閉幕

 人間が住まう地上から遠く離れた上空に存在する天上ニェーボ ・世界ミール。そこに存在する唯一の建造物である純白ビェールィ ・宮殿ドヴァレーツへ、任務を終えた天使アーンギルたちが帰って来た。

天上の世界には創造主と天使以外に生命はおらず、天使たちが帰還したとて出迎えがあるわけではない。

 しかし、今現在は他の生命も存在している。内戦期間内で悪事を働いた者たちだ。

彼らは天使たちより先に宮殿へ辿り着いていたが、その者たちの精神は既に正常ではなくなっている。これから自身に訪れるであろうを空想し、絶望し強く後悔しているのだろう。

今となっては遅いと言うのに、どうにか抜け出そうと試みる者や発狂する者、更には自害を試みる者もいる。彼らには知らされていないが、今の彼らは不死の状態となっている。何度自害を試みようと死ぬ事も出来ずに、自分の番が来るまでただ痛みに苦しむばかりであった。

 その一方で高貴なる天使たちを創り出した創造主は白を基調とした座に座り、天使たちの帰還を幾日も待ちわびていた。創造主が天使たちをチョウ帝国へ送り出してどれ程の時が流れた事だろう。座に座る創造主はそれを数える事はしなかったものの、これから六体の内の誰かが口にすると知っている。長い時をその座で過ごしていた創造主は、己の肉体の形を自在に変えて過ごしていた。

今は人型に黒い靄が纏わり付いた様な姿を保っており、頭部の中心にぽっかりと穴が開いている様に白い目が張り付いている。そしてその目は何もない空間をじっと見つめていた。


 創造主が控える座の間に、すぅっと翼の音は静かに天使たちが入って来た。全員が座に腰掛ける創造神の御前に整列したのを合図に、天使たちの先頭に立つ無空が口を開く。

五体ピャーチ ・天使アーンギル虚無プスタター ・天使アーンギル、只今帰還致しました」

そして言葉を続けた。

「お父様が望まれた通り、良き統治者を見つけチョウ帝国に住まう全ての善人を生かし、全ての悪人を捕らえここへ持ち帰りました。この結果へ至るまでに回程”内戦を無かった事に”した為、お父様をお待たせしてしまいましたが、最終的には優良な結末になったと自負しております」

淡々と語られたその言葉には真実のみが並べたてられており、そこに偽りなどない事を創造主は理解している。無空が語ったその事実を聞き入れたと頷きで示した。


 創造主は内戦の様子を直接見てはいないが、天使たちが七日目の夜に必ず純白ビェールィ ・宮殿ドヴァレーツに向けて報告を送っていたのだ。

チョウ帝国で内戦を繰り広げるにあたって、始めの一回目は大失敗に終わる事は創造主にとって想定済みの事象であった。と言うのも、多くの人間は天使を伝承の存在として認識しており、直接目視したのは今回で初めての事だ。

 そんな存在が各組織の長たる人間の前に突然現れ、創造主の命令だからと内戦を始めるのは無理があった。当然、魔術と暴力の蹂躙が国中で行われ、伝染病も蔓延し続け地上は地獄と化したのである。

最後まで生き残ったのは他者を殺める事で快楽を得る人間のみで、創造主の命令は守られなかった。そこで、一回目の内戦は”無かった事に”され、前回の改善点を踏まえて二回目の内戦を繰り返したのだ。

 しかし、二回目も多くが死に絶え、創造主の命令は果たせずに三回目を迎える。そして段々と繰り返していき十回の内戦を終えた天使たちは、人間は互いの意見を話し合うと良いのかもしれないと気付く。

十一回目で初めて行われた対面式では、互いに不信感を募らせては批判し合って終わった。友好的になれる筈もなく荒廃したチョウ帝国は七日目を迎え、次の内戦への改善点として天使たちは記憶する。

 こうして試行錯誤を重ねて行くにつれ、人間の扱いを理解していく。まるで検証実験の様に何度も繰り返しては失敗に終わる内戦だったが、六百九十一回目にして純白ビェールィ ・宮殿ドヴァレーツへ天使たちは帰還したのだった。


 それから創造主は無空の後ろに横並びに立っている五体ピャーチ ・天使アーンギルたちの方を見やり、天使たちに発言するように促した。

それに応え、初めに言葉を発したのは一番右に立つ木洩である。

「僕の役目はチョウ帝国南東の人間たちが感染した症状の完治とその人間たちの生存。初めは人間の脆さに治療が手間取りましたが、百回目くらいで力加減を掴めるようになりました。二百回目以降は僕の管理区域は完全なる平穏を保てました」

と、少しはにかみながら語った。その言葉をしかと聞き届けた創造主は頷き、木洩の横に立つ火晴へ目を向けた。

「俺の役目は困難だった。ヤキリの生存と精神の安定を前提とした帝国民側の勝利が条件だったが、アイツはすぐに無茶をするから何度も失敗した……長生きしてほしい人間だが、どうだかな」

やや呆れる様な口振りの火晴だが、悪態をついているわけではない。寧ろ、いつもより柔らかい表情で穏やかに語っている。

火晴の珍しい素振りと報告に対して創造主は頷き、次に目を向けた。目が合ったのは土呼であった。

「余が務めた任はゴログ族の生存のみ。よって他の物より幾らか楽をしてしまったかも知れぬが、六百九十一回全てに起こったレリフィック教徒の強襲に対する防衛はかなりの困難を極めた。六百九十一回目はどうにか族長とその息子の生存が叶ったものの、彼らがこれまでと同じ様に生きられるとは限らんだろう」

憂いを帯びた瞳で語ったが、それは土呼がゴログ族に僅かな情を向けていた為である。とは言え、この天上の世界へ戻ってこれた事もあり、こうして創造主へ報告し聞き入れられた事でその憂いはすぐに消え去るだろう。

そして次に金陽が語り始めた。

わたくしの使命はチョウ帝国にいるレリフィック教徒たちの放し飼い、そして自滅でしたが無事に完遂しましたの。最初の三百回程は力任せに信仰を押し付ける事しかしない人間に嫌気が差してずっと放置していましたけれど、あの人間たちを視界に入れるのも飽きてきたのでと頑張りましたの」

そう言いながら微笑む金陽に対し。創造主はゆっくりと頷いた。人間の倫理観や道徳心からすれば金陽のとった行動は異常者と言えるかも知れないが、金陽が天使である以上は人間が持つ思想やそれに準ずるものの枠組みに嵌めるのは間違いである。それを創造主はよく理解している。

 そして、最後に水雨がヘラヘラとした顔つきで言葉を紡ぐ。

「ぼくが任されたのはレジストリア、もとい人間の子どもを多く生存させる事だヨ!スマイリーたちはすごく冷静で慎重な人間の子どもだったけど、乱戦に巻き込まれたり市民を助けたりした時とか誰も助けられない時も多かったかナ。でも一番大変だったのはぼくが人間たちに”内戦を何度もやり直している”って気づかれそうだった事だネ!六百九十一回で終わって良かっタ!!」

悪びれる様子のない水雨の口振りに創造主は穏やかに頷いた。水雨の明るい表情と屈託のない言葉使いには、清らかな水流の様な勢いがあった。

 そうして全ての天使が報告を終え、この空間に暫くの静寂が訪れる。しかし、その静けさもすぐに終わった。

創造主が開いていた目を閉じ、それと入れ代わりに顔の下半分にぽっかりと白い空間が出来上がる。そしてその空間から声が聞こえてきた。

「我が創り出した天使アーンギルたちよ、汝らが導き出した最良の報告に感謝する。我は此度の結末に対して大いに満足している」

と、褒められた天使たちは顔を見合わせて喜びの表情を浮かべる。しかし、創造主は重々しい口調で言葉を続けた。

「だが、汝らが最良を求めるあまり我の肉体はを忘れてしまった。責め立てるつもりはないが、まだ形を覚えている内に対面したく思う。命じていた通り、彼の者を我が前に持ってきてはくれまいか」

その言葉に最初に応じたのは無空である。

「はい」

短く返事した後、すぐさま創造主の座の間から飛び立った。そして、無空から舞い落ちた純白の羽根が床に付く頃に戻ってきた。

 無空は醜く肥えた男の首元を掴み持っているものの、その男に意識を保っていない。この男を天上ニェーボ ・世界ミールへ連れて来る前日から無空の魔術によって眠らされているが、もし起きれば地上にいた時と同じく騒がしくなるだろう。

 無空は掴んでいた男を創造主の前に座らせる様に置き、自分が立っていた場所へ戻った。創造主は自分の目の前に置かれた男を白い目を顔一杯に広げ、よくよく凝視する。

やがて大きく開いた目を閉じ、そして口を開いて無空に向かってこう訊ねた。

虚無プスタター ・天使アーンギル、この男で間違いないのだな?」

「はい。理解し難い事ですが、チョウ帝国最後の皇帝だった人間で間違いありません」

「であるか。うむ……」

そう呟いてまた暫く白い目で凝視する。創造主が男をよく観察する様子を天使たちは不思議そうに見ていたが、その視線に気づいてか思いついた様にこう提案した。

虚無プスタター ・天使アーンギルよ、この男の魔術を解いてもよいか?」

「……よろしいのですか?この人間は教養がまるでなく、ただの肉塊のような存在ですが」

「構わぬとも、こんな輩でもである事には変わりなかろうて」

と、穏やかな口調で語る創造主。一度は忠告したものの、創造主の行動を制する気などない無空は淡々と答える。

「御随意にどうぞ」

「うむ」

そう言ったが束の間、創造主の御前に項垂れる様に座っていた男が身を大きく震わせ、跳ねる様に目を覚ました。そして周囲を見渡し、男の表情からは正常さが失われていった。

これまで生かされていた意味、今自分がいる見た事もない空間、そして目の前にいる異形の存在。知能の低い男でも自身に何が起こったのかはすぐに理解出来た。

 焦りと恐怖心に精神を支配されつつある男に創造主は一歩ずつ歩み寄り、男のすぐ目の前にしゃがみ込んで口と思しき部位をぽっかりと開けて言葉を発する。

「そう恐怖するな。我と汝は血縁関係であるぞ」

人間の感性からすれば異様である姿をしている自覚はないらしく、親し気な言葉で語り掛けてくる。当然、そんな存在を目の前に肥えた肉体を揺らしながら怯える男は、創造主の恩情が込められた言葉を即刻否定した。

「そ、そんなわけない!お前、か、鏡見た事あるのか!?」

「うむ?確かに十数年は見ておらぬが……あぁ、我が人間の姿をしていないのが気に入らんのか」

合点がいったと言う様な声色で話を進める創造主だが、その話に男は付いて行けずにいた。ただポカンと呆気に取られており、これから起こる事も分からずにいる。


「それならそうと早う言わぬか」


と言い、創造主として視認出来ている物質がぐにゃりと縦に潰れ、黒い靄が大きな手で捏ねられているかの様に蠢き、全く異なる物質へと変化していく。男はそんな名状し難い状況を目の当たりにし、しかもその存在は自分の血縁者だと語った事でこれまで感じた事のない感情に苛まれた。


 悲鳴を上げる事も逃げ出す事も出来ない憐れな男は、ただただ目の前の存在を見続けている。地上では帝国民を窮地に立たせたり天使たちに対して多く暴言を吐いたりと、暴虐の限りを尽くしていたとは思えない程の萎縮した態度だ。

 ぐにゃりぐにゃり、と音を立てて黒い物質は蠢き、やがて一つの球体を形成した。球体の大きさは座り込んだ男と同じくらいの高さがあり、人間が一人分納まるくらいの大きさをしている。

その球体に切れ込みが入り、花が開く様に黒い物質は剥がれていく。黒い花の様に広がる中心に老齢の男性が片膝を付いて目を閉じていた。この姿こそ、創造主が人間であった証とも言える。

創造主は黒い絹に金の刺繍が施された上質な着物に身を包み、痩せぎすながらも聡明そうな顔立ちをしている。

「ひぃ、人が、黒いやつの中から、出てき――」

座り込んでいた男はどこか見覚えのある創造主の姿に驚愕を隠せないが、その正体を口にする前にはきはきとした口調で創造主が語り掛けた。

「どうだ、いくら無能とは言え見覚えぐらいはあるであろう」

そう言ってゆったりと両手を広げながら立ち上がる。その様子を見て、男は頬肉を揺らしながら首を縦に振った。

「我こそはチョウ帝国の始まりの皇帝、名をアと申す。確か汝はソであったか」

「あ、あぁ。ボクは偉大なソ皇帝だ。ぼ、ボクの名前を知ってるのは最高だ、褒めてやる」

等と、言葉を詰まらせながらも高圧的な態度を取るところを見ると、何一つ人間性がなっていない事がわかる。これには創造主も失笑を零した。

「ははは、汝はまことに愉快な奴よな」

そう笑った声に釣られて座り込んだ男もヘラっと笑い掛けた瞬間、彼の頭は冷たい床に叩きつけられる。その拍子に潰された獣の様に無様な声を上げ、男の後ろに並んでいる天使たちにクスクスと笑われた。

ここでようやく天使がいる事を知った男は地面から頭を上げ、肥えた肉体を懸命に動かして背後にいる天使たちの方を向く。そして顔を真っ赤にして怒りを露わにして口汚く罵り声を上げる。

「お、お前らか!ボクをまだ苦しめるつもりならもう許さないぞ!!後で覚えてろよ、クソ天使どもがっ!!」

しかし、そんな言葉を投げ掛けられても天使たちは笑い続ける。それに対して怒りが治まらない男が再び口を開こうとしたが、それは創造主の御業によって抑止された。

 創造主は穏やかな表情で両手をそっと合わせると、男の左右からビョウと風が吹き荒れたかと思えばその肉体が一枚の板となっていた。

創造主が合わせていた手を開くと、挟まれていたはベシャリと音を立てて白い床に倒れ赤黒い液体を真っ白な床に広げている。

この出来事を目の当たりにした天使たちだが、特に動じる事なく微笑みを浮かべている。

「我が子らよ、我の遠い子孫が無礼な事をした。ここに謝罪する」

と言って静かに瞼を閉じた創造主に、黒い袖をひらひらと揺らしながら金陽が返答する。

「いいえ、お父様。私たちは何も気にしていませんのよ。それに先程のはとても好い余興だと思いますの」

「であるか。汝らが愉しめたのなら何より」

「えぇ、それはもう十分に……」

と語らう間にも板からは液体が流れ続けている。創造主はそれを遠い眼差しで見つめ、独り言の様にこう呟いた。

「もう少し対話が出来る者なら歴代皇帝と同じく、我が体内へ招き入れでもしたものを……」

「しかしながら、こういう人間であったから此度の内戦を行ったのでありましょう?」

土呼がそう訊ねると、創造主は深く頷きこう告げる。

「然り。そして我の遠い子孫であるのなら何か考えがあっての事かと希望を持ち、ここまで生かしておいたのだ。我は実に甘い、そして未熟であった」

「でもそれは仕方がない。人間は自分の血縁者を擁護する存在、お父様は人間性を保ちながら創造主としても顕現している。俺たちには出来ない」

火焔プラーミア ・天使アーンギル、汝からその言葉を聞けるとはな。此度の任務であの人間の許へ送った事は間違いではなかったのだな」

「……俺の魂がそう望んでいるだけかもわからない。だけど、ヤキリに会えて良かった」

火晴はそう言って瞳を閉じ、地上での事を思い出している様だった。そんな火晴を創造主や他の天使たちは微笑ましく見ている。

 暫く和やかな空気が流れたものの、水雨がハッとした様に創造主へ声を掛けた事でそれは途切れた。

「そういえばお父サマ!コレどうするノ?見るの飽きちゃっタ」

と言われ、一同の視線は水雨が指差した赤黒い物質へと集まった。時間が経った事で液体も溢れなくなっていたが、そろそろどうにかしなければ後が付きかねない。

創造主は少し考える様に顎に手を当て、暫く唸った後に結論が出た。

「精々、庭園の肥料にはなるであろう。どう扱うかは植緑バターニカ ・天使アーンギルに一任する」

「はい、お父様」

と答えた木洩に創造主は頷きで返す。木洩が自身の足元から魔術で蔦植物を生成し、赤黒い物質の全体を覆う様に絡み取って運び始めた。


 木洩が生臭い物質を蔦で運び出した後、それがあった真っ赤に染まっている床の汚れは無空が跡形もなくした。その間、上の空な様子でぼぅと立っていた創造主に金陽が声を掛ける。

「お父様、じっとなされてどうされましたの?」

「うむ、大した事では……いや、これは重要な事やも知れぬ。であれば語らねばなるまい」

と言う創造主の方に、全ての天使たちは顔を向ける。そして創造主はこう語った。

「此度の事象において、チョウ帝国に住まう全ての人間たちは”自らを鑑みず、我欲に溺れると碌な事はない”という教訓を学んだであろう。それは子孫へ語り継がれ、その子孫らもまた次の子孫へ語り継ぐ。しかし、口頭による伝承のどこかで本来の意味合い、或いは解釈に歪みが生じてしまえばどうなるか」

と言ったところで言葉を区切らせた。続くであろう言葉を金陽が付け加えた。

「教訓が不明瞭なものとなり、それに従わぬ愚者が現れ始めますの」

「で、あるな。せっかく此度の内戦に乗じて悪なる者を間引きしたにも関わらず、数十年後にはそういった愚者も存在するやも知れない。然らば我がすべきは、この出来事を繰り返させぬ為に人間に表し示さねばなるまい」

そうして語られた創造主の意志を聞いた天使たちは、微かに聞こえる程の声量で感嘆の声を上げる。天使たちが声を控えたのは、これから創造主が言葉を続けると知っているからである。

気迫の込められた眼差しで一同を見渡し、満を持してこう宣言した。


「題するは『帝国内戦黙示録』、これなるは我が創りしチョウ帝国を愚鈍な戦場と化さんが為の啓示である!」

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帝国内戦黙示録 柊 撫子 @nadsiko

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