わんこ系男子と生真面目くんのBL その1

鈴木 キトキ

第1話

「なあ。アンタ、大丈夫か?」

予備校の帰りの電車のなか。間近に迫っているセンター試験のプレッシャーからくる胃の痛みに耐えられず、床にしゃがみこんだ僕に声を掛けてきたヤツがいた。

「…………」

それに対してなにか言葉を返す余裕はなかった。キリキリと痛む胃を押さえたまま、奥歯を噛みしめていると、ぐい、と腕を引っ張られた。

「すみませーん、降りまーす!」

うわ、勝手に降ろすな。

抗議する間もなく、あっという間に、僕はそいつと一緒にホームに立っていた。背後で乗降口のドアが閉じられる。

「ほら、座って」

声に促されて、僕はホームに備えつけられているベンチに腰掛けた。頬に触れる空気は冷たかったが、新鮮な空気に肺が満たされたせいか、ほんの少し呼吸がラクになる気がした。

それにしても、おせっかいなヤツがいたものだ。

一刻も早く自宅に帰って、時間内に解けなかった問題に再挑戦しようと胃が痛いのをガマンして、ずっと吊り輪に掴まっていたのに勝手に下ろしやがって。

睨みつけてやりたいが、胃を押さえているせいで前傾姿勢になってしまう。

「腹が痛いのか?」

僕の隣に腰掛けた、おせっかい人間が言った。腹痛ではなく胃痛なのだが否定する気力がなく、僕は俯いていた顔を上げて頷いた。

僕の顔を見るなり、そいつは、はっとしたように目を瞠った。

「み……やはら?」

僕はそいつの顔を見た。確かに僕は宮原だが……こいつは誰だ?顔の半分をマスクが覆っているせいで判別できない。

「あ!」

マスクを顎に向かって下ろすと、そいつはなぜか気まずそうな表情で口を開いた。

「あー……覚えてねえよな?俺、小学校の時、一緒のクラスだった……」

「もしかして佐倉か?」

小学校の同級生で、唯一、覚えているヤツの名前を僕は口にした。

五年生のクラス替えの後、クラスの中心人物に目をつけられてしまった僕は、そいつらのグループからいじめられるようになった。そんな僕を唯一庇ってくれていたのが佐倉だった。

「え……あ。ああ、うん」

そいつは、ぎこちない笑みを頬に浮かべた。

そうか、佐倉だったのか。だが申しわけないが、昔の同級生との再会を懐かしがる余裕が今の僕にはない。

「すまないが、僕の鞄からペットボトルと薬の入っているビンを出してもらえないか?」

「あ、ああ。……これか?」

僕は佐倉からビンを受け取ると、中身を水で流し込んだ。

「なあ、すげえ痛いのか?」

「……こうやって、しばらく安静にしていればそのうちよくなる」

コートの上から胃を押さえたまま、僕は言った。

薬を飲んだ安心感もあって、少しだけ気分が落ちついてくる。ふと周囲を見回すと、ホームにいるのはいつのまにか僕たちだけになっていた。乗降者数があまり多い駅ではないらしい。静かで不思議と居心地がよかった。

「宮原、ちょっといい?」

佐倉は僕の手をどかすと、そこに自分の手のひらを押し当てた。驚いて身じろぎした僕に、

「あ、びっくりさせて悪い」

慌てたような表情を向けてくる。

「腹あっためるならオレの手の方が向いてると思って……オレ、お前より手でかいから」

視線を腹部に下ろすと、節くれ立った男っぽい手が僕の腹部をすっぽりと覆っているのが目に入った。

確かに、大きな手だと思った。

それに、あたたかい。

コート越しにもかかわらず、手のひらの熱がじわじわと伝わってくる。

呼吸がラクになる。心地よくて、体から力が抜ける。

ベンチの背もたれにもたれかかるようにすると、佐倉は心配そうな顔で僕を見つめた。

「ちょっとはラクか?」

「……ああ、ありがとう。すごく気持ちいい」

笑いかけると、佐倉はパッと眉を開いて笑顔になった。顔いっぱいに「嬉しい」と書いてある。わりとがっしりとした体つきなのに、黒目がちな丸い目が人なつこく、やや明るめの髪の色も相まってなんだか愛嬌のある大型犬みたいだ。

けど……佐倉ってこんなヤツだっけ?僕の記憶にある佐倉は顔の造作こそ曖昧だが、もっと飄々としてつかみ所のないヤツだったような気がする。もしかすると、会っていないこの数年間で性格が変わったのかもしれない。僕も子どもの頃とはずいぶん印象が違っているはずだ。悔しいことに、背丈や童顔はあまり変わっていないが。

こいつは随分デカくなったんだな。

僕の腹を温めることに専念している佐倉の真剣な横顔を眺める。

さっき並んで立った時、百六十五センチの僕より十センチ以上は背が高かった。スポーツでもやってるのか、学ランを着ている肩の幅も広くて体格もがっしりしている。手だってバスケットボールが余裕でつかめそうな大きさだ。

その手が、いまは、まるで大切なものを扱うみたいに僕の腹部をやさしく覆っている。

あたたかくて、気持ちいい。

「なあ。コートの下に手を入れて触ってくれないか?」

「……えっ!?」

佐倉の焦ったような声と表情に僕は我に返った。しまった。心地よさに頭がボーッとして妙なことを口走った。

急いで背もたれから身を起こそうとすると、

「や、やるに決まってんだろ!」

なにが決まっているのかわからないが、佐倉はそう言って、僕のコートのボタンを外し始めた。

「変なことを頼んですまない」

「遠慮すんな。痛くてつらいんだろ?……制服の上からでいいか?」

それではもの足りない気がして、僕は言った。

「シャツの上から触ってほしい」

ボタンを外している手が、一瞬、止まった。

「……わかった」

コートに続いて、制服のブレザーのボタンが外される。

人にボタンを外されるのってヘンな感じだ。衣服を脱がされているわけでもないのに不思議とそれに近い感覚があって、こころを隠している覆いを剥がされていくような心地がする。警戒心が解けて小さくなって消えていく。

「……ん」

あたたかい手にシャツの上から触れられて、心地よさに思わず声が出た。

目を閉じて、深く呼吸する。

痛みが遠のいていく。薬なんかよりずっと効く。

うっすら目を開けると、すぐ間近に佐倉の顔があった。放心しているような、それでいて熱っぽいような目でじっと僕を見つめている。

「…………佐倉?」

名前を呼ぶと、ギクリとしたように佐倉は僕から体を離した。

「も、もう平気か?」

ギクシャクとした様子でベンチから立ち上がる。立ち上がった姿を改めて見ると、やっぱり身長も体もデカいなと思った。

「ああ、平気だ」

コートの前のボタンをとめて立ち上がると、佐倉はほっとしたように息をついた。

その後、僕らは連れ立って電車に乗った。佐倉は、僕と降りる駅が同じだった。駅から少し離れた場所にある新興住宅地に両親が家を建て、最近、そこに越してきたらしい。なにも息子が大学受験間近のこんな時期に引っ越さなくてもと思ったが、佐倉はとっくの昔に推薦で合格を決めているらしい。

「羨ましいだろ?」

ニヤニヤ笑いながら佐倉が言うので、脇腹に思いきりパンチをくれてやった。いいところに入ったらしく、佐倉は電車のドアに手をついて痛みに耐えている。

なんていうか、佐倉との会話は楽しかった。学校でも予備校でも同級生たちはみんなピリピリしている。こんなふうに軽口を叩くのは随分と久しぶりな気がした。

車内はあいかわらず混んでいたし、数週間後にはセンター試験を控えていて、家に戻ったら試験対策をしなければならないことに変わりはなかったけれど、佐倉が一緒だと思うと不思議と気持ちが軽くなった。

佐倉は、心配だからと言って僕を自宅の前まで送ってくれた。

連絡先を聞きたかったけれど、中高一貫の学校に通っていて新しい友人ができる機会がなく、またけして親しみやすいとはいえない性格の僕にはそういう経験がなかった。

こういう時、なんて言えばいいんだ?ストレートに訊ねればいいのか?だが、相手が教えたくなかったらどうする……断る理由を探させるだけだぞ?

内心アレコレ考えながら門に手を掛けると、

「宮原!」

思い切ったような声が僕を引き止めた。

「おまえ、いつもあのくらいの時間の電車に乗ってるのか?」

僕は頷いた。予備校通いをしているここ最近はずっとそうだ。

すると、佐倉はますます思い切った声で言った。

「だったら、おまえが通ってる予備校の駅の改札で待ち合わせて一緒に帰ろうぜ!そしたら、また腹が痛くなっても安心だろ?俺、いつもこれくらいの時間にバイト終わるし」

思わぬ申し入れに、僕は呆気にとられて佐倉を見た。だって、さっき電車のなかで聞いたヤツのバイト先は繁華街にあって、同じ路線とはいえ、僕が通っている予備校の最寄駅からは数駅分ほど離れている。

つまり、佐倉は僕と一緒に帰るために途中下車してくれると言っているのだ。

本当にいいのかと訊ねようと思ったが、佐倉はそんなこと百も承知で言ってくれているのだろう。どこか緊張した面持ちで僕の返事を待っている。

もしかして、佐倉もまた一緒に過ごしたいと思ってくれたのだろうか、僕と。

嬉しくなって、僕は言った。

「……センターの一次試験が終わるまで世話になってもいいか?」

「うお!!マジか!?よし!!」

瞬間、佐倉は跳ねるみたいにガッツポーズした。目が合うと、きれいな歯並びを見せて嬉しそうに笑った。玄関の明かりしかない暗闇のなかでも頬が紅潮しているのがわかった。

かくして、僕は佐倉のメッセージアプリのIDを無事ゲットした。

その夜は、佐倉の大きな手のあたたかさを思い出して、この一年では記憶にないくらいぐっすりと僕は眠った。


*****


小学五年生になると同時に、母が再婚した。

それ以降、僕は宮原という名字になった。

五年生のクラス替えの後、クラスの中心人物である男子生徒からちょっかいをかけられるようになり、それが、そいつの所属している中心グループに広がるまでそれほど時間はかからなかった。とはいえ、当時の僕は、新しい父親や生活環境に馴染むのに必死だったせいもあり、からかいの言葉を掛けてくるやつらの言動のほとんどを無視していたし、小突かれたりしても無反応を通していたから、いま思い返せば、なんていうか、たいしてイジメ甲斐のないヤツだったと思う。

最初に僕にちょっかいをかけてきた男子生徒の名前は……たしか大野だったか太田だったと記憶しているが、どういう心境の変化か、途中から仲間の言動を諫めるようになり、クラス持ち上がりとなった六年生の後半の頃には、そいつらのグループから無視される程度に落ちついた。

佐倉は、一番風当たりがひどかった頃に、僕とヤツらの間に入って、さりげなく話の矛先を変えるなどして僕を庇ってくれた唯一のクラスメイトだ。庇われた僕しか気づかないくらい、さらりと会話の流れを僕から興味を逸らす方向へと運んでいくやり口は、コミュニケーション能力が高いと表現するより、交渉事に慣れている大人みたいな手練れ感があり、正直、今の僕でも太刀打ちできないと断言できる。

結局、僕は卒業目前に別の町へと引っ越すことになってしまったわけだが、最後まで佐倉には礼を言えなかった。庇ってくれた礼を言おうとする度に「オレ、なんかしたっけ?」と躱され続けたからだ。僕との……というより、クラスの連中との繋がりを避けている節が佐倉にはあった。理由はわからないけれど。


その後、僕は引っ越した町から中高一貫の学校へと通い始めるわけだが、学校生活は平穏だった。平穏じゃなくなったのは家庭環境だった。小学生の頃からすでにその芽はあった。

医者である養父と再婚した母から『よくできる息子』を強要されるようになった。養父は自分が勤めていた大学病院で弁当を売っていた母を見初めるような飾り気のない人で、義理の息子である僕のこともかわいがってくれた。近所に住んでいる祖父母もおっとりとした気質のやさしい人たちだった。

母も本来はそういう人だったのに、再婚を機に、よくない方向へと向かい始めた。大学病院に勤めていた養父が医院を開業してからは、僕を跡継ぎにしなければならないという思いが強くなったらしく、さらにその傾向は加速した。

学校や塾で上位の成績が取れないと、激しく叱責されたり、価値がないみたいな言い方をされたりするようになった。養父の実家は親戚にも医者が多く、そういう周囲の環境も影響していたのかもしれない。

小中高と母からのプレッシャーにさらされ続けた結果、僕は胃薬を欠かせない体になった。さすがに大学受験を控えた今年度に入ってからは、養父から諫められたこともあって、あまり口うるさく言われなくなったが、無言のプレッシャーが絶えず僕の神経を圧迫していた。

もし、受験に失敗したらと考えると夜も眠れなくなる――――。

「――――宮原、大丈夫か?」

「あ、ああ」

すぐ隣から聞こえた佐倉の心配そうな声に、我に返って僕は頷いた。胃に当てられている手のひらのあたたかさを感じて、ホッと安堵の息をつく。

大丈夫だ。いまの僕には佐倉がいる。

ここは、僕の家の近くにある公園の遊具のなかだった。

正円を横に半分に切って地面に置いたようなドーム型の遊具で、地面に尻をついて座れば、背の高い佐倉でもギリギリ頭がつかない高さに天井があった。広さは半畳くらいだろうか。少し離れた場所にある街灯が唯一の光源で、遊具の内部は暗く、互いの表情はうっすらとしか見えない。

出会った日以降、必ず、僕たちはこの公園に立ち寄っていた。駅から送ってもらう途中で、この小さな公園の遊具の内部に隣り合って座り、制服のシャツの上から胃に手を当ててもらう。それが僕の日課となっていた。

ベンチではなく遊具に入り込んでいるのは、ここが僕の自宅の近くにある公園だからというのが大きな理由だ。万が一、ご近所の人の目に触れて母の耳に入ったりしたら、なにを言われるかわからない。僕が叱責されるのは構わないが、佐倉に飛び火する可能性がある。それだけは、絶対に防がなければならない。

「なんか、今日すげーつらそうだな。ヤなことでもあったのか?」

暗闇のなかで優しい声が囁く。僕は遊具の壁にもたれたまま、隣にいる佐倉に顔を向けた。

学ランを着ている男子高校生にありがちだが、佐倉もコートを着ていなかった。学ランの首元にグレーと青のボーダー柄のマフラーだけを巻いて、ズボンに包まれた長い足をもてあますように軽く膝を立てて座っている。あいかわらず、僕の腹部に手を当てている表情は真剣そのものだ。目が合うと、佐倉は僕を安心させるように笑みを浮かべた。

「グチとかあるなら言えよ。聞くぜ?」

あの日からまだそんなに経っていないのに、佐倉の存在は、もう僕に欠かせないものになってしまっていた。あたたかくて大きな手もそうだが、おおらかで、人に気をつかわせない佐倉の人柄にも救われていた。

「ありがとう。そうさせてもらう」

「……とか言ってさあ。おまえ、ぜんッぜん、俺のこと頼ってくれねーじゃん!結構、さみしいんだけど!」

拗ねたような口調で抗議されて笑ってしまう。

「そんなことはない。むしろ、おまえの親切心に甘えすぎていて申しわけないくらいだ」

こんなふうに他人を頼ることなんて今までなかったから、どれくらい甘えていいのか限度がわからない。

「迷惑をかけるが、センター試験が終わるまで、もうちょっとだけつきあってくれ」

もう何度目になるかわからない台詞を僕は口にした。

「だから!迷惑じゃねーって言ってんだろ?」

ムッとしたように佐倉が言った。このやり取りをするのも何度目だろうか。

「センターが終わったら二次試験もつきあうし!」

ありがたい申し出だが、そう長い間、佐倉に迷惑はかけられない。

僕はいつものように黙って首を横に振った。

そのくせ、胸の奥からじわりと広がっていく不安を止められない。佐倉のいう通り、センター試験が無事に終わったとしても次は二次試験がある。さらに言えば、医学部に入れたからといって母からのプレッシャーがなくなるわけではない。他学部に比べて特に厳しいと言われている卒業試験が終わり、その後にある医師試験に合格するまできっとこの状況は続くだろう。

そこまで佐倉につきあってくれなんて言えない。ここが限度だ。

何度もそう決意し直しているはずなのに、佐倉とこうして会えなくなった後のことを考えると、不安でいてもたってもいられなくなる。今まで胃薬片手に独りでなんとかやってきたはずなのに、どうやって不安を散らしていたのか、すでに思い出せない。

「色々考えすぎなんだよ、宮原は。……せめて俺には素直に甘えろって」

暗闇のなかで、佐倉の目が熱っぽく光っている。こいつは時々こんな目で僕を見る。

本当にもう十分すぎるほど甘えているのに、こいつはさらに僕を甘やかそうとする。いったい、どこの誰が、たまたま再会した古い同級生の胃をこんなふうに親身になって心配してくれるだろうか。いいやつ過ぎて、こいつの今後が心配になってくる。

以前、それを本人に伝えたら「誰にでもこんなふうにするわけじゃねえよ」と不機嫌そうに言っていたけれど、本当だろうか。

「じゃあ……ちょっとだけ寄りかかっていいか?」

訊ねると、佐倉は「おう、いいぞ!」とパッと顔を輝かせた。僕は屈んだままの姿勢で佐倉に背中を向けると、膝を立てて座っている脚の間にもたれかかった。

「えっ?あっ、そういうこと!?」

焦ったような声が頭の後ろから聞こえてくる。

「すまない。イヤだったか?」

佐倉の胸から身を起こそうとすると、

「イヤじゃない!」

両肩をつかむ手に引き戻された。佐倉はそのまま後ろから腕をまわして僕を抱き抱えるようにすると、両方の手のひらで僕の腹部を覆った。佐倉の体温に全身が包まれて、心地よさに頭の中がとろりとなる。

「宮原……」

僕を抱えている腕の力が強まって、胸の深くへと引き込まれる。

首筋に佐倉の息を感じる。

「佐倉」

名前を呼ぶと、佐倉は腕の力を緩めた。我に返ったような声が訊ねてくる。

「あ、ああ……。なんだ?」

「シャツの上からじゃなくて直に触ってくれないか?」

ほんの少し沈黙の時間があった。

「……おまえさ、それ、意味わかって言ってる?」

「意味?意味とはなんだ?」

ただ、そうしてほしいだけなんだが。

途端、失望したような溜め息が聞こえたので、その溜め息の意味を問うべく僕は肩越しにうしろを振り返った。瞬間、鼻先が触れるくらいの至近距離に佐倉の顔があってびっくりする。佐倉もそうだったらしく、息を詰まらせたみたいな表情を浮かべると、パッと横に顔を向けた。

「おッ、おまえってさ!ガキの頃とあんまり見た目変わってないよな!」

「うるさい。どうせ僕の身長は伸びてない」

佐倉の息を間近にした瞬間、ギュッと胸の奥が狭くなるような感じがしたのが不思議で、僕は元の体勢に戻りながら言った。

「じゃなくて!昔と変わらずかわ――」

「かわ?」

「――いや!つ、面の皮が変わってないなって!ほら、おまえっていっつも澄ました顔してたじゃん」

「……ああ、そうだったのか。知らなかった。そうか、だから、いじめられたのかもしれないな」

「へ!?……いや!ちがう!そうじゃなくて!」

慌てふためいた声がした。少しの沈黙の後、

「わりい。俺、すげー余計なこと言った」

肩に額が押しつけられる。

「ほんとごめん。すげーごめん」

芯から後悔しているのが伝わってくる。

「別に気にしてない。おまえに再会するまで小学生の頃のこと忘れてたし」

それは本当だった。引っ越し先の環境に馴染むのに必死だったり、変わってしまった母とのやりとりに疲弊したりする毎日が続き、以前の学校でのことを思い出す隙間なんてなかった。

「…………」

それでも佐倉の頭が下がったままだったので、僕は続けた。

「そういえば、おまえは随分と雰囲気が変わったな」

「…………」

「なんていうか、もっとつかみどころがない感じだったよな」

「…………」

「けど、僕は」

「……ごめん。そろそろ帰ろうぜ?さみーし」

佐倉は僕を抱えていた腕を放すと、顔を背けるようにしながら、遊具の外に出て行ってしまった。

むかしのことを話そうとすると、佐倉はいつも不器用に話を打ち切ろうとする。そこも以前とはまったくちがっている。僕が覚えている子どもの頃の佐倉だったら、きっと、もっと器用に話をはぐらかしていただろう。それこそ、僕に気づかれないくらい上手に。

「宮原、ほら」

狭い出入口の向こうから差し出された佐倉の手をつかむ。引っ張り出されるように、僕は遊具の外に出た。周囲の闇が先ほどより透明度を増している気がして空を見上げると、雲のうしろに隠れていた月が白い姿を現わしていた。

「行こうぜ」

佐倉は手を離すと、気まずさを貼り付けた頬を僕から背けるようにして歩き出した。その隣に並んで歩きながら、少し高いところにある横顔を見上げる。その目はまっすぐ前に向けられたまま、僕を見ようとしない。

佐倉の目は健やかだ。

嬉しい時には嬉しさを、気まずい時には気まずさを、今その瞬間の感情をそのまま瞳に映し出す。それは、感情の読めない笑みを瞳に浮かべていたむかしの佐倉とは違うけれど――――。

「――――僕は今の佐倉の方が好きだぞ」

先ほど伝えられなかった気持ちを伝える。

瞬間、佐倉の足が止まった。やっと、その目に僕を映す。

「……宮原」

月の光が溶け込んだ目が僕を見つめる。

佐倉は僕に向かって両腕を伸ばした。

抱きしめられた瞬間、コト、と胸の奥で音がした。

僕自身が口にした「好き」という言葉が、収まるべきところに収まった音だった。

「ごめんな、宮原」

「……どうして謝るんだ?」

「思い出させてごめん」

「僕は、おまえのことを思い出せて嬉しい」

「ちがう、本当にごめん」

しがみつく腕を背中に感じながら、許しを乞うような佐倉の声を僕はただじっと聞いていた。


第2話へ続く

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