ユウレイサギ
朽野懶惰
ユウレイサギ
その電話に俺は戦慄した。
『もしもし、おれおれ。そう、おれ。』
携帯にかかって来た電話の第一声は、どう聞いても、先月自殺した友人の物だったからだ。
「お、おれ……って、誰だよ」
『おれだってば。忘れちゃったの?』
忘れるはずなどなかった。通夜も葬式も出席したし骨まで拾わせてもらった。つい昨日のことのように鮮やかに覚えている。
「たくみ、か?」
『そうそう、たくみだよ、たくみ。おれのこと覚えてたんだな』
「おまえ、どうしたんだよ。こんな電話かけて来て、おまえ」
実はさ、とたくみの声のおしりの方が少し上ずった。困っているとき、こいつはいつも声が上ずっていた。
『少し困っちゃってて』
「なににだ」
『金が無いんだ』
金が無い。地獄の沙汰も金次第というが、ほんとうなのか。金さえあれば解決することなのか、死者の悩みというのは。
そんなことでいいならば、俺はいくらでも出してやりたかった。自殺するほど悩んでいた友人への、せめてもの弔いにしたかった。そう思うくらい、自分はたくみに対して罪悪感をいだいていた。
「そうか。いくらでも貸してやる」
『…………実は、返すあてもない。そのくらい金に困ってる』
「大丈夫だ、取り立てたりしない。やるよ、全額やる」
それが自己満足だとしても。
「それで、どのくらいだ」
『そうだなあ、まずは10円玉が欲しい』
「10円玉?」
たくみは少し笑った。
『これ、公衆電話からかけてるんだ。そばにいた人に借りてるから、それを返さなきゃ』
「わかった、10円玉だな。それから?」
10円玉なら墓に供えやすかろう。いくつか供えてやろう。
『それから……、ああ、ちょっと待ってくれ、もう……』
そう言って、たくみは受話器から離れたらしかった。たぶん10円では話し切れなかったのだ。また、10円玉を借りているのだろうか。借りる相手も死者だろうか。
だが、間に合わなかったらしく、電話は虚しく切れた。
少し待つと、また電話が鳴った。
「もしもし?」
『もしもし、おれだよおれ』
「たくみか」
『そう、たくみ』
今度は電話が少しクリアに聞こえた。どうやら公衆電話をやめて、携帯を誰かに借りたらしかった。
『おれ、今金に困っててさ』
「それはさっきも聞いたよ。金ならいくらでもやるって」
『……そうか。それは助かる』
で、いくらなんだ。そう言うと、電話は一瞬沈黙した。
『……300万』
「また、えらい額だな。なにに必要なんだ?」
『実は、付き合ってる彼女のことで金が要りようなんだ。うっかり妊娠させてしまって……。彼女の父親がカンカンで慰謝料を払わないといけなくて』
その言葉は俺の頭をガツンと殴った。
たくみが自殺した理由はまさにそれで、彼女の妊娠発覚からの、一連の騒動のストレスによるものだった。
『おれ、どうしたらいいかわからなくて……それでおまえに……』
「いい、いい、みなまで言うな。すぐに用意する」
たくみの泣きだしそうな声がひどく心に刺さる。いつまでも聞いていたくなくて、無理に話を遮る。
「300万だったな。すぐ用意するから。安心しろ」
『ありがとう。一生恩に着る』
たくみはそう言って電話を切った。一生もなにも、もう死んでいるというのに。たくみらしい誠実さだった。
その誠実ささえなければ死ななかっただろうに。
5分としないうちに、また電話が鳴った。
「もしもし」
『ああ、おれだよ』
「たくみ?」
また少しノイズが混じっている。公衆電話にまた戻ったのだろう。
『もう少しだけ金の無心をしていいか』
「ああ、もちろん」
『すまん』
300万からいくら増えたところで多少の違いはありはしない。そもそも墓に供えるだけで、実際に手元から離れるわけではないのだ。
『50円玉も欲しいんだ』
「50円? 唐突だな。いくつだ」
『六つかな』
「わかった。それから?」
『いや、それだけだ。迷惑をかけるな』
「いいさ、そのくらい」
本心だった。たくみには感謝してもしきれない恩がある。そのくらいなら迷惑のうちにも入らない。
『ありがとう。死ぬまで恩に着るよ』
そう言って、たくみは電話を切った。
もう死んでるよ、とはさすがに言えなかった。
すぐに家を出て、銀行に向かった。300万を引き出しに行かなければ。
たくみは、彼女を妊娠させてしまい、慰謝料が必要だと言っていた。それは事実だ。
だが、その後にあった騒動を、死んでしまったたくみは覚えていないようだった。
実は、妊娠はおれのせいだった。浮気していた彼女と、おれとの間にできた子供だった。それは隠そうとしても隠し通せるものではなく、三人でさんざんに揉めて、結局たくみは、その心労で自ら命を絶ったのだ。
だからおれはたくみに罪悪感を感じている。だが、それとおなじくらい感謝もしている。たくみは誰にも、揉めていることを告げずに死んだ。おれも彼女も誰にも言っていない。つまりたくみが全ての秘密を背負って死んでくれた形になる。
それでおれは彼女の父に殴られずにすんだし、彼女も伴侶を亡くしたかわいそうなシングルマザーというポジションに収まった。
たくみが死んだこと、それは俺たちにとって最高に都合がよかった。
携帯が鳴った。
「もしもし」
『おれだよ、たくみ』
「ああ、たくみか。まだ何かあるのか」
たくみの声は泣いたあとのようなかすれ方をしていた。
『金を受け取る方法を話してなかったな、と思って』
「ああ、そうか」
おれはてっきり墓に供えればいいものだと思っていた。そうか、たくみ側からしてみればどこに来るか見当がつかないものなのか。
「たくみ、三丁目の墓場、わかるか」
『墓場? ああ、まあ』
「そこで待ってるから。ちゃんと来いよ」
たくみも自分の墓なら見つけやすいだろう。
『なあ、頼んでおいて悪いんだが……』
「なんだ、今更だな。なんだ?」
『もしかすると、おれ自身は待ち合わせに行けないかもしれない』
黄泉路を逆行するわけにはいかないか。
「そうか、ならこっちから届けに行こうか?」
『いや、そうじゃない。それはさすがに申し訳ない。待ち合わせ場所には、おれの友人が行く。そいつに渡してくれ』
「友人って。おまえ、そこに友人がいるのか」
『ああ。頼んだぞ』
ぷつりと電話は切れた。
ふと、俺は疑問を持った。友人とは誰だろう。たくみのそばにいる以上、死者なのだろう。だが、たくみの友人に死んだ者などあっただろうか。
ふと怖気が走った。たくみの無邪気さに騙されていたが、これは幽霊との待ち合わせだ。死者と墓場で待ち合わせ。まったく縁起でもない。もしかすると、俺はなにかまずいことに足を突っ込んでいるのはないだろうか。
ジメジメと空気が重い。心なしか日も陰ってきたようだ。どこまでも並んだ墓石がこちらをなめつけているように感じる。
俺は墓石の間をすりぬけて、たくみの墓を探した。
葬式のあと一度参ったきりだ。どこだったかとんとおぼえていない。ぐるぐると同じところを何度も回りながら、刻まれた名前をひとつずつ読む。なかなかたくみの墓は見つからない。
と、人影が石の陰から現れた。
「おっと」
あんまりいきなりだったので、ぶつかりそうになってしまった。たたらを踏んでこらえる。
「すいません」
「いえいえ。あ、もしかしてあんた?」
ぶつかりかけた男は馴れ馴れしく話しかけてきた。背が低く、丸々と肥えた四十がらみ。卑屈そうな目がきょときょとと揺れている。信頼できる男ではなさそうだった。
「……どちらさま?」
「ほら、たくみの友人だよ。たくみに頼まれて、ここまできたんだよ」
男は口元に歪めた笑いを貼り付けたまま、一息に喋った。
「たくみに頼まれてさ、こんな墓なんかにさ、あんたもなんでこんなとこにさ、まったくさ」
ぶつぶつと文句を垂れる。そしてぐっと手を突き出した。
「ほら、金。預かるから」
ずいぶん嫌な男だった。だが、そのいやらしさは、あまりに下卑ていて、逆にとても生者らしかった。どうやらこの男は幽霊ではなさそうだぞ、と俺は考え始めていた。
「……たくみに言われてきたんですか」
「そうだよ、たくみの代理。代理だよ。本人来れないっていうからさ、しょうがないだろ」
「あなたはたくみの友人なんですか。どんな友人なんですか」
「……なんだっていいだろ。ほら、金、よこせよ」
俺はようやく、この状況がわかってきた。
「これ、もしかして」
「なんだよ」
「オレオレ詐欺?」
ちっと男が舌打ちをした。バツの悪い子供のような表情だった。
「……なんだよ、気づいたのかよ」
もごもごとそう言い捨てた。
簡単なことだった。たくみを名乗る電話は、ただのオレオレ詐欺だったのだ。いや、思い返してみれば、電話の相手は自分からたくみを名乗ってはいなかったように思う。なんのことはない、怯えていた俺が勝手に死者からの電話と思い込んだだけ。
俺は笑い出してしまった。彼女を妊娠させた、なんて詐欺の常套手段じゃないか。なんでこんなバカらしい電話に引っかかったのか。
墓場でいきなり笑い出す男に、詐欺師は恐怖を覚えたようだった。もごもごと何かを言おうとしてはいたが、クソ、と吐き捨てて踵を返していった。
俺は心の底から笑った。こんなに清々しく笑ったのは、たくみが死んで以来はじめてのことだった。詐欺師の様子を思い出しては笑い、自分の馬鹿さを思い返しては笑い、墓場に立つ自分の滑稽さにまた笑った。そして、たくみが死んだことを笑った。もはやたくみが俺を脅かすことはないのだ。死んだから。あいつは仲達ではないのだ。何も言わずにすべての秘密を抱えて死んでくれた、かわいそうなたくみ!
ひとしきり笑って、腹が痛くなるほど笑って、俺はようやく笑うのをやめた。もはや俺を咎めるものはこの世にいない。晴れがましい気分だった。
せっかくだから墓参りしていこう。今ならたくみの墓の前で手を合わせてやることも気分良くできる。そう思って墓を見回した時、携帯が鳴った。
ピリリリ、と墓石に反響する着信音。俺はゆっくり携帯を取り出して、耳に当てた。
ザザ、とノイズが聞こえた。
『もしもし、俺だけど』
やはりたくみの声によく似ている。だが、もうタネは割れているのだ。
「おい、詐欺師。もう俺は気づいてるんだぞ」
『詐欺? なんのことだよ』
「しらばっくれるなよ。もう仲間の詐欺師は逃げたぞ。お前だって、俺が警察に届ければ、発信履歴からすぐに身元が……」
ザザザとノイズが走る。
俺は違和感を覚えた。
これは、携帯からの着信ではない。おそらくは公衆電話からだ。……公衆電話? 詐欺師がわざわざ公衆電話を使うだろうか。
俺にかかってきた電話は、携帯からのものと公衆電話からのものとの二種類があったのではなかったか。
『おーい、なんだよ。詐欺ってなんなんだよ』
のんびりとした声が受話口から聞こえる。これは、誰の声だ?
『おい、聞いてるかー。おーい。俺、ちゃんと受け取りに来たんだよ。おーい』
俺は震える声を絞り出す。
「この電話は、オレオレ詐欺で、だから、おまえはたくみじゃない、んじゃ」
『はあ? 何言ってんだよ、俺はたくみだよ』
「300万、は」
『なんの話だよ、300万って。俺そんなに頼んでないぞ』
ははは、と笑い声が、反対側の耳の近くでした。
ば、と振り返るが、そこには誰もいない。しんと静まりかえった墓場。ふと、目の前の墓石の文字を読む。それは、たくみの墓だ。
『おまえに頼んだのは、10円玉。この電話をおまえにかけるための』
電話の音が、二重に聞こえる。スピーカーから聞こえるのと、直接聞こえるのとで、二つ。聞こえる、聞こえる。これは、たくみの声だ。間違いなく、たくみの、恨みをこめた声。
『そして、50円玉を6つ。意味わかるか?』
たくみの声がする。目の前の墓石からする。手元の携帯からする。耳の後ろからする。頭の中からする。どこからしている?
「……わ、から、ない」
『はは、わかんないか。これはおまえのためのものなんだよ』
「……俺の、ため?」
耳元で囁くように。
たくみの声が聞こえた。
「おまえのための、六文銭だよ」
“……本日、墓場で男性の遺体が発見されました。男性は多額の現金を所持しており、警察は他殺と見て捜査を……”
ユウレイサギ 朽野懶惰 @yayamosuruto
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