつにはそこら中のそういった感情が流れ続けているんだ。周囲100kmくらいに人間が居ない状況を作らない限りはそいつは不死身だ」

「そんなぁ」

 それは困った。それはつまり、私はここから動けないということだ。それはご飯を食べられないということであり、つまり死を待つだけということだ。

「ビルごと消せば」

「巣を奪われそうになったらそいつが何を始めるか分からん。だから、このビルはこの辺の処理業者にとってはアンタッチャブルで通ってるんだ。この10年近く人はここに立ち入っていない。どっかのバカが丁寧にがんじがらめのチェーンを切りまくって入りさえしなければずっと問題が起きることは無かったんだよ」

「ははぁ。面目ないです」

「今のは少し演技が足りなかったな。本心が見え隠れしていたぞ」

 私の不満の意をずばり見破りながら伊宮子さんはぐるぐると私の周りを回った。そうして、怪異の様子を確かめているのだ。憎しみの怪物は回る伊宮子さんを首を回してずっと睨んでいた。獲物に手を出そうとしている不届きものの動きを逐一警戒しているのだろう。というか、こいつは私をどうするつもりなのか。

「なにか分かりましたか」

「本当に純粋な感情の化身だな。不純物が無い。これは中々のレア物だ。つまり、やっぱり倒すのは不可能だ」

「じゃあ、どうするんですか」

「さっぱり分からんな」 

 伊宮子さんはこの道も長いので様々な怪異の事件を経験している。なので、それぞれの場合に応じた最適解を常に迅速に導き出してきた。倒す方法は無くとも何とかする方法は分かるだろうと私は期待していた。だが、その伊宮子さんをもっても難敵であるらしい。

 伊宮子さんはぐるぐると怪異の周りを回り続けた。

 と、伊宮子さんはつい、と指を上げこの憎しみの化身に向けた。そして、何事がぶつぶつと呟く。私が詳しい仕組みを知らない怪異に対する術だ。怪異の力を弱めたり、行動を束縛したり、色々なパターンがある。が、私はそれぞれの術にどういう風に違いがあるのか良く分からない。全部指を上げてぶつぶつ言っているようにしか見えない。

 そして、術が行使されたのか、私の上の怪異の格好がぐねっと動いた。そして、見る間にざわざわと怪異の体が波打ち出したのだ。

 そして、怪異は聞くだけで気を失いそうな恐ろしい叫び声を上げた。人間のものとも獣のものとも似ているようでどこかが決定的に違う得体の知れない禍々しい叫び声だった。

「ひええ、なんですかこれ伊宮子さん」

 叫ぶ怪物の下で私は泣きそうになりながら言う。まぁ、演技なのだが。

「ふむ」

 そして、伊宮子さんは上げていた指を下ろした。すると怪物は叫ぶのを止めた。また、元通りの体になり、そしてまた私を押さえつけ伊宮子さんを睨んだ。

「感情系の怪異は霧散させられる場合が結構あるから試したんだがやはり無駄か。よほど、その形を失いたく無いと見える。自分の憎しみや恨みといった感情を完全に受け入れ、気と感情が綺麗に繋がってしまっているというわけだ。まぁ、始めから予想はしていたが」

「予想してたんなら止めてくださいよ。死ぬかと思いましたよ」

「日頃の行いに対するささやかな意趣返しだ。ありがたく受けとれ。さて、となると正攻法は無理か。どうしたものか」

 伊宮子さんはうーむ、と顎に指を当てて考え込んだ。

「なんとかしてくださぁい」

 私は努めて弱々しい声で言う。伊宮子さんは無視だ。黙って私の上の怪異を見ている。

 こいつは実に厄介だ。ここら一体の人々が発する恨み辛みが積もりに積もって生まれた怪物。憎しみだとか、恨みだとかいった感情が深く、逃れがたく、簡単に消えはしないのと同じなのだ。その化身たるこの怪物はどんなに頑張っても消えはしないのだ。今私の上に乗っているのはそういった人間の業の塊なのだろう。人類誕生からそして恐らく滅亡まで常に傍らに居る厄介な連れ合いだ。

「ニクイ」

 と、そこで突然だった。怪異が言葉を話したのだ。

「ニクイニクイニクイニクイ」

「ひえぇ」

「ニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ」

「ひえぇええ、何事ですかぁ」

 怪異は憎いと連呼した。伊宮子さんを見てだ。

「これといった意味は無い。犬が吠えているのと同じようなものだ。こいつの鳴き声なんだろう」

「不気味過ぎます」

「まぁ、こいつは目につくものが憎く映ってしまうのだろうからな。怨嗟は十分に籠ってはいるが」

「ニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ」

「ふむ、やはり憎しみは何らかの対象に抱くものか。なら、やはりそうするのが一番だろうな」

 そう言うと伊宮子さんは手元からスマホを取り出した。そして、サッサッと指を動かし何事か操作した。スマホから音が流れる。人の声だ。伊宮子さんはその画面を怪異に見せた。それはとある歌手が芸術賞を受賞した時の会見の映像だった。歌手は嬉し涙を流しながら記者たちの質問に答えていた。

 怪異はそれを凝視していた。

「そら」

 そうして伊宮子さんはスマホをぽいと床に放った。

 すると、突然私の上から怪異が消えたのだ。

「あれ」

 そして、見れば怪異はスマホの上に乗っていた。そして、その画面を凝視していた。

「ニクイニクイニクイ」

 怪異はまた鳴き声を上げていた。

「えっと...」

「そら、これで解決だ。とっとと出るぞ」

「ええ。あ、はい」

 なにがなにやら。ずいぶんあっさりした幕切れに少しだけ拍子抜けしながら私は歩き出す伊宮子さんに続いた。そろりそろりとなるべく慎重に歩きながら。これはふりじゃない。

 怪異は食い入るようにスマホを睨み、私には目もくれなかった。そうして私はビルから無事脱出出来たのだった。



 ビルから出ると伊宮子さんは、

「携帯を貸せ電話する。どっかのバカが切った鎖を元通りにするように手配しなくてはならん」

 と言った。

「あ、はい」

 私は伊宮子さんにスマホを渡す。伊宮子さんは業者に電話をかけ、手早く段取りを済ませた。あとは業者が来るまで待つだけだ。

「ふむ。これでとりあえずは大丈夫か」

「いやぁ、ありがとうございました。本当に助かりました。命の恩人です」

「お前の命の恩人になったのはこれで何度目だったかな。その度にそのまるで心の籠っていない感謝の言葉を聞いてきたわけだが」

「いやぁ。そんなことないですよ。本当に感謝してます」

「まぁ良い」

 伊宮子さんはうんざりした様子だ。私がそうさせているわけだがこれといった感慨は無い。

「それにしてもスマホ投げるだけで解決なんて、ちょっと寂しいくらいでした。前に爆発とかさせたじゃないですか。あんな感じに派手になるかと思ったんですけど」

「爆発させたらお前も死ぬが。まぁ、そんなにお望みなら今度はそうしてやろう。とにかく、もうここには絶対に来るなよ」

「はい、もちろんです。それより教えてくださいよ。なんであんなにあっさりいったんですか。ただの歌手の会見映像で」

「簡単なことだ。人が最も憎しみを抱きやすいのは自分より幸せなものだということさ。お前が入ってきた時点ではあの部屋で一番幸せなのはお前だった。だから、お前より幸せなものを見せることでやつの憎しみの対象を変更したんだ。それだけの話だ」

「あー、なるほど。そんな簡単なことだったんですね」

「ああ、簡単だ。複雑なのか簡単なのか分からんのが人間の感情だが、今回はそれだけの話だった」

 憎しみの塊の怪異は常に憎むものを探していた。次から次へと、より強く憎めるものを探していたのだろう。憎むことがあの怪異の存在意義だったのだ。それはきっと寂しいことなのだろう。薄情ものの私にはいまいち分からない話だが。薄情ものは人を愛することも少ないが、その分人を憎むことも少ないのだと思う。私は自分さえ対して愛していないのだし。

 ともあれ、これで一件落着というわけだ。

「いやぁ、さすがです伊宮子さん」

「空っぽの誉め言葉をもらってもなんの嬉しさも無いな。さて、次の給料から私のスマホ代はさっ引かせてもらうぞ。ついでに今回の件で減給もあるだろう」

「ええ!? 冗談でしょう!」

「お前が招いたトラブルで私のスマホが失われ、この切られたのチェーンの束も修復しなくてはならんのだ。大体、お前がこんなことを起こすのはもうなん十回目か分からないし」

「26回目です。何十回ってほどじゃありません」

「腐った反論をするな。十分過ぎる数だ。とにかく、前科も含めてもうそろそろお前にはちゃんとした処罰が必要だ。今まで始末書だけだったのがおかしかったんだ。お前の事務能力が凡人並みで人手不足でなければとっくにクビなところを多目に見すぎていたんだろう」

「そんなぁ」

 非常に絶望的だった。これは演技ではない。何せ、スマホ代と減給分合わせたら果たして来月の給料がいくらになってしまうのか想像するのも恐ろしかったからだ。このままでは来月はもやししか食えないのではないか。下手すればもやしすら食えないのではないか。

 そういった、私の本当の絶望顔を見て伊宮子さんは心底愉快そうに顔を歪めた。

「いや、良い表情だ。それが見られただけでもある程度うさは晴れたな」

「勘弁してくださいよ伊宮子さん」

「勘弁しない。おとなしく処罰を受けることだな」

「ひぇえぇ...」

 怪異も恐ろしかったが、人間社会も恐ろしいものだ。大人のルール、これは怪異と比べても遜色無い難敵だと思う。

 しかし、その大人のルールに照らし合わせれば伊宮子さんの言い分は実に正当なものなので、もはや言い返すことは出来なかった。

 残念ながら仕方が無かった。私は辛くなってしゃがみこんだ。

「悲しいです」

「ついでに契約書を書くのも忘れるなよ。もう、こんなことは二度と出来ないようにしてやる」

「ああ、はい...」

 なんにしてももはやどうすることも出来ない。私の自業自得というやつなのだから。やりたいことをやっているだけなのにこうなるのは納得出来ないが。

 日は沈みかけで街は茜色に染まっていた。

 伊宮子さんは仏頂面でタバコを一本取りだし吹かし始めた。

 そして、私はふと伊宮子さんが来たのになぜあの怪異は伊宮子さんに襲いかからなかったのだろうかと思った。

 伊宮子さんの理屈に従うなら怪異はより幸福なものに襲いかかるはずなのに。なんだかんだ順風満帆に暮らしている伊宮子さんはなぜ襲われなかったのだろうか。

 しかし、私は考えるの止めた。無駄なことだ。私は伊宮子さんの心の底から不機嫌な顔さえ見れればそれで良いのだ。なので私は他のことを考えた。

 具体的には次にどんな場所に突っ込んでいこうかということだ。私は処罰を受けようが、契約書を書かされようが自分の衝動のままに行動する。思い立ったが吉日が私のモットーなのだから。

 そういうことを考えながら私はニマニマ笑い、伊宮子さんは紫煙を吐き出していた。

 遠くで電車の走り抜ける音が響いていた。

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